第二話
学年別小隊対抗戦は現在第一訓練棟、第二訓練棟の二つの場所で行われている。この二つの訓練棟はほぼ同じ大きさ、同じつくりをしていて、同様の建物が他にあと二つ、合計四つの訓練棟がここノーテルダム王立軍学校にはある。そしてそれぞれに併設された建物もまた同じように四つあり、それぞれの建物には蒼、紅、翠、黄の四つの組の小隊室がある。
そのことから、第一訓練棟のことを蒼棟、第二訓練棟のことを紅棟、第三訓練棟のことを翠棟、第四訓練棟のことを黄棟と呼ぶこともあった。
蒼棟に併設された建物内、蒼組第二小隊小隊室。入口から入るとまず目に付くのが座り心地のよさそうな上等な椅子が四脚。それが四角い机を挟んで二つずつ並んでいる。そしてその奥には円形の大きな机が巨大な存在感を発揮し、その机には現在の所属隊員数と同じ数の椅子が並べられていた。
この部屋の内装は全てアリシアが小隊長就任と共に用意したもので、どれも決して派手ではなく、落ち着いた雰囲気の中に高い芸術性を秘めた一級品であった。
机が円形というのは上下関係がどうのとか、上座がどこかといったような事があまり好きではないアリシアの意志の表れともいえるだろう。その他に、全員の顔がまんべんなく見える形といった意味もあるらしい。
他の小隊の小隊室では、反対に上下関係をきっちり分けているところもあったりもする。
そしてすべての小隊室共通の設備として、簡易調理場、シャワー室、仮眠室、医務室が完備されていた。
現在この部屋には重苦しい沈黙が流れていた。ここにいる者達誰一人として口を開こうとしない………沈黙の中心にいるのはフレア、アオイ、アリシアの三人。彼女たちは手前側の椅子にアオイとフレアが隣り合うように、そして対面側にアリシアといった配置で座っていた。
「まぁ…過ぎたことは過ぎたこととして……あまり落ち込まないようにね……」
意を決してアリシアが声をかける。しかしフレアから反応は返らない。よっぽどショックだったのだろう。負けたことがではない。おそらくほとんど何も反撃できなかったことに対してだろう。
これ以前の二戦は彼我の戦力差がかなりあった。その為フレアの不調が表立っては形にならなかった。もちろん本人も、そして他の隊員も彼の状況、状態、そしてその原因に至るまで全て知っている。フレア本人が事前に話していたからだ……コジョウ家であった出来事について。
そして今回ついにその不調が形となって表れてしまった。そのことにいちばん驚いているのは他でもないフレアであった。
彼は反撃するどころか、動くことすらできないままいともあっけなく倒されてしまった。そしてそんな自分自身に驚き、恐怖し、失望した………
「とにかく今は焦らないで。誰にだって壁にぶち当たることぐらいあるし、時間が解決してくれることもあるわ……」
アリシアは根気よく話しかけたが、結局芳しい成果は得られないままその日は解散となった。
去り際にアオイに目で合図を送る。帰りは彼女に頼む。シュウがいない今、寮へ帰るのはあの二人だけだ。アリシアも最初は寮へと入ったが、エンジュの入学を機に寮を出て、二人でアパートを借りて住んでいる。アリサ、カグラの二人は最初から一人暮らしだ。
「思ってたより深刻なようだな」
フレア、アオイが去った後、上級生たちがアリシアのもとへと集まる。
「私たちは無力ね………」
深いため息が次々ともれた…………
小隊室を後にしたフレア、アオイの二人は、今もっとも会いたくない人物と会ってしまった。廊下に立ち、まるで待ち構えていたようなタイミングでフレアに声をかけてくるのは、レオナルド・アフレイア。因縁深い相手だった………
「これはこれは、先ほどの戦闘…実に見事でしたよ。実に見事な…………負けっぷりでした」
そう言ってレオナルドは盛大に声を立てて笑う。こちらの神経を逆なでするように、馬鹿にするように………
そして彼の背後に従うほかの二名も同じように笑う。フレアは何も言わない。代わりに……
「レオナルド」
「ん? なんだいアオイ?」
レオナルドはアオイに対してだけは物腰が柔らかい。
「取り巻き減った?」
「な!?…………そ、そんな事ないさ、今日はたまたまだ」
「そっかぁ……そういえばさ、レオナルドの隊はどれくらい勝ってるの?」
「ふ……よくぞ聞いてくれた! もちろん三戦全勝……ま、僕はどこかの誰かと違って優秀だからね!」
そして執着心を持っている。だからアオイの前ではいい恰好をしようとする。
「そっかぁ……初めて知ったよ」
「え? 初めて?」
「うん。だって僕君たちの戦い一度も見てないし……」
にっこりとほほ笑みを浮かべるアオイ。
「い…いちども?」
「うん。………だって興味ないし」
「きょ、興味ない………」
愕然とし、信じられないとばかりに目を見開くレオナルド。アオイは微笑みを浮かべたまま。やり口がどこかアリシアに似ていた。
愕然と肩を落として去っていくレオナルド。
その後ろ姿を微笑みから一転、冷ややかなまなざしで見据えるアオイ。事あるごとにシュウや、フレアにちょっかいを出してくるレオナルドにアオイもいい加減うんざりしていた。
「はぁ……フレア、行こ」
そう言ってアオイは歩き出す。フレアはただ無言で続く。その事に再び溜息を吐くアオイ。
フレアがこうなった原因はアオイにもある。それだけにアオイとしては一刻も早く何とかしたい……してあげたい。しかし手段がない。 結局アオイもまたアリシア達が行きついた結論と同じ結論へとたどり着く。
――何とかしてあげたいけど、今できることは見守ることと、寄り添うこと…か………
「もどかしいな……」
そう一人呟き、空を見上げるアオイだった。その空はアオイの気持ちなどおかまいなしに、よく晴れた明るい空色をしていた……
フレアドール・シデンという男の美点の一つは切り替えの早さにある。落ち込んでも、失敗しても自分で気持ちを切り替えるすべを持っていた。だからこそアリシアなどはフレアをいぢり倒して遊ぶ…などといったことができていたわけだが………
アオイとフレアが敗北した翌日。蒼組の教室では他の小隊の友人と談笑するフレアの姿があった。その姿はいつも通りで、それを見たアオイは少しホッとする。
「よ、アオイ」
「おはよ、フレア」
アオイに気づいたフレアのほうから声をかけてきた。片手をあげながらの軽い調子のあいさつ。フレアらしいその行動に、思わず頬が緩んでしまう。アオイが思っていたよりずっとフレアは元気そうだった。
その日一日フレアのことを観察していたアオイは昨日のことをひきずってはいないようだと結論を出した。
――うまく気持ちを入れ替えることができたみたいだ。さすがフレア。あとは……
「戦いになったときか……」
もともとフレアの問題はその一点。神霊術を向けられたとき、神霊術を放った時、この二つの時にフレアの不調は起きる。原因は分かっている。恐怖だ。フレアは諸島連合で、アオイの実家コジョウ家で、神霊術に対する恐怖心を植え付けられた。他でもないアオイの家族から。とある誤解がきっかけで。
「僕のせい……だよね。やっぱり………」
それはアオイの胸の内にずっとある痛みだった。
「別にアオイのせいじゃない。誰が悪いわけでもないって」
アオイが誤ったとき、フレアはそう言って笑っていた。フレアはアオイを責めたりしなかった。今もたぶんその気持ちは変わっていないのだろう。むしろアオイや小隊の皆に悪いとすら感じているかもしれない。自分のせいで負けた………そんなふうに。フレアはそういうやつだ。
「フレアが立ち直るまで、支え続ける。それが僕の役割、僕の責任……」
それまではたとえ傷を負おうとも、怪我をしようとも、僕が頑張らないといけない。それはアオイの決意だった。
「もうすぐしたらシュウもかえってくるって言うし………うん、何とかなりそうな気がしてきた…………」
アオイ・コジョウの美点。それは持ち前の明るさ。どんな時も下を向かず、明るく前向きに歩むことができること。そしてこの時もまた、アオイは前をみて歩みだした。
アオイが一人ぶつぶつ独り言をつぶやきながら決意を新たにする姿を、遠くからこっそり眺めている男がいた。その男のもとに一人の女が駆け寄ってくる。
「聞いてきたよ。やっぱりフレアのやつ、反撃しようともせずにビビってたって。」
「そうか」
言ったほうも、聞いたほうもその顔に満足そうな笑みが広がっていく……男が女に問いかける。
「手はずは?」
「今少しずつ噂として流してる」
「そうか……ばれるなよ?」
「わかってるよ……それより本当なんだよね? あいつが帰ってくるって……」
「ああ、間違いない……怖気づいたか?」
「まさか…」
女はそう言って笑うと男の顔に自分の顔を近づける。あと少しでお互いの顔がふれあうという距離で女は囁く。
「あいつは私の獲物よ…手出さないでね?」
女は艶めかしい笑みを浮かべると、男の頬に口づけを残し、その場を去って行った。
男はその後ろ姿を冷めた目線で見送る……
「せいぜい踊るるがいい……この僕の為に」
男もそうつぶやきを残し、笑いながらその場を後にした。




