第六話
シュウは椅子に腰かけ、膝に乗せた刀を見つめていた。その刀はコテツから借り受けたものだ。ユウキ達を助け、コテツのもとに送り届けたその翌日。彼はコテツに頼み一振りの刀を借りた。再び襲われた時、戦いになったとき、守るために。戦うために剣を欲した。そして与えられた刀。その刀は今半ばから折れた状態でシュウの膝に乗っている。シュウはその刀身に手をやる。冷たい感触を返すそのなめらかな鋼はある部分できれいに途切れていた。ひび等は一切入っていない。まるで初めからそこに存在しなかったようにきれいに切断されていた。
「神遺物…スランサー…」
それはコテツから聞かされた、あの赤い直刀の名前だった。
シュウは昨夜の出来事を思い返す。敗北の記憶を。
男が出てきた時、真っ先に動いたのはエンジュだった。彼はすぐさま炎を発現させるとそれを圧縮、高密度の炎の球を作り出し、それを男に叩きつけた。その攻撃はアリシアにも匹敵するのではというほどの力を秘めていた。けれど男はその球を無造作に切り裂いて見せた。手に持っていた赤き直刀で。そして男はたった今エンジュがやったことと、まったく同じことをやって見せたのだ。違ったのは結果だけ。高密度の炎の球をまともに受けたエンジュは、ものすごい勢いで吹き飛び、そこらにあった台を、椅子を、炉を破壊しながら壁に激突。そこでようやく止まる。
そしてそれを見た瞬間カグラが我を失った。言葉にならない叫び声を上げながら男に突っ込むカグラ。しかし彼女は何もできないまま男に腹を貫かれる。何の抵抗もなく、すんなり柄まで埋まる直刀。その光景にシュウは、そして他の者も恐怖を覚える。
男がさらにカグラに何かしようとしたところで、アリサが間に割り込む。そして彼女もまた貫かれる。驚くことにアリサを貫いたのは男の左手から発せられた氷の刃だった。
次々と倒される仲間たち。アオイとフレアはいまだ動けない。残ったのはシュウ一人。けれど彼は恐怖に支配され動くことができなかった。そんなシュウに男は嘲りの目を向け、そして歩みだす。この時始めてシュウは男が一歩も動いていなかったことに気づいた。
そして男の後から現れたものを見た時、シュウの意識は怒りで染まった。そこにいたのは、黒髪の少女。彼女は足首と手首を鎖でつながれ、汚れた布きれ一枚だけをまとっていた。そしてそこから除くのはやせ細った痣だらけの手足。
気が付くとシュウは叫び声をあげながら男へと向かっていた。最大限強化された脚力でもって一瞬で男の懐へと入る、その強化された瞳が一瞬驚いたような男の顔を映し出す。そして足を踏みしめ力を腰へ、そして腕へと伝える。腰の回転をも加えたシュウの渾身の一撃。
けれども結果は…今シュウの膝の上にあるとおり。男はただ刃をシュウの剣筋に合わせただけ、それだけでシュウの手にあった刀はまるで紙切れのようにたやすく中ほどから真っ二つになった。
「くそ……」
シュウは悔しさをかみしめる。こんなにも悔しいのは、そして自分に腹が立ったのはあの時以来だ………
「リサ………」
思わず口からつぶやきが漏れる。それはかつて隣にいるのが当たり前だった少女。彼女はもう自分のそばにはいない。生きているのか、死んでいるのかすらわからない、失った者の名前。
「九割九分うまくいっていて、最後の最後にどんでん返しをくらった。そういったところかしらね」
「まったくもってその通り。……あまり認めたくはないけどね」
会話しているのはエンジュとアリシア。二人はツムラ島の病院にいた。今いる場所はエンジュにあてがわれた病室だった。別の病室にはカグラ、アリサの二人も入院している。
「生きていることに感謝するべき状況だったんだろうけど………それよりシュウの様子は?」
「ずっと部屋にこもっているわ」
「無理もないか………他の二人は?」
「あの二人は幸い……というべきか分からないけれど、気絶していたみたいで直接見ていないそうなの。だからこの現状に戸惑ってはいるみたいだけど精神的なダメージはあまりないみたいね」
「となると、やっぱりシュウが一番重症か……」
「でしょうね…」
肉体的な重症度でいえば一番はカグラ、アリサの二人、その次にエンジュ。実質的に怪我をしたのはこの三人だけだ。そして三人共怪我は負ったが精神的な苦痛という意味ではそこまで重くはない。
「技を返されたのはさすがに驚いたけど、僕はすぐに気を失ったからね。そして気づいたらここにいた」
「それはあの二人も大差ないことでしょうね」
エンジュ達三人はあの男の攻撃を受け気絶し、そしてそのままこの病院へと運び込まれた。そしてエンジュも、他の二人もすでに意識は戻っている。このまま水、もしくは風の神霊術師の治療を受ければ数日中には回復できるだろう。
「シュウは最後まであの場で立っていた。僕達が目の前で倒されるのを見て、自分も剣を折られて、そして戦闘員が自分だけという状況の中で、あの男が去るのを見ていることしかできなかった……」
「なんて………声をかければいいのかしらね……」
「…………」
沈黙が部屋を支配する。
「………そろそろ行くわ。あなたも怪我人なんだからまずは自分の心配をしなさいな」
そう言うと彼女は病室を出ていく。彼女は部隊の長として、やることが山積みなのだろう。
小さな背中を見送った後、エンジュは病室で横になりながらも、しかし考えずにはいられない。
今回の作戦を立てたのはエンジュだった。彼はカグラとアリサを使って偽の情報を相手に流し、そして最大戦力たるアリシアを自分達から離すことで敵をおびき出した。その後一年生三人を使って敵を撃破しつつ、自身を含めた残り三人を遊撃部隊として配置した。どんな状況にも対応できるようにと、何かあればすぐ動けるようにと。しかしその結果がこのざまだ。恋人と恋人のもっとも大事な者に怪我を負わせ、後輩の心に深い傷を残し、姉には責任を感じさせている。あの姉が責任を感じていないわけがない。
姉はあの小さな体で常に責任を負ている。強者としての責任。部隊の長としての責任。上級生としての責任。姉としての責任。
「くそ…くそったれが!!」
彼は彼らしからぬ言葉で自身を責め続ける。その身の不甲斐なさを、その身の弱さを……
エンジュの所を後にしたアリシアを待っていたのは各種さまざまな調整だった。王国、連合両国への連絡と事態の説明。捕えていた者たちの護送、さらには尋問への立会。その他の雑務……彼女がその全てを終え、帰路に就いたのは間もなく夜が明けようとする頃であった。
彼女がイザナギ家へと向かっている道すがら、やけに人と会うことに気づく。普段であればこの時間に人と会うことはまずない。そしてその人たちの顔には明るい笑顔が……
「あ……」
そこで彼女はようやく気づく。その日が何の日なのかを。
「年…明け……」
あまりの事態にいつの間にか完全に失念してしまっていた。気づかぬままに年を終え、そして気づけば新たな年を迎えてしまっていた。遠く離れた空と地との境目辺りは、すでに明るくなっている。
「は…ははは…」
彼女は静かに笑い声をあげ天を仰いだ。そうしなければ落ちてきそうなものがあったからだ。
年明け ――新たな年の始まり―― ……なのにどうだろう。今の隊の状況は……
「…みんなぼろぼろだ……」
そうつぶやく声は湿っていた。
アリシアがイザナギ家の近くまで来たとき、そこに見慣れた背中を見つけた。その背中に声をかけようとして、しかしアリシアは躊躇する。声をかけるのがためらわれるような、そんな雰囲気がその背中にはあった……しかし――
「きれい…ですね」
青年は視線を夜明けの空へと向けたままつぶやく。どうやらアリシアの接近に気づいていたようだ。
「そうね」
アリシアもそう呟きながら青年の隣に並ぶ。
無言の時が続いた。二人はただ黙って上る朝日を眺めていた。どれだけの時をそうしていただろう。自然とアリシアの中にこみ上げてくるものがあった。しかしそれはつい先ほどのものとは違って………
「ふ…ふはは…ふふふ……」
彼女は笑う。自分は何を勘違いしていたのだろうか。まだ…まだこれからなのだ。何もかも。まだ始まったばかりなのだから。終わった気になっていた。たった一度の敗北で。それがあまりに強烈な敗北だったから。しかしそうではない。そうではないのだ。
全ては…………
「これからよ!」
そしてその呟きを聞きながらシュウもまたその顔にわずかだが笑顔を浮かべていた。心が完全に晴れたわけではない。いまだ悔しさも、恐怖も、無力感もある。けれど彼はかつて立ち止まらないと決めたことがある。やり遂げると決めたことがある。心に誓った人がいる。他の誰も知らない、自分だけが知る、自分だけの決意。
「まだ…立ち止まる時ではない…」
シュウもまた顔をあげて前へと進む決意をする。
彼が立ち止まったのは、下を向いたのはわずかな時間だけだった。しかしその時間は彼にとって必要な時間だったのかもしれない。
二人の様子を遠くから眺める影があった。
「大丈夫みたい……だね」
「ああ………」
フレアとアオイの二人だった。二人は肝心なところで気絶してしまったために、事の次第を後から聞かされた。だからこそ不安に思いながらも、心配しながらも、シュウに声をかけることができなかった。彼女たちはあの場にいながら最後までシュウの隣に立っていることができなかった。彼を一人にしてしまった。
「もっと…もっと…もぉぉぉと、強くならなきゃね。僕たち」
「ああ……このままではいられない!」
ここにも二人。決意を新たにする者たちがいた。
そして此処にも…………
「商売のほう…しばらく人に任せてみよっか?」
「いいの?」
「…うん。ちょうど下も育ってきてるし……私達はもう少し強くならないといけない気がする」
「そうだね。学校の中で最強部隊~なんて言われて……ちょっとだけいい気になってたけどさぁ……」
「ちょっとだけ?」
「ちょっとだけ! ……私たちなんてまだまだじゃない………」
病室の窓から上る朝日を見つめながら、アリサとカグラもまた自分たちの行く道を定める。その瞳はまっすぐに進む先を見据えていた。
さらに……
アリサやカグラが入院している病院。エンジュはその屋上に立ち、全身で朝日を浴びていた。そしておもむろに右手を突き出す。すぐさまそこに炎が起こり、圧縮される。そしてさらに炎を呼び出し、圧縮する。それを繰り返すうちにいつしかその炎は朝日よりも強い輝きを放っていた。そしてそれは突然消滅する。彼が磨き上げた、彼だけの技であった。
「まだ、足りない……」
彼は強くこぶしを握り締める。知識が、工夫が、努力が全然足りていない。彼は今度のことでそれを痛感した。そして……
「足りないのならば……補えばいい」
彼は左手も突き出す。そしてそこに炎を宿す。そしてそれを圧縮しようとして、意図せずはじけ飛ぶ。
「っ―――」
彼は奥歯をかみしめて痛みに耐え、そして繰り返す。
「足りないのならば足せばいい……」
そう言って彼は何度も、何度も同じことを繰り返す。病院には被害はない。しかし彼の手からは、絶えず血が滴り落ちていた。
アリシアはシュウを引き連れてイザナギ家の中へと入る。しかしそこには人の気配はなく、戦闘の爪痕があちらこちらに残っていた。 あの戦闘の後、シュウ達は近くの宿へと居室を移し、イザナギ家の家族も親戚の家で生活を送っていた。しかしコテツだけが、この場所に残った。
二人は無言で奥へと進む。鍛冶場を抜け保管庫の祭壇の先へと歩みを進める。扉のあった場所には、しかし今は何もなかった。
守るべきもの、同時に封印すべきものを失ったこの場所に役割は何も残ってはいない。
そしてその先に二人の目的の人物がいた。
「コテツさん」
アリシアが静かに声をかける。しかし彼は反応を示さない。その目は湖をずっと見続けていた。
――無理もない。
アリシアはそう感じながらも言葉を続ける。
「スグル・アリシマの…取り調べが始まりました」
コテツの肩がビクリと震える。そして彼はゆっくりと振り返った。
――やつれた……
それがシュウとアリシア両方が感じた印象だった。アリシアは無言である物を手渡す。
「これ……は?」
「彼が持っていた物です」
「スグルが…?」
それは汚れ、傷だらけの使い込まれた一冊の手記だった。コテツはそれを大事そうに、ゆっくりとした手つきで開く。そして読み始める。
アリシア達はただ黙ってそれを見守る。
その手記はスグルが日々綴った彼の記録であった。そこには彼の生い立ち、気持ち、考え、苦悩全てが記されていた。
スグル・アリシマ。彼は神聖帝国で生まれ、すぐに神聖帝国の物になった。番号で管理され備品として扱われた。
彼は幼少期を帝国の特殊訓練施設で過ごした後、ここ諸島連合へと送られた。彼に与えられた任務。それは帝国が有利になる何らかの物を秘密裏に帝国へと送ること。そこには情報、武器等の他に、神遺物も含まれていた。
そして彼が偶然たどり着いた場所がイザナギ家だった。彼はそこで初めて人としての扱いを受ける。人としての名前をもらう。名づけたのはコテツだった。最初は戸惑い、訝しみ、何か裏があるのでは怪しんだスグル。しかし彼はイザナギ家の中で暮らしていくうちに次第に人としての心を学んでいく。
コテツを親として愛し、ユウキや、シュウを弟として愛した。彼はいつしか自分もイザナギ家の一員のように感じていた。
そのころから彼は帝国へ情報を流さなくなった。そしてそんな時、彼は偶然保管庫の先へと足を踏み込んでしまった。そしてそこで彼はあの扉を発見してしまう。
彼の手記にはその存在を隠し通す決意が書かれていた。
その後しばらくして彼はある村娘と出会う。彼は偶然その村娘が酔っぱらった男たちに絡まれているのを目撃し、助けに入った。そしてそれから間もなく二人は恋仲となった。そして二人は結婚を誓い合う。
その時期のスグルの書記は喜びであふれていた。そしてそこには二人でコテツに挨拶に行く日取りまで書かれていた。
しかし、その喜びはある日を境に絶望へと変じる。
それはコテツのもとへ彼女を紹介するその前日のことだった。彼は喜びにおぼれ、いつもより酒の量が進んでいた。そして彼女に自分の見た超文明が残した扉のことを漏らしてしまった。
それを聞いた瞬間、彼女の態度は激変した。そしてその先の彼の手記には、深い後悔、懺悔、苦痛、絶望…………それしかなかった。
その手記に記されていた女性の名は…………
「フラン・デュミエール?」
コテツはその名を呟き記憶を探る。どこか聞き覚えがある響き…………答えを与えたのはアリシアだった。
「神聖帝国の指揮官だった女です」
「な!……………で、ではスグルは……」
「知らなかったとはいえ、彼は帝国の指揮官に神遺物の場所を漏らしてしまった…」
「そんな………」
コテツは思わず頭を抱える。
「どういった理由で彼女がスグルさんに近づいたのかは分かりません。しかし結果はご存じのとおりです。そして彼があなたを刺そうとした理由ですが………」
そこでコテツが顔を上げる。その目を見つめながらアリシアは告げる。優しい真実を。
「彼は神遺物を手に入れる手伝いをすると…自ら申し出たそうです」
「――っ!!」
コテツの顔に驚愕と、絶望が広がる。
「そして、その見返りとしてあなたを含めたイザナギ家の方たちの命の保証を求めたそうです」
「――そ、それでは?」
「神遺物が守られてしまえば、帝国は何度も…何度でも人を送り込む。彼はそう考えたのでしょうね……そしてその度に誰かが傷つき、いずれは誰かが………だから彼はあなたを刺そうとした。刺して血を奪うために。使ったのは小さな短刀。狙ったのはあなたの足。あなたの命を脅かすことも、あなたから鍛冶仕事を奪うことも決してない場所。」
コテツは何も言わない…何も言えない。そしてアリシアは続ける…
「彼があなたを刺そうとしたのはその血を奪うため。しかしそれはあなた方を守るためだった…たとえ自分があなた達から恨まれ、罵られることになったとしても……それこそが彼の真実。」
コテツの頬を涙が流れる。その涙は止まることなく次から次へと溢れ、流れ続けた。