5、サマーホリデー
(1)7月21日
今日は終業式、明日から夏休みということもあったのか、教室の雰囲気は前夜祭気分だった。
旅行やアウトドア、コミックマーケット、盆踊り大会など、夏休みはイベントが盛りだくさん。
ある人は家族と一緒にイタリアへ行くとはしゃいでみたり、また別の人は親に買ってもらったゴルフクラブで練習場デビューと言ってみたり、都内の島へ行ってスキューバデビューすると張り切っている人がいる一方、北陸の巨大地震で家と家族を失い、墓参りをする人もいれば、家がお店のため手伝いをさせられて、どこにも行けないと嘆いている人もいた。
ホームルームが始まって、担任の先生から通知表を受け取って、喜ぶ人もいれば、ムンクの叫びになって落ち込む人もいた。
「これ見せたら、間違いなく叱られる」
笛花は教室の自分の席で絶望的になっていた。その顔の表情は、まるで地球の最後の日を迎えたような状態になっていた。
「笛花、一緒に帰ろう」
「うん……」
「どうしたの?」
「私、通知表の成績よくなかった……」
「ちょっと見せて」
クラスメイトの早乙女ゆかりは笛花の通知表を取り上げて、しばらく眺めていた。
「私よりいいじゃん。それで悪い成績と言ったら私の成績なんか、どん底もいいところだよ」
「そうなの?」
「なら、私の通知表を見る?」
そう言って、自分の通知表を笛花に見せた。
「評価はともかく、通信欄には結構いいことを書いてあるじゃん。私なんか悪口だらけだよ」
「愚痴をこぼしても始まらないから、家に帰ろうか」
教室を見渡すと、みんなは帰ってしまい、笛花とゆかりだけになっていた。
帰り道、通学路を歩いていたら、朝顔のつぼみが出ているのを見かけた。「もう、こんな季節か」と笛花は独り言のように呟きながら、スマホを取り出して写真を撮っていた。
「笛花、写真なんか撮ってどうしたの?」
「SNSに乗せようかなって思ったの」
「これを載せても”いいね”がつかないと思うよ」
「そう? この写真見てよ」
納得のいかない笛花は、スマホで撮った写真をゆかりに見せた。
「確かにきれいだけど……」
「何か?」
「私なら、つぼみより花を載せるかもしれないな」
「テーマ『夏の始まり』って感じで」
「夏をテーマにしたいなら、スイカとかひまわり、花火とかあるじゃん」
「この村で花火大会ってあるの?」
「大菩薩川の近くでやるみたいだよ」
「でも、そんな案内ないわよ」
「もう少ししたら、張り紙で案内されると思うから」
「そうなんだね」
「それより、夏休み何か予定でもあるの?」
「私は店の手伝いと宿題かな。ゆかりは?」
「私、両親が共働きだから、出かけ予定なし」
「そうなの?」
笛花は意外そうな反応して、驚いていた。
「だから、笛花の店で少し働かせてよ。私、あのメイド服着てみたいから」
「言っておくけど、コスプレじゃないんだからね。ちゃんと接客出来る?」
「任せてよ。笑顔で客を迎えるなんて簡単じゃん」
この自信はどこから生まれたのか、正直気になってきた。
家に着いた笛花は、一度ゆかりを自分の部屋に通して、荷物を置いて店のカウンターでひかるさんに相談を持ちかけてみた。
「夏休みの間だけ、うちでお手伝いをねえ。ゆかりちゃん、おうちの人の許可はもらったの?」
「これからです」
「まずは、おうちの人の許可をもらってきなさい。ゆかりちゃんは、まだ中学生だし、アルバイトは法律上禁止になっているんだから」
「でも、笛花はさんは……?」
「笛花はこの家の人だし……。言っておくけど、バイト代なんか払っていないわよ。たまにお小遣いを少しあげているくらいだよ」
「そうなんですね……」
「ただでも働きたいというのなら、私はいつでも歓迎するから」
「わかりました……」
ゆかりは今一つ納得しない顔をして、ひかるさんの話を聞いていた。
「ねえ、正直に答えてちょうだい。本当はメイド服に憧れているんでしょ?」
「はい……」
「わかる。可愛いから着たいんでしょ?」
「はい……」
「じゃあ、ご両親と相談して許可をもらたっら、採寸してあげるね」
「わかりました。今夜相談してみますので、一度失礼します」
ゆかりがいなくなったあと、ひかるさんは笛花に通知表の催促をした。
「今日、通知表をもらってきたんでしょ? 見せてちょうだい」
ひかるさんの迫力ある顔に、観念した笛花は自分の部屋に戻って、通知表を見せた。ため息をして「二学期はもっと頑張らないと駄目ね。明日から家庭教師をつけようか」と言ってきた。ただでさえ、宿題と店の手伝いで、自由時間が犠牲になっているにもかかわらず、家庭教師なんて、まっぴらごめんだと思っていた。
「母さん、うちは家庭教師を雇えるお金なんてないんだから、無理してお願いをしなくてもいいよ」
「それには心配いらないわ。ただで家庭教師を引き受けてくれる人がいるから」
「誰なの?」
「決まっているじゃん、駐在さんよ」
「え、駐在さんなの!?」
「何よ、驚くことないじゃん。言っておくけど、駐在さん頭がいいんだよ」
しかし、笛花は納得のいかない顔をしていた。
「でも、警察官って怖そうなイメージがする……」
「それ、ただの偏見だよ」
私は思わず口に出してしまった。
「そうだよ。駐在さんは、とても優しいんだよ。そうとなれば、あとでお願いをしに行くから」
「あ、それなら私が直接星音さんに話しておきましょうか」
「いいの? じゃあ、雫ちゃんお願いね」
私が横から口をはさんだら、ひかるさんは私に家庭教師の件を星音さんに話すよう、お願いをしてきた。
その日の夜、駐在所に戻った私は星音さんに笛花の家庭教師の件について話すことにした。
「私が家庭教師をね……」
星音さんはコーヒーを飲みながら、考え込んでしまった。
「それって、笛花ちゃんが中学卒業するまで付き合うってこと?」
星音さんの心の中に、何か不安がよぎっていた。
「明日の昼にひかるさんと話してみるよ」
「ありがとう」
「じゃあ、今日のところは寝ようか」
「そうだね。お休み」
その一方で、ゆかりさんの家では、ひかるさんの店でアルバイトする話が持ちかけられてた。
「アルバイトねえ」
お父さんはパイプをくわえながら、考え込んでいた。
「アルバイトと言っても、お店のお手伝いをするだけなの」
「別にいいんじゃない? 外で働けば社会勉強にもなるし」
今度は台所からエプロン姿のお母さんがやってきた。
「そこって、時給いくらなの?」
「給料は出ないけど、その代わり制服がもらえるみたい」
「そこ大丈夫なの?」
母さんは急に表情を険しくさせて、聞き返してきた。
「なんていう店なんだ? まさか、キャバクラとか?」
今度は父さんまでが身を乗り出して聞いてきた。
「『軽食、大菩薩』っていう店……」
「なあんだ、ひかるさんの店か。びっくりさせないでよ」
それを聞いた母さんは、安心した表情に戻った。
「もっぱら、友達と一緒にメイドの姿になりたかったんでしょ? 今度父さんも行ってもいい? そうだ、明日の昼休みに行ってみようかな」
「あなたのお昼は、お弁当で充分」
鼻の下を伸ばした父さんに、母さんはスリッパで父さんの頭を一発叩いてしまった。父さんは「はい」と短く蚊の鳴くような小さい声で返事をした。
「じゃあ、働いてもいいの?」
「いいわよ。その代わり、お客さんには迷惑をかけないこと」
「ありがとう、お母さん!」
ゆかりは、思わず母さんに抱きついてしまった。それを見た父さんも抱きつこうとした瞬間、再びスリッパが飛んできて「あなたはダメ」と叩かれてしまった。
(2)村にやってきた盗撮魔
翌日の昼休み、星音さんが食事ついでにひかるさんに家庭教師の話を持ちかけてみた。
「ご主人様、先にご注文いいですか?」
メイド姿の私がオーダーをとる体制になったら、星音さんはビクっと反応してしまった。
「誰かと思ったら、雫ちゃんじゃない。ビックリさせないでよ」
「先に注文だけいい?」
「じゃあ、ナポリタンのスパゲティとオレンジジュースで」
「オーダー入りまーす!」
出来上がりを待っている間、星音さんがスマホをいじっている間、「カラン」という音とともに店のドアが開いた。
「いらっしゃいませ!」と私が元気よく挨拶をしたとたん、入ってきたのは、ゆかりだった。
「今日から、ここで働くことになりました、早乙女ゆかりです……」
「ゆかりちゃん、ご両親の許可をもらったの?」
「うん!」
「今、手が離せないから、笛花の部屋で待ってくれる? 笛花、ゆかりちゃんを自分の部屋に案内してあげて」
「はーい」
笛花の部屋に通されたあと、ゆかりは何だか落ち着かない感じになっていた。
「緊張している?」
「うん……」
「大丈夫よ、客のほとんどが村の人ばかりだから」
「そうなんだね。テレビでカスハラの話題が出ていたから……」
「なるほどね……。でも、本当に大丈夫だよ。あ、何か飲む? のどが渇いたんでしょ?」
そう言って、笛花は台所へ行って冷蔵庫からペットボトルのジュースを持ってきた。
「ありがとう」
「ねえ、『今日から働く』ってことは、おじさんとおばさんの許可が降りたんでしょ?」
「うん……」
「っていうことは、念願のメイド服が着られるんだよ。今の感想は?」
笛花はシャープペンをマイクにして、ゆかりに向けて聞き出した。
「それ以前に、服がないから……」
「そうだよね……。このあと母さんが採寸をとるみたいだし」
「それより、笛花は宿題やり始めた?」
「私は、まだだよ。だって夏休みは始まったばかりだし」
「そう言って、最終日になって私の宿題を写さないでよ」
「大丈夫よ。今年は家庭教師もいるし」
「どこの家庭教師が来るの?」
「駐在さん……」
「だから、店に来ていたんだね」
しばらくしてから、ひかるさんが笛花の部屋に入ってきた。
「お待たせ。じゃあ、採寸をとるわよ」
ひかるさんは、ポケットからメジャーを取り出して、ゆかりの体のサイズを測っていった。
「出来上がりは、来週になると思うから、それまで待っていてくれる?」
「わかりました」
「なんなら、笛花の宿題でも見ていてよ。この子、最終日まで絶対にやらないから」
「それ、言い過ぎ」
「去年の夏、いろんな人に泣きついたの、どこの誰だっけ?」
「……」
急所を突かれた笛花は何も言い返せなくなってしまった。
「お店は私と雫ちゃんでどうにかなるから、ゆかりちゃんは宿題を見てあげて」
「そうしたいのですが、今日何も用意していないので……」
「なら、笛花をゆかりちゃんの家で宿題をやらせるから」
「えー! 宿題なしっていうわけにはいかないの?」
それを聞いた笛花は不満をぶつけてきた。
「四の五の言わずに、さっさと勉強道具を持って、宿題を進めて来なさい!」
「着替えは?」
「メイド服でいいわよ」
ひかるさんは、問答無用で笛花に宿題一式を持たせて、ゆかりの家に行かせた。「これはなんの嫌がらせだ」と独り言のようにぼやいていた。
「笛花、どうしたの?」
「ううん、なんでもない」
「顔色がすぐれないよ」
「そんなことないよ。それよりさっきから、みんなの視線が気になる」
笛花はモジモジしながら、ゆかりの横を歩いていた。
「なんで?」
「こんな恥ずかしい格好で外を歩いていたら、みんなの視線が気になるよ」
その時だった。眼鏡をかけた小太りの20代くらいのオタクぽい男性が笛花に一眼レフカメラを向けてきた。笛花に鋭い目線を向けられた男性は慌てて走って逃げようとしたけど、捕まってしまった。
「なんで逃げようとしたの?」
笛花の怒りはマックスだった。
「ごめんなさい」
「ちょっと、デジカメを見せてもらっていい?」
「それは困るよ」
「なんで? 人をしっかり盗撮したあげく、無事で済むと思っているの?」
「データは消すから」
「それって、証拠隠滅って言うんだよね? あと盗撮したんだから相当罪が重くなるわよ」
「本当に勘弁してくれ。昨日二十歳になったばかりで、このカメラは親からのプレゼントなんだよ」
「親からもらったプレゼントで犯罪って、神経が腐っているわね」
「お願い、警察だけは勘弁してくれよ」
「じゃあ、選んでよ。警察に通報されるか、撮影料を払ってくれるか」
「撮影料いくら?」
「何枚撮ったの?」
笛花が男性のデジカメを取り上げて、写真の枚数を確認をしたら、「中を見るのはプライバシーの侵害だ!」と反論してきた。
「はあ? 盗撮した分際で何偉そうなことを言っているの? さあ選んで。金を払うか、警察に捕まるか」
「わかったよ。いくら払えばいいんだよ」
「連続シャッターで10枚か。1枚5千円として5万円か。はい、5万円払ってちょうだい」
「ふざけるな、ぼったくりじゃねえかよ!」
「5万円で警察に捕まらなくて済むんだよ」
「上等だ、ならさっさと警察を呼べよ!」
怒りで我を忘れた笛花はスマホを取り出して、星音さんを呼んでしまった。
「今、駐在さんが来るから、きちんと話を進めるわよ。それと、このカメラも証拠として預かっておくから」
「テメー、なんの了見があって、こんな真似をしているんだ!」
「言っておくけど、こっちは盗撮の被害者なんだよ」
「……」
さすがの男性も何も言い返せなくなった。数分経ってひかるさんが運転する水色の軽自動車がやってきた。
「笛花、こんな場所で何をやっているの?」
運転席から降りるなり、笛花に文句をぶつけてきた。
「実は笛花ちゃん、盗撮の被害に遭って……」
横から、ゆかりが口添えをしてきた。
「だったらなんで早く駐在さんに話さなかったの?」
「ねえ、盗撮の話、最初から話してもらっていい?」
今度は助手席から降りた星音さんが、横から口をはさんできた。
「実は、この人がこのカメラで私を盗撮してきたのです」
笛花は持っているカメラを星音さんに渡した。
「ちょっと中身を見せてもらうわよ」
そう言って、男性が持っているデジカメのデータを確認し始めた。
「確かに、笛花ちゃんの写真が写っているわね」
「それは、別のものを撮ろうとしたら、偶然彼女が入ってしまったんだよ」
男性はもっともらしい言い訳を並べていたが、星音さんは男性の言葉を無視してカメラの画像を眺めていた。
「ねえ、本当に他のものを撮ろうとしていたの?」
星音さんは疑惑に満ちていた顔で聞き出した。
「本当だよ」
「じゃあ、なんの写真を撮ろうとしたか教えてくれる?」
「この街並みだよ」
「そのわりには彼女の写真がしっかり写っているじゃない。それも撮った写真全部。それでも偶然だというの?」
「そうだよ。彼女が僕のカメラに入ってきたんだよ」
「それなら、『カメラに入るからどいてちょうだい』と言えばいいじゃない」
「言ったけど、どいてくれなかったんだよ」
「ねえ、今の話本当?」
今度は笛花に振った。
「私がゆかりちゃんの家に向かっている途中、この人がいきなりカメラを向けて、シャッターを押してきたの」
笛花は少し震えた声で星音さんに話した。
「そのあと、俺が撮った写真を見るなり、『撮影料5万円払うか、警察に通報されるか、どっちかにしろ』って言ってきたんだよ」
男性も負けずに自分の意見を主張してきた。
「笛花、今この人が言ったこと本当なの?」
今度はひかるさんが口をはさんできた。
「うん……」
「これじゃあ、カツアゲと一緒じゃない」
ひかるさんは笛花の短い返事に対して、額に手を当てながら呆れかえっていた。
「私だって盗撮されたんだから……」
「気持ちはわかるけど、だからと言ってお金をゆすったら、あなたも犯罪者になるわよ」
今度は星音さんが口をはさんできた。
「すみません……」
「じゃあ、俺は彼女の被害者ってこと? 逮捕されなくてもいいの?」
男性のテンションは急に上がってしまった。
「そんなわけないでしょ。あなたには盗撮の容疑がかかっているんだから。とにかく一度パトカーで上野原警察署まで行ってもらうわよ」
「実は僕、車で来ているんだけど……」
「それなら、あなたの車は警察署のレッカー車で持っていくから」
男性は完全に観念した顔をしていた。その数分後、パトカーのサイレンの音が遠くから聞こえてきて、星音さんたちのところへやってきた。
「ご苦労様です。無線で盗撮の通報があったのですが……」
パトカーから降りた男性の警察官が星音さんに確認をとってきた。
「こちらの男性がメイド服を着ている女の子を盗撮しました。こちらが男性が持っていたカメラで、中にメモリーカードも入っています」
男性の警察官は盗撮したカメラのデータを確認し始めた。
「なるほど、確かに盗撮したと思われるデータが入っています。データだけ押収しますので、カメラだけはお返します」
チャック付きのビニール袋にメモリーカードを入れたあと、盗撮した男性に手錠をかけて、そのままパトカーに乗せて走り去ってしまった。
男性の車は、警察署のレッカー車によって運ばれた。
「さて、話を聞かせてもらいましょうか」
ひかるさんは鬼のような形相で笛花に話を振ってきた。
「ひかるさん、穏便に……」
「すみません、駐在さんは少し黙っていてください」
「はい……」
ひかるさんの迫力ある言い方に星音さんは何も言えなくなってしまった。
「笛花、『撮影料5万円』ってどういうことなのか、説明してもらおうかしら」
「盗撮されて、悔しかったから……」
「メイド服で行かせた私も悪いけど、お金を請求するのは、やり過ぎだと思うよ」
「はい……」
「ゆかりちゃんの家まで送ってあげるから、二人とも早く乗りなさい」
笛花とゆかりは後ろの座席、星音さんは助手席に座って、ひかるさんが運転する車でゆかりの家まで向かった。走り出してすぐに星音さんは「さっきの盗撮怖かった?」と穏やかな表情で聞いてきた。
「こんな経験初めてだったので……」
「そうだよね。だからと言って、お金を請求したらだめだよ」
「はい……。頭の中がパニックになってしまったので……」
「ところで、その知恵どこで覚えてきたの?」
「昼間やっていた、昔のドラマで……」
「どんなドラマを見たの?」
今度はゆかりが口をはさんできた。
「大阪で盗撮の被害に遭った女性が相手にお金を請求する話」
「それなら私も見た。しゃべり方が強烈な女子大生の話でしょ?」
「うん。面白いから夢中になって見ていた」
「だよね。私も夢中になって見ていた」
「呆れた。こんなドラマが原因だなんて。とにかく今後はこういった類のドラマを見るのは禁止だからね」
ひかるさんもハンドルを握りながら厳しく言ってきた。ゆかりさんの家に着いて、笛花とゆかりだけ降りて、ひかるさんと星音さんはそのまま軽食屋さんに戻ってしまった。
玄関に入るなり、中から優しいバラの匂いが漂ってきた。その直後にゆかりのお母さんがやってきて「笛花ちゃん、いらっしゃい。今日はお店の制服で来たんだね」とにこやかな顔で出迎えてくれた。
「お手伝いが終わって、このまま来たので……」
「そうだったんだね」
「実は、さっき盗撮の被害にあって……」
「それで、近くでサイレンが聞こえたんだね」
「私もびっくりしました。盗撮だなんて、初めてだったので……。でも、相手は逮捕されました」
「それなら、よかった。ゆかり、笛花ちゃんを部屋に案内してあげて」
「うん、わかった。あと、ジュースとお菓子もお願い」
「じゃあ、あとで用意するね」
笛花はゆかりと一緒に二階の部屋へと向かった。
(3)恐怖のモンスタークレーマー
ひかるさんと星音さんが戻っている間、店の中は私1人だけとなっていた。当然料理もできないので、店の入口には”準備中”と書かれたプレートを下げていた。カウンターでスマホをいじっていたら、「カラン」とドアが開く音がして、目を向けてみると、鳥打帽にジャケットを羽織って杖を持ったおじいさんと、グレーのスーツを着た比較的若そうな男性が2人入ってきた。
「いらっしゃいませ。申し訳ございませんが、ただ今の時間準備中をなっていまして……」
「なんだ、準備中か。せっかく来たのに」
「本当に申し訳ございません。営業したいのは山々ですが、あいにく料理を担当している者が外出しておりまして……。まもなく戻ってくるかと思います……」
「なら、少し休ませて頂こうかな」
おじいさんは、そう言って空いている椅子に腰かけてしまった。
「待っていただいている間、退屈でしょうから、雑誌や新聞などをお読みになってください。あと、テレビもございます」
「テレビのチャンネルは自由に回していいのか?」
「ええ、ご自由に」
おじいさんは、私からリモコンを受け取るなり、自由に回し始めた。
「この番組にしよう」
おじいさんは教育チャンネルで放送されているガーデニングの番組を見始めた。私にはこういう固い番組は好きになれなかった。私が再びスマホをいじろうとすると、おじいさんは「お嬢さんは、ガーデニングには興味がないのか?」と訪ねてきた。
「私、ガーデニングってやったことがないので……」
「そうかい。つまらんのう」
そう言って、1人つまらなさそうな顔をしてテレビを見ていた。
「おじいさんは、ガーデニング好きなのですか?」
「無理に話を合わせなくてもいいよ。お嬢さん、こういう番組苦手なんでしょ?」
「そんなことはありません。お庭を見ていると癒されますから。おじいさんは、ご自宅の庭にどんな花を植えていますか?」
「ごれが、わしの家の庭だよ」
そう言って、ジャケットの内ポケットからスマホを取り出して、私に見せてきた。
「きれいなお庭ですね」
見たのは純和風の庭だった。庭先には菊やボタン、キリなどが植えられていた。さらに庭の隅っこには盆栽らしきものも見えていた。
「この庭は、もともと父が手入れしていたんだけど、亡くなってから、わしが引き継いだんだよ」
「そうなんですね」
「父は、洋風という言葉が嫌いで、どれ一つ選ぶにしても、和風のものじゃないと気が済まなかったんだよ。だから父が亡くなった時も、葬式は昔ながらのやり方にして、斎場を借りず、自宅でやったんだよ」
「失礼ですが、お父さんは何歳でお亡くなりになったのですか?」
「99歳じゃ。ちょうどみんなで喜寿のお祝いをする時に、急に倒れて亡くなってしまったんだよ」
チャンネルはいつの間にか、民放の情報番組に変わっていた。
「あの、よかったら、こちらを召し上がってください」
私は冷蔵庫から取り出した人参のケーキを差し出したが、見事に断られてしまった。
「そういえば、おじいさんは、どちらから見えましたか?」
「東京からじゃ。今日は甲府に住んでいる孫に会いに行く予定じゃったが、あいにく高速道路が渋滞していたから、国道を使って向かうことになったんだよ」
「東京のどのあたりから来られたのですか?」
「蒲田の近くじゃ」
「と、言いますと、下丸子のほうですか?」
「お嬢さん、なかなか詳しいのう。実は鵜の木から来たんだよ」
「そうなんですね」
「そっちのほうに住んでいたのか?」
「母の実家が下丸子にあったので……」
「そうか……。では、そろそろおいとまするよ」
おじいさんは、そう言って車に乗っていなくなってしまった。なんか、悪いことをしてしまった。私は心の中で呟いたあと、再び店の中で、ひかるさんが戻るのを待っていた。
おじいさんがいなくなった直後、それと入れ替わるかのように今度は5歳くらいの女の子を連れてきた喪服姿の母親がやってきた。女の子の手には小さな人形が抱えられていた。
「大変申し上げにくいのですが、今の時間準備中となっておりまして……」
私が遠慮がちに断ると、母親は「わかっています。ここで主人を待たせていただいてもいいですか?」と言って店の中に入ってきた。さらに空いているカウンターの椅子に座ってスマホをいじりだす始末だった。しかし、女の子だけ退屈そうにテレビを見る始末だったので、私は適当にチャンネルを回して子供が喜びそうな番組を探していた時だった。教育チャンネルで乳幼児向けの番組が放送されていたので、それを見せると女の子は夢中になって見始めた。
番組が終わると再び女の子は退屈そうになり、母親はバッテリーがなくなったのか、スマホを使うのをやめた。
「充電をしたいので、よかったらお店のコンセントを借りてもいいですか?」
母親はスマホを私に見せるなり、充電を催促してきた。
「申し訳ございません、当店では充電のサービスを行なっていませんので」
私が丁重に断ると、母親は「チッ!」と舌打ちをして、ハンドバッグからモバイルバッテリーとUSBケーブルを取り出して、スマホの充電をやり始めた。
「あの、今日はお葬式かなにかで?」
「見ればわかるでしょ。今日は父の葬式。これからこの子を連れてお通夜に行くとことろ」
「何、この言い方。感じ悪い」と私は心の中で呟いてしまった。しかし、ここで怒っても始まらないので、私はぐっとこらえていた。
「あの、ご主人はいつごろお見えになるのですか?」
「さあね。あの人遅刻の常習犯だから」
そう言って、今度はタバコを取り出して吸い始めた。
「あの、ここ禁煙なんですけど……」
「別にいいじゃん。禁煙って書いてないんだし」
「禁煙のステッカーなら貼ってありますけど、見えませんか?」
「こんなの、小さくてわからないわよ。っていうか、こっちは客なんだし、言い方には気をつけなさいよ!」
「この客、マジむかつく」私の怒りは少しずつ芽生え始めてきた。
「あの、常識に考えてもわかりますが、飲食店では受動喫煙防止のため、禁煙になっているんですよ」
「何、この上から目線。私さ、人に『常識』って言われるの大嫌いなんだよ。さっきからなんなの? 『充電するな』とか『タバコ吸うな』とか偉そうに指図して。あんた名前なんていうの? あと、ここの責任者は誰? 今すぐ呼んできて」
「この人、モンスタークレーマーだ」そう思って、私は店の奥へ行ってスマホで星音さんにつなげた。
「雫ちゃん、どうしたの?」
「ちょっと迷惑な客がいて困っているの。大至急対応お願い」
「それなら大丈夫。もうじき着くから」
「ありがとう」
電話を切って店に戻ると、母親は再びタバコを吸い始めていた。
「お客様、禁煙にご協力頂けないのでしたら、出て行って頂けますか?」
「何? ここの店って、客に『出ていけ』と命令するんだ。初めて知ったよ。あんたの顔と店をSNSに投稿しておくよ。『クソ感じの悪い店』だと」
「あなたのされていることは、受動喫煙防止法違反、威力業務妨害になります」
今度は外出から戻ってきた星音さんが口をはさんできた。
「はあ? 私逮捕されるの? マジ信じられない。なら弁護士呼んでやるわよ。私の主人弁護士やっているから」
そう言ってスマホで主人らしき人につなげて、電話し始めた。「もしもし、私だけどぉ。今すぐ軽食屋に来てくれる? ソッコウで。店の名前は大菩薩っていうの。寺みたいでマジ受けるんだけど。あ、それでウザい店員とイカれたポリ公に捕まっているから」と言って電話を切るなり、私と星音さんに「今弁護士が来るから覚悟しておきな」と言って睨みつけてきた。さらに「あのさ、ここ飲食店なんでしょ? コーヒーとかジュースとか出せないの? 本当に気が利かないんだから」と文句をぶつけてきた。
「言いたいことを言って気が済んだ?」
「はあ? なにが言いてえんだよ。クソポリ公が!」
母親は星音さんに睨みつけながら、文句を吐き捨てた。
「星音さん、この人元ヤンの可能性が高いわよ」
「うん、わかっている。慎重に対応するから」
私と星音さんが耳元でヒソヒソと話していたら、母親が「何耳元でコソコソと話しているんだ、ゴルァ!」と脅かしてきた。
「お母さん、調子に乗って脅していると、今度は脅迫罪になりますよ」
「上等だ、ゴルァ!」
星音さんが注意に入っても母親の暴走はいっこうに収まる気配がなかった。その時だった。店の前にパトカーのサイレンが聞こえてきた。
「また、お前か。今日で二回目だけど、今度はなんなんだ?」
店に入るなり、男性の警察官は星音さんに呆れかえっていた。
「こちらの女性、受動喫煙防止法違反と威力業務妨害、並びに脅迫の容疑の現行犯で取り押さえました」
「なぜ、手錠をかけない?」
「すみません、忘れていました……」
「『忘れていました』じゃないだろ! 逃げられていたらどうするんだ!」
「それなんですが、相手は弁護士を待っているみたいなんですよ」
「弁護士、来るのか?」
男性の警察官は母親に目を向けて聞き出した。
「もうじき見えるわよ」
そう言って、再びタバコを吸い始めた。
「タバコは辞めてもらっていいですか?」
「はいはい、すみませんねえ」
母親は携帯用の灰皿に吸いかけのタバコを入れたあと、ハンドバッグに入れた。
お店の外では、黒い高級ミニバンがやってきて、後ろのドアから喪服を着た眼鏡姿の男性が降りてきて、そのまま店の中に入ってきた。
「私、弁護士の者です」
弁護士と思われる人は男性の警察官に名刺を差し出して、軽く挨拶をしてきた。
「私は山梨県警上野原警察署、生活安全課の者です」
「こちらの者が何をされたと言うのですか?」
「威力業務妨害、受動喫煙防止法違反、ならびに脅迫の容疑が出ております。つきましては上野原警察署で詳しくお聞かせ願いたいので、ご同行願います」
「確かに、お店の中にはタバコのにおいも残っていますし、子供も少しおびえています。もっぱら妻がご迷惑をおかけしたと見たので、警察に協力させていただきます」
「そうして頂けますと、大変助かります」
「ところで、今回の件、通報されたのは誰ですか?」
弁護士はあたりをキョロキョロさせながら、男性の警察官に聞き出した。
「私です……」
私は遠慮がちに手を挙げて、蚊の鳴くような小さい声で名乗り出てきた。
「あなたは?」
「この店でアルバイトをしている者です」
「店員さんなんですね」
「はい……」
「このたびは妻がご迷惑をおかけしました」
弁護士は私に申し訳なさそうな顔をして頭を下げてきた。
「もう大丈夫です。気にしていませんので……」
あまりにも意外な展開に私は驚いてしまった。母親はそのまま手錠をかけられて、パトカーに乗せられてしまった。
「実は、このあと父の葬式があるのですが、遅れる旨を兄に伝えて頂けますか?」
弁護士はスマホを取り出して、お兄さんの携帯電話につなげたあと、男性の警察官に渡した。事情を話したら、お兄さんはあっさりと納得してくれた。
「では、参りましょうか」
弁護士もそのまま黒いミニバンに乗って警察署へ行ってしまった。
「騒がしいお昼だったね」
横にいたひかるさんは、一言呟いた。
「留守中ご迷惑をおかけしました……」
「ううん、気にしないで。むしろ迷惑な客を追い払ってくれたことに感謝するよ」
私が遠慮がちに謝ったら、反対にひかるさんからお礼を言われてしまった。
「おなかがすいたし、私たちもご飯にしようか。駐在さんもどうですか?」
「いいのですか?」
「一緒に食べましょうよ」
「では、ご一緒させていただきます」
ひかるさんの誘いに星音さんは乗り気で返事をした。
(4)眠くなる勉強会
私たちが迷惑な客の対応をしていた時、笛花はゆかりの部屋で宿題をやっていた。
「ゆかり、この問題難しい」
シャープペンをくわえながら、笛花はゆかりに問題の答えを求めていた。その日は笛花の苦手な数学をやっていた。
「私、数学大嫌い」
「え、私数学大好きだよ」
「マジで!?」
「だって、公式に当てはめれば簡単じゃん」
「あんた、頭の中に電子計算機を入れてない?」
「笛花、授業中居眠りしているんだもん。赤点とって当然よ」
ゆかりは苦笑いをしながら答えていた。
「だって眠くなるんだよ。ゆかりは数学平気なの?」
「私は数学得意なほうだから、眠くならないわよ。成績だって、どちらかと言うと上のほうだし」
「マジで?」
「うん。笛花は知らなかった?」
「初めて知った」
ゆかりはそう言って、笛花の宿題を見始めた。
「私の宿題を見るのはいいけど、ゆかりは自分の宿題をやらなくていいの?」
「私は夜やるから平気よ」
「眠くならない?」
「うん」
ゆかりに教わりながら、笛花は用意した夏休みの数学の宿題をやり始めていったが、満足に集中できなかったらしい。仕方がないので、お菓子や食事で釣ってみたら、スピードが一気に上がって、その日のノルマの半分以上が仕上がってしまった。
「あと、もう少しで終わるよ」
それを言われて、笛花はスピードを上げて宿題を終わらせてしまった。
「終わったよ」
「どれどれ……」
ゆかりは笛花の宿題帳を見るなり、答えをチェックしていった。
「かなり間違っているよ」
「マジで?」
「笛花に店を任せたら、間違いなく赤字になりそう」
「そこまで言わなくてもいいじゃん」
「だって、簡単な計算が間違っているんだよ。よく見てごらん」
ゆかりに言われて、自分が解いた問題を改めて見つめていた。
「本当だ。かなり間違っている」
笛花が慌てて消しゴムで書き直していたら、ゆかりが「やれば出来るじゃん」と突っ込みを入れてきた。
「親みたいなことを言わないでよ」
「だって本当のことじゃん」
その時だった。下の階から「ゆかり、ちょっと来てくれる?」と声が聞こえた。
「ごめん、ちょっと行ってくるね」
ゆかりは台所へ行って、お母さんと一緒にお菓子とジュースを運んできた。
「お菓子、持ってきたよ」
「ありがとう」
勉強道具を片づけて、笛花とゆかりはマドレーヌと紅茶で休憩に入った。
「このマドレーヌ、美味しい!」
笛花はマドレーヌを一口入れたあと、驚いた反応をした。
「このマドレーヌ、母さんの手作りなの」
「え、そうなの!?」
「うん、母さんの趣味、お菓子作りだから」
「私てっきり買ってきたものかと思った。うちの母さんと全然違うよ」
「笛花のお母さんもすごいよ。軽食屋さんをやったり、裁縫も得意なんだから」
「そのせいで、私は店でこき使われたり、着せ替え人形にさせられているんだよ。この間も、趣味で作ったロリ服を外で着せられて、村中で笑いの種にされていたんだよ」
「そういえば、あったわよね。あのピンクのロリ服可愛かったわよ」
「可愛いのはいいけど、正直こんな服、どこで着るのかと言いたくなったよ」
「確かに。でもさ、この辺って撮影スポットがたくさんあるんじゃない?」
「ロリ服と言えば、お茶会とかバラ園が似合いそう」
「確かにそうだよね……」
「店の制服をメイド服にしたのも母さんの趣味から始まったの。エプロンならまだわかるけど、メイド服ってありえない」
「でも、可愛いじゃん」
「せめて、外出する時は普段着に着替えてからにしてほしい。そのせいで、盗撮にあったんだから」
「確かに。あのキモオタ、マジでウザかったよね。しかも、持っていたデジカメが二十歳の誕生日に親に買ってもらったと聞いて、マジうけたよ」
「そうだよね」
「そろそろ続きやる?」
「まだやるの?」
ゆかりが宿題の続きを促した瞬間、笛花は迷惑そうな声をあげてしまった。
「当たり前でしょ? 毎年夏休みの最後になって私に泣きついてきたの誰だっけ?」
「私です……」
「今年はそうならないように、鬼になるからね」
ゆかりの顔は完全にスパルタモードに入っていたので、笛花は帰る準備に入ってしまった。
「まだ、今日の分の宿題終わってないわよ」
それを言われた笛花は完全に蛇に睨まれたカエルと同じになってしまった。しかし、ゆかりの顔は秋田のナマハゲもビックリするほどの怖い顔なっていた。
「どうする? 帰る?」
「うん……」
「最終日に私に泣きついてこない? その自信ある?」
「ありません……」
「じゃあ、残って頑張りましょう」
ゆかりの顔は”にこり”としていたが、体全体から怒りのオーラが出ていた。こうなってしまっては、最後まで残るより他はなかった。この光景はまるでアウシュビッツ収容所に監禁されたユダヤ人と同じだった。
笛花はゲシュタポ(ドイツの秘密国家警察)に捕まったアンネ・フランクのような状態になって、折り畳みのテーブルで数学の問題を解き続けていた。ゆかりの手には、いつのまにかムチがあって、ちょっとでも居眠りすると床に叩いて威嚇するので、精神的な疲れがもろに出ていた。しかし、数学が終わるまでは家に帰ることが許されなかった。さらにゆかりはクローゼットから、どこで入手したのか不明のハーゲンクロイツの腕章を取り出して、それを右の袖に着けて笛花の宿題を監視していた。
部屋の時計は8時近くなっていて、ゆかりと笛花は一階の食卓で食事をすることになった。食卓にはそうめんとおにぎりが置いてあった。
「このおにぎり、おいしい。中に入っているのって佃煮?」
「そうだよ。これ、私大好きなの」
そのあと、そうめんを食べて、食後にはアイスクリームを食べた。
「ごちそうさま」
食器を片づけて再び勉強に入ろうとして、時計を見たら夜の9時を過ぎていたので、笛花が帰る準備をして玄関を出ようとした時だった。
「家まで送ってあげるよ」
ゆかりの母さんが車の鍵を持って、私よりも先に玄関を出てしまった。玄関には白いミニバンが止まっていて、私とゆかりは後ろの座席に座って、家まで送ってもらうことになった。
「今日は遅くまで付き合わせてごめんね」
ゆかりの母さんは、少し申し訳なさそうな顔をして笛花に謝ってきた。
「いえ、こちらこそ。長居をしてすみませんでした」
「もっぱら、ゆかりが強引に引き留めたんでしょ。昔からこういう所があるから」
ゆかりの母さんはハンドルを握りながら謝っていた。
「どうもありがとうございました」
玄関に着いて、車を降りようとした時だった。
「今度、ゆかりが笛花ちゃんと一緒に働くんでしょ? そうなったら、遠慮なしにこき使ってね」
「わかりました。今日はお世話になりました」
走り去っていく車を見送ったあと、笛花は自分の部屋に戻って、そのまま寝てしまった。
(5)クラスメイトへの仕返し
翌日以降、笛花はゆかりのスパルタ指導を受けながら宿題を順調に進めていった。頑張った甲斐があたのか、7月の最終日には宿題の三分の二を終わらせることができた。
「残りは社会科と読書感想文と音楽だけね」
「うん」
そういって、次にやりだしたのは社会科だった。歴史と地理だったので、比較的楽だった。
「ウユニ塩湖があるのはどこの国だっけ?」
笛花はジュースを飲みながら、ゆかりに聞いてきた。
「ボリビア。渡された資料に書いてあるわよ」
ゆかりに冷たく言われた笛花は、授業で使っている資料を広げて確認するなり「あ、書いてあった」と呟く始末だった。
「ナスカの地上絵は?」
「ペルーだよ。ねえ、本当に自分で調べているの?」
ゆかりの厳しい突っ込みに笛花は苦笑いをしながら答えていた。その後も日本史、世界史をやって、次の日には図書館に行って、読書感想文になる本を探していた。私たちの住んでいる大菩薩村の図書館は比較的小さく、選べる本も少なかったので、夏休みになれば本の取り合いの戦争になっていた。
図書館に入ると、さすがに大きい声を出せないので、笛花とゆかりは児童書コーナーで、読書感想文の本を1冊借りて家に持ち帰った。
笛花が借りた本の内容は14歳の女の子が事故で右足を失って、義足の生活をするようになり、クラスメイトから「サイボーグ」とからかわれるけど、彼女はそれに負けない強い心を持って生きる話だった。それを読んだ笛花は涙を流して、途中で読むのを辞めてしまった。
「かわいそ過ぎる」
笛花はしばらく泣き続けていたが、夕方になって再び本を読み続けた。感想文の目安は原稿用紙にして2枚だったけど、笛花は感動したのか、原稿用紙を3枚半も書いてしまった。
食事の時間になっても、本を読んだあとの感動が残ってしまい、再び涙を流してしまった。
「笛花、どうしたの?」
ひかるさんは、心配そうな顔して聞き出してきた。
「読んでいた本に感動してしまって……」
「どんな本?」
「義足の女の子がクラスメイトから『サイボーグ』とからかわれるんだけど、それに負けない強い心で生きていく話なの」
「その本、あとで母さんにも読ませてくれる?」
「うん……」
食事が終わって、一段落ついて、ひかるさんは笛花の部屋に入って、本を読み始めた。読み始めてから20分、ひかるさんは涙を流してしまい、ハンカチで目元を拭き始めた。
「この本の内容、かわいそうすぎる」
そう言って再び読み始めた。全部読み終えたころには、ひかるさんはボロボロと泣いていた。
「感動したでしょ?」
「うん……」
そう言って笛花の部屋を出て、そのままいなくなってしまった。
その翌日には最後に残しておいた音楽の宿題をやることになった。聞いた音楽の感想文を書くことになっていたのだが、読書感想文より頭を使うことがわかった。下手なアーティストの歌を聞いても思いつかないし、かと言ってクラッシックを聞いても眠くなる。何を聞こうか。散々迷った結果、笛花はゆかりの家に行ってCDを見せてもらうことにした。
「笛花、自分の家にCDないの?」
「あることはあるけど……」
「どんなCD?」
「クラシックとJポップしかない」
「うちも似たようなものだよ」
「ゆかりは何にしたの?」
「私はヴェートーベンの曲にしたよ」
「マジで? なんて書いたの?」
「それを聞いてどうするの?」
「参考にしようかなって思った」
「言っておくけど、私の感想文をまんま写すと、すぐにバレるわよ」
「たしかに……」
諦めた笛花は家に帰って、再びCD探しをした。「これにしよう」と言って選んだのはシューベルトの「魔王」だった。部屋にあるプレーヤーで再生してみると、力強いピアノと、迫力のある男性の声が部屋中に響き渡った。風で揺れている木々が重度の病気の子供には魔王に見えて、最後には死んでしまう内容だった。それを原稿用紙に書いてまとめなくてはならない。いざ、書こうとすると思いつかない。再び聞くことにした。それを3回繰り返して、やっと書けるようになった。すべての宿題が終わって、笛花はまさに天国を堪能していたが、その天国も長くは続かなかった。笛花の宿題が終わったと知ったひかるさんは、制服(メイド服)に着替えさせて、店の手伝いをやらせた。
「母さん、今日くらい休ませてよ」
「宿題が終わったんだから、お店を手伝ってくれたっていいわよね」
「でも、雫さんがいるわけだし……」
「あなたも手伝いなさい」
「お店は私とひかるさんで大丈夫だから、笛花ちゃんは部屋で休んでちょうだい」
「雫ちゃん、笛花を甘やかさないほうがいいわよ」
私が笛花に優しい言葉をかけたら、横からひかるさんの厳しい声が飛んできた。
「私、今すぐ着替えてくる」
「そうしてちょうだい。お店忙しんだから」
ひかるさんに言われ、笛花は渋々と制服(メイド服)に着替え始めた。お店の中に入ると、いつになく客が多かったことに驚いた。しかし、その大半は村の人ばかりだった。
「ひろゆきちゃん、食べないでスマホに夢中になっているんだったら、さげるわよ」
「ちょっと待ってくれ。今食べるから」
「お店混んでいるんだからね」
「わかっているよ」
運転手の田川さんは笛花に言われて、目の前のとんかつ定食を食べ始めた。
「おい、道志のやつメイドだから、ちょっとからかってやろうぜ」
何人かのクラスメイトが笛花を見るなり、何か悪だくみをしていた。
「あいつら、何しにきたの?」
笛花は心の中でつぶやきながら、クラスメイトが座っている席をずっと見ていた。
「笛花ちゃーん、頼んでいたカレーライス、まだー?」
今度は奥に座っているおじいさんにカレーライスを促されてしまった。
「すみません、今用意します」
「母さん、カレーライス出来た?」
「ここでは、店長と呼んで」
「店長、カレーライス」
「今、出来上がったわよ」
「サンキュー」
笛花は出来上がったカレーライスをおじいさんの席まで運んで行った。
「お待たせ」
「笛花ちゃん、今日は少しペースが遅いけど……」
「すみません。店が混んでいるので」
「その割には雫ちゃんのほうが手際がいいけど……」
「本当にすみません」
笛花はそう言い残して、次のテーブルへ料理を運んで行った。
「メイドさーん、カレーライスまだー?」
そう言ったのはクラスメイトだった。「こいつら、マジウザ」そう思って、クラスメイトの席に向かった。
「あんたら、注文したの?」
「してないよ。一応言ってみただけ」
「注文しないんだったら、帰ってくれる? こっちは忙しいんだから」
「そういうことを言っていいのかよ。俺たち客なんだぜ。口の聞きたかたには気をつけろよ」
「なら、客らしく何か注文しなさいよ」
「注文したよ。お水とスマイル」
「さっさとスマイルを見せろよ」
「注文しないで、長時間居座っていると、威力業務妨害で逮捕するわよ」
今度は横から星音さんが助け舟を出してきた。
「俺たち、急用を思い出したから帰るよ」
クラスメイトたちは、一目散に店から出て行った。
「今の人って、笛花ちゃんのクラスメイト?」
「そうよ、あいつらマジでムカつくんだから」
私の問いに笛花はムキになって言い返した。
「何かあったの?」
「私がメイド姿になっていることをいいことに『萌え萌えキュンキュンやって』と言い出すの。他にもスマホで盗撮してくるし、制服が半袖だから二の腕も触ってくるの。だから、仕返しを考えているの」
「それって、完全にセクハラじゃん」
私も少し驚いて反応してしまった。
「そうでしょ? あいつらマジでムカつく」
「先生に話したの?」
「ううん、チクるとまた面倒になる」
「チクると報復してくるよね」
「そうなの。だから、私だけで仕返しを考えているの」
「どんな仕返し?」
「それは秘密」
笛花はそう言い残して、仕事に戻っていった。
その日、仕事を終えた笛花はみんなが帰ったあと、自分の部屋に戻って、机に向かって作戦を立てていた。紙にシャープペンでどんな仕返しをするか書きだそうとしたけど、なかなか思いつかない。「うーん」と、うなりながら椅子に座って、一人悩んでいた。スマホを取り出して、ゆかりに電話をしようと思ったけど、文句を言われそうだったので、電話は諦めて、その日は寝ることにした。
翌日も笛花は店の手伝いをする羽目になっていた。その日来た50代のおばさんの二人組が気になる会話をしていた。
「先日、父が入院している上野原の小さな総合病院に行ってきたの」
「お父さん、入院されてるの?」
「ええ、少し前から肺に水が入って入院しているんだけど、治療を受けて今は普通に食事や会話までできるようになったの」
「大事に至らなくてよかった」
「それで、父の横にいたおじいさんが、病院に派遣された家政婦さんに虐められていたの」
「いじめ!? どんな?」
一緒にいた人は”いじめ”と聞いて大げさなリアクションを見せていた。
「いじめと言うより、からかっていたって感じかな」
「どんなふうに?」
「『〇〇ちゃん、ごはんでちゅよ』と言って、子供用の前掛けを着けて、口の中に無理やりご飯を入れたの。それで、ちょっと吐き出すと『〇〇ちゃん、ちゃんと食べないとダメでしょ!』と叱るの」
「それ、ひどすぎない? 病院の責任者に話したの?」
「私の父じゃないから、そこまで出来なかったけど……」
「そういうのちゃんと言わないとだめだよ。また調子に乗って虐めるんだから」
「そうだよね」
それを聞いていた笛花は顔をニヤリとして、作戦に移ろうとした。
その日、仕事を終えた笛花は4歳児の弟がいるクラスメイトの家に行って、前掛けを借りることにした。
「笛花、子供用の前掛けを借りてどうするの?」
「ちょっと、店で使おうと思ってね」
「小さい子供が来るの?」
「そうじゃないけど……」
「じゃあ、何に使うの?」
「仕返し」
「誰に?」
「田代や醍醐、あと山口に」
「ああ、あの3バカね。女子をからかって楽しんでいるんだよね」
「そう、だから一泡ふかせたいの。終わったら洗濯して返すから」
「だったら、前掛けは田代だけでいいんじゃない? あとの二人には別の方法で仕返しをすればいいじゃん」
「田代のバカが前掛けをした姿をSNSに載せてやりたい。私の写真、結構投稿されていたから」
「じゃあ、一回だけにして。調子にのってやると、訴えられるから」
「わかった」
翌日、クラスメイトから借りた前掛けを用意して、田代たちが来るのを待つことにした。
「笛花、やるのは勝手だけど、他のお客さんに迷惑がかからないように気を付けてね」
「わかった」
ひかるさんに注意された笛花は短く返事をして、ゆかりと一緒に作戦を立てた。
「田代のバカが来たら、すぐに実行にかかるわよ」
笛花は声を押し殺して、ゆかりに言った。
「ねえ、本当にやるの?」
「今頃、おじけついたって遅いわよ。さ、やるわよ」
ゆかりが弱気になったので、笛花ははっぱをかけた。しかし、その日に限って客が少なかった。気温が高すぎたのか、午前中に来た客は常連の数人だけだった。午後になって最初に入ってきたのは、田川さんだった。
「いらっしゃーい……って、なんだ、ひろゆきちゃんか」
「おい、『なんだ』はないだろ。こっちは客なんだぞ」
「ひろゆきちゃん、今日は少し早い昼休みなんだね」
「まあな。今日は客少なかったから」
「『今日は』じゃなくて『今日も』でしょ?」
今度はひかるさんが口をはさんできた。
「言っておくけど、いつもより多かったんだよ」
「じゃあ、『そういうこと』にしておくよ」
「『そういうこと』ってなんだよ」
「だって、いつも客を終点で降ろしたら、回送にして走り回っているだけじゃん」
「言っておくけど『いつも』じゃないからな」
「はいはい、わかりました。それで今日は何にするの?」
「今日はとんかつ定食」
「『今日もとんかつ定食』の間違いでしょ? ちゃんとした日本語使って」
「言っとくけど、昨日はオムライスだったぞ」
「そうだっけ? じゃあ、今すぐ作るわね」
「頼んだよ」
ひかるさんが作っている間、田川さんはカバンからスマホを取り出して、SNSを見ていた。
「おい、これ笛花ちゃんとゆかりちゃんだよな。『軽食屋で萌え萌えキュンキュンやるメイドたち』と写真付きで書かれているぞ」
「どれどれ?」
そう言って、笛花は田川さんのスマホの画面をマジマジと見ていた。
「ねえ、ゆかりの写真もあるわよ」
「マジ!?」
今度はゆかりにも見せた。
「本当だ。田代のヤツ、絶対に許さない。笛花、田代のバカが来たら仕返し決行よ」
「オーケー」
「二人で何かやるのか?」
田川さんは、身を乗り出して聞いてきた。
「これから、ここで素晴らしいショーが始まるから、ひろゆきちゃんも見ててよ」
「何をやるのか知らないけど、悪だくみなら、ほどほどにしておけよ」
「ひろゆきちゃんは、食べたらお仕事。残念だけど、これを見ることは出来ないの」
目の前にトンカツ定食を置いたひかるさんは、厳しい口調で口をはさんできた。
「はい、わかりました。では、頂きます」
そう言って一人黙々と食べ始めた。
田川さんが店を出た数分後、今度はターゲットの3人組がやってきた。
「こんちゃー」
田代たちはテンション高めで、真ん中あたりのテーブル席に座った。
「何しにきたの?」
「見ればわかるだろ。飯を食いに来たんだよ。それとも何、俺たちがここで飯を食ったらいけねえのかよ」
「そんなことを言ってないわよ。早く注文してちょうだい」
笛花は3人分の注文をとったあと、仕返しの準備に入った。注文した料理を待っている間、3人はスマホを取り出してSNSの画面を見ながらニヤニヤしていた。
「あの人たち、何さっきからニヤニヤしているの? マジキモいんだけど」
近くで見ていたゆかりが笛花にヒソヒソと言ってきた。
「それ、私らの写真でしょ? しかもご丁寧に拡散しているし」
笛花もあきれ顔で3人の光景を眺めていた。
料理が出来上がって最初に用意されたのは、田代が注文したカレーライスだった。笛花は「待っていました」と言わんばかりに、クラスメイトから借りた子供用の前掛けを田代にかけた。
「裕太ちゃん、ご飯のお時間でちゅよ。汚れないように前掛けをしてあげまちゅね」
「道志、テメー俺に何か恨みでもあるのか?」
「あらあら、怒っちゃいけまちぇんよ。今、『あーん』してあげまちゅね」
その瞬間をゆかりがスマホで撮影してSNSに投稿してしまった。
「早乙女、なに人の写真撮っているんよ」
「写真、頂きました」
「まさかSNSに載せていないだろうな」
「さあ?」
「おい、質問に答えろ!」
「自分で確認したら?」
「裕太ちゃん、お行儀が悪いでちゅよ。ちゃんと座って食べまちょうね」
その間にもゆかりはスマホで写真を撮っていた。
「道志、早乙女、テメーら2学期覚悟しておけよ」
そのあと、やってきた山口のピラフと醍醐のオムライスがやってきた時も同じようにやっていた。
「雫ちゃん悪いけど、これで撮影お願い」
「うん、わかった」
私はゆかりから預かったスマホで撮ることになったけど、正直乗り気ではなかった。
「おい、そこのメイド。名前なんて言うんだ!」
「私? 峠時雫だけど。言っておくけど、私は頼まれてやっているだけだから」
怒りむき出しの山口は私に怒鳴りつけてきた。
「山口ちゃん、メイドさんにそんなことを言ったらダメでちゅよ」
ゆかりは山口にも赤ちゃん言葉で叱っていた。
「はい、3人ともきれいに食べましたね。えらいでちゅよ」
「二度と来るか! おい、帰るぞ!」
笛花の一言で田代たちは椅子から立ち上がって、会計を済ませたあと、店から出ていってしまった。
「ねえねえ、ゆかり。さっき投稿した動画と写真、さっそくバズっていたわよ」
「マジ?」
笛花に言われて、ゆかりはスマホでSNSを見ていたら、さっそくバズっていて、その勢いは広島と長崎に投下した原子爆弾並みだった。
「仕返し成功だね」
笛花は満足そうだった。
「あなたたち、この仕返し、ここで終わりにしてくれる?」
ひかるさんに言われて、笛花たちの仕返しは終わりとなった。
次の日の夕方、笛花は借りていた前掛けを洗濯してクラスメイトの家に届けた。
「ありがとう、助かったよ」
「まさか、本当にやるとは思わなかった」
「SNS見たの?」
「見たよ。すごいバズっていた。2学期気をつけなさいよ」
「一応、覚悟しておくよ。前掛け、ここに置いたから」
「ありがとう」
家に戻ってベッドで横になっていたら、ゆかりから電話がかかってきた。
「もしもし?」
「笛花、今電話大丈夫?」
「どうしたの?」
「田代がマジギレしていたわよ」
「そんなの自業自得じゃん。私なんか、それ以上の被害を受けていたんだから」
「田代、仕返しを考えているみたいだよ」
「どんな仕返し?」
「わからない。もしかしたら、法的手段に話を持ちかけるみたいだよ」
「勝手にやればいいじゃん。あいつの家、両親が一人っ子に上に、父さんが名古屋に単身赴任、母さんが村役場で勤務。おまけに弁護士の相談費用だって高いじゃん。せいぜい、頑張って訴えればいいんだよ」
「確かにそうだよね」
「私だって、あいつらに盗撮、無断投稿されたんだから、言ってみれば『あいこ』になるわけでしょ?」
「確かに……」
ゆかりは少し歯切れの悪い返事をしていた。
「ゆかり、どうしたの?」
「ううん、何でもない」
「じゃあ、そろそろ電話を切るね」
翌日、笛花はいつも通り店の手伝いをやっていた時だった。店の入口から星音さんと一緒に田代たちまでが入ってきた。
「こんにちは、笛花ちゃんいる?」
星音さんはあたりをキョロキョしながら、店の奥まで入ってきた。
「駐在さん、こんにちは。今日は田代たちと一緒にお食事なんですか?」
「それもあるんだけど、もう一つ大事な用事があるの」
「大事な用事とは?」
笛花は今一つ呑み込めていなかった。
「笛花ちゃん、心当たりない?」
「心当たり?」
「いえ、通報されるようなことは、何もしていません」
「本当に?」
星音さんは少し疑うような目つきで、笛花の顔を見ていた。すると、昨日ゆかりと電話をしていた内容が頭の中によみがえってきた。
「何か思い出したって顔だね」
「はい……」
「言ってごらん」
「先日、ゆかりと一緒に仕返しという名目で田代君に嫌がらせをしました……」
「どんな?」
星音さんは少しいじわるな感じで聞き返した。
「田代君たちが食事をしようとした時に子供用の前掛けを着けた上に、赤ちゃん言葉で接して嫌がらせをしました……」
「実は、そのことで田代君たちが駐在所にやってきて、私に相談してきたの。しかも、泣きそうな顔でスマホの画面まで見せてきたんだよ」
「そうなんですね……」
「もし、あなたが反対の立場ならどうする?」
「実は、私も彼から盗撮された上に、SNSに投稿されて許せない気持ちになりました……」
「それで、『仕返し』という形でやったんだね」
「『目には目を歯には歯を』って感じで……」
「なるほど。そこまでならいいんだけど、ちょっとやり過ぎたかも知れないね」
「と、言いますと?」
「あなたたちのやったことは、名誉棄損と侮辱罪になるわよ」
「じゃあ、私とゆかりは逮捕になるのですか?」
「あなたたちが大人だったらね」
「と、言うと?」
「今回の件、きちんと仲直りが出来ると言うのなら、逮捕はしないから」
「ありがとうございます」
「ところで、ゆかりちゃんは?」
「店の奥にいます」
笛花はそう言って、ゆかりを呼んできた。
「笛花、どうしたの?」
「駐在さんが呼んでいるわよ」
「店にいるの?」
「田代と一緒に来たわよ」
「田代が言っていた法的手段って、駐在さんに話すことだったんだね」
「とにかく行ったほうがいいよ」
笛花に促されて、ゆかりは星音さんと田代が座っているテーブル席まで向かった。星音さんは笛花に話した内容と同じことをゆかりにも話した。
「じゃあ、全員そろったところで、仲直りをしようか」
「はい……」
笛花はいまだに納得しない顔だった。でも逮捕されるよりマシだと思って、我慢して謝ることにした。
「それと、SNSに投稿したスレッドと画像や動画も削除してくれる?」
笛花と田代はSNSに載せたスレッドや撮影した写真や動画を全部削除した。そのあと、星音さんがスマホの写真をチェックし始めた。
「大丈夫だね。これに懲りて、二度とやらないこと」
星音さんに言われて、二人で「わかりました」と短く返事をした。
「あ、そうそう。みんなには、これを書いてもらおうかな」
さらに星音さんはカバンからクリアファイルを取り出して、みんなに誓約書にサインを書かせた。みんが書き終えると、星音さんが回収して再びクリアファイルに戻した。
「今、みんなにサインしてもらった誓約書は法的な証拠として使われるから、そのつもりでいて頂戴ね」
”法的な証拠”と聞いたみんなはビクっと反応をしてしまった。
「じゃあ、この話は終わり。ちょっと早いけど、ここで食事にしようか。私おなかすいちゃった。みんなも一緒に食べようよ。今日は私の”おごり”だから」
それを聞いたみんなのテンションが少し上がってしまった。
「笛花ちゃんとゆかりちゃんも一緒にどう?」
「店長、いいですか?」
笛花は少し遠慮がちにひかるさんに聞いた。
「ま、駐在さんもああ言っていることだし、休憩にしなさい」
「ありがとう」
笛花とゆかりもテーブル席に座って、一緒に食事をすることになった。
「駐在さん、ごちそうさまでした」
みんなでお礼を言ったあと、男子たちは星音さんが運転するパトカーで家まで送ってもらい、笛花とゆかりは店に戻って仕事をやり始めた。
「誓約書にサインを書かされた時にはビックリしたよ」
「それに懲りたら、二度とアホはやらないこと」
笛花が言ったあと、ひかるさんが口をはさんできた。
「わかりました……」
笛花は少し不満げに返事をした。
「まだ終わりじゃないから、早く仕事に戻ってちょうだいね」
ひかるさんに言われて仕事に戻ったけど、その日の笛花は仕事に身が入らなかった。しかも、客からの注文を間違える始末だったので、ひかるさんは笛花に部屋で休むように促した。
その日の仕事が終わって、ひかるさんは笛花の部屋に入って話を始めた。
「笛花、ちょっとだけいい?」
「どうしたの?」
「今日はなんか”らしくない”わね」
「……」
「なにがあったの? もしかして、駐在さんに言われたことを気にしているの?」
「うん……」
「正直、あなたがしたことは、やり過ぎだと思ったよ」
「じゃあ、なんで注意しなかったの?」
「注意してほしかったの?」
「ううん……」
「あのね、あなたの気持ちもわかるの。でもね、あれはやりすぎ。今回は誓約書で済んだからいいけど、本来なら逮捕されても不思議じゃなかったわよ」
「はい……」
「これに懲りたら、二度とやらないこと」
「さっきも言われました」
「あなたの場合、何度も言わないと直らないみたいだから。じゃあ、食事にするから来てちょうだい」
食事をして風呂に入ったあと、笛花はベッドの中でブツブツと不満をこぼしていた。
6話へ続く。




