2.向き合う世界―3
「お願い……。魔王の手下達を倒して、エラーを閉じて、力を集めて、ディヴァイドを救って。そして、出来れば……、」
言い終える直前で、フレミアの体は完全に粒子となって空気中に溶け、消え去ってしまった。風に飛ばされる綿毛の様にふわふわと飛散する粒子の最後の一つが消えるまで、アギトはそれを見届けた。見届けて、右手に微かに残るフレミアの余韻を感じながら、アギトはただ、立ち尽くした。
当然だ。突然死人と向き合い、現実離れした真実を突きつけられ、武器を取上げられ、使用用途がハッキリしない何かを渡されたのだ。これだけ羅列してもなお、今起こった数分の出来事が何を意味するのかは理解できそうにない。
「そして、出来れば……?」
フレミアが言い切らなかった言葉を自然と漏らしていた。一体何を伝えたかったのだろうか。あれだけ指定する言葉を吐いたというのに、最後だけは縋るような言葉。その中に彼女の求める何かを感じ取るのは当然だったといえよう。
(それにしても、エラーって何なんだ。エラーを閉めろとかなんとか言ってたが……)
フレミアはアギトに頼み事をした。それはアギトも把握している。だが、その内容がイマイチ理解できていないのだ。アクセスキーでエラーを閉じる。ディヴァイドが無数にある。言葉こそ覚えていても、その繋がり、事実までは理解できず、事の全体像が見えていない状況だ。
ともかく、とアギトはフレミアがいなくなった事でただの廃墟と化した部屋を出る。出て、階段を数歩分下りた所で気付いた。腰の右側に下ろした真っ白で機械的デザインの柄――アクセスキーに視線を落す。これは、自身が今の今まで使っていた武器と交換されたモノだ。つまり、今、アギトには武器がない。戦う手段がないのだ。
だが、フレミアはアクセスキーでエラーを閉じるたびにアギトの力が増す、そう言った。それに、武器を取上げてこれを渡した。それらを考慮した上で考えると――この柄は、何か攻撃手段になるのかもしれない。そう、答えに行き着く。かといっても、その使い方が分からないまま戦場に出るのは利口ではない。使用方法を模索してる間に切り伏せられれば終いだ。戦争が終わるまで意識がブラックアウトした状態に陥ってしまう。
「どうしろってんだよ……これ」
アクセスキーを右手に持ち、見下げてアギトは嘆息した。呆れ、現実を呪った。フレミアもこれについての説明をすれば良かったのに、そう思うが、言葉途中で消えた事を考えると、説明する時間もなかったのかもしれない、と考慮できた。
ともかく、一応ながらアクセスキーを右手に、アギトは廃墟から飛び出した。
廃墟から出れば寂れた草原の上だ。戦火の広がる寂れた光景。ここでの戦闘は一段落ついたのか、付近に戦士の影は見当たらない。死体は当然ない。血痕も戦闘の跡もない。ここはディヴァイド、当然の事である。
寂れた草原をただ一人、アギトは南下する。南下すれば司令塔の支部を置いたベースキャンプへと辿り着く事が出来る。勿論それは、敵勢力が向かっていなければ、という事になるが、それでも今のアギトには判断はできず、南下する道を選んだ。
暫く歩いたところで、大分離れた位置に敵兵の影を見つけたアギトは、アクセスキーの使い道を試してみようと考えた。アクセスキーは武器になる。広大な寂れた草原を南下しながら、アギトは考えていたのだ。
アクセスキーを握りなおし、アギトは敵兵へと近づく。見渡しの良すぎる草原だ、足音を殺して近づくことに意味はないだろう。と、アギトは助走をつけてそのまま走り出した。すると当然、敵兵はアギトの存在に気付く。
「こんな所でっ、」
若い男性の敵兵は忌々しげにそんな事を吐き出して、腰から安物臭漂う、軍配備の量産型のレイピアを取り出し、右手に構えた。そうして迎え来るアギトを迎撃しようとする。
――が、やはり敵兵もアギトの手に握られているソレに気付く。
「何だ? 武器は構え――、」
そして、もう一つの事実にも気付く。
アギトが走り、尾を描く様に靡く赤みの掛かった黒いロングコートだ。これを特徴とするのは、この大陸には、いや、この世界ディヴァイドには彼しかいない。
「アイツ!! 大陸最強のアギトか!? でもあいつの武器は黒い剣じゃ……ってそんな事言ってる場合じゃねぇ!」
若い兵士はレイピアを構える。皮のグローブ越しにでもソノ手が緊張で汗ばむのは感じ取れる。
アギトと敵兵の距離は障害物の何もないこの空間で、あっという間に縮まった。その距離は残り五メートル強。その距離まで縮まった所で――、何かが、アギトの脳に流れ込んできた。
それは、大量の情報。それは、アクセスキーの情報。ソースコードをアギト達の言語に変換した、情報。それはインストールするかの如くアギトの頭に流れ込み、拒む暇もなく定着し、アギトに、知識を与えた。
――アクセスキーは、常時未完であるという状態。そして、アクセスキーは、武器であるという事実。
敵兵が迎撃体制に入った今、急に立ち止まって背を向け、逃げる時間的余裕はない。どう攻めるか判断を下すのは今しかない。
「おぉおおおおおおお!!」
アギトは自身を奮い立たせる様に雄叫びを上げ、右手を振るった。斜めしたに、手首を鳴らすソレに似た様な動きの直後、ソレは出現した。
柄だけの形状だったアクセスキー。そこから、刃が出現した。アクセスキーの色である純白、その、純白の刃だった。眩いばかりに輝く純白の刃は形状は刀。アクセスキーは一瞬にして、振るという予備動作で刀と化したのだ。
「なにっ!? そんな武器見た事――、」
初見の武器を目の当たりにして驚きを隠せない敵兵。が、直後、突き刺す様に構えたレイピアの細い刃を越えて、敵兵の眼前にアギトの姿があった。アギトの様な強者の前で、隙を見せれば当然こうなる。
「悪いな、試し斬りで」
敵兵の耳元でアギトは一瞬の間を使ってそれだけ囁いた。そして、敵兵がその言葉に背筋を凍らせる間もなく、敵兵の胸を純白の刃が貫いた。ズブリ、と沈んでいくようなそんな感覚ではない。空間を切り裂く様な、ある種の手軽で心地の良い感覚がアギトの右手に確かに伝わっていた。
敵兵の表情は唖然とした間抜け顔から苦痛に歪むモノへと変わり始めた。手からレイピアが落ち、草原の上に転がってやがて静止する。
「がぁ、ッ……あぁ、あ……」
敵兵の口から苦痛の言葉が漏れた。が、これは痛みからではなく、驚きと、戦死するという建前から来ているものだろう。ディヴァイドは理想郷だが、痛覚、いや、痛覚システムを存在させている。だが、それは死ぬ程の苦痛を生み出しはしない。だからこその結果だ。
刃を敵兵の胸に突き刺したまま、アギトは一歩身を引いて相手の全貌を確認出来る位置に立つ。そして、そのまま――切れ味を試すかの如く――刃を横に薙ぎ払った。胸の中央から右に引き裂かれる敵兵の体。その男から刃が完全に離れたところで――敵兵の体は光の粒子となって飛散した。
「切れ味は最高。まぁ、戦えるってなら文句はない」
人を殺した感触が未だ残る右手に握られる日本刀の形を取ったアクセスキーを見詰めながら、アギトは満足げに呟いた。そして、アギトが意識すると、刃はシャッと鋭利な音を立ててその刀身を消した。これもアギトの脳に流れ込んできた情報もの一つだ。
戦闘という状況の中で大量のアドレナリンを分泌して活性化した脳が、アクセスキーのソースコードを取得したのかもしれない。アギトは今までの出来事にそう、適当な答えを打ち付けて考えをやめた。




