2.向き合う世界―13
アギトも疲労困憊しているのだ。一日をフルに使って中央塔、隣国へと移動したのだ。当然ながら疲労は身体に蓄積する。痛みが人間の危険を伝える信号だと言うようで、電脳世界ディヴァイドにその存在を置いても疲れ、痛みはその存在に信号として送られる。
「……なんでこんな廃れてるのよ……」
アヤナもとっくに限界を向かえ、疲労に打ちひしがれている。
目の前には歓楽街、だが、そこに寝泊り出来るような場所は見当たらない。とは言っても、元は廓、歓楽街、廃墟の中でも睡眠、休息を取る事が出来る場所もあるだろう。が、それは野宿同様。アヤナと言う女子がこの場にいる。女の子連れて野宿は流石のアギトでも抵抗があるのかもしれない。
いや、ないのだが。
「もう、ここらの建物に適当に入ってみっか」
「うぇ!? こんな廃墟でっ!? 嫌よ! 絶対嫌!」
「…………、」
顔を真っ赤にして必死に否定するアヤナにアギトの呆れた眼差しが降りかかる。
アギトはアヤナを未だ『女』として見ていない。なんでこんな我儘を言うのか、程度の事しかアギトの中にはないのだろう。そして、やれやれと吐き出して、思案。
(体力もあんまねぇしな……。ベータの状勢を把握してるわけじゃねぇしよ……。どっちに向かうかって事もまず考えなきゃならんしな)
うーん、と唸る。アギトの思案する姿を隣で見上げるアヤナ。自身も何か力に慣れれば、そうは思うのだが、疲労蓄積したアヤナは思考を巡らせる事が難しかった。
頭を振って意識を覚醒させようとするアヤナだが、結果は即座に現れやしない。
と、二人が必死に考えている時だった。
「……困ってるのかな?」
アギト達の背後から小さな声。
「ん?」
その少女の様な声に反応してアギトとアヤナは静かに振り返る、とそこには小さな少女の影。
アヤナと同等の身長、だが、見てその幼さは把握出来る。アギトが思うに彼女の年齢は一○歳程度、容姿はそのまま小学生であり、横一線に切り揃えられた前髪から覗く大きな目が特徴的な日本人形の様な女の子であった。アヤナが白であれば、彼女は黒といえよう。とにかくその黒い髪に瞳が印象的だった。服装はボロボロの布切れみたいなモノであるが、そこには何故か活力を感じさせる。こんな状況でも、生きているのだ、と言わんばかりのだ。
そんな少女はアギトを見上げ、アヤナと視線を合わせて、と視線を右往左往させて、アギトに焦点を合わせた後、小さな言葉を紡ぐ。
「あの、私、ベータの、内戦の、生き残りで……、」
その途切れ途切れの言葉は疲労蓄積したアギトには聞き取り辛いらしい。アギトは珍しく少女に視線を合わせるように膝を折って、耳を傾ける。ほれ、早く言え、そう脅している様にも見えてしまうのはアギトの無頓着っぷりが原因となっているかもしれない。いや、そうだ。
そんなアギトの表情に関心がないのか、少女は必死にアギトの耳に近づいて物切れの言葉を吐く。
「ミライ、と、言います。えと、あの、もし、困ってるのなら……、」
言い終えるよりも前に、アヤナが飛び出してきた。アギトを押し退けるようにして前へと出てきたアヤナは、アギトの訝しげな表情をも無視して、ミライの前で向き合い、両手を祈るようにして取った。そして、目をキラキラと輝かせながら、縋るような声で、
「こ、こ困ってますっ! お願いですから宿をっ、宿をおぉおおおおおおお!!」
泣き出した。
(何故泣いている!?)
眼下で泣きじゃくるアヤナを困惑した顔で、また、何か恐ろしいモノを見下ろす様な表情で見下ろしながら、アギトは一歩身を引いた。彼の視線がある事も忘れてアヤナは泣きじゃくり、嗚咽を漏らしながらミライの手を握って懇願している。ある種の恐ろしい光景であった。
「うぇ、あ、あはははは……。や、宿くらいなら、……大丈夫、だと、思う……」
目の前、それも数センチの位置で表情をグシャグシャに歪めながらひたすらに「宿宿宿宿宿宿宿宿宿宿」と吐き出し続けるアヤナの形相に困惑しながらもミライはなんとかそう言って応える。
そんな二人を一歩引いた場所から見下ろす。
(まぁ、それだけアヤナも疲れてたって事、だな……。まぁ、それでも泣きじゃくる理由は見あたらねぇけどよ)
嘆息。
かくしてアギト達はベータ住民であるミライの案内の元、宿へと向かうのだった。
して、ミライに案内されたアギト達は首都から離れたとある田舎町の繁華街(呼ぶには億劫になりそうな)に来ていた。そこはあの寂れた首都とは違い、人間の影があり、商売の臭いもした。真っ直ぐ一本通る道の脇に連なる様に店が建ち並んでいる。その一角に、宿があった。
「ここ、くらいしか、今はないかも……」
ミライは宿の前へと来て申し訳なさそうに俯いて言う。何故謝罪する様な言葉なのか理解できないアギトは首を傾げつつ、その宿を見上げる。隣のアヤナもアギトに釣られて視線を宿へと投げる。
「…………、」
アヤナは押し黙ってただ、宿を見上げている。箱入り娘には辛い現実だったのかもしれない。
二人の目の前には民家らしき『宿』が一つ。万屋と鍛冶屋に挟まれてその僅かな隙間を埋めるように建っている。アギトこそ言わないが、外見は凄まじい。廃墟とは言わずとも、その一歩手前ではあると断言できる。
「ごめんください」
「うぇ! ちょ、ア、アギト! まっ、待って、待ってくださいっ!!」
アヤナが抵抗すると知ってか、アギトは静かにその宿へと向かったのだが、そこはやはりアヤナに止められた。止められてしまった。黒いロングコートの裾を引っ張って無理矢理に止めるアヤナは余程抵抗があると見える。
「なんだよ?」
不満げにアギトは首だけで振り返って、アヤナを見下ろす。
「いや、あの、その、」
そこにはげんなりした様子でうな垂れるアヤナの姿。感情の起伏が激しいヤツだな、と思いつつアギトは察してやる。視線を戻して宿を見上げながら、
「……ここじゃ不満だってか?」
背後で首肯の気配。言葉の返事こそないが、アギトは気配の様な何か、第六感等でそれを察する。
(我儘娘め……)
アヤナは内の気持ちが表面上に分かりやすく顕れてしまう。そのせいでアヤナの心中が手に取る様に分かってしまうアギトには、どうにも抑えがたい衝動が込み上げてくる。それが、父性。かもしれない。正確に言えばそれに良く似た何かであるが、恋人の様な視線よりは、親と子の様な視線で見えている様に思えた。少なくとも、今は、だが。
アギトは二人のやりとりと宿の玄関口の隙間から覗く主の視線にオドオドしているミライへと向き直って、
「すまないな、ミライ。この我儘娘はここがヤダと言う。何か他の案はあるか? いや、なんだ、俺は一向に構わないのだが」
前言撤回。アギトに父性などなかった。
わざと嘲る様に言って見せたアギトはニヤリと不敵に笑んでアヤナに一瞥くれる。
その視線に気付いたアヤナは突如としてむくれっ面になり、顔を真っ赤に染め上げてプルプルと身を震わせ始めた。羞恥心で一杯なのだろう。
プンスカ目に見えて怒りを見せるアヤナは「べつに!」叫んで、
「大丈夫だし、このくらい慣れてるし」
なんて強がりを言いながらアギトを押しのけ、宿と向かい合う。そして、前進。




