5.理想郷へ
5.理想郷へ
「アギトぉ、ガンマまではどれくらい(時間が)掛かるの?」
ふかふかのソファに腰深くかけたアヤナは豪華な装飾がなされた天井を仰ぎ見ながら吐息と共に吐き出した。その横で同じようなソファに腰掛けて退屈そうに肘を付いているアギトはアヤナに一瞥して、視線を戻した後に至ってつまらなそうに応える。
「アルカディアについてからもそれなりに距離があるからな……。今から考えたら五時間は越えるだろ。真っ直ぐ行ってもな」
聞いたアヤナは苦虫を噛み潰したかの様に眉を顰めて、「うげぇ。遠いわね」
「あぁ、遠いな。だから途中の街で休憩を取る」
「途中の街? なんて所?」
「デルタ」
「デルタ?」
アギトはちらりとアヤナに一瞥をくれた後、
「この『船』が付く港とガンマの丁度中間地点にある街だ」
「そうなんだ。……そこは何か特別な事はあるの?」
「特別ってなんだよ?」
「ガンマの女尊男卑みたいなさ」
アヤナの視線を感じたアギトは一瞬の間押し黙り、何かを『思い出す』様に考えた後、嘆息と共に吐き出した。
「特別何かってのはねぇよ」
して、勘繰るアヤナ。
「でも、特別ではない何かがあるって事ね?」
「…………、」
アギトはアヤナに視線を投げる。すると、嫌でも視界のど真ん中に不敵に、得意げに笑んでみせるアヤナの表情が目に入った。ちなみに今は、アヤナはフードを下ろしている。真っ白な、だが艶めかしいミディアムヘアの隙間から覗くその大きな瞳は爛々と輝きながらアギトを真っ直ぐに見上げている。
そんなアヤナの表情を見て、その直中に存在するアヤナの知りたいという欲望に塗れた渇望を覗いてしまうと、アギトは嘆息混じりに吐き出すしかなかったのだ。
静かに、言う。
「俺の知り合いがいる」
聞いたアヤナはその得意げな笑みを更に増した。
「ははぁん」なんて演技めいた笑みを殊更に浮かべて、「女ね?」
アギトの至って詰まらなそうな視線が捉えるのはアヤナのギラギラと輝く瞳。対してアギトは『聞くのかよ』とでも言いたげな視線で対抗するが、アヤナの大きな瞳に纏った燦燦爛々とした輝きは消えない。それどころか増すばかりである。
と、なれば言わねばならぬのが、この二人の関係を表している。
はぁ、という嘆息に続いてから、アギトは僅かに目を細めてアヤナを睨みつつ、吐き出す。
「ちげーよ」
「じゃあ、何なのよ?」
「俺の……、」「アンタの?」
アギトは溜息を吐き出す様に一息の間を空けてから、――何かを決心するかの様に――
「俺の、師匠がいる」
「師匠? アンタの何の師匠なの?」
「戦い以外にあるか?」
「ないわね。アタシが巨乳になるくらい在りえない」
「自分で言って悲しくねぇのか、お前」
そんな二人の会話が響くはエルドラド大陸からアルカディア大陸を結ぶ客船の個室だ。個室といってもそれは元老院から貰い受けた大金を叩いて(たった一部ではあるが)借りた高級個室である。それなりに広大な広さを持っているし、巨大な窓から見えるは海の地平線だ。そんな特別な部屋でくつろぐ二人は本当に、心からの休息を楽しんでいた。エラーを閉じる旅に出て、ベータの宗教戦争に加担し、休む暇はなかった。この期は必要な瞬間であった。
(師匠……ねぇ……)
アギトは天井を仰ぎながら一人思った。思い出した。
アギトに戦いを仕込んだ一人あの人間の姿を。綺麗で、冷淡で、怜悧で、華奢で、たくましく、だが繊細なあの人間の事を。
『師匠』の容姿はこの電脳世界ディヴァイドでの最高設定年齢である二三歳である。アギトが思うに、師匠はエラーでさえも殺せない程に強い人間であり、まだ、生きているのは間違いないだろう。
(仲間には……なってくれる、よな……?)
アギトがデルタを休憩地点に選んだのには、中間地点であるから、という理由以外にある。アギトなら当然の配慮でもあるだろう。
アギト達は今からガンマに向かい、そこにいるアクセスキー所有者を仲間にしようともくろんでいる。だが、その前に、寄れる道にあるデルタへと向かって、そこに身を置く『師匠』に協力を頼もうという算段だ。『師匠』はアギトより強い。それは、アギト自身が一番に理解している。エルドラド大陸で『最強』の名を轟かせて『アギトの名』を定着させたアギトの、数段上を行くのは間違いない。アクセスキーが手元になくとも、エラーに負ける事のない力を持った人間。そんな人間を仲間に出来れば心強いのは言うまでもない。それにアギトは、最悪『師匠』にアクセスキーを譲っても良いと思っているくらいである。
(『師匠』……、いや、『ルヴィディア』)
アギトはどこか遠く、巨大な窓の外の地平線の彼方へと視線をやっていた。




