婚約破棄された考古学者令嬢、封印された王墓で眠る王に溺愛されて目覚めました
「君のような地味な女は、もう要らない」
クラウスの言葉が、学会のホール中に響き渡った。
周囲の視線が私に突き刺さる。憐れみ、嘲笑、そして——ほんの少しの優越感を滲ませた眼差し。
三年だ。
三年間、私はこの人のために尽くしてきた。彼の論文の資料を集め、発表原稿を推敲し、社交界での立ち振る舞いまで支えてきた。「君がいないと駄目なんだ」——そう囁いてくれた夜は、嘘だったというの?
「……理由を、聞いてもいいかしら」
声が震えていないことだけが、今の私の誇りだった。
「理由?」クラウスは完璧に整えられた金髪をかき上げ、薄く笑う。「君には華がない。学者としても、女としてもね。僕の隣に立つには——ふさわしくないんだよ」
(ああ、そう)
不思議と、涙は出なかった。
ただ、胸の奥で何かが音を立てて崩れていく。三年分の献身が、砂の城のように崩壊していく感覚。
「分かったわ」
私は眼鏡の位置を直し、背筋を伸ばした。
「では、明日から王墓調査に志願します」
クラウスの顔から笑みが消えた。周囲がざわめく。
「……正気か? あの禁忌の王墓だぞ。入った者は誰も戻ってこないと——」
「ええ、だから誰も行きたがらないのでしょう?」
私は初めて、彼の目を真っ直ぐに見た。
「ご心配なく。地味で華のない私には、お似合いの場所ですわ」
踵を返す。背中にクラウスの何か言いたげな気配を感じたが、振り返らなかった。
(もう、どうでもいい)
誰も帰らない王墓。禁忌の封印。呪われた古代王の伝説。
上等だ。
どうせ壊れた心なら、せめて——学者として、真実の前で散りたい。
三日後、私は王墓の前に立っていた。
「先輩いいいいい!! 生きてた——じゃなくて、本当に行くんですか!?」
赤毛を振り乱したミリアが、私の腕を掴んで叫ぶ。
「あんなキザ野郎に何言われたって、死にに行くことないでしょう!」
「死にに行くんじゃないわ」
私は苔むした石の扉を見上げた。古代文字が刻まれた封印。千年の時を経てなお、不思議な力を放っている。
「真実を、見つけに行くの」
「でも——」
「ミリア」
私は後輩の手を取り、微笑んだ。
「これが私の選んだ道よ。帰ってきたら、たくさん話を聞かせてあげる」
(帰れたら、だけど)
その言葉は、飲み込んだ。
封印の扉に手を触れる。冷たい石の感触。そして——
光。
眩い金色の光が溢れ出し、私の身体を包み込む。
「先輩!!」
ミリアの悲鳴が遠のいていく。
意識が薄れる直前、私は確かに聞いた。
誰かの——声を。
『待っていた。ずっと、ずっと——』
目を開けると、そこは王墓の最深部だった。
壁一面に描かれた壁画。古代の財宝。そして——中央に鎮座する、白亜の棺。
「これは……」
学者としての本能が、疲れ果てた心を叩き起こす。
(すごい。こんな保存状態の壁画、見たことがない)
私は無意識に棺へと近づいていた。腰のブラシとルーペを取り出し、棺の表面を調べる。
刻まれた古代文字。これは——
『千年の後、花嫁が訪れる時、王は目覚める』
「花嫁……?」
——その時。
棺の蓋が、音もなく動いた。
「ひっ……!」
私は後ずさる。心臓が狂ったように跳ねている。
中から現れたのは——
銀白色の長髪。深い紫紺の瞳。神々しいまでの、絶世の美貌。
人間ではありえない。そう確信するほどの、完璧な造形。
古代の王衣を纏ったその男は、ゆっくりと身を起こし——私を見た。
「……ようやく来てくれたな」
低く、甘く、脳を痺れさせるような声。
「我が花嫁よ」
「は、はい?」
「千年待った」
男は棺から降り立ち、私に近づいてくる。長い指が、私の頬に触れた。
「リーシャ。いや——今はリーゼか」
(なぜ、私の名前を)
「あの、すみません、何かの間違いでは——」
「間違いなどない」
男は——否、古代王は、狂おしいほどの熱を瞳に宿して囁いた。
「お前は我が妻だ。千年前も、今も、これからも——ずっと」
その瞬間、私の脳裏に閃いたのは。
見知らぬ神殿。燃え盛る炎。そして、この男を庇って——
『次の生では、必ず迎えに行く』
「——っ」
頭が、割れるように痛い。
「無理をするな。記憶は徐々に戻る」
古代王は私を抱き留め、額に唇を落とした。
「今はただ、我が腕の中で休め。リーゼ」
「……あの」
「なんだ」
「まず、お名前を聞いてもいいですか……資料として」
沈黙。
古代王は一瞬きょとんとした顔をして——それから、声を上げて笑った。
「変わらぬな、お前は」
銀髪が揺れる。紫紺の瞳が、月のように優しく細められた。
「アルヴィス・ソル・エターナリス。お前の夫の名だ。忘れるなよ?」
(夫って言った? 今、夫って——)
混乱する私の耳元で、古代王は——アルヴィスは囁いた。
「今度こそ、お前を離さない」
その声には、千年分の孤独と、狂おしいほどの執着が滲んでいた。
——こうして私、リーゼ・フォン・ヴェルデンベルクは。
婚約破棄された翌週に、古代王の「妻」にされたのだった。
説明を、求めてもいいですか……?
◇ ◇ ◇
目覚めると、絶世の美貌が間近にあった。
「うわあっ!」
「……起きたか」
反射的に飛び退いた私を、アルヴィスは紫紺の瞳でじっと見つめている。
「な、なんで私の寝顔を……」
「千年ぶりに見るお前の寝顔だ。見ない理由がない」
(この人、本気で言ってる……)
「とにかく!」私は手を振り、立ち上がった。「まずは状況を整理させてください。ここがどこで、どうやって出るのか、そしてあなたが本当に千年前の王なのか——」
「疑っているのか?」
「学者ですから。仮説には検証が必要です」
私がそう言うと、アルヴィスはふっと笑った。
「変わらぬな。リーシャ——いや、リーゼも」
彼は壁画を指差した。そこには——銀髪の若き王と、亜麻色の髪の巫女が描かれている。
「身分違いの恋だった。お前は神殿の巫女、我は王。誰もが反対した」
アルヴィスの声が、低く沈む。
「お前は我を守るために——命を絶った」
壁画の一点を示された。自らの胸に短剣を突き立てる、巫女の姿。
「っ——」
息が詰まる。
脳裏に、声が響いた。聞いたことのない——でも、確かに「私」の声。
『私が死ねば、呪いは解ける。王よ、どうか生きて』
「我は——止められなかった」
彼の声が、苦しげに歪む。
「だから、この封印を受け入れた。『千年後、魂の片割れが訪れた時に目覚める』という呪いと共に」
千年。
たった一人で、暗闘の中で、ずっと——
「……私は、今ここにいます」
言葉が、自然と口をついて出た。
「前世のことは、まだよく分かりません。でも——今の私は、生きています。あなたの隣に、いるじゃないですか」
アルヴィスが、ゆっくりと私を見た。
紫紺の瞳に、涙が滲んでいた。
「……リーゼ」
「泣いて、いいんですよ」
「お前の前で、みっともない姿を——」
「みっともなくないです」
私は、そっと彼の頬に触れた。
「愛した人のために泣けるのは、素敵なことですよ」
◇ ◇ ◇
一週間後——王立考古学院の大講堂。
「つまり、通説は全て間違っているということですか」
私の発表に、会場が静まり返った。
隣に立つアルヴィスが、流暢な古代語を現代語に織り交ぜて補足する。
「滅んだのではない。我々は、封印を選んだのだ」
聴衆がざわめく中、一人の男が立ち上がった。
「興味深い発表だ、リーゼ」
金髪碧眼の「元婚約者」——クラウス・フォン・シュタインベルク。
「しかし、仮説に過ぎないのではないかな? 君の——思い込みという可能性もある」
答えに詰まった私の前に、アルヴィスが進み出た。
「我が検証した。古代語の専門家として——そして、千年前の当事者としてな」
「……当事者?」
「理解できぬか? 我はアルヴィス・ソル・エターナリス。古代エターナリス王朝の王だ」
会場が凍りついた。クラウスが嘲笑う。
「馬鹿げている! 古代の王だと?」
「馬鹿げているのはお前の頭だ」
アルヴィスは淡々と言った。
「お前のような小物には、真実を見る目がない。だからリーゼの価値も分からなかった」
「なっ……!」
「セルジオ院長」アルヴィスは最前列の老紳士に視線を向けた。「我の言葉を、検証していただけるか?」
白髪の老学者が立ち上がる。
「古代エターナリス語で、王家の祝詞を詠んでみなさい」
アルヴィスが詠み始めた瞬間——空気が変わった。
荘厳な響き。完璧な発音。言葉に宿る、圧倒的な「力」。
壁に掛けられた古代文字のパネルが、一瞬——光を放った。
「……本物だ」
セルジオ院長が、感嘆の息を漏らした。
「歴史は、真実を愛する者の味方だ。そして今——真実が、ここにある」
歓声が上がる。学会が揺れる。
茫然と立ち尽くす私の手を、アルヴィスが握った。
「よくやった、リーゼ」
「……あなたが、全部やったじゃないですか」
「我はきっかけを作っただけだ」
彼は私の顔を覗き込んだ。
「お前は、自分を過小評価しすぎる」
「えっ」
「お前の価値は、お前が決めることではない。我が決める。お前は——世界で最も価値ある存在だ」
「……それは、贔屓目です」
「贔屓目で何が悪い。妻を贔屓しない夫がいるか」
「だから、まだ妻とは——」
「認めていないのは知っている」
アルヴィスは、ふっと笑った。
「だが、待つのは得意だ。千年待ったのだからな」
——その様子を、クラウスは歯噛みしながら見ていた。
(あの地味女が……!)
青い瞳に、醜い欲望が宿る。
「認めるものか。あの女の栄光は、本来僕のものだ——」
◇ ◇ ◇
数日後、私はある事実を知った。
クラウスが——三年間、私の研究を盗用していたこと。
「君の研究を僕の名前で発表していたのがバレたんだ」
王墓の入口で、炎を背に立つクラウスが嗤う。その手には起爆装置。
「王墓を吹き飛ばす。そうすれば古代王も消える——お前も、終わりだ」
「……三年間、ずっと」
私の声が震えた。怒りではない。虚しさだった。
「君は便利だったんだ。研究の才能はあるが、発表は苦手。僕の名前で出せば誰も疑わない」
「もういい」
アルヴィスが、私の前に出た。
「小物の言い訳は聞き飽きた」
「来るな! 動いたら王墓を吹き飛ばすぞ!」
「……分かったわ」
私は立ち止まった。そして——
「ミリア」
「はい、先輩」
「今よ」
赤毛の影が飛び出した。
「うらああああ!」
ミリアの飛び蹴りが、クラウスの手から起爆装置を弾き飛ばす。
「先輩の邪魔すんなキザ野郎!」
私は起爆装置を拾い上げた。
「解除方法は……アルヴィス、この古代文字——」
「『封印を解くは、契りの血』——魂の繋がりを持つ者の血を混ぜるのだ」
躊躇わず、私は指先を切った。アルヴィスも同じように。
二人の血が混ざり合った瞬間——光が溢れ出した。
光の中に、映像が浮かぶ。千年前の封印の儀式。老神官の声。
『千年後、魂の片割れが訪れた時——二人の血が混ざり合えば、呪いは解けます』
『待っている。千年でも、万年でも——お前と再び出会えるなら』
若き王の声が、消えていく。
光が収まった時——アルヴィスの左胸から、薔薇の紋章が消えていた。
「呪いが……解けた」
「ああ。お前のおかげだ」
彼は私を見た。
「もう封印に縛られない。お前と共に——どこへでも行ける」
涙が溢れた。
その時、私の中で——全ての記憶が蘇った。
千年前の神殿。燃える炎。愛する人を守るために命を絶った、あの瞬間。
『次の生では、必ず会いましょう』
「……私、やっと思い出した」
「リーゼ……」
「待ってたの。ずっと——あなたを」
「やっとだ……やっと……」
アルヴィスが私を抱きしめた。
「千年待った。お前が我を思い出してくれるのを」
「ごめんなさい。遅くなって」
「謝るな。お前が生きて、ここにいる。それだけで——」
「アルヴィス」
「なんだ」
「……私も、愛してる」
彼が息を呑む気配がした。
「もう一度、言ってくれ」
「愛してる」
「もう一度」
「何回言わせるんですか」
「千年分だ」
私は笑った。泣きながら、笑った。
「——愛してる。永遠に」
◇ ◇ ◇
三ヶ月後——
「古代エターナリス王墓が、正式に世界遺産に登録されました」
学会の大講堂が、拍手に包まれた。
そして——クラウス・フォン・シュタインベルクは、研究データ改ざんと遺跡破壊未遂により、学会から永久追放された。
「因果応報ってやつですね」
ミリアがにやりと笑う。
「ざまぁ、ですよ先輩」
「……そうね」
不思議と、復讐心は湧かなかった。ただ——やっと終わった、という安堵だけ。
「リーゼ」
アルヴィスが、私の隣に立った。ネクタイをちゃんと結んだスーツ姿。
「そろそろ行かないか」
「どこに?」
「見せたいものがある」
辿り着いたのは、小さな宝石店だった。
アルヴィスが戻ってきた時、その手には——小さな箱。
「リーゼ」
彼は片膝をついた。
「千年前、我はお前に何も渡せなかった。だから今、改めて——」
箱が開く。星のように輝く指輪。
「我の妻になってくれ」
周囲から歓声が上がる。
私は深呼吸した。
「……私、地味だし、華がないし」
「知っている」
「研究のことになると周りが見えなくなるし」
「それがどうした」
「本当に、私でいいの?」
「お前以外は要らぬ」
アルヴィスは、真っ直ぐに私を見上げた。
「千年前も、今も、これからも。我が愛するのは、お前だけだ」
涙が溢れた。
「……はい」
「何だと?」
「はい、って言ったの! 喜んで、あなたの妻になります!」
アルヴィスの顔が輝いた。立ち上がり、私を抱きしめ——唇が重なった。
周囲から拍手と歓声。
「愛している、リーゼ」
「……私も」
「もっと大きな声で」
「愛してる、アルヴィス」
「うむ」
満足そうに笑う彼に、私も笑い返した。
——こうして、地味な考古学者令嬢と古代王の物語は、幕を閉じた。
千年の時を超えた愛。失われた記憶。そして——再び出会えた奇跡。
「今度こそ、永遠に」
夕暮れの街で、二人は手を繋いで歩いていく。
『次こそは、お前を離さない』——その約束は、ようやく果たされた。
【完】




