第九話
日が沈みかけた夕暮れ時、今にも雨が降り出しそうな王都の通りを連れ立って歩く五人の姿があった。アリシア、エリシア、シュウ、フレア、アオイの五人である。
「すっかり遅くなっちゃったね」
そういうエリシアの両手には、袋一杯のパンや果物といった食料品が抱え込まれている。その隣を歩くアリシアの両手にも大きな袋が握られており、こちらの中身は大量の衣服。同様にシュウ達三人の手にも大量の衣服やら食料品やらが抱え込まれていた。
アリシアとシルファの激戦の後。その修復作業に時間を取られ、予定より遅くなってしまった終了時刻。観客席から残りの二試合を観戦したシュウ達は、その後食料、衣服を買い込み、一路先日訪れた黒髪達の居住区へと向かっていた。ちなみにこれらの資金はといえば、すべてまとめてエリシアが支払ってしまった。
「ただの自己満足よ……」
大金を惜しげもなく他人の為に使ってしまうエリシアを、尊敬と感嘆と驚愕でもって見つめていたシュウ達三人に、自嘲気味に、しかし少し照れたようにそう言ったエリシア。その時の彼女の頬はほんのり赤色に染まっていた。
そんなこんなで買い物を済ませ、談笑しながら居住区のある先日の広場へと歩みを進める五人。すると間もなくして、人々のざわめきが聞こえてくる。そのざわめきは近づくにつれ、喧騒へと変わった。やがて、五人の前に人だかりが現れる。
「どうかしたんで――」
「エリシア!!」
近くにいた一人に事情を訪ねようとするエリシア。それをアリシアの鋭い声が遮る。そのアリシアの見つめる先を見て、エリシアの表情が驚愕と焦り、不安へと変わる。
彼女たちが見つめる先にあったのは、黒々とした煙を噴き上げる燃え盛る炎。建物に遮られ、正確な炎の出どころは分からないが、あの方向にあるのは………
「…あの先にあるのって……」
「この前の広場……ってか黒髪の人の居住区……だよね?」
フレアとアオイもそのことに思い至る。その時にはすでにシュウとエリシアは走り出していた。
「って、ちょっとシュウ!」
「エリシア!」
慌ててその後を追いかけるフレアとアオイ。近くにいた人に警備隊の詰所へと向かうよう指示を出していたアリシアも、慌ててその後に続く……
「おいおいおい……なんだよこりゃ……」
「うそ……でしょ?」
目の前に現れた光景にフレアが、アオイが次々に驚きを口にする。エリシア、アリシア、シュウの三人は、受けた衝撃のあまりの大きさに、声を発することもできないでいた。
時刻は夕刻。もう間もなく日が沈み夜の帳が下りる頃。本来ならば闇夜の世界となるはずが、しかし今は真昼のように明々としていた。
つい数日前に訪れた広場。住民たちがシュウ達を伺うようにしながらも、アリシアやエリシアには自分から話しかけていく光景が見られた場所……そこは今、全くの別世界と化していた……
「レジナさん!! ギレナさん!!」
黒々とした煙を噴き上げ、真っ赤に燃え上がる嘗て住居だった物。そのすぐ近くに打ち捨てられたように倒れ伏す二人。それが見知った人物であることに気づいたエリシアが慌てて駆け寄る……が、しかしある程度近づいたところで彼女の足は止まり、そして彼女は震えと共にその場に崩れ落ちるようにして座り込んでしまう。
「エリシア?」
駆け寄ったアリシアも、シュウ達も、エリシアが見たものを知り、息をのみ立ち尽くす……
アオイがエリシアと同じように座り込み、フレアは口元に手をやり顔をそむける。そんな中、睨みつけるようにただ二人を見つめるアリシアと、シュウ。二人の姿は、シュウやアリシアにとっては以前にも見たもの……
アリシアは学生の身でありながら参加した戦場で、そしてシュウはかつての彼の故郷で、彼の故郷がなくなった時に……
二人の亡骸に無言で歩み寄るシュウ。彼は見開かれたままになっていた二人の瞳をそっと閉じる。瞳に宿った絶望と、あふれだした涙の痕を心に刻みつけながら……
「夫婦…だったのよ。仲のいい…」
シュウの背に語りかけるアリシア。その口調は不自然なほど平坦で、まったく感情のこもっていない声音であった。彼女の見据える先にあるかつて夫婦だったモノ。凌辱と、そして暴力の跡が残る生々しい死体……
「もうすぐ子供が生まれるって…」
アリシアの脳裏にかつての二人の姿がよみがえる。
―もうすぐ子供が生まれるの
嬉しそうに、幸せそうに、そしてどこか悲しそうにそう告げた二人。黒髪の子は黒髪。それだけで生まれてくる子供には困難な人生が待ち構えている。それを思うと嬉しさと同時に辛さが込み上げてくると話していた夫婦。しかしその未来は既にない。奪われてしまった。尊厳と共に………
二人がどんな扱いを受けたか、それは二人の亡骸を見れば容易に想像することができる。できてしまった……
「子供たちは?」
「え?」
しばし感傷に囚われていたアリシアの耳に、エリシアの呟きが飛び込んでくる。
「……人数も足りない?」
広場にはレジナたち同様撃ち捨てられた遺体が、何体も横たわっている。しかし、どう考えても全く人数が足りていない。何より子供たちの姿が見当たらない……
「くそ、私としたことが…生き残りを探すわよ!」
我ながら愚かだったと歯噛みするアリシア。生き残りの捜索。真っ先に行うべきことだった。そんな当たり前なことになぜ今まで気付かなかったのか。冷静なつもりでいて、しかし実際は動揺していたということだろうか……
そこから先のアリシアの動きは、これ以上ないというほど素早かった。
「アオイさん水! なければ氷!」
持ってきていた衣服の詰まった袋から、布を二枚取り出すアリシア。彼女はそれに、たった今アオイが術で生み出した水をしみこませ、片方をエリシアへと投げてよこす。
「シュウ君、アオイさん、フレア君!!」
「は、はい」
アリシアの勢いに呑まれる三人。
「あなた達は周辺の捜査を。避難した人たちがいないか、あとは不審者がいないか。ただし注意して!」
アリシアは言うが早いか、言い終わった時にはすでに走り出していた。エリシアがそれに続く。
「先輩! 気を付けて!!」
「あなた達も!!」
二人が燃え盛る建物に飛び込むのを見送った後、シュウ達三人も指示通りに動き出した。
アリシアが燃え盛る炎の只中に道を作り出し、エリシアが熱を吹き散らすと同時に、呼吸用の空気を確保する。そのようにして建物内を突き進む二人。たまに燃え落ちる柱や梁が頭上に落ちてきて、非常に危険極まりないのだが、二人は全く気にすることなく先へ進む。口元に濡らした布を宛がいながら、必死に生き残りの姿を探すのだったが、あるのは既にこと切れた大人たちの遺体だけ。それも何故かほとんどが男だったり年老いていたり……
若い女性や子供たちの姿が見えない…そのことに嫌な予感を覚えるアリシアとエリシア。
とその時――
かすかだが、物音が聞こえた。すぐさま顔を見合わせるアリシアとエリシア。よくよく耳を済ませなければ聞き取れないほどの何かを叩く音……
二人は音の出どころに向かって全速力で駆けつける。次第に音もはっきりしてきて、せき込む声や、すすり泣く声も聞こえるようになってきた。
「誰かいるの!?」
文字通り蹴破るようにして飛び込んだのは、半地下となった食料の保管庫だった。四方を土壁で囲まれている為、未だ炎は上がっていない。しかし熱や煙は別で、部屋中が煙で覆われていた。エリシアが神霊術で煙を吹き散らかした後には……
「リンちゃん……」
そこにいたのは、特にエリシアになついている幼い少女だった。
「リンちゃん? リンちゃんしっかりして!!」
少女の様子がおかしいことに気づき、顔色を変えるエリシア。
「すぐ外に連れ出した方がいいわね」
リンの顔色や、置かれていた状況から、大量の煙を吸ってしまったのだろうとあたりを付けるアリシア。おそらく二人が突入する直前に気を失ったのだろう……すぐに脱出するようエリシアに告げる。
「アリシアは?」
「私はもう少しだけ残って探してみる」
「了解」
何時もリンと共にいたコウの姿がないことが気になっていたアリシア。彼女はエリシアが脱出した後も建物内の捜索を続ける。しかし、結局コウも、その他の子供たちも見つけることはできなかった。
嘗て黒髪達の住居だった建物が燃え尽き、崩れ落ちる様を、アリシアが、エリシアが、シュウが、フレアが、アオイが見つめる。彼らの、彼女らの心の内にあるのは悲しみか、憎しみか、それとも怒りか……助け出されたリンは、簡単な治療を終え、今はエリシアの腕の中で静かに寝息を立てている。彼女が目が覚めた時、その幼い心をどれだけの絶望が襲うのか……
「くそ!! いったい誰が……何のために……」
憤りを抑えられないフレア。他の者も同様で、一様に険しい表情をしている。
ただ、そんな彼らを遠巻きに眺める野次馬にとっては他人事のようで、『表通りに火が回らなくて良かった』とか、『住人に怪我人が出なくて良かった』などと平気で口にしている。彼らのいう"住民"の中に、今冷たい地面の上で横たわる黒髪達や、エリシアに抱かれる幼い少女は入っていないようで……
こんな時にも黒髪に対する差別を見せられ、シュウの心が荒くれ立つ……
無論そんな者ばかりでなく、痛ましそうな顔で眺める者や、中には遺体を綺麗にしようと布などで拭いている者もいたのだが……
―なぜ、彼らは死ななければならなかったのか……
―彼らがいったい何をしたのか……
―なぜ、こんなことが起こるのか……
―なぜ、繰り返されるのか。
―なぜ……
考えれば考えるほど、シュウの心はかき乱される。沸き起こる怒りと憤り……
その怒りが、憤りが、シュウの思考を冴え冴えと研ぎ澄まし、感覚や神経さえもを研ぎ澄ましていく……
故に、彼は気づいた。本来であれば気づかないほど遥か遠く、こちらを伺う複数の視線に。こんな状況下で、シュウ達を観察する複数の存在。しかも間違いなく訓練された存在。そんな存在が今回の事件と無関係なはずがない……
シュウは、普段彼が見せないような獰猛な笑みを浮かべると、すぐにその事をアリシアに報告する。
それを聞いたアリシアはリンをエリシアに託すと、アオイをその護衛とする。そして彼女たちにはアリシアの家へと向かうように指示をし、自身はシュウを道案内に、フレアを伴ってその場を離れるのであった。
ポツリ、ポツリと雨が屋根を叩く。次第に強まる雨音を肴に、男はゆっくりと酒を口に含む。すでに何時もなら気を失っていてもおかしくないほどの量を飲んでいるのだが、一向に酔いが回る気配がない。しかしその理由は分かっている。事あるごとに昼間見た光景がよみがえって来て男を苛立たせるからだ。
「くそ…」
男は短く悪態をつき、酒で酔いに逃げるのをあきらめた。
比較的高級な部類に入る宿屋の一室。そこにいたのは、昼間シュウ達の試合を観客席から怒りを込めて見つめていた、あの男だった。
「キリツグ様…」
いつの間にか男の背後に黒づくめの人物が立っていた。頭を覆うフードから、足の先まで全身黒の衣装で、外見からは性別を判断することができない。
「シズハか………どうした?」
突然現れた黒づくめに、驚くことなく問いかける、キリツグと呼ばれた男。
「これを」
そう言って差し出されたのは、一枚の封書。宛名もなく、署名もない怪しげな封書の中身を見て、キリツグは眉を寄せる。
「なんだこれは……」
そこに書かれていたのは一言――
"間もなく襲撃が始まる。気を付けられたし"
たったそれだけであった。
「警告文なのか? いったいどこでこれを?」
「偶々道ですれ違った男から渡されました。主に届けるようにと。……一応別の者に後を付けさせてありますが……」
「そうか…分かった」
キリツグは封書を懐にしまうと、念の為にとシズハに指示を出す。
「一階入り口付近、二回の階段付近、三階のこの部屋周辺を交代で警護。他の者も警戒体制で待機……一応な」
「了解」
シズハがキリツグからの指示を伝える為、部屋を出ていく。それと入れ替わりに数人のこれまた黒づくめ達が部屋へと入ってきた。
「キリツグ様、報告いたします」
彼ら、もしくは彼女らがキリツグの前に膝をつき、命じられていた任務の報告を始めて間もなく――
「キ、キリツグ様! 侵入者です!!」
一人の青年が慌てて部屋に駆け込んできた。それを聞いて、膝をついていた黒づくめ達が素早く立ち上がり、青年とキリツグを守る為にその身を寄せる。
「状況は」
「すでに一階部分で戦闘が始まっています」
キリツグは状況を確認すると、窓からの脱出を選ぶ。
「何なのだ、いったい」
あの封書と何か関係があるのだろうか。そんなことを考えながら、キリツグは護衛の黒づくめや、知らせに来た青年と共に窓から外へ飛び出す……
「どんぴしゃだな」
「さすが先輩、予定通り」
「な!?」
ちょうどその時、声と共に横から炎が襲いかかってきた。
「キ、キリツグ様」
「待ち伏せだと!?」
「―っく! キリツグ様とヒアシ様をお守りしろ!!」
必死にキリツグと、青年を庇い、迎え撃とうとする護衛の黒づくめ達。しかし――
「お前たちだけは許さない…」
「報いを受けろ…」
怒涛の勢いで襲撃者達に襲われ、すぐに押され始める護衛達。そこに陽動役だっただろう一人も屋敷から出て加わり、三人でキリツグ達を攻め立てる。
特殊な訓練を受けた護衛兼部下達が、次々と倒されるのを驚きと共に見つめるキリツグ。見たところ、そこまで彼我の戦力差があるとは思えない。むしろ人数では圧倒的にこちらが勝っている。しかしそれでもかなわないほど、相手の戦い方は凄まじかった。まるで怒りをぶつけるように躊躇なく、容赦なく蹂躙してくる……
中でも一際激しいのが刀を持った一人。雨のせいで辺りは薄暗く、顔や髪の色ははっきりしないが、全身から怒気を発しているのが、なんとなくだが分かる。その男が刀を一振りするたび彼の部下が、腕を、足を、首を押さえて気絶する。不運にも一撃で沈まなかった者は、さらに鞘で打ち据えられ、結局は同じ末路をたどる。
「キリツグ様!」
男がキリツグへと視線を向けたところで、その間にシズハが割って入る。
「いけない! シズ――」
咄嗟に止めようとするも、すでに遅く、シズハが男に攻撃を仕掛けようとして……
男が情け容赦なく刀を振るう。変な方向へと折れ曲がるシズハの細腕。しかしそれでもシズハは倒れず、キリツグを背に庇おうとするが……
「どけ」
その言葉と共に鞘で打ち据えられ倒れ伏すシズハ。
「よくも…」
怒りで我を忘れ、男に飛びかかるキリツグ。怒り任せに神霊術を放つが、しかしそれは相手に届く前に、横合いから飛来した炎によって撃ち落とされてしまう。そしてキリツグの鳩尾に強烈な衝撃が走る。いつの間にか、キリツグの鳩尾に刀の柄が深々と埋め込まれていた。
意識を手放す直前、炎に照らし出され、一瞬だけ闇に隠れていた男の顔が浮かび上がる。そこにいたのは――
―闇のような漆黒の髪に、強い意志を秘めた黒い瞳。
「お前は……」
昼間キリツグが怒りと共に眺めていた男が、崩れ落ちるキリツグを見下ろしていた。




