2.向き合う世界―5
ともあれ、謎の脅威から逃れる事に成功したアギトは、仕方なく、エラーと向き合う。ブラックホールと比喩されればしっくりくるソレと向き合ったアギトはどうすれば『閉ざせるか』と思考する。フレミアはエラーを閉じろと指定していた。これを、どうにかして閉じなければならないのだ。
そして、思い出す。
「アクセスキー……」
アギトは呟いて、右手のアクセスキーを見下ろす。当然の様に右手の位置する、純白に発光している程に真っ白なアクセスキー。柄、刃、その全てが純白に染まった鍵。――これが、エラーを閉じる鍵。
が、エラーはやはり巨大過ぎて、アクセスキー程度の物で閉じるとはアギトは思えなかった。
エラーはベースキャンプを丸々飲み込む程に巨大だ。それに、謎の存在である。円形でありながら球体ではなく、だが、どこから見ても円に見えるエラーは宇宙空間と呼ばれるその存在かと思う程に異質だった。
そもそもこのエラーを『開いている状態』と例えるのも億劫になりそうだ。エラーの存在は今までこのディヴァイドで認識されるモノではなく、現在、初めて観測されたモノと言ってよい。そんな未知の存在の状態をハッキリと明言できる訳がない。管理側である元老院の人間共ならまだ、何か知っているのかもしれないが、少なくともアギトはその管理側の人間ではない。いくら大陸最強と言われようが、アギトはただのディヴァイドの住民であり、特別ではないのだ。
――だが、アギトはその特別とはまた違った特別になったばかりだ。
フレミアに与えられたアクセスキーという力だ。
あの、頭に流れ込んできた情報の一部だろうか。アギトは自然とアクセスキーを柄の状態へと戻し、そのないに等しい切っ先をエラーへと向けていた。
なぜこんな事をしているのか、アギトは知り得ないが自然とそうしていた。
異常な光景に、異常な静寂がそよ風の様に流れていた。そんな静寂を彩り、明るいモノへと変換するかの如く――アクセスキーの先端から、純白のレーザーの様なモノが出現した。レーザーは真っ直ぐエラーの中心へと向かい、そして――突き刺さる。
途端、エラーが収束した。アクセスキーから発射されたレーザーに吸い込まれるかの如く、黒い穴であったエラーは渦へと変わり、中心へと収縮し始めた。そのまま、渦巻き、そのまま重力の塊であるブラックホールに圧縮されてしまうかの如く、中心点へとその存在を潰し、――消え去った。
――これが、エラーを閉じる。
アギトは自然とそう感じていた。これをすれば良いのだ、と確信した。
エラーは完全に消え去ったが、そこにベースキャンプの跡は残らない。完全に消滅させられてしまったのだろう。
そんな、更地になって付近の草原と一体化してしまったベースキャンプを遠目に見ながら、アギトはアクセスキーを腰に戻した。そうする事で、一段落着くことが出来た。
「……これを続けろってか」
アギトは嘆息する。吐いた吐息は空気中に散布され、キャッシュとなって消え行く。
そうして、アギトは託されてしまった使命を実感した。それを実行するしないは後の問題にしろ、アギトの冒険はそうして、始まったのだった。
2
「こんな場所にまでエラーが展開し始めたのか……」
質素な土作りの控え室を出た所でアギトはアクセスキーを腰に戻して呟いた。それは、忌々しげに吐き捨てるような、そんな呟き。
アギトはそのまま静かにその場を後にする。
ここは戦場に出る傭兵達が待機する名前そのままの控え室を幾つも備えた戦場の端にある建物だ。平屋の様に長く広がるそれだが、その中にあるのは全て控え室であり、他の施設は存在しない。外に一歩でれば、そこは草原。広大な草原。寂れた、枯れた草原だ。吹く風は冷やされた鉄の様に冷たく、聞こえてくる音はない。正確に言えば控え室の中と付近から聞こえてくる兵士や傭兵の会話があるが、それを音と呼ぶには勿体無い程に静かだったのだ。
アギトは外に出て、深呼吸。寂れていれど草原だ。電脳世界ディヴァイドでもその空気は室内とは変わる。
(エラーが世間に認識され始めてから三ヶ月。俺が閉じたエラーは二五。……それでもまだまだ止まりそうのねぇな。いつまで閉めはじめればいいんだ。終わりが見えるどころか遠ざかるばかりだ……)
妙な話ではあるがアギトにだって生活がある。生活するためには金がまず必要であるし、金を作るためには働く必要がある。今日だってそうだ。傭兵としての仕事で控え室に待機していたところ、偶然エラーと遭遇したのだ。
『エラー』。その存在は今や世間一般に知れ渡っている。アギトがアクセスキーを手に入れたあの日からこの世界ディヴァイドでのエラーの出現は爆発的に増加し、世界中でその存在が確認され始めている。そこまで広がってしまったエラーの存在は元老院をも押さえ、元老院はその存在を公に認め、世間一般の共通認識まで肥大せた。
――が、エラーを閉じることが出来る人間はアギトの知り限りアギト以外に存在しない。
アギトは仕事の合間を縫ってエラーを閉ざしてきて、その場で様々な人間と遭遇したりもした。だが、それでもアギト以外の人間がエラーを閉じる光景を目撃する事はなかったのだ。
冷たすぎる空気を肺一杯に吸い込み、深く、時間を掛けて吐き出したアギトは面を上げる。眼前には広大で寂れた灰色の草原。そよ風は爽快感を運ばない。電脳世界は全てをデータ化して現実にあったモノと近づけている。こんな余計な状態まで近づける必要はあるのか、などと野暮な事を思ってしまうのは、アギトがただ戦争を楽しむだけの人間でない事を表しているのかもしれない。
「つーか、最初から一人じゃ限界があるよな」
アギトは嘆息する様に吐き出す。
当然だった。アギトも頭の隅で察していたこの、『エラーが世界中に侵食する』という現状。もしフレミアがこの現状を予期していたとすれば、アギトの他にアクセスキーを所有する者がいても可笑しくはない。そう考えるのだが――結果は先述の通りである。
「傭兵は集まってくれー」
そんな毎日の様に考える事をしていたら、傭兵を纏める国の役人兵士が控え室の前で声を上げた。アギトも傭兵であり、その言葉に従って役人傭兵の下へと歩いて向かう。歩む度に足元から枯れ草を踏みにじる乾いた音がして妙に心地よい。




