5.理想郷へ―9
「お願い。お母さんを、助けて」
言ったヴァイドはその歳でそんな行為を見せるか、とついつい思ってしまう程深々と頭を下げた。眼下のテーブルすれすれにまで下げられたその姿から、ヴァイドのただならぬ決意、懇願をアギトは感じ取った。
アギトはそんなヴァイドを見下げながら、顔を上げろ、とただ一言、重苦しい荘厳な言葉を吐き出す。だが、ヴァイドはすぐには表情を上げなかった。だが、暫くアギトが待つと、顔を上げるまでアギトが反応しないと気付いたのか、ヴァイドはゆっくりと、僅かに億劫になりながら顔を上げた。そうして見えてきたヴァイドの表情は、一瞬で曇っていると気付ける。ちょいと突けば、すぐにでも崩壊してしまいそうな脆さを感じられる弱々しい表情だ。
「……お前のお母さん。ルヴィディアに何が起こってるってんだ?」
アギトは静かに聞く。エラーとルヴィディアの間になんらかの違和感を感じているのはあの日、ルヴィディアに出会ってからだ。今更、殊更に驚いて見せる事はない。だから、もう全てを吐き出せよ、と詰め寄ったのだった。
すると、ヴァイドはたどたどしい言葉を漏らす。
「お母さんは……。今、エラーを出してる。使ってる。どうしてかは、知らない……。お母さんたまに帰ってきて、お金くれたり、話しをしたりするけど……、何も教えてくれない」
言い終えたヴァイドは右手首を左手の指先で二回、トントンと軽く叩いて空中投影モニターを出現させ、操作してアギトにも可視に設定する。して、ネット回線に繋いで一つの画像をアギトへと向けた。
アギトはその画像を覗き込む。そこには、とあるニュース記事。デカデカと載せられた写真には、フーディローブで、ゆらり揺れるように存在するルヴィディアの姿が映っている。表情は見えないが、アギトにはその影がルヴィディアである事はすぐに分かった。ルヴィディアがいるはどこかの自然の多い国で、近くにはエラーが渦巻く姿があった。
「これは?」
写真の下に連なる記事を読みながらアギトは問うた。
「お母さんが、その、ディガンマって街でエラーを使って、暴れたって記事」
ヴァイドが言い終えると同時、アギトは丁度その事が記載された記事を読み終えた所だった。アギトは表情を上げて応える。
「なるほどな。確かに、そうみたいだな」アギトは溜息と共にそう吐き出して、言う。「俺に、ルヴィディアを救えってのは、エラーを閉じて、ルヴィディアを止めろって事か」
返事は首肯で返された。一○歳程の容姿とは相容れぬ荘厳な、重々しい姿で、だ。
「最悪、殺し合いになるだろうよ」
アギトはヴァイドに酷な話しだ、とは思いつつも真実を語る。
「そん時、俺が、――勝てないだろうが――お母さんを殺しても、大丈夫だってのか?」
すると、流石のヴァイドも俯き、黙ってしまった。だが、黙ったという事は『答えに悩んでいる』という事でもある。アギトは暫しの沈黙を維持して、ヴァイドのその答えを待った。して、数秒後。いや、数十秒後だったかもしれない。やっと、ヴァイドは表情を上げた。
首肯。短く、だが深い、意思の篭った首肯だ。
アギトはそのヴァイドの姿を見定めた。一瞬の出来事であるが、確かに、それを感じ取った。
「分かった。約束する」
して、アギトも首肯で返したのだった。
9
一日は始まりには長いように感じるも、終わりを向かえると短かったと思うものだ。アギトは翌日、ガンマに向かうためのバスを予約するために交通センターへと足を運んでいた所だ。受付を並んで待ち、あっという間に手続きを済ませてアギトはホテルへと帰る。
夕暮れに包まれる近未来的デザインの概観を並ばせるデルタの都会エリアは色合いが浮き立つ様で合っていないが、そこがまた特別な雰囲気を醸し出していて、美しく、壮観だった。
ホテルへと戻り、ホテルマンに誰何して通り過ぎ、アギトは自室へと戻る。一応に隣の部屋の気配を確認するが、中にアヤナの存在を感じ取る事は出来なかった。どちらにせよ、確認を取る事は出来ないし、理由もないのでアギトは気にせず自室へと戻った。生体認証をこなして扉を開放。部屋へと入るとアギトはまず、黒のロングコートを脱ぎ去った。部屋の壁に備え付けられていたハンガーに掛け、軽装になってソファーへと腰を下ろした。空中投影モニターである備え付けの大型テレビの電源をつける。そして、映し出されるは時事ニュースだ。デルタに足を運んだばかりのアギトには譲歩が足りていない。中央塔でも話しが上がったが、アギトはとにかくテレビを見ない。メディアを意識しない。だから、たまにでも、オフの日くらいはこうやってテレビを付け、情報収集をする様に――一応――心がけているのだ。当然、覚えていない、という場面を何度も過ぎ去るのだが。
映し出されたニュース番組はアルカディア大陸の物だ。ローカル、ではないが、アルカディア大陸の情報が欲しかったアギトにとってそれは十分だった。
(特にめぼしい情報はないな……)
テレビをぼーっと見ながらアギトは退屈だ、と思ってしまった。時計をみるも、その過程で窓から差し込む夕焼けを確認してしまい、寝るにはまだ早い時間だと気付き、何かないかとテレビから目を離して部屋を一瞥する。元々戦いを糧として、生活として生きてきたアギトだ。当然周りに娯楽なんてモノは置いていない。もとより、ここはホテルの一室なのだ、アギトが望むようなモノはない。




