3.永久の名を謳う規律―16
アヤナは顔を腕で庇って視界を塞いでいた。それをゆっくりと持ち上げるようにどかすと――そこに、アギトの姿があった。巨大な純白の盾で降りかかってきたバケモノの拳を受止め、体勢を崩しながらも踏ん張り、全身に走る激痛に耐えている姿が見えた。
「くっ……、」
ズブリ、とアギトの身体が圧され、沈む。強く圧されるアギトはその力に耐えられそうにない。膝を折り、地に鮮血の跡を拭ってなお粘る。
「アギト!」
「早くこっから出ろ! お前には重過ぎるってんだ!」
アギトは糸切り歯を剥き出しにして食いしばり、既に残っていないであろう力を振り絞ってバケモノの拳を押し返した。よろけはしないが、バケモノはそこで一旦手を引いた。その間にアギトはアクセスキーを振るって節剣の形へと戻す。して、向き合う。視線の先は当然バケモノと、である。アヤナには振り返りもせず、アギトは神妙な口調で云う。
「早く逃げろ。フレギオールを追わなくてもいい。とにかくこの場から離れてくれ」
アヤナは云われて、頷く。頷いた後、アギトの手に握られるアクセスキーを見る。そんな暇すらなかったのだが、アヤナはまだ、アギトのアクセスキーのその力を知らない。何故、あの様な形を取っているのか気になってしかたがなかった。だが、
「早くしろ!」
急かされて、アヤナは再度頷いて来た通路を戻った。
何の話しすら出来ないまま進み、アヤナは振り返る事すら出来なかった。
話しに来たのに、安否を確認しに来たのに、――助けに来たのに。建物を出たところでアヤナは立ち止まった。振り返り、建物の側面、窓の並ぶ壁を見上げる。と、その視線の先が吹き飛んだ。中で爆発でもあったかの如く吹き飛び、コンクリート片をばら撒いた。それは想像以上に飛び、アヤナに降りかかるのは細かな破片のみである。その破片を僅かに受けながら、アヤナは次に入り口へと視線を戻した。
細い通路を反響し、轟音がアヤナの下にまで届いてくる。その余りの音量にアヤナは僅かに身体を震わせた。
轟音は連続して響いてくる。伝わってくる。中の恐ろしい光景が。
「アギト……、」
轟く、震える。空気が振動し、アヤナの恐怖を煽る。だが、アヤナの心は引きずられている。建物の中に、アヤナの集中は集まっている。足が、動かない。逃げろ、そう云われはしたが、どうしても動かない。逃げるという選択肢が脳裏からフェードアウトするように消えていく。
「ッ、」
アヤナは、走り出した。当然、向かう先は――、
(どうする……ッ!!)
アギトの意識は未だ、一応ながらに明瞭だ。鮮血を流した量は思ったよりも少なく、激痛によって意識は逆に奮い立たされていた。
頭上のバケモノから恐ろしい数の攻撃。それをアギトは転がるようにしてバケモノの右へと出て交わし、距離を取った。そこで、節剣を伸ばす。だが、それはバケモノの振り向き様の腕の振るいで容易く弾かれてしまう。
(どうしろってんだ!)
バケモノは誇れる程の巨躯を持ちながら、その動きは俊敏だ。アギトの攻撃が間に合わない程に。それに、これほど巨大であると攻撃を当てるとなると接近しなければならない。だが、接近するには攻撃が荒すぎる。猛攻は壁となり、アギトの接近を阻む。
「流石、特別製のエラーだなッ!!」
降りかかる攻撃を後ろに跳んで避けてアギトは吐き出した。だが、体力を消耗し、深刻なダメージを追ったアギトの跳躍は望む程にはならなかった。そこに、バケモノの廻し蹴りが横から叩き込まれる。
「が、」
短い悲鳴は衝突音で掻き消される。アギトの身体は真横に吹き飛び、建物の一番奥まで飛ばされる。その先には、巨大なエラーが。
(マズイ!)
エラーに呑まれる。アギトは背後にその気配を感じながらそう危機を覚えた。
だが、アギトの身体はその直前で受止められた。勢いを殺され、背後にやたら小さな存在を感じたアギトは静かに地に着地した。
静かに振り向くと、そこには巨大な純白の鎌を背負ったアヤナの姿があった。戻って、きてしまったのだ。
「何で戻って来たんだよ……」
アギトが出ない声を振り絞って言うと、背後でアギトを支えるアヤナは震える声で言った。
「アンタが死んだらアタシはまた、箱入りなのよ!」
ただ、それだけ言った。吐き出すように言った言葉は真意であり、真意でない。だが、アギトにはしっかりと伝わった。それだけは、間違いない。アヤナの前で首だけで振り返っているアギトが僅かに口角を吊り上げ微笑んだからだ。アヤナもそれには気付く。
何故かその真っ白な頬を赤らめたアヤナはアギトの背中を押して自立させ、そっぽを向いて吐き捨てる様に言う。
「アンタでも倒せないなら、助けが必要でしょ。さっさと倒すわよ!」
言葉にアギトも頷く。して、
「そうだな。流石に手伝ってもらうとしよう。……だが、」
言って、アギトは即座に振り返り、アヤナを抱き抱えた。
「へっ!? 何? 何よ!?」
だが、説明するよりも前にアギトは跳びあがった。すると、その場にバケモノの攻撃が振り落ちてくる。それも数え切れない程の、だ。
跳んだアギトは壁を蹴り、バケモノの背後から数メートル離れた位置で着地してアヤナを下ろした。
「足手まといにはなるな。戦い方はこれが終わってからでも教え込んでやる」
「……うん」
素直に頷くアヤナは飼い主に餌を貰う小動物のようで大変可愛らしかったが、アギトはすぐに視線を上げた。向かう先はアヤナの頭上を越えてその先のバケモノ。
「来るぞ」
アギトは静かに言い放ち、右へと駆け出した。続いて、ワンテンポ遅れてからアヤナは左に駆け出す。
アヤナはその身自体に戦闘力を持たない。持っていない。だが、それなりに戦える程にそのアクセスキーは強力である。何故か生物的眼球を持つその巨大な鎌は驚異的な破壊力を持っている。それは、アギトのアクセスキー『マルチウェポン』の中にあるどの武器よりもバランスの取れた破壊力だ。斧よりも俊敏に振り回す事が出来、それ同等の破壊力がある。刀よりも破壊力があり、それ同等の速度で振り回せる。それにアヤナは小柄で、自重の感じさせないその身体はデフォルトの状態でもそれなりの機敏な動きを見せる。
バケモノの視界の右に出たアヤナは鎌を片手にぶら下げたまま、疾駆する。それを追う様にバケモノの右腕が数多の攻撃となって降り注ぐ、が、アヤナの動きは素晴らしかった。本人は攻撃を避ける事に必死で、そんな事を考える余裕はないのだが、その必死さが上手くいった。アヤナの走った後を拳が打ち付ける。剥き出しのコンクリートを叩く音はアヤナの背後から恐怖となって彼女を煽り続けていた。
(怖い、怖すぎるわよっ!)
涙目になりながら走ったアヤナはバケモノの背後に到達した。その時、全く逆の箇所で同じ経過を辿ったアギトも背後へと到達する。アヤナを追っていたバケモノはその視線をなぞる様にして振り返り、振り向く。が、その前にアヤナが攻撃をかました。足を止めるのを軸として走る勢いを利用して、アヤナは振り向き様に遠心力を乗せた一撃をバケモノの足元へとかます。その間にアギトは跳び上がり、アクセスキーを振るった。
攻撃をアヤナに任せ、自身は防御に徹するとしたのだ。
振るわれたアクセスキーは柄の状態に戻り――伸びた。二倍程に伸びたそれをアギトは両手で掴み――割る。と、アギトの両手に柄状のアクセスキーが二つ。それぞれから刃が伸び――刀の形を取る。
二刀流だ。単純に攻撃の手を増やした、無数の攻撃を受けるには丁度良い形である。
気付いたバケモノはその攻撃を眼下近くにいたアギトへと集中する。
その隙に、俊敏で破壊力のあるアヤナの攻撃がバケモノの足首へと届く。




