第八話
傷だらけになったシュウが、傷ついた女性を抱えて訓練場を飛び出していった後、訓練場は一時騒然となった。
氷で囲まれていたため、何が起きたか見えなかった者達が多く、彼らが様々な憶測を叫んだ為だった。
すぐさまアリシアやその場にいた教官たちが動いて、騒ぎを収めた。
その後、見える位置にいた者達から事情を聴き、事態はエリザの力の暴走という事で片が付いた。
その後すぐに、アリシア達の手で事件の全容が明らかにされた。様々な証拠も共に提出されたので、レオナルドは言い逃れることができずに拘束された。
ただエリザは被害者として扱われた。今回の事件で一番の大怪我を負ったのが彼女だったこと、その状況を直接見た者が少なかったことがその原因だった。何も知らない観客たちが血まみれの彼女に同情的な感情を抱いてしまっていた為、彼女を悪者にすることで、シュウがあらぬ疑いをかけられることを恐れたアリシアの判断だった。
結果的にすべての責任はレオナルドへ……そしてアフレイア家への攻撃材料として今後使われるだろう。
「政府側が…王族派がこれで巻き返せるといいのだけれど……」
「まぁ、そう簡単ではないだろうね……」
「軍部への牽制……アフレイア家の発言力、影響力を多少は抑えられる……おそらくそんなところだと思うわ」
アリシア、フレア、エリシアの三人が小隊室に集まっていた。今この場にいるのはこの三人のみ……
「父上も…これで少しは立場が良くなると思う……」
エリシアが呟きを漏らす。彼女の父親は軍部と対立する立場にいる。
「それより……」
エリシアは気を取り直すようにしてアリシア、そしてエンジュの顔を順番に見つめる。
「アフレイア家がいつまでもおとなしくしているとは思えない。二人共十分気を付けてね……」
「分かっているわ…」
「大丈夫だよ」
アリシア、エンジュが順に答える。そしてアリシアが付け加えた。
「あなたのほうこそ気をつけて……」
その後の二戦をシュウ、フレア、アオイの三人は順調に勝ち抜き、終わってみれば七戦六勝一敗。蒼組では一位。一年全体では三位の成績だった。ちなみにレオナルドはあの一軒でまたも謹慎処分。本格的な処分は今協議中らしい。
こうしてシュウ達は無事学年別小隊対抗戦を終えた。現在は二年の部が開かれており、この後三年、四年と続く。
各学年上位三隊が、武術大会の個人戦出場となるので、シュウ達はぎりぎり出場権を得ることができた。このことに大いに胸をなでおろした二人。アリシアからも無事お褒めの言葉をいただき、超絶金額の自己負担という悪夢は無事回避された。ちなみに………
「ああ…あの個人負担ってやつ? ごめんすっかり忘れてた……てへ」
などとかわいらしくごまかして見せたアリシア。さらに……
「ま、元々あんなの嘘だったし……やる気出てよかったでしょ?」
などと暴露して、フレア、アオイの二人が崩れ落ちる……などといった一膜があったりしたわけだが………
シュウ達三人は今後、通常通り講義を受けつつ、小隊の集まり、訓練に精を出す。さらに三年の部、四年の部に参加する先輩たちの応援に励む。そんな日常を送る予定だ。
「その後…彼女の様子は?」
講義を終え、これからエンジュとエリシアの応援に向かうところだった。
「う~ん。怪我のほうはもうだいぶいいみたい」
そう答えるシュウの腰には短剣が吊られていた。さすがに刀を校内で持ち歩くのは気が引けるため、シュウは短剣だけを持ち歩くようになっていた。その短剣は先日エリザから返されたばかりだ。
「ただ元気はあんましないみたい……」
「そっか」
アオイは先日会った女性のことを思い浮かべる。アオイも、そしてフレアも既にエリザがしたことはすべて知っていた。最初は憤り、怒りを覚えたアオイだったが、実際に会った途端そんなものはすべてなくなってしまった。
アオイがフレアを伴って病室を訪れた時、エリザはベッドに腰かけ、ぼんやりと外を眺めていた。そこに勝気そうな雰囲気や、とげとげさは全くと言っていいほどなく、むしろ儚さや、壊れそうな雰囲気を纏っていた。
彼女はフレアたちに気づくと深々と頭を下げ、謝罪の言葉を述べた。その雰囲気に、その態度にフレアやアオイが逆に戸惑うほどであった。
「何か急に憑き物が落ちた……そんな感じがする」
「うん」
アオイも同意する。シュウも最初は訝しんだそうだ。しおらしくしているのは演技でなないか。しかし彼女の態度はその後も変わない。そして演技などではない気がする。それはアオイもそしてフレアも感じたことだった。
だからこそシュウはたまに彼女の様子を見に行っている。最初はかなり邪険にされていた。アオイも何度か目撃している。しかし次第に彼女はシュウに黒髪だからとは言わなくなった。今では名前を呼び始めている。
「彼女の気持ちの変化? 何が原因かは僕にはわからないけど……何かそんなのがあったのかもしれないね」
それはアオイの想像だった。
「それ……返してもらったんだな」
そこで、それまで黙っていたフレアが口を開いた。見つめる先にはシュウの短刀があった。
「まぁな。一応だけど、お礼を言われたよ」
「そうか………」
フレアはそう呟きまた黙り込む。彼女に対してフレアは一番複雑な思いを抱いている。彼は彼女を恨む権利、憎む権利がある。しかし彼は何も言わなかった。恨み言も……許す言葉も……
ただアオイとシュウにだけは心の内を明かした。一言――許す――とだけ。そしてフレアはその言葉をエリザへは伝えなかった。
アリシアが部屋へと入ると、壮年の男が一人立ち上がって彼女を迎え入れた。
「お待たせいたしました」
彼女がそう言うと、
「いえ…この度は娘がご迷惑をおかけしたようで……」
そう言って男は深々と頭を下げた。遥か年下の学生にさえ、自然と頭を下げることができる。その男の態度にアリシアは好感を覚える。
「どうぞ」
アリシアが椅子をすすめ、自身もその正面へと座る。
今二人がいるのは学校の応接室。通常は学生が使う場ではないのだが……そこは彼女がアリシア・ルイスであるということだ。
アリシアの前に座る男性の名はオクス・ロバーツ。エリザ・ロバーツの父親であった。
アリシアは今回の一連の出来事を包み隠さず全てを話した。男はただ黙って静かに聞いていたが、ショックを受けていることは一目でわかった。
「単刀直入にうかがいます」
一通り話し終わったと、アリシアは男の目をまっすぐに見つめてある問いを発した。
「あなた方親子と神聖帝国は繋がっていますか?」
「………いいえ。………私にとっては、神聖帝国は妻の敵です」
男はそのあまりにまっすぐな問いかけと、アリシアの視線に少しだけ笑みを見せた。そして……
「あの子が今回のような行動に出たのと、おそらく無関係ではありませんから……」
そう言うと、男は胸の内を話し出した。
男は神聖帝国の中で中流に位置する家柄に生まれた。三男として生まれたため、家を継ぐ必要はなく、比較的自由に暮らすことができたという。継ぐ家がない代わりに、男は自分自身で身を立てなければならなかった。男はやがて軍人として身を立て、聖騎士となり、順調に生活を送っていた。
「そんな時でした……私は一人の女性と出会いました。女性の名はシェリア……平民でした。そして………黒髪でした」
男は少しだけ苦しそうに……辛そうに黒髪という言葉を口にした。アリシアはそれだけで大体の事情を悟ってしまった。
「逆境に負けず、常に明るい女性でした。私は周りの反対を押し切って……彼女を妻に迎えました」
しばらくは幸せな……満たされた生活が続いた……
「彼女は優しく、暖かかった。そして一人の娘を授かりました。それがエリザです」
娘が生まれるころには男の両親や兄弟たちも祝福してくれるようになっていた。男の両親は孫として娘をかわいがった。彼女の髪は…瞳は男の色を受け継いでいた。
「私が軍の遠征で家を離れないといけなくなり、娘と妻を実家に預けました……そして――」
事件は起こった。男の妻は美しかった。艶のある漆黒の髪。張りのある美しい肌。しかしそれが悲劇を招き寄せた。
「妻が買い物に出た時、娘ともどもさらわれました」
その日に限って彼女は娘と二人だけで出かけた。いつもは一緒についてきてくれた男の兄や弟がその日に限って忙しく、手を離せなかったのだ。
「遠慮……したのでしょう。慎ましい女性でしたから。いつも僕を立ててくれるような……」
男は涙していた。そして涙を流したまま……話し続けた。
「妻は殺されました………娘の目の前で」
男たちにさんざん嬲られ、弄ばれた後、体を切り刻まれた。戻って男が見た妻の姿は……美しかった髪は無残に切られ、ちぎられていた。美しかった肌は腫れ、痣だらけだった。体のあちこちに切り傷、すり傷、殴られた跡があり、無事なところなどどこにもなかった。
「笑っていたそうです。妻を殺した男たちも……周りで見ていた者たちも……」
周りにいた女たちは、男の妻の美しさが許せなかった。本来家畜以下の存在でしかない黒髪の女が、自分たちと同じ上品な服を着て、自分たちよりも男たちの視線を集めるのが我慢できなかった。ゆえに笑った。女が汚されるのを見て……肌が傷つくのを見て……
「その場には妻と同じ黒髪を持つ者達もいたそうです。けれど……彼女たちは助けようとはしなかった」
助けられるはずがなかった。非力な黒では。
「娘は……五歳でした」
それっきり男は黙り込んでしまう。男にとってつらい……辛すぎる過去だった。
せめてと祈りつつアリシアは問いかける。
「その者達は罰せられたのですか?」
「……いいえ………。罪に問われませんでした。家畜を殺すのは当たり前だと……国は」
それを聞いたアリシアにうかんだのは、まさか…という思いと、やはり…という思いだった。
「そこまで……」
帝国ではそんなにも黒髪に対する差別が強いのか………
「娘が今回の行動に出た理由……おそらくはあなたの隊の一年生がきっかけかと……」
彼女はシュウを知ってしまった。黒髪でありながら、アリシア達色を持つ者と対等に接する彼の姿を。黒髪でありながら戦う術を持つ彼の姿を。受け入れられている彼の姿を……
そして母親と重ねてしまったのだろう。
彼女の母親は決して色を持つものから対等な扱いは受けなかった。彼女の母親は、戦う術を持たなかった。彼女の母親は誰も助けてくれなかった。同じ黒髪でさえも……力がない非力な存在だから………でももし黒が力を持っていたなら母親は?
「……辛い話を……させてしまいました」
アリシアはそう言って頭を下げる。
「いえ…お見苦しいところを」
そう答える男にはもう涙はなかった。
「娘の事……よろしくお願いいたします」
男はそう言って頭を下げ、部屋を後にした。




