第二話
「は、はぁ…つ、ついた…」
そう言って倒れこむのは赤髪の一年生。船は無事目的地に到着し、シュウ達五人は船着き場に上陸したところだった。
……のだが、
「あれ? いや、ちょ、ちょっと……」
「どうした、フレア?」
「なんか…地面が…………ゆれてる?」
半日あまり船に揺られていたため、船から降りてもしばらくは揺れた感じが残っているのだろう。ほかの者たちにとっては大した問題ではないが、ただ一人フレアにとっては大問題であった。彼は船の中で盛大に酔っていた。やっと解放されたかと思いきや、いまだ揺れの感覚は続く。フレアにとっては悪夢に等しいのかもしれない。
この時、他の面々は皆街の景色に目を奪われていた。一人以外が初めて足を踏み入れる土地。そこには王国とは違った文化、違った街並みが広がっていた。道行く人たちの格好もだいぶ違う。
そして―
「ようこそ、コランダム諸島連合へ!!」
そう言って笑うのはこの場所出身のアオイ。
船の目的地、そして今回の合宿が行われる場所こそ、ここコランダム諸島連合であった。
周りを海で囲まれたコランダム諸島連合は、その地理的条件上交流を持つ他国はノーテルダム王国だけである。しかもそれは海を隔ててのこと。その結果、この国は独自の文化を持つ特色の強い国家となった。国といっても諸島連合という名からも分かるとおり、この国は大小の島が集まって構成されている。そして各島ごとにも特徴、特色に違いがある。今いる島の名はカグツチ。大陸への玄関口として王国との貿易が盛んな島である。最も王国の影響を強く受けている島だということで、確かに言われてみればなんとなく見覚えのあるものがあちらこちらに見て取れる。
「…大体はそんな感じかな」
そう言って一通りの説明を終えるアオイ。第二小隊の面々はアオイからこの国について、島についての説明を受けていたところだ。どの顔も興味深そうだ。
「この国の特産品といえばやっぱり細工物とか伝統衣装。あとは……」
そうつぶやきながら、アオイはシュウへと視線を向ける。そしてその後をアリシアが引き継いで発言する。
「刀や太刀を含めた鉄鋼業……といったところかしら」
「はい。この国は火山地帯ですし、鉱山資源も豊富ですから」
アオイが再び口を開き、さらにシュウへと問いかける。
「シュウがこの前使ってた剣って学校の備品って言ってたよね? シュウは自前の武器とか持ってないの?」
「まぁ、一応は持ってはいるが……」
「持ってはいるけど、あんまり使える剣ではないってところかしら?」
言いよどむシュウに、アリシアがそう問いかける。微笑みながら。なんだか意味がありそうな微笑みだった。
「……まぁそういった感じです。もらいものですし」
「なら、この滞在期間中に一本手に入れてみたらどうかしら?」
アリシアがそう提案する。
「刀は大陸の剣よりも質が高いといいますし、いい機会ではありませんか?」
確かにその通りだ。丈夫さという面を見るならば大陸の剣のほうがすぐれているだろう。しかし切れ味、軽さといった面を見れば、はるかに優れている。そしてシュウにとっては剣より刀のほうが適している。非常に魅力的だし、正直なところは欲しい。けれども肝心な先立つものがない。刀とは高級品なのだ。ちゃんとしたものを買おうとすればどうしてもそれだけの金額がかかってしまう。するとそこで、
「ああ、せっかくなので私達からのお祝いというのはどうでしょう? 入学、入隊そして、模擬戦初勝利の」
「うん、いいんじゃないか?」
すぐさま同意を示すエンジュ。
「え?」
固まるシュウ。さらにアリシアは続ける。
「もちろんフレアとアオイにも用意するわよ?」
「え?」
こちらも固まるアオイ。エンジュを見ると当然とばかりの表情でうなずいている。思わず顔を見合わせるアオイとシュウ。いや嬉しいのだが…この二人の金銭感覚はどうなっているのだろうか? それともおかしいのは自分たちなのか?
「いや、お気持ちは嬉しいのですが…」
「さすがにそれは……」
自然と言葉がつながるシュウとアオイ。二人の困惑を正確に読み取ったアリシアが再び口を開く。
「金額のことでしたら心配はいりません。払うのは全部私のスポンサーですから」
「はい?」
「え?」
再び固まる二人。スポンサーなる存在がいることを初めて知った驚きと、そんなものがついているアリシアに対する驚き……
「ま、まぁアリシア先輩だし…」
「そうだよね。有名人だし…」
そう言ってなんとか自分を納得させようとするシュウとアオイ。だがアリシアはさらなる追撃を放つ。
「ちなみに言っとくけど、今回の合宿の費用も全部スポンサーが出すことになってるから」
「…………」
あまりのことに何も言えなくなる二人。二人はてっきりあとからまとめて清算するものだと勝手に思い込んでいた。そして混乱の極みにあった二人の頭はある結論を導き出す。
「ス、スポンサーがいるならいい……のか?」
「う、うん。スポンサーがいるなら?」
「それじゃぁ、決まりね!」
最後にアリシアがそう言って微笑み、この件は決定事項ということになった。その後冷静さを取り戻したシュウとアオイが一度断ろうとしたのだが、アリシアは決まったことと結局取り合わなかった。二人としてもせっかくのアリシアの好意を何度も断るのはかえって失礼だと判断し素直に受け入れることにしたのだった。後に二人は盛大に後悔することになる。この時断っておけばと…………
しかしそれはもう少し先のお話。
翌日、第二小隊の面々は場所をカグツチ島からツムラ島へと移していた。このツムラ島は鉱物資源が豊富に採掘される島で、諸島連合のおもな輸出品である細工物や、鉄鋼製品はほとんどがこの島で作られていた。職人の数も多く、この島では質の高い刀や、細工物、その他の武器や、防具が手に入るとあって、大陸からも商人が直接訪れ、そこらかしこで値段の交渉が執り行われていた。
「いや~なんかにぎやかな街だな」
そう言ってあたりを見回すのは、ようやく回復したフレアだった。幸いカグツチ島とツムラ島は隣り合っており、海の深さも大して深くないことから石橋がかかっていた。おかげでフレアは醜態をさらすことなくツムラ島に移動することができたというわけだ。ちなみにアオイの出身はさらにこの島のお隣り、連合最大の島クサナギ島だ。残念ながらその島へはまた船を使わなければ行けない。アオイとしては故郷を案内したい気もしていたが、船上でのフレアを見ているだけに中々提案できないでいた。
一塊になって大通りを歩いていた時、フレアがあることに気づく。
「そういや、黒髪が多いな…」
確かに先ほどから次々とすれ違う。
「この国はもともと黒髪の比率が高いからね」
アオイがそれに答える。
「そういやアオイはシュウの黒髪見て声かけたんだったか」
「うん、アカツキって名前だし、黒髪だったからね」
フレアが過去のことを思い出しながらそう問いかけると、アオイもどこか懐かしそうに答えた。ついこの間の出来事なのにもうどこか懐かしさを覚える。
「この地では、黒髪だからどうこうって事はまずないんだ。黒髪の人も多いし、有名な剣客も何人かいるしね」
「剣客?」
アオイの言葉に疑問を覚えるシュウ。
「剣客っていうのは、剣でご飯食べてる人のこと…かな。小隊とかの護衛やったりとか」
「強いのか?」
フレアも興味をひかれたようで話に加わる。アリシアやエンジュも興味深そうにして聞いていた。
「強いらしいよ。僕は実際に戦ってるとこ見たことないけど。有名な剣客はいろんなとこから声がかかるみたいだし、尊敬されてる。神霊術使える子供の中にも剣客目指している子も結構いるみたいだし」
「それはまた…」
一様に驚きを隠せない面々。国が変わればこうまで違うのか。国によっては奴隷以下の扱いしかされないところもあるというのに…
一同が黙り込む中、アオイが胸の内を明かす。
「僕もね、驚いたんだ……大陸の方では黒髪っていうだけであんなに差別されるなんて…知らなかったから」
空気が重くなりかける。とこの時、突然かすかに悲鳴が上がった。
「っ!」
「どこから?」
反応したのは二人。シュウとアリシアだ。ほかの者たちは気づいていない。
「こっち!」
そう言ってシュウが走り出す。アリシアもすぐさまそれに続く。呆気にとられた一同の中、最初に反応したのはエンジュだった。
「とにかく続け!」
そういうと自らも走り出す。判断し、行動に移すまでがとてつもなく速い。これが経験の差か。そう感じながらあわててそれに続くアオイとフレア。そのエンジュもまた動揺していた。自分が気づかなかった何かにシュウは反応した。アリシアも反応を示していたことからシュウの勘違いなどではないだろう。
「まったく、末恐ろしい後輩だな…」
そうつぶやく顔は何処か嬉しそうでもあった。
人通りの少ない裏路地をシュウは声が聞こえた方向へと全速力で駆け抜けていた。そのすぐ後をアリシアが続く。体が小さなアリシアがシュウの全速力に遅れることなくついてくる。そのことにシュウは密かに驚いていた。いや…
「何を驚いている?」
顔に出ていたらしい…
それにしてもこの速度で走って息切れするどころか普通に声が出せるとは…
「いえ、頼もしいな~と思って」
シュウもまた息を切らすことなく普通に答えて見せる。その様子を少し離れたところから見つめる残りの三人。彼らは話すこともできず、ただついていくのでやっとだった。しかもそれでも徐々に離されつつある。
そして先頭を走るシュウが一つの路地に入ったところで、目の前にとある光景が飛び込んできた。
一人の少年が地面に横たわり、もう一人の少年が髭面の男の肩に担がれ、今まさに連れていかれようとしていた。他にその場には男が四人いたが、どうやら全員髭面の男の仲間らしい。男たちは突然現れたシュウ達に驚きの表情を見せていた。すぐさま状況を分析し、判断するシュウ。どこからどう見ても悪者は―
「こっちだろ!!」
そう叫び、一番身近にいた一人に対して一瞬で間合いを詰めると、その勢いを乗せたまま右足を踏み込む。そしてそのまま男の胸元に掌底を叩き込んだ。言葉を発することもできずに吹き飛ぶ男。シュウはそれを見届けることなく次の男へと向かう。こちらは勢いを緩めることなくそのまま足に乗せ蹴りぬく。またもや吹き飛ぶ男。そして残るは三人……
ではなかった。いつの間にかアリシアの足元に二人の男が倒れていた。
「いつの間に…」
驚くシュウ。まったく気づかなかった。何せ音がしなかったのだ。まさか男二人素手で倒したのだろうか?
そう驚くシュウを横目にアリシアはひとり残った髭面の男に目を向ける。
「さて、残るはあなた一人。おとなしくその少年を引き渡してもらいましょうか」
そう言って彼女は自身の力を解き放つ。彼女の身の回りを紅蓮の炎が舞う。圧倒的なまでに美しく、残酷なほどに力を秘めたその炎は触れたものすべてその身に呑みこみ跡形もなく消し去る劫火。その紅の瞳と髪は炎にあおられ神々しく輝く。赤よりもはるかに深く鮮やかで、深い紅。赤ではなく紅、少女ではなく少女王。紅の少女王を前に男にできることなど何もなかった。
フレアやアオイ、エンジュがその場に到着したのと、髭面の最後の男が倒れるのとはほぼ同時だった。そして彼女たちは目撃する、アリシア・ルイスの炎を。
「これが……アリシア先輩の炎…」
「すげぇ…」
それ以上の言葉が出ない二人。神霊術を学ぶ二人だからこそその凄さがわかる。特にフレアは彼女と同じ炎の神霊術師だ。受けた衝撃はアオイ以上だっただろう。
エンジュにとっては見慣れた姉の炎。しかしそれでもやはり驚愕を覚える。同時に悔しさも。一つしか違わない自分の姉。だからこそその才能の差に悔しさを感じる。しかもあれで姉はまだ全く満足していない。むしろ力不足を感じているようですらあった。けれどもエンジュは嫉妬は感じない。姉は姉、自分は自分。彼には彼の役割がある。それを知っているからこそ彼は自分を保つことができる、あの偉大なる姉の隣で。
その少年は最初何が起こったのか分からなかった。弟が殴られ気を失って地面に倒れ、自分もまた腹を殴られ動けなくなったところを男の肩に担がれた。息をするのがやっとの激痛の中、必死に意識を保とうとする少年の目の前に一組の男女が現れた。自分より少しだけ年上に見えるその二人は瞬く間に男たちを倒してしまった。それこそ五人いた男たちが言葉一つ発する暇もなく。ただ一つ確かなのは自分が、そして弟が助かったということ。そのことに安堵し、少年は気を失う。
「もう、大丈夫よ」
気を失う寸前、少年はやわらかい体に抱きとめられ、そして優しい、心地よい声を聴いた。