5.理想郷へ―2
アギトは忌々しげに糸切り歯を剥き出しにして、歯を食いしばって内に秘める怒りを吐き出した。
「あ、ここにいたの……?」
すると背後から、遠くの方から今や聞きなれた声が聞こえて来た。アギトは表情を一新してから振り返ると、そこに眠そうに目を擦りながらヨタヨタと歩いてくる寝巻き姿のアヤナを見つけた。アヤナは何故起きてきたのか、そう疑問に思ってしまう程に眠そうだった。眠気に負けて今にも寝てしまいそうである。
「どうしたよ?」
ヨタヨタと、フラフラと覚束無い足取りで歩いてくるアヤナをアギトは迎え入れる。立ち上がり、突っ込んでくるアヤナを胸元に受止めて抱き寄せるような形を取ってしまう。が、アギトは特別気にしないし、寝ぼけているアヤナ自身そこまで頭を回らせる事が出来ないのだった。
「う、ううん……。起きたらアギトが居なかったから探しに、来た……」
「アホか。寝とけよ」
「う、うぅ……ん……」
「おい、寝るな」
暫くそんなやり取りをしていると相変わらず寝ぼけながらではあるがアヤナの意識がハッキリしてきたので、アヤナを隣に座らせてアギトは再び酒に手を伸ばしたのだった。
一口飲み、と、そこでアヤナが不意にアギトへと言葉を投げた。
「何か、あったの?」
たどたどしい言葉がアヤナの口から漏れる。
アヤナは察していたのだ。回らない思考でも、反射的にアギトの秘匿にした異変を自然に感じ取って、自然と心配していた。
そんなアヤナの言葉にアギトは正直に驚いてしまう。が、すぐに冷静を装い、
「何もねぇよ」
だが、
「分かってるんだから。アンタが調子悪い時くらいは分かる」
アヤナはヘラヘラと笑いながらアギトに寄りかかるようにして倒れこみながら、そんな事を言う。まるで、夫婦かの、カップルかの如く。
どうにも様子がおかしい。そう気付いたのは数秒経たずしてだった。して、アギトがアヤナの前に広がるバーカウンターの上へと視線をやると、そこに赤く揺らめく液体の入った円柱状のカクテルグラスが置かれている事に気付く。
(いつの間に酒頼みやがったんだ……!?)
率直に、アヤナは酔っていたのだ。
「はぁ」
「なによう、その溜息は?」
当然、アヤナに対して感じる面倒さへの溜息であるが、アギトはそれを伝える事さえ面倒に思ったのだった。
「明日も特別早いわけじゃねぇけど、そろそろ寝とけよ」
「いいのー。それよりもさ、」アヤナはニヘラニヘラと笑みながら、「こんな機会今までなかったし、お喋りしようよー」
「アン? この酔っ払い……、」
「それよりもさ、」
「なんだよ」
「アンタ、何をそんなに思い詰めてるのよ?」
「あ? 思い詰めてなんか……、」
言いかけた所で、アヤナの小さな両手がアギトの頬に伸びた。その小さな掌はアギトの頬を挟み、酒を飲む手を止めさせて、アヤナの方へと無理矢理に向き合わさせる。アギトの眼下にはアヤナの紅潮した、眠そうで目がとろけそうな表情が置かれる。アヤナのその大きな目は焦点が時折ズレながらもアギトをしっかりと見上げている。
「あんだよ……、」気だるそうにアギトが吐く。
そんなアギトを相変わらずの笑みで見据えながらアヤナは、
「何をアタシに隠す事があるのよ? これからもずっと、エラーを閉じる旅を続けるんでしょ?」
「まぁ、そうだが」
「だったら、感情論抜きで! お互いの安全のためにも隠し事はしないべきじゃなぁいのですかぁ?」
「ッ、この酔っ払いが……。珍しく正論なんか吐きやがって、」
アギトの表情が引きつる。なんだこいつ、とでも言わんばかりにだ。
そして、アヤナは黙りこくってただ、アギトを見詰めるだけとなる。そんなアヤナの表情を見てアギトは暫くの時間、本気で考えた。話すべきか、話さぬべきか。もとより、アギトが話さないのは『面倒だから』という理由以外にない。理屈や倫理的な過程を辿れというなれば話さない理由はないのだ。
そして、嘆息。アギトは話しだす。
ついさっきあったばかりの消えた師匠の事。そして、元老院からの報告の事を、だ。胸の内に秘匿にしていた事を全て吐き出すと、アギト自身僅かにだが気持ちが軽くなったような気がして、話して良かったのかもな、なんて気持ちが浮かんだのだった。
アギトのそれを聞いて、アヤナは眉を顰めて「うーん」と僅かに唸ってから、
「だったら、デルタ行ってどうするの? 行ってしまえば目的はなくなったようなモノだし……」
アヤナは声を抑えていった。あえてあれやこれやと口突っ込まず、必要な目先の事に目的を立てて、先導するアギトに問うて、話しを進めた。
「そうだな、」アギトは言って、「どちらにせよ、ガンマまでは休憩が必要な距離があるからな……。デルタで休憩を取るさ」
「そう。ちなみに、そこに師匠がいる可能性は?」
「低いだろうな。『噂』が本当なら、師匠……いや、ルヴィディアは、エラーをどうにかして世界中にばら撒いているはずだ。デルタに留まる理由はねぇだろうよ」
「でもなんで、し……、ルヴィディアはそんな事するんだろうね? アギトの師匠だった人でしょ? 単純に考えたらその逆になるはずだよね」
「そこなんだよ。悩みのタネは。単純じゃない、複雑な何かがあるってこったろ」
「そうなるよね。何か心当たりはないの?」
「あったら苦労しねぇよ。それに、俺がルヴィディアと一緒にいたのはエラーが出現するよりもずっと前だからな……」




