5.理想郷へ―6
しかし、アギトはそう簡単には眠れなかった。シャワーを浴び、身支度も済ませたというのに、嫌な考えが脳裏に張り付いて離れなくなってしまい、眠れない。瞳を閉じてしっかりと意識を遠ざけるようにして、フェードアウトさせようとするが、どうしても考えが一つの方へと向かってしまう。
「くっそ……、」
吐き捨てる様にして、アギトは上体をベッドから起こした。電気を消して暗くなった部屋を意味もなく見回す。そうして――、
「フレミア」
瞼を下ろし、アギトは溜息と共に呟いた。すると、部屋の中央辺りに輪郭のぼやけた幽霊の様な存在がゆらりと現れる。当然、それはフレミアだ。オーロラの様に揺らめくその姿は相変わらず綺麗で、美しい。
「どうかしたの?」わざとらしい口調。アギトの問いたい事を知っていながら、わざと問うような、演技めいた口調だ。対してアギトは嘆息と共に、頭を抱えながら応える。
「ルヴィディアの件について……何か知らないか?」
答えは首を横に振る動作で返される。だが、その後に尾を引く様な言葉。
「でも、知ってる事もある」
「どういう意味だ?」
訝るアギトにフレミアは単調に応える。
「向こうからの接触があったの。知りたいと思ったから、来た」
なるほどな、とアギトは表情を緩める。とは云っても詳細までは分かるはずもなく、アギトは意気揚々とする気持ちを落ち着かせながら、フレミアの言葉を待った。
「数日前ね、『もう一つのディヴァイド』に、無理矢理進入しようとした痕跡を見つけたの」
相変わらず『もう一つのディヴァイド』についても説明をしようとしない事にアギトは僅かに気を揺らすが、どうせ無駄だと耐えて、次の言葉を待つ。
「痕跡?」
「詳細は省く。でも、それがソースコードにアクセスできる種族『ソーサリー』ではない、という事に気付いて、少し辿ってみた。するとね、出たの、赤毛の女戦士、ルヴィディアの姿が」
「そうか」
「あと、」言って、フレミアは僅かに頷く姿勢を見せて、言う。「少年の姿」
「少年の姿?」
眉を顰めてアギトは問う。僅かにだが前傾姿勢になったのはアギトの興味がその少年とやらに集中している事の表れだろう。アギトはその前傾姿勢のまま瞳を挙げ、真っ直ぐにフレミアの揺るぐ目を見詰める。透き通る様な瞳の奥に、何が隠されているのか、探るようであった。
「うん。少年」
フレミアは首肯する。
「どんな?」
「赤毛の、小さな男の子。見た目からして歳は一○歳に達してるか達してないか……」
「赤毛の少年? ルヴィディアと何か関係があんのか?」
何か関係が、と問うたのはアギトがルヴィディアに親族はいない、と思っていたからだ。ルヴィディアの下を離れてかなりの時間が経った。その間に何かあったのかもしれない。そう、一応、考えてみたのだった。が、アギトはルヴィディアがその様な『極普通の考え』に至る理由はない。と思っている。だからこその、聞き方である。
そんなアギトをしっかりと見据えてフレミアは表情を僅かに俯かせて首を横に振った。
「知らない。そこまでアクセスする『暇がなかった』」
その言葉に恐ろしい程の意味が含まれている事にアギトは気付いたが、どうせ答えは返ってこないだろう、とあえて求めないのだった。
「……そうか……。所在は?」
「分からない。でも、アルカディアで間違いはないと思う」
「そうか。探してみるよ」
言って、アギトはフッと気取った様に笑んで見せた。するとフレミアも似た様な、皮肉めいた笑みを浮かべて、姿を消し去る。光の粒子となって空気中に溶けていくフレミアを見送って、アギトは再びベッドに寝転がった。仰向けに倒れる様にしてベッドに飛び込むと、良く効いたスプリングがその衝撃を緩衝した。
フレミアは『こちら側のディヴァイド』に存在を置く事に制限を設けている。それはフレミアの意思でなのか、何かのシステム、あるいは人間、意思によって強制的に設けられているからなのかは今のアギトは把握しきれないが、アギトはそこに文句を吐く気はなかったし、付け込む気もなかった。
(赤毛の少年、ね)
アギトは目的を定めて、今度こそしっかりと床に付くのだった。
「あぁー……。ま、いいか」
アギトが頭を掻きながら気だるそうにそんな事を言ったのはアヤナの借りた部屋の前である。アルカディア大陸のデルタにあるこのホテルはベータの様な今までの形式を取っていなかったのだ。近未来的デザインを象徴するかの如く、それはやはり存在した。硬い、鍵だ。生体認証でも行っているのかと疑いたくなる程に開かない扉。斜めにスライドして開きそうな扉の周りを一瞥するが、鍵穴は見当たらない。変わりにへんちくりんな機材が備え付けられている。当然、中の人間が応えれば扉は開くのだろうが、アヤナは絶賛寝坊中である。普段であればアギトはどうにかして叩き起こすのだが、今回は休日、と定めた日の出来事であり、アギトはアヤナを放って置くことにして、諦めたのだった。明日の寝坊だけは許さんと誓って。
「さて、と。マズは朝飯か。食ってから……少年の情報を集めるかね」
独り言を吐き出して、アギトはホテル備え付けのレストランへと足を運んだ。
赤毛、というのはこの電脳世界ディヴァイドでも珍しい存在だ。お洒落としてする人間も時折見かけるが、一○歳程の子どもがする事はマズありえない。何故ならここは永遠を約束された世界であり、幼少は幼少らしく育つのが当然となっているのだから。
だから聞き込みでもすれば、すぐに情報くらいは入るだろう。アギトはそう踏んでいるのだ。




