2.向き合う世界―4
そうしてアギトは再びベースキャンプ目指して南下し始めた。その後は敵に会うこともなく順調に進むことが出来て、アギトは数十分でベースキャンプの位置へと辿り着いた。
――だが、そこにベースキャンプはなかった。
「どうなってやがる……」
アギトは戦慄に慄き、右手にアクセスキーを握り締めた。
アギトの眼前にはベースキャンプがなければならない。いや、あって当然、自然だった。はずだった。だが、そこには、空間をくりぬいたかの如く巨大な、直径何メートルあるのかも分からない真っ黒な穴が空いていて、その目の前に巨人が屹立している。とにもかくにもベースキャンプとは呼べない光景がそこには広がっていたのだ。
巨大な穴は漆黒を渦巻き、ベースキャンプを丸ごと飲み込んだと言わんばかりにその位置に鎮座している。球体、ではないようだが、その位置に存在し、どの位置から見ても円に見える。
――これが、エラーだ。そう気付くのに時間は要さなかった。
(これを、アクセスキーで閉める……?)
アギトはこのタイミングでフレミアの遺志を思い出した。エラーを開閉するアクセスキー。そして、目の前にはエラー。この偶然は奇跡といっても過言ではない。まさに、試せ、そう言っている現実に直面したのだ。
穴を守る番人の様に屹立する巨人の身長は二メートル半程で、機械的な静けさを保ち、背中にその身の丈程のクレイモアを装備している。服装はローブと呼ぶのは億劫になりそうな麻の布切れで、頭は牛を模した金属ヘルメットで隠されている。ヘルメット越しでも、その視線がアギトに降りかかっているのは明白だったが。
アギトは巨人と威嚇の視線をぶつけたまま、アクセスキーに刃を出現させる。そして、構える。
その行為を戦闘意欲とでも認識したのか、巨人はのそのそとした、だが重厚な動きで麻の布の間から手を伸ばし、背中のクレイモアを引き抜いて両手で下段に構える。そして、一歩。
巨人の一歩は人間の非ではなかった。足元の草を踏み潰せば、そこにはクレーターができ、土埃を舞わせ、風圧を生み出す。衝撃は地を伝って確かにアギトにも伝わってきた。
電脳世界ディヴァイドでは絶対にありえない存在が目の前に二つも並んでいるが、アギトは驚きよりもまず、巨人の威圧感に気圧さ辟易していた。戦場でバケモノ級の強者と対峙した状況と良く似ていたかもしれない。つまりそれは――アギトにとっては日常でしかない。
アギトはフレミアに直面した時点で、こんな事があるだろうな、と心中の隅でなんとなく予測していたのかもしれない。あの黒い穴をエラーを認識したのも同様であろう。
「かかって来いよ」
冷や汗を垂れ流しつつも、強がった発現をするのはアギトが大陸最強と謳われるからだろう。妙なプライドが彼の表面を飾り、より最強として浸透しているのだ。
辺りに人影はない。ベースキャンプにいたはずの人間は、ベースキャンプと一緒にエラーに飲み込まれてしまったのだろうか。
嫌な風が巨人とアギトの間を流れた。その風が物理エンジンの描写と演算でどこからともなく無数の木々の葉を運んできた。その無数の葉が二人の間を彩り――過ぎ去ったと同時、巨大過ぎるクレイモアの刃が振り下ろされた。風車を真下から見上げたような威圧感がアギトを襲う。が、戦慄している暇なんて当然ない。巨人の巨大な体躯から湧き出す強力に振られる重厚なクレイモア。筋力に重力の導きが演算中に加算され、クレイモアの刃は音速に近い速度でアギトに向けて叩き下ろされる。
「くッ!!」
アギトはクレイモアが巨人の頭上に上がった時点で判断を下し、大きくバックステップして一撃を回避していた。だが、後ろのに飛んだ直後にはクレイモアが振り下ろされ、地面を嬲るように抉った。地面は隕石が落下したかの如くクレーターを生み出し、抉れ、土が舞い、衝撃を生み出す。それは宙に浮いていたアギトを吹き飛ばすには容易かった。
「うぉおおおおッ!?」
強風に煽られるチリ紙の様にアギトの体は吹き飛んだ。一○メートルは裕に吹き飛ばされ、草原の上に転がった。が、そこは戦場なれしたアギト、転がった勢いまでをも利用して衝撃を吸収し、即座に立ち上がって体制を立て直した。
「くっそ。ファンタジーなバケモンが出てきたモンだ……」
吐き捨て、アギトも攻めに入る。攻撃力は一目みるだけで明白に浮きだった。あんな攻撃を受止める自信はないのだろう。と、なれば攻めるしかない。
アギトは強靭な脚力で地を蹴り、一気に巨人との距離を詰める。アギトが蹴った足元は土を舞わせ、その勢いを物語る。
「おぉおおおおおおおおおお!!」
アギトが巨人の足元に到達したと同時、アギトの上半身を吹き飛ばすかの如くクレイモアの横薙ぎの一閃が叩き込まれる。アギトは驚異的反射神経でしゃがみ、その一閃を頭上でかわして、アギトは胸元に到達したその瞬間に日本刀を横一閃。空気が弾ける様な軽快な音が炸裂し、巨人の肢体を隠す麻の布が裂け、その内にまで一撃は到達する。
アギトが地に足を着け、バックステップにバックステップで多めの距離を取った直後、一撃受けた巨人の胸元から鮮血が噴出すエフェクトがばら撒かれる。――が、巨体は揺るがない。
クレイモアを背後に回し、力を込め過ぎた縦一閃がアギトに降りかかる。
多めに距離を取っていたため、それを交わすには容易く、アギトは一閃を右に出て避け、地を蹴った。クレイモアが振り下ろされた風圧で多少揺るぎはしたものの、アギトもまた歴戦の戦士。その程度では負けやしない。
先程の一撃は浅かった。だが、傷はすぐには修正されない。結果として残る。鮮血が出るというエフェクトはディヴァイドに存在せず、アギトに疑問を抱かせたが、その疑問を吹き飛ばすかの如く、アギトはアクセスキーを薙ぎ払った。
先の一撃を上書きする様な横一閃。それは確かに巨人の胸元から左半身を斬り裂き、ダメージを与えた。
引き裂かれた巨人の麻の布切れが宙を舞い、風に流されて飛んでいく。まるでトラックと人間が衝突する様な豪快な音。共に巨体が揺らぐ巨人の体は地震の渦中かのように揺れ、そのまま横に倒れた。遅れて手から離れたクレイモアが落ち、余震の如く地を揺らした。
――初めての『守護者』戦が、終わったのだ。
巨人の正体、それは、エラーを守る番人――守護者。エラーを拡大させる脅威を邪魔する『フレミアの戦士』達からエラーを守る守護者。
当然、アギトがそれを知る理由は今はない。
「……死んだ、か?」
勘繰る様にアギトは怪訝な表情をして呟き、倒れた巨人から二メートル程距離を取って警戒していた。如何にもな巨体だ、確実に人間を殺す一撃でも、負け判定がでないのかもしれない。いや、それ以前に、巨人と眼前の黒い穴がこの電脳世界ディヴァイドのシステムに縛られているという可能性が薄い。
アギトは数歩巨人に近づき、アクセスキーの刃の先端でつついてみた。が、巨人は動かない。
そして、やっと、と言った所で倒れた巨体はディヴァイドのシステムに則った形で光の粒子に変わり、消滅し始める。――が、その光の粒子はアギトが日常的に見る神々しく輝くモノではなく、紫色に発光する闇を連想させる黒に近いモノだった。その粒子は飛散したかと思うと、エラーに吸い込まれるように空気中で軌道を変え、実際に吸い込まれていった。
「どうなってんだよ、コレ」
今まで体験した事のない光景に直面して、アギトはアクセスキーを柄の状態に戻して腰に掛けて、呆れた様に吐き出す。
ディバイドでは死という表現は統一されている。複数あっても意味を持たないからだ。ゲーム製作者なんかはもしするとその理由が分かるかもしれない。だが、今の守護者はディヴァイド内では見た事のない粒子に変換された。そう、まるで、エラーの様に。




