2.向き合う世界―8
「……、なんだと?」
クライムの言葉にアギトの表情は怪訝なモノへと変わる。その言葉には多くの意味が含まれ過ぎていた。フレミアと接触していた、という事は、アクセスキーを手渡されるチャンスがあったかもしれない。それに、エラーが世界を侵食するという危機を予期できていても可笑しくはない。――だが、現状はそれを感じさせない。エラーはディヴァイドを侵食しているし、アクセスキーの所持者はアギト以外に確認できていない。
静謐だった空間に疑いという喧騒が蔓延る。
と、クライムの機微な表情が僅かに動いた様な気がした。
『勘繰る事はよしてくれ。説明はしよう』
クライム、そして一応プライドもそうなのか、ヴェラの意向に従う気があるのだろう。
『単純で……愚かな事実だ。私達は先程言った通り、フレミアが死んでしまった理由を知らない。……だから、フレミアが我々元老院の前に現れたその時も、我々は……馬鹿な事をしてしまった……のだ。フレミアを捕らえ、データ解析をしようとした。……だが、』
クライムはそこで言葉を一瞬詰まらせて、ヴェラに何か意味を載せた視線を送って何らかの確認を取り、戻して、
『フレミアは我々の手中に既にいないのか、全てのセキュリティに強制信号をも無視して、その場かさ去ってしまったのだ。……異常に興味を持ち、フレミアの話しに耳を傾けなかった我々のミスであるのは否めない』
「…………、」
アギトは聞いて、人間らしいな、とは思った。
電脳世界ディヴァイドにいる人間はその全てがデータだ。アバターと言っても間違いではない。そこに人間らしさがあるかどうか、と問えば素直に頷く事が出来ない人間がいるのもまた事実。食事を取り、会話を楽しむ知性があるとは言っても、そこは永遠にクオリアとして処理されてしまう。もしかすると、今対峙している相手はただのデータ――NPCなのではないか、なんて疑いも浮上する。
そんな世界の中で、人間らしさを感じ取れるというのは喜ばしい事である。それが元老院なんて未知の相手ならば尚更だ。ただ、機械に動かされているだけではないのだ、という安堵も生まれる。
人類は愚かだ。空白を埋めたいという意欲、知識欲に支配され、時には理性を失ってまで答えを欲する。
「……その時、アクセスキーの話しは?」
それにはヴェラが応えた。
『してないわ。……恐らく、私達が早々に仕掛けたのがまずかったのね。だから、アクセスキーの話しに到達しなかったと考えているわ』
「じゃあ、なんで、アクセスキーについて……?」
『それは、』
ヴェラが言いかけたところで、それを遮るかの如く、
『なりませんぞ!!』
プライドの理解不能の怒声が響き、この空間に反響した。直後、ヴェラの嘆息が静かに響いて、アギトに伝染する。嘆息の後、アギトが厳つい表情を上げて、鋭利な視線を遥か遠くに位置するプライドに突き刺す。
「うっせんだよ、ハゲ。折角音声調整で最高官のねぇちゃんの声まで聞こえてんだ。静かに喋る頭の良さくらいは持ち合わせてくんねぇと……叩き斬るぞ」
挑発する。さすれば当然プライドが声を上げようとするのだが……、
「彼の言う通りよ、プライド。黙らないなら彼だけでなくアタシもアンタを斬り伏せる」
アギトの遥か後方から声。その音声は拡声されず、ただ、静かに間を詰め、この部屋に広がった。元老院三人の視線は既にそちらへと投げられている。それからワンテンポ遅れて、アギトがゆっくりと振り返る。
アギトも使った、この部屋に入ることの出来る唯一の入り口。そこから、真っ直ぐアギトに向かって歩み寄ってくる小さな影がある。白く、小さい、影。一目見て女性だと思う。
「…………、」
アギトはただ見据え、その影を拒みも受け入れもしない。
肢体を白いフーディローブで包み込んだその影。表情は目先まで深く被られたフードによって伺えない。声とその矮躯からなんとなく女性、と察する事が出来る。
『ぐぬっ……、』
その白い影の嘲るような言葉にプライドは押し黙る。
(このチンチクリン。元老院より権力があるってか……?)
先程、ヴェラが元老院内の権力の話しをした。右席に位置するプライドは今あの壇上にいる三人の中では最下位という事になる。もしかしたら、その間にまた立場があるのかもしれない。そう、アギトが思った時、
「アンタが巷で噂のエラーを閉じて周ってるアクセスキー所持者ね?」
白い影はずいとアギトの目前にまで迫ってきた。そして、その手に――真っ白で、巨大な鎌を携えて。
(ンなモンどこから出しやがった……ッ!?)
純白に輝く巨大な鎌はどうみても、柄だけで白い影の身長を越えている。刃に至っても同様だ。刃と柄のつなぎ目には、生物っぽさを窺わせる巨大な紫色に淀む目が付いていて、ギョロリと蠢いている。
――と、そこで、動きがあった。
下から斜めに斬り上げる一閃。その矮躯でどうすればそんな巨大なモノを容易く触れるのか、という考えが脳裏を過ぎるよりも前に、それは斬り上げられた。
「ッ!!」
だが、アギトもそんな不意打ち一つでやられる程やわな鍛え方はしていない。傭兵として毎日戦場にでる日々もあったくらいだ。斬り上げの動作が始まった瞬間にはそれを察知し、後ろに飛びのいて避けていた。――が、その刃の大きさを見損ねたか、アギトの黒いロングコートの胸部が僅かに攻撃を拾ってしまい、裂けた。
「何しやがる……?」
バックステップで距離を取って更に一歩下がったアギトは腰のベルトから柄の状態にあるアクセスキーを右手に引き抜く。そして、振るう。刃を出現させて、刀の形状へと進化させる。
怪訝な表情を浮かべて睨むアギトとその白い影の距離は五メートル弱。白い影は余裕を見せ付けるかの如くその純白に染まった生き物らしさが不気味な巨大な鎌を肩に掛けて、フードの下から僅かに露出する口元に嫌な笑みを貼り付けて笑う。
「アハハハハハハハ! それが噂のアクセスキー? 簡単に折れそうなくらい細いわねぇ」
「言っとけ、お前のそのデカブツよりは幾分かマシなのは間違いない」
「アタシと向き合ってそんな事言えるなんてね……。良いわ。その実力見せて貰うわよ」
「…………、」
突然襲われて、何がどうなっているのかと理解の出来ないアギトは向かってくる相手を蹴散らす他を選べない。一応、と元老院達の言葉を待ってはみるモノの、元老院達もアギトの実力を測っておきたいのか、何も言わずにいる。




