2.向き合う世界―2
「それは……、」
数々の死線を越えてきたアギトでさえ、詰まらせる言葉が生まれた。生きていて初めて、答えが全く見出せない、ありえない状況に直面していたのだ。
相手はさながら王族の様な屹立とした態度で、至極当然かの様にアギトにふわりとした出で立ちで鋭利な視線を送って答えを待っている。だが当然、アギトは答えられない。応えられない。
そんなアギトの心中を掌握したかの如くフレミアは小さな口を開いて小さな言葉を大きな内容で漏らす。
「今、私はディヴァイドにいる」
余りにも突然放たれた意味不明な言葉。アギトは当然眉を潜めて怪訝に向かい合う事しかできない。
そして、子が親に願う様に、
「もう一つの、ディヴァイド」
語り掛け、
「ディヴァイドは確認できただけで数百の世界を持ってる」
諭すように、
「増えすぎた人間は機械に追い込まれて、」
問い質すように
「殺され始めてるの」
言い切った。
直後、いわずもがな暫しの沈黙が静寂として部屋に充満した。外には戦火の喧騒に、血鉄、肉とういう戦場らしい臭いが流れているが、この部屋は何故か神聖な雰囲気に包まれている。香りこそしないモノの、フレミアの存在を表すかの如く無臭でありながら心地よい空気が部屋に張詰めていて、緊張を自然と解いてくれている。
――この空間は――ここは戦場ではない。そう感じたアギトは一歩外に出ればそこは戦場、という事をも忘れ、黒光りする剣を腰に引っ掛けた。フリーになった両手をコートのポケットに突っ込み、落ち着かない気持ちがポケットの中で開閉を繰り返している。
「――何が言いたい?」
そしてやっと、アギトは問う。
辛辣な表情でフレミアの矮躯を見下ろす。その姿はどう見たって――絶対にない存在。電脳世界ディヴァイドでは絶対に生み出される事のない視覚的映像。絹はオーロラ、存在は薄弱。目を凝らせば、その存在が幽霊の如く僅かに透けている事が見て取れる。
そんな、眉間に寄せた皺を解かないアギトを見上げるフレミアは静かに言う。
「私がアナタに会いに来た理由、それは――、」
フレミアの空気中に溶けてしまうようなか弱い言葉の途中で、それは怒声に遮られた。
「死ね!!」
言葉は思いのほか近くから聞こえた。背後から聞こえて来た恨みの乗せられた怒声にアギトは異常なまでに研ぎ澄まされた反射神経を駆使して振り返る。と、そこには敵国の新緑色の襟詰を纏った一人の戦士の姿。剣を掲げ、アギトに切りかかるその姿。
恐らく、この廃墟にいた仲間がいない事で殺されたと知り、その犯人であろうアギトを見つけ、復讐してやろうという魂胆なのであろう。
だが、この戦争で死人はでない。ディヴァイドの戦争はイコールでデータ間のゲームでしかない。死んだらやり直せば良い、と同じで、死んだデータは戦争が終結したと同時に復活するのだ。だからきっと、この戦士の復讐心はゲームで吐き出す冗談と違わない。
アギトは当然の抵抗を見せた。声がしたその瞬間に背後のそれを敵として認識していた。だから当然しまったはずの黒光する剣は右手にある。そして振り返ったその瞬間に判断を下している。だから当然敵の剣は気圧される様に動きを逆のベクトルに向けられていた。
金属が打ち合う鋭利な音が炸裂して、敵兵の持っていた剣はその手から離れ、一瞬の間だけ宙を舞い、すぐに部屋の壁、天井に当たって床に落ちた。それとほぼ同時、黒光する刃が敵兵の右肩から食い込み、全てを抉り出すかの如く斜め下へと振り落とされる。波打つ様な音、そして直後に――消滅。
アギトの剣に斬り伏せられた敵兵の体は斜め一閃に真っ二つにされ、体をズラす。そして、その上半身となった顔を含む上体が下半身からずり落ちると同時、その身は戦死結果を書き込まれて、細胞一つ一つがバラバラに分散されるかの様に、光り輝く粒子の粒となって飛散し、空気中に溶け込むように消え去る。
「すまない。邪魔が入ったな」
まるで何事もなかったかの様に吐いて、剣を腰に戻したアギトは静かに振り返る。
「気にしていないわ。でも、長い目で見れば時間はない」
少しだけ近く感じる位置に立つフレミアは僅かに首を立てに振って返した。そして、続ける。
「アナタはアギト。この大陸最強の異名を持つ傭兵。つまり――力がある。だから、その力を頼って私はアナタにお願いしにきたの」
「お願い?」と、アギトは僅かに表情を歪めて首を傾げた。
「そう、お願い」
フレミアは言って、オーロラの様に揺らめき続ける羽衣の間から白すぎる、細すぎる腕を露出させた。その掌の上には――一つの真っ白な『柄』が置いてある。機械的デザインのそれはフレミアの小さな手には大きすぎた。長さは三○センチ程、細すぎはせず、太すぎもしない柄。刃のない刀。
何も言葉が交わされる事はないが、アギトはただ無言のままにそれをフレミアの掌から受け取って、掲げるようにして見回す。が、やはりそれは白すぎる柄でしかない。日本刀の様な鍔はないが、その細さから何故か剣より刀をイメージさせる柄。一般的に日本刀で「はばき」と称されるモノに似た様な凸は僅かに確認できるが、二ミリ程しかなく、デザイン的飾りでしかに様に思える。
確認し終えたアギトはそれをフレミアに突き出すようにして、これは? と問う。
「それは、鍵」
答えはアギトの自然な予想よりも数倍早く返ってきた。
「鍵?」
「そう、鍵。そして、これからアナタの刃になる武器」
言ったフレミアの手には、黒光する剣が握られている。どう見てもそれは、アギトが使っていたソレだ。
「なっ、」
アギトは当然驚愕して、すぐに自身の腰に視線を落す。が、やはりか、そこには黒光する剣の存在はなかった。視線を戻すと、同意の上交換したかと思う程当然の如く、フレミアはアギトの武器を握っていた。
「どうやってやったんだよ」
「それは然程重要な事じゃない」
問い返すような言葉を吐いたフレミア。その言葉の直後――フレミアの手の中で、黒光する剣は砂になってしまったかの如く、その身を削る様に小さくしながら、消え去り始めた。それは、始まれば一瞬だった。数秒もしない内でその存在を床にばら撒き、こまかな粒子が更に微細な物となって、やがては消滅した。
もう使わないのか、フレミアの手は白い羽衣の中へとしまわれる。
驚愕してフリーズしたアギトを急かすように、フレミアが告げる。
「アナタの持つそれはディヴァイドに出来たエラーを開閉する鍵――『アクセスキー』。アナタにはアクセスキーを使ってこのディヴァイドのあちこちに出来た、出来始めるエラーを閉ざしていってもらいたいの」
それは何故か? 当然アギトは問い返す。
「私よりも前に、ディヴァイドのシステム面『マトリクス』に到達した人がいたの。その人が、私と同じ力を使って機械達が管理する現実に意識を戻して、新生した」
理解し難い言葉と真実にアギトは眉を潜める。が、問い返さずにただ、フレミアの口から漏れる言葉を最後まで聞こうとしている。
「その人が何を考えているのかは分からない。私はその人――魔王のせいでマトリクスの狭間から意識を抜け出せなくなっているから。現実に意識を戻せないし、ディヴァイド内で永遠の生活をする事もできないの」
一瞬の間を空けて、過酷な事実を告げる様に、
「これから先、そう長くない内に、このディヴァイドも魔王の手で滅ぼされるかも知れない。既に滅びかけてるディヴァイドも見てきた。だから、私はそれを止めたい。このディヴァイドが滅ぶのを阻止したい。その手伝いを、アナタにお願いしたいの」
言って、フレミアはアギトの言葉を待たずしてアギトに歩み寄った。そして、アギトの手中に存在を置くアクセスキーごとアギトの右手を両手で包み込み、
「このアクセスキーは私の最高傑作。エラーを閉じるたび、きっと、アナタの力を増加させてくれる。アナタにはこれから災厄や過酷な現実と向き合ってもらう事になっちゃう。だから、私の一番のアクセスキーを託すの。だから……、」
その言葉の途中で、フレミアの体はこのディヴァイドでの『死』の様に、下の方から光の粒子となって消え始めた。
見て予測できる程に短い残りの時間をフルに使って、フレミアはアギトに告げる。




