5.理想郷へ―3
「うーん」
して、互いに唸る。悩ましく唸るアヤナに対してアギトは無言でありながら訝しむ様な表情で静かに悩んでいる。これまで様々な経験をして、それを活かして何事にも答えを出してきたアギトだが、この問題にだけは素早く終止符を打てないようだった。
その後アギトとアヤナは暫く会話を交わして、自室へと戻った。結局その夜は、アギトは外の淡い海を見る事はなかったのだった。
「うわぁ、なんかすごい場所だね」
やっと、地に降り立ったアヤナは辺りの光景を見て感銘の溜息を漏らしながらそんな事を漏らした。隣のアギトは頷いて応える。
「そうだな。エルドラド自体『こういう』景色が広がるが、この港の所属する街『イプシロン』は首都にも負けない景色が広がってる」
そんな事を言うアギト達。二人の眼前にはディヴァイドの中でも特別『近未来』な光景が広がっている。アギト達を乗せた豪華客船が着いたこの港も、巨大で、ガラス張りのデザインが特徴的なデザインである。空中投影モニターがあちらこちらで見てとれ、そこには様々な映像が映し出されている。船の出港予定時刻のリストであったり、テレビモニターとして使われていたり。
そんな港にアヤナは興味津々だったが、アギトに連れられて特別観光するまでもなく港を後にする事となった。
港側に大量に位置していたバスに二人は乗り込み、デルタまでの道程を揺られながら旅する。
港、つまりはイプシロンからデルタまでは三時間弱の時間が掛かってしまう。それはどうしてもであり、避けられない事である。
(ルヴィディア……)
窓際に寄って流去る外の景色を眺めながらアギトは思考を巡らせていた。
(いつ、何故だ。どうしてルヴィディアが邪悪の道を辿る……? 今までは絶対にそんな事ァなかった。傭兵だろうが、参戦しようが、人間を殺そうが。……なんでだ? 何か心境の変化でもあったか? 身寄りはいないはずだ。何かに脅されて……なんて事があるか? …………、)
そして、はぁ、と嘆息。アギトの吐息で窓の隅が僅かに白く曇ったのだった。
と、そんな何気ない時間が一時間と少し過ぎてからだった。バスが心地よく揺れていたその穏やかな時間はある瞬間に一変した。
突如として、急ブレーキ。
「ッ、」
「きゃあ! 何よ!?」
それにはアギトもアヤナも、身構えていなかったからか、それとも当然か驚き、前のめりに倒れて前の席に頭をぶつけてしまいそうになった。アヤナはぶつけた。
アギト達以外の乗客も冷静さを装う者はいず、車内のあちらこちらから悲鳴や疑問の声が上がる。
すると運転手から怒声に似た、焦燥感の感じられる声が放たれた。
「エラーだ!」
その一声で車内は一瞬の沈黙を漂わせた。そして、その一瞬を過ぎ去ると車内は大災害にでも直面したかの如く、パニックに陥ったのだった。あちこちで悲鳴があがり、乗客は逃げるに逃げれない状況でただ騒然と騒ぎ、無様に喚きたてるしかなかった。
だが、この場にはアギト達がいる。
アギトとアヤナは波の様に犇く怜悧さの微塵もない乗客を押し退けながら前まで進み、運転手の側まできた。すると、運転手が応えるよりも前にアギトとアヤナの二人はその存在を見つける。その瞬間から僅かに遅れて、運転手が眼前を指差した。
その指の先にあったのは、巨大なエラーだ。バスのすぐ目の前にあるそれは直径三メートル程もある中級のエラーで、突然現れては危険過ぎる存在だ。
「くっそ、」アギトは口内で歯噛みした言葉を吐き出しながら、「俺とこの白いチビがエラーをなんとかする。アンタは俺達が降りたらバスを下げて乗客と一緒に逃げてくれ」
白いチビ、と言われて隣のアヤナはムッと頬を膨らませて怒りを見せるが、そんな事をしている状況ではない。
先導したアギトに続いてアヤナもバスから飛び出す。
アギト、アヤナ共に地に足を着けたその時点で運転手はアギト達の指示を理解しきれない状態ながらバスを下がらせた。数メートル下がらせた所で方向転換をして、バスは走り去って行った。きっと今頃、車内はパニックに陥っているだろう、なんてアギトは思いながら、腰に掛けていた柄状のアクセスキーを右手に取る。そのすぐ横でアヤナも巨大な鎌のアクセスキーを出現させ、構える。
山を切り開いた道に走る静かな道路の上で、渦巻く巨大なエラーと、それに対抗する漆黒の青年と純白の少女。
アヤナが先行してアクセスキーの先端をエラーに向けてエラーを閉じようとするが、エラーから這い出して来たバケモノにそれは阻まれた。やはり、バケモノを倒してからでないとエラーは閉じれない。
「来るぞ!」
アギトがアクセスキーを振るって刀へと変化させたその瞬間。エラーから這い出してきたバケモノはその全貌を露にした。
ただ、静かに、それは墜ちてきた。水々しい、且つ不快感を感じさせる音と共にそれは地に落ちた。
姿は女性。全裸であるが、余りに長い、足元まである大量の黒髪によってその全貌は阻まれている。その隙間隙間から見える肌は灰色に淀んでいて、その余りに細く、おぞましく見える両手には鈍く輝く鉈が握られている。まるで、B級映画の中から出てきた幽霊の様である。
「うわっ、なんかリアルなのが出てきた!」
バケモノのその容姿を見て、表情を引きつらせたアヤナが嫌そうに言う。
「人間味があるって意味じゃ初めてだな。こんな奴……」
アギトでさえその姿には抵抗があるのか、静かに、何時もの調子ではるがそんな言葉を吐き出したのだった。
バケモノは口元をもぞもぞと動かしながら何かを呟いているようであるが、アギト達には届かない。長い髪のカーテンの隙間から、ギョロリと白目がスロットマシンの様に回転しておぞましき瞳を見せる。それは確実にアギト達を見据える。
して、バケモノは動きだした。金切り声とも取れる奇声を大音声で上げながら、両手に装備した鉈を掲げ、その刃をぶつけだした。金属が荒く打ち付けられる耳障りな音が辺り一帯に数秒間響き渡った。屹立する山々に反響して、それは嫌に響いた。
「狂ってんじゃねぇか」
そんな音響く中、アギトは吐き捨てて疾駆した。




