第五話
アリシアが島の外れで戦闘を始めた頃、島の中心部近くでも動きがあった。イザナギ家を中心に四方から男たちが夕闇に紛れて近づいて来たのだ。年締めともあって、人通りは少なく辺りは静まり返っている。そして日が完全に落ち、あたりが暗くなったとき、男たちは同時にイザナギ家へとなだれ込んだ。
「だ、誰だあんた達は!」
コテツがそう叫び、すぐさま妻を抱き寄せるようにしてかばう。その妻はしっかりと二人の子供たちを抱き寄せ、侵入者たちへ厳しい視線を向けていた。母親は強いな~そんなある意味場違いな感想を抱きつつもシュウはすぐさま戦闘態勢へと入る。遅れずにフレア、アオイも戦闘状態に移っていた。
「俺は、考えるの専門だから…あとよろしく!」
そう言って一年生トリオの後ろに隠れたのはなんとエンジュだった。けれども三人は特に驚いた様子を見せない。そして………突如戦闘が始まる。
侵入者の数は四人。一人はシュウが、もう一人はフレアが、そして残りの二人をアオイが相手取っていた。
「奴隷ごときが、われに逆らうか!」
そう叫びシュウへと風の刃を放つ男。シュウの瞳と髪の色を見ただけで、奴隷と断ずるその行動が男の所属を如実に物語っていた。
「やはり、神聖帝国の手のものか!」
シュウはそう叫びながら咄嗟に躱す。躱した先の壁が綺麗に引き裂かれた。
神聖帝国。正式な名はシルフォルニア神聖帝国。ノーテルダム王国の隣国であり、王国と並ぶ大国である。黒髪に対して最も厳しい制度を持つ国。かの国では黒髪というだけで自由がない。奴隷としての、家畜としての生き方しか許されない。その思想、そして国の成り立ち方から王国とは決して相いれない国家。国境沿いでは争いが絶えない、王国の敵対国である。
「その通り、われは栄えあるシルフォルニア神聖帝国、その帝国貴族。名を――ぐっ」
彼が言えたのはそこまでだった。その胸には深く刀が突き刺さっていた。男はいつ刺されたのかすら理解できていなかった。そして…………
「貴様が帝国貴族だというだけで、俺には十分だ」
そこにあったのは深い憎悪を宿した黒き瞳。
そして、シュウはおもむろに刀を引き抜く。支えを失い倒れこむ帝国貴族。その男へとシュウは無慈悲に刃を振るった。
自分の打った刀が人の命を奪う様を初めて目撃したコテツ。シュウに刀を与えたのはコテツだった。戦闘が起きた時のためと請われ、彼は自身の打った一振りをシュウへと渡した。優しい目をした少年は、けれど今、凍てつくような瞳で敵となった男を見下ろしている。
「これが戦闘……殺し合い…か」
コテツはここで初めて理解する。自分が打っていた物がなんだったのかを。刀とは人を殺す為の道具。そんな当たり前のことに彼はこれまで気づかなかった。いや、気づかなかったふりをしていたのかもしれない。
これから自分は、今までのように誇りを持って、刀を打てるのだろうか…………この時彼の脳裏をよぎったのはそんな思いだった。
物思いに沈むコテツは名前を呼ばれ、はっとする。今はそんなことを考えている時ではない。そう自分に言い聞かせると、呼んだ人物へと目を向ける。そこにあったのは優しさを取り戻した黒い瞳。
「ここは危険です、家族を連れて奥へ。ここは僕たちが守ります」
少年はそう告げると仲間のもとへと向う。
「師匠こちらへ」
シュウと入れ替わりにコテツに声をかけたのは弟子の一人、スグル・アリシマだった。
「おお、スグル。無事でしたか。」
弟子の無事な姿に安堵するコテツ。そして弟子に続いて家族を連れ、奥の鍛冶場へと非難する。そこまでは戦闘の余波も届いていなかった。安堵し、腰を落とす面々。特に子供たちは戦闘の緊張感に疲れ切っていた。すると一人の大柄な男が子供たちの横に腰を落とし、頭をなで始めた。
「二人ともよく頑張ったな。えらいぞ」
「エ、エンジュさん?」
そこにいた人物に驚くコテツ。確か彼は今戦っている少年たちの先輩だったはず。
「こ、後輩が戦っているのに、こんなとこにいていいんですか?」
思わず語調が荒くなってしまう。
「僕は荒事は専門外なんですよ。専門は頭を使うほうでして」
そう言って笑うエンジュ。そして―
「それに、僕の後輩たちは優秀でしてね。あの程度の輩にやられる奴は誰一人としていませんよ」
それは確信のこもった言葉だった。その言葉を前に何も言えなくなってしまうコテツだった。
「王国の小僧が…身の程をしれい!!」
そう叫ぶと男がフレアへと襲い掛かる。その男が操るのは水。水が鞭のようにしなりながら次々とフレアへと叩きつけられる。しかしフレアはそのすべてを躱す。そしてすかさず反撃を繰り出す。そしてまた躱す。フレアの戦い方は実に巧みだった。
同じ炎を操るといってもフレアとアリシアの戦い方は全く違う。神霊術の使い方は人によって実に様々。アリシアの場合はそのままの炎で相手を焼き尽くし、焼き払う。しかしそれはアリシアのように圧倒的な力も持った者だけができる工夫も何もない力技。そんなことができるのは本当にごく少数だ。対してフレアにはそこまでの圧倒的な力はない。けれど彼にはそれを補って余りある巧さがあった。
「く、くっそう…何故だ…なぜ当たらん!!」
フレアの巧さ。それは一定量までの炎であるならば自由自在に操れるということ。時に平たく炎の壁として、時に丸く炎の塊に、時に細く炎の槍を作り、時に四角く炎の檻を作る。その他にも、彼の炎は剣となり、刃となり、網となり、銃弾となる。彼の炎は瞬く間に、それこそ一瞬で次々と姿を変える。まさに変幻自在。それこそが彼の強さ。たとえアリシアであってもそれは真似することはできない。
敵の攻撃はことごとくその全てが防がれる。そしてフレアはその観察眼をもって、的確に敵の隙を突いてゆく。その度に炎は槍となって相手を突き刺し、棒となって叩き伏せ、無数の塊となって襲い掛かる。
「人殺しなんてやりたかねぇが、俺はまだ生徒だが軍人だ。入学すると決めた時、すでに覚悟はできている」
フレアはそう言うと目の前に無数の炎の剣を作り出す。そして―
「あばよ」
そう告げるのと、剣が一斉に敵に突き刺さるのとは同時だった。
アオイと対する二人。彼らは襲ってきた四人の中でも最も強い二人だった。最初彼らは三人の中でも一番小柄で、しかも少女が自分たち二人を相手取るつもりだと知った時、思わず苦笑を漏らした。しかしそこに油断はない。侮りはしても油断はしない。彼らはそれが命に直結することを知っている。だからこそ常に全力。相手がたとえ小娘一人だけでもそれは変わらない。
おもむろに術を放つ二人。一つは炎、一つは氷。やがてそれらは混ざりあい、冷やし、熱せられ爆発へと続く。それは必殺の攻撃。全てはその一撃で終わりを迎える
……………はずだった。
「な?」
「何をした……」
しかし爆発は起こらない。
「ふ~ん、なんか面白いことやってるね!」
そしてそこには笑顔を浮かべた少女が変わらず立っていた。少女は全く動いた様子は見られなかった。故に男たち二人は分からない。今何が起きたのか。少女が何をしたのか。
「く、もう一度だ!!」
しかし男たちは止まらない。すぐに次の行動を起こす。しかし今度は先ほどよりもさらに呆気なかった。氷も炎も放たれた瞬間にはすでに消滅していた。
「それはさっきも見たよ~。なんか他のないの?」
そう言って少女は無邪気に笑う。そして、男たちは少女が何をしたのかを悟った。
アオイは男たちが術を放つと同時に氷は自身の氷をぶつけて砕き、炎は薄い氷の膜で覆ってたちまち消滅させたのだった。そしてそれを刹那のうちにやってのけた。
「ま…さ…か………」
「ばか……な…」
それは男たち二人を驚愕させるには十分な芸当だった。けれど男たちが驚いたのはそれだけではない。男たちは氷や炎を自分のすぐ近くで発生させ、相手へと放つ。しかしアオイは直接男たちの目の前へと氷の粒や、膜を出現させた。
神霊術は自身の中に宿る力を空気中の霊素へと干渉させて起こす技だ。だからこそ身の回りでしか発生できない。遠距離攻撃と呼ばれるものもあるが、それとて、自身のすぐ近くで発生させた術を遠く離れた場所へと放っているに過ぎない。結局のところ原理はすべて同じなのである。それは神霊術における常識。ごく当たり前のこと。けれどその常識が通用しない相手。
「化け物か…」
「もしくは天才というやつか…」
おそらくはそのどちらも当てはまるだろう。 そして男たちは悟る。自身の末路を。なぜなら男たちのいる場所はアオイが直接干渉できる範囲内ということになるのだから。そして―
「ごめんね」
少女がそうつぶやいた時には、男たち二人の意識は既になかった。
駆け寄りあう三人。三人にとっては初めて経験する実戦。それが終わった瞬間だった。
「怪我は?」
「なし」
「ないよ」
シュウがすぐさま怪我の確認をする。手短に答える二人。そして三人はすぐさま鍛冶場へと移動を始める。彼らの役割はまだ終わっていない。
イザナギ家から遠く離れた家の屋根に一つの影があった。
「何なんだあれは、残っているのは雑魚だけという話ではなかったのか?」
そうつぶやくのは一人残った女だった。緑色の髪を持つ彼女は、風の神霊術師。彼女は風を使ってイザナギ家内部の様子を窺っていた。
町でかき集めたごろつき共はアリシア・ルイスへの足止めとして使った。そして本国から連れてきた彼女の部下たちはたった今四人とも倒されてしまった。大きな誤算である。しかし機会は今しかない。残された機会は……
「切り札はまだ残っている………」
彼女は一人そう自分に言い聞かせるとイザナギ家へ向かって動き始める。その両手には大きな美しい指輪がはまっていた。
家の方が静かになったことに、鍛冶場にいた面々は気づいていた。そしてすぐに扉が開き、中から入ってくる者たちが………
「シュウ君! それにアオイさんも…フレア君も…よくぞご無事で……」
そう言って彼らに声をかけるのはコテツだった。彼はこの家の主として、そして巻き込んでしまった者として、最も彼らの身を案じていた一人だった。そしてもう一人―
「よくやったね、まったく頼もしい後輩たちだよ」
そう言って笑うのはエンジュだった。そしてシュウ、アオイ、フレア、エンジュの四人はお互いに集まって互いの無事を喜び合う…………傍目にはそう映っていただろう。しかし実際には、
「動きは?」
「まだだ……しかしそろそろだろう。気を抜かないようにね」
「了解」
緊迫したやり取りが行われていた。まだ事態はすべて収まっていない。そしてここからが最後の仕上げだった。そして……事態は最終局面へと移る。
――ドガァァァァン――
爆音とともに女が一人飛び込んでくる。緑色の髪に緑色の瞳。どう見ても友好的な雰囲気は見られない。すぐさま前に出て戦闘態勢を整えるシュウ、アオイ、フレアの三人。
「神遺物…渡してもらおうか!」
そう叫ぶなり風の刃を放つ。シュウ達の背後には非戦闘員たちがいる。避けるわけにはいかない。だが、避ける必要はなかった。
「ふっ!」
一呼吸でフレアが炎の壁を作り出す。風の刃はすべてそれに遮られ、燃え尽きた。そしてすぐさま女を氷の刃が襲う。風を操りいなそうとするが、しかし氷の刃はあっという間に数を増す。そして………
「くぅ!!」
ついに氷の刃が女をとらえる。脇腹を切り裂かれ、うめき声をあげる女。すぐさまその周りの服が血で染まる。そしてそれだけで勝負はついていた。女が傷の痛みに一瞬目を閉じた間に氷の刃が、そして炎の礫が彼女の周りを取り囲んでいた。
「勝負あり…といったところかな」
アオイが告げる。
「さて、いろいろ話してもらおうか…」
フレアもそう告げ女に近づこうとする。その時、シュウだけが気づいた。女が顔をうつむけた下で、笑っていた事に。
「まだだ!離れ――」
しかしそれは一瞬だけ遅かった。
「な………」
「きゃぁぁ……」
驚き悲鳴を上げる二人。そして二人は倒れる。それはアリシアが受けた攻撃と同じ。女は勝ち誇った表情で倒れこんだ二人を、そしてシュウを見据える。女の右手には真っ赤に染まった指輪が、そして左手には青く澄んだ指輪が光っていた。
「素晴らしい……この昂揚感、そしてこの全能感……」
女はそうつぶやくと左手をフレアへと向ける。するとフレアを氷の刃が襲う。
「くっ!!」
間一髪で間に入り込み、撃ち落とすシュウ。
「まったく無粋ね…仲間の氷で串刺しに…なんて、素敵だと思わない?」
そう言いながらも女は今度は右手をアオイへと向け、炎を放つ。
「くそ!!」
またも間一髪で防ぐシュウ。そしてシュウは素早くアオイを抱え込むとすぐにフレアのもとへと移動する。そしてその二人を、そしてさらに背後にいる人たちを守るためその前に立ちふさがる。
「あらあら……必死ね…」
そういって女は声をたてて笑う。
「剣を振るう事しかできないあなたが、たった一人でいったいなにができるというのかしらね?」
「一人で…か。ならば………たった一人ではなかったとしたら?」
「なに?」
そうつぶやいた瞬間、女の手から指輪が砕け散った。
「な!?」
そしてさらに彼女の体に激痛が走る。
「くそ! どこから!」
そう言ううちにも、彼女の体には次々と血の跡が広がっていく。
「これは………風?」
彼女の体を貫いていくのは、細い風の針。それが次々に彼女の体に突き刺さっていく。
ついに倒れ伏す女。そこでようやく風の攻撃は止まる。
「僕たちにはあと二人仲間がいる、カグラ先輩と、アリサ先輩という仲間が」
「そんな…馬鹿な!だって彼女たちは…」
「本国へ帰ったはず……ですか?」
「な……」
驚き絶句する女にシュウは告げる。女の心をえぐる一言を。
「すべてはこちらの思惑。こちらの計画通りだった。そういうことですよ」
「ブラフ…偽の情報だったというのか! ……しかし私は彼女たちが船に乗り込むのを確認した…確認したはずだ!」
「風を通して…ですよね?」
そう言って新たな人物達が登場する。アリサ・エスターブとカグラ・アリシエールだ。
「あなたが風を通して私たちのことを探っていたこと、同じ風を操る私が気づかないでいたとでも?」
「そ…んな…」
「そしてあなたの方は気づかなかった。私がずっとあなた達のことを監視していたことを」
もはや女にはどうすることもできない。彼女はただアリサへと目を向ける。その髪は緑ではなく………
「翠」
自分よりもはるかに深く濃く、そして美しい色だった。そして……彼女は諦めと共に再び口を開く…………
「ではアリシアのことも…」
「陽動…とでも言いましょうか?彼女が離れればあなた方は動くでしょ?」
「あとさ、あなた達は私たちが神遺物を回収に来た部隊だと思っていたでしょ?」
今度はカグラがアリサの後を引き継ぎ説明を始める。
「それ…も?」
「ええ、だって、そうしなきゃ、あなた達は私たちが帰った後に行動したはずでしょ?」
そう言ってカグラはにっこり笑った。女はただ黙ってその顔を見つめていた…
もう一人、ただ聞いていることしかできなかった者がいる。その者は、自分の計画が突然現れた者たちによってことごとく防がれる様を恐怖とともに見つめていた。そして最後には自分たちが相手の思惑通りに動かされていたと知った。
――けれどまだだ、あれさえ手に入れば僕の願いは……鍵はすぐ近くにある――
その男はそう考え、懐から短剣を取り出す。そしてそれを突き刺そうとして………
「そこまでだ」
その声と共に叩き伏せられた。
「へ?」
「な、なんだ?」
驚きながらも、たたき伏せた人物と、そして叩き伏せられた人物を見て、周りはさらなる驚愕を見せる。
「ス、スグル?」
「エンジュさん?」
叩き伏せられたのはコテツの弟子、スグルだった。そしてそのスグルの手には短剣が光り、それが向けられた先は……
「何故だ…スグル?」
彼の父ともいうべき存在、コテツがいた。
「おそらく、あなたの血を取ろうとしたのかと」
コテツの問いに答えたのはスグルを抑えているエンジュだった。
「ではスグルは……スグルの目的は…」
「神遺物…だと思われます」
「そん…な……」
エンジュは戦闘が始まってからずっとスグルを監視し、観察していた。初めにエンジュががスグルに対して疑惑を持ったのは、彼がユウキたちの誘拐を知っていたから、そして彼が"誘拐された"と報告した事を知ったからだった。誘拐はされなかった。他でもないエンジュたちが防いだのだから。そしてあの現場には他に誰もいなかった。見落としていただけかもしれない。あるいはスグルが助けを求めに行った後に、自分たちが駆け付けただけかもしれない。しかし疑惑はエンジュの心にずっと残った。だから彼は戦闘を後輩たちに任せ、彼はスグルのそばを離れなかった。
女が、そしてスグルが取り押さえられたことで、ようやくこの事件は終わりを迎えた。誰もがそう思っていた。シュウや、エンジュ達でさえも。緩んだ気配。そこに一人の男が現れる。
「無様なものだな。フランよ」
「え?」
「は?」
一同驚愕と共に振り返る。男が出てきた扉は保管庫へと通じる扉。そして男の手には赤い直刀。
「そんな…」
「どうして……」
静まり返る中、その呟きだけがやけに大きく響いていた。




