4、働かず者食うべからず
(1)コスプレ気分でルンルンルン
お仕事の制服が届いて、私は自分の部屋で試着することになった。箱を開けてみると制服本体に黒い手袋、そしてニーハイソックス、白いメイドキャップが入っていた。最初に私は制服本体を手に取ってみた。制服本体は黒いワンピースと白いフリルのついたエプロンだった。ワンピースは背中にあるファスナーを閉めるタイプだったので、1人で着ることができなかった。仕方がないので、私は星音さんを呼んで手伝ってもらうことにした。
「思ったけど、これってお店の制服なんでしょ? だったらお店に置いてもいいんじゃない?」
「たしかに……。それとも家でも着てみようかな」
「もしかして、気に入った?」
「うん」
「可愛いよね。よかったら、私も着ていい?」
「ええ!」
「何よ、その反応は。いままで私の思い出の詰まった制服や体操服を着ていたくせに」
「それを言われたら弱くなってしまう……」
私は一度脱いで星音さんに着せてみた。
「どう?」
「とても可愛いです」
「おかえりなさいませ、ご主人様。萌え萌えキューン!」
星音さんは両手でハート作ってポーズを決めていた。
「明日、私の代わりに働いてみる?」
「いいね。それも悪くないかも」
「それで、駐在所のお仕事は?」
「雫ちゃんにやってもらおうかな」
「マジ?」
「うん、マジ。警官の制服を着てみたいでしょ?」
そう言って自分の部屋にあるクローゼットから仕事で着る警察官の制服一式を取り出してきた。そのあと、私の着替えを手伝い始めた。
「どうかな……」
「とても可愛いよ」
「ありがとう。拳銃や手錠って、結構重たいんだね」
「まあね」
私は拳銃や手錠を手に取りながら、しばらく眺めていた。
「これ、お仕事で実際に使うんだから、間違っても外で発砲したり、何でもない人に手錠をかけないでね」
「大丈夫、やらないから」
「あと、気になったけど、この伸び縮みする棒って……」
「警棒よ」
「そうなんだね。これで、タクトや授業で説明するときに使えそう。これでオーケストラの指揮者をやってみようかな」
そういって、指揮者のように軽く振ってみたら、星音さんが苦笑いをしながら見ていた。
「もう一度聞くけど、警官の姿似合ってる?」
「うん、可愛いわよ」
「じゃあ、ちょっと外を歩いてみようかな……」
「あ、それは辞めて」
「なんで?」
「みんなに誤解を与えるだけだから」
「ごめん……」
「着るなら、家の中だけにして」
「っていうことは、また着させてくれるの?」
「いいわよ。その代わり、雫ちゃんのメイド服を着させてもらうから」
「やったー!」
「あんたも警官になってみる?」
「それもいいけど、そうなったら星音さんと離れ離れになるから辞めておくよ」
「それに訓練も半端なく厳しいからね」
私と星音さんは居間にあるソファーでぐったりとしていた。
「こういうコスプレ気分も悪くないかもね」
星音さんはぐったりとしながら、一言呟いていた。
「そろそろお腹がすかない?」
「悪いけど、雫ちゃん作ってきて」
「えー!」
「サーカスにいたころは、交代で作っていたでしょ? だから今日は雫ちゃんが作ってちょうだい」
「この人はダメ人間だ」
心の中で呟きながら警官の制服を着たまま台所へと向かった。
「雫ちゃん、待って!」
「どうしたの?」
「エプロンしてる?」
「しているわよ」
「それならいいけど。制服を汚したら課長に大目玉を食らうから」
エプロン姿を見た星音さんは胸をなでおろして、居間へ戻ってしまった。
「この料理って、サーカス団にいたころと変わらないわね」
みそ汁を一口飲んだ星音さんの最初の感想だった。
「文句があるなら、無理して食べなくてもいいんだよ」
「別に『食べたくない』って言いてないわよ」
「それならいいけど」
食事を終えて食器を洗って、部屋着姿になった直後、私と星音さんは居間でテレビを見たり、スマホをいじりながら好き勝手に時間を過ごしていた。
「雫ちゃん、明日からお仕事なんでしょ? 悪いけど先に入ってきてよ」
「それは構わないけど、私が風呂から出てきた時、寝ないでよね」
「大丈夫よ」
「あと、わかっているとは思うけど、ビールは風呂から上がってからにしてちょうだいね」
「あのね、私を誰だと思っているの? 仮にも警察官なんだよ。それくらいの常識を身に着けているわよ」
「先週、私が風呂に入っている時に晩酌をやっていた人がそれを言う?」
「そんなに疑うなら、私が先に入ってもいいんだよ」
「そうしてちょうだい」
星音さんはブツブツと不満をこぼしながら、浴室へ向かっていった。
私と星音さんが風呂から出て1時間、私はなかなか眠れなかったので、外へ出てみた。季節は晩春を迎えていたのに、夜になるとまだ気温が低かった。「くちゅん!」小さなくしゃみをしたので、部屋へ戻ろうとした時だった。後ろを振り向いたら、小さな星々が宝石をちりばめたように、きれいに輝いていた。なんだかプラネタリウムにいるような気分だった。
「雫ちゃん、外にいたら風邪ひくわよ」
玄関のドアから星音さんが声をかけてきた。
「星音さん、見てください」
私はそう言って、夜空に指を刺した。
「うわー、きれーい。こっちに来てから夜空なんて、ちゃんと見ていなかったけど、改めて見ると結構きれいなんだね。なんていうか、プラネタリウムにいるような気分だよ」
「都会ではここまできれいに見ることができませんよね?」
「これは田舎に住んでいる特権だよ」
その時だった。緑色の小さな虫が私の右腕に乗ってきた。
「ギャー!」
「どうした、どうした」
私の悲鳴に反応した近所の人たちが私の所へやってきた。
「雫ちゃん、どうしたの? まさか駐在さんにいじわるをされたの?」
「違います。腕に緑色の小さな虫が……」
「ああ、この虫か。雫ちゃん、もしかして虫が苦手なの?」
そう言いながら、近所の人は小さい虫をつかんで、地面に置いてくれた。
「もしかして虫が苦手だと、ここにいられないのですか?」
「そんなことないけど、ここって言うまでもなく山の中だし、いろんな虫がやってくるから気を付けたほうがいいよ」
「わかりました……。お騒がせしてすみませんでした」
私が頭を下げたあと、星音さんも一緒に頭を下げてくれた。
「ごめんなさい……」
「大丈夫よ。気にしないで」
私と星音さんは、そのまま部屋に戻って寝てしまった。
(2)今日から仕事はじめ。
翌朝、私と星音さんは朝食を済ませたあと、私は借りたマウンテンバイクで軽食屋へ、星音さんは駐在所の自転車で巡回を始めた。ヘルメットを被って、まっ平な道を高速ギヤで飛ばしていった。強めの日差しを浴びた瞬間、初夏の幕開けを感じた。正面から軽トラがやってきたかと思えば、止まって窓を開けて私に話しかけてきた。
「雫ちゃん、おはよう」
「おはようございます」
運転席の窓から農家の杉村義則さんが顔を出してきた。
「このマウンテンバイク、駐在さんから借りたのか?」
「はい、そうなんです」
「これから、どこかへ行くのかい?」
「今日から軽食屋さんでお仕事なんです」
「ってことは雫ちゃんのメイド姿が見られるのか」
杉村さんは鼻の下を伸ばしながら言ってきた。
「なんで、私がメイドの姿になることを知っているのですか?」
「そりゃあ、有名だよ。ひかるさん、メイド好きで自分の娘にメイド服を着させているくらいなんだから」
「そうなんですね」
私も苦笑いをしながら返事をした。
「杉村さんは畑の帰りなんですか?」
「まあな。あ、そうそう。これ、ひかるさんに渡してくれないか。今朝取れたてのトマト」
「わかりました。ありがとうございます」
「じゃあ、あとで行くからよろしくな」
杉村さんは警笛を二回鳴らして走り去ってしまった。私もリュックにトマトを入れて、軽食屋へ走って向かった。店のわきにマウンテンバイクを止めて、入口から入った瞬間だった。
「いっらしゃい……って、雫ちゃん?」
「今日からお世話になります」
「今日は初日だから何も言わないけど、次から裏口から入ってちょうだいね。それと今日は何できたの?」
「自転車です」
「どこに置いたの?」
「店の入口です」
「それも店の裏側に置いてちょうだい」
「わかりました」
私は、ひかるさんの厳しい言葉に一つずつ返事をした。
「初日から厳しいことを言って申し訳ないけど、うちは仮にも客相手の商売なの。ほとんどが村の常連だから、ため口でも大丈夫だけど、中には時々村の外からやってくる一元さんもやってくるから、言葉遣いには充分に気を付けてちょうだいね。あと、ここは言うまでもなく食べ物を扱う店なんだから、衛生面には厳しいわよ。一人でも中毒患者が出たら、ここでお店ができなくなるから、気を付けてちょうだいね」
「わかりました」
「他に質問は?」
「ここの営業時間は?」
「忘れていた。うちは10時に開店して、18時に閉店。正午から14時までの間はランチタイムになっているの。あと、休みは基本お盆と年末年始だけ。定休日がないから、休みたい時は遠慮なしに言ってね」
「ありがとうございます。あと制服の予備ってありますか?」
「ないから汚さないように気を付けてね。もし、予備が必要なら作ってあげるよ。じゃあ、制服に着替えてちょうだい」
「店長、一つ気になりましたけど、薄いゴム手袋って必要なんですか?」
ひかるさんは歯科医院で使っているような、クリーム色の薄いゴム手袋を私に渡してきた。
「実は先日、保健所からの指示で着用が義務付けられたの」
「何かあったのですか?」
「うちのバカ娘が調子に乗ってクラスメイトの口を拭いていたの。それがよくわからないけど、たまたま見ていた保健所の人が、不衛生だと判断してゴム手袋の着用を義務付けたの」
「そうなんですね……」
「ちなみ、食器洗いは炊事用の厚手のゴム手袋にして」
「わかりました」
そう言って、ひかるさんはピンクのゴム手袋に指をさした。
「あと、薄いゴム手袋は使い捨てだから、次の日に同じ手袋を使わないでね」
私はひかるさんに言われたことを一つ一つノートに記録していった。
「なんだか歯医者さんみたい」
「ごめんね……」
「そういえば、制服と一緒に入っていた手袋は?」
「これ、他で使って。バカ娘のせいで出番がなくなったから」
「そうなんですね……」
「本当にごめんね。じゃあ、店の準備を始めようか。私は店の中を掃除するから
雫ちゃんは、店の外をやってちょうだい」
「わかりました」
私はホウキとチリトリを持って、掃除をやり始めたが、特に目立った汚れもなく、すぐに終わってしまった。中に入ると、ひかるさんが、まだ掃除をやっていたので台ふきんでテーブルや椅子を拭き始めた。
「ありがとう」
そう言って、ひかるさんは厨房の掃除を続けていた。
「そろそろ開店をしようか」
「はい」
私は入口のプレートを”準備中”から”営業中”に変えて、客が来るのを待つことにした。掃除で汚れたゴム手袋を捨てて、新しい手袋にはめかえた時、退屈だったのか、ひかるさんはタブレット端末を小型スピーカーにつなげて、音楽を再生し始めた。アニメやアイドルかと思えば、ジャズの曲だった。
「ジャズとは意外ですね」
私は思ったことを口に出してしまった。
「月曜日って、テンション下がり気味だから、こういうノリのいい曲で過ごそうと思ったの」
「そうなんですね」
「あと私のことは”店長”ではなく、”ひかる”って呼んで。お客さんもそう呼んでいるから」
「わかりました。この時間は、お客さん来ないのですね」
「平日の午前中って、こんなもんだよ。来るとしたら、年寄か始末書を書かされたバカな運転手だけだから」
「ひかるさん、その呼び方辞めたほうがいいよ」
「大丈夫よ。バスを回送にして走り回ったのがいけないんだから」
ひかるさんの毒舌は半端なかった。
「本人が聞いたら傷つくから、絶対に言わないでちょうだいね」
「はーい」
私に言われて少し不満そうに返事をした。お客が来ない間、暇だったので手袋を外してスマホをいじった直後だった。”カラン”という鈴の音が鳴ったのと同時にドアが開く音がしたので、私は「いらっしゃいませ」と大きな声で挨拶をした。 入ってきた客は、さっき軽トラを運転していた杉村義則さんだった。私は慌てて手袋をはめて、義則さんにメニューを差し出した。
「あ、メニューはいいよ」
「見なくていいのですか?」
私は思わず目を点にして聞き返した。
「この人は、いつも食べるのものが決まっているから」
「そうなんですか?」
ひかるさんは、そう言って厨房で料理を作り始めた。私が厨房を眺めていたら、再びドアが開く音がした。
「いらっしゃいませ」
私が明るい声で挨拶をしたら、田川博之さんがやってきた。
「よ、メイド服似合っているじゃないか」
「ありがとうございます。田川さん、午前中の乗務終わったのですか?」
「まあね。お腹が空いたから立ち寄ったんだよ」
田川さんがカウンターの椅子に座った直後だった。
「あんた、こんなところで油を売っていると、また始末書を書かされるわよ」
「それには心配及びません。営業所にはちゃんと連絡をしておきました」
「田川君よ、またバスを回送にして走っているだけなのか?」
「杉村さん、人聞きの悪いことを言わないでくださいよ。あの時はたまたま用事ができただけなんですから」
「そうかい」
「おまたせ。カレーライスとトマトサラダです」
「雫ちゃん、ありがとう」
杉村さんは出された料理を黙々と食べて、そのまま店を出て行った。
「ひかるさん、ごちそうさま」
「またね」
杉村さんが店を出て数分、沈黙が続いた。
「なあ、俺のトンカツ定食まだか?」
田川さんは何の前触れもなく、ひかるさんに催促をした。
「うるさいわね、今作っているわよ」
「それが客への態度か? 少しは雫ちゃんや笛花ちゃんを見習えよ」
「あんただけには言われたくないわよ。それにあのバカ娘のどこがいいのよ。言っておくけど、私と同レベルかそれ以下だよ」
「少なくとも、笛花ちゃんはお前よりマシかもしれねえぞ」
「それは、どうかしらね。はい、お待ちどう」
田川さんは出されたトンカツ定食を食べ終えて、店を出て行った。
(3)サービスの悪さが命取り
お昼のランチタイムに来る客は、ほとんどが村の常連客ばかりだった。中には村外からやってくる客も何人かいた。
「お客さん、どちらから来られたのですか?」
「私は青梅からなんです」
「わりと近いですね。観光かなにかなんですか?」
「実は私の古い友人がこの村に住んでいると聞いたので、遊びに来ました」
「そうなんですね」
「今夜は友人の家で一晩泊めさせてもらう予定となっています」
「ゆっくりしていってください」
「ありがとうございます。それでは、ごちそうさまでした」
その一方で、別のお客さんの中には、魚釣りが目当てでやってきた人もいた。
「今日は魚釣りなんですか?」
「はい、そうなんです。この辺の川でアユが釣れると聞いたので、やってきました」
「どちらからなんですか?」
「私は国立からなんです」
「ちょっと遠いですね」
「なあに、車だったらわけないよ」
「そうなんですね。ゆっくり楽しんでください」
お客さんがいなくなって、一段落したので、手袋を外してスマホをいじっていた。
「雫ちゃん、一つ聞きたいけど、うちの店で働く前って何をやっていたの?」
「サーカスの一座でピエロをやっていました」
「ピエロって、派手な衣装に白いメイクをして客を笑わせるヤツ?」
「はい」
「サーカスを辞めて、どうしてうちの店で働くようになったの? 何かトラブルでもあったの?」
「団長が多額な借金を作ってしまったからなんです……」
「ごめん、なんか悪いことを聞いちゃったね」
「いえ、大丈夫です」
「もう一つ聞きたいけど、この村に住もうと思ったきっかけは?」
「実は駐在さんも私と同じ一座にいたので、居候するようになったのです」
「そうだったんだね……。もう一度聞きたいけど、この店で働こうと思ったきっかけは?」
「あの、理由がないと働けないのですか?」
「そうじゃないけど、ちょっと気になっただけ」
「一緒に働いていた女の子の制服が可愛いと思ったから……」
「もしかして、うちのバカ娘のこと?」
「はい……」
「そんなの、”馬子にも衣裳”だよ」
ひかるさんが笑いながら言っていたら、カランと音を出しながらドアが開いた。慌てて手袋をはめて「いらっしゃいませ」と笑顔で迎えたら「ただいま」とセーラー服姿の笛花がやってきた。
「笛花、何度も言っているでしょ?」
「わかったわよ」
「何、その返事は?」
「笛花さん、おかえり」
「雫ちゃん、メイド服可愛いし、似合っているわよ。それと私のことは『笛花さん』じゃなくて『笛花』って呼んで」
「うん。ところで、今学校終わったの?」
「まあね。それよりあの男子むかついた」
「どうしたの?」
「あの男子、私の体操服を見るなり『今日のコスプレは体操服なの?』と言ってきて、スマホで写真なんか撮りやがった。しかも、制服に着替えたあとも『今日はルーズソックスじゃないの?』って聞いてくるし、マジで腹が立った」
「先生に話したの?」
「話したところで、反省なんかしないから、仕返しを考えているところ」
「どんな仕返しを考えているの?」
「これから考える。それと、着替えてくる」
笛花はそう言って自分の部屋に戻り、メイド服姿になった。
「お母さん、私にも手袋」
「ちゃんと手を洗った?」
「洗ったわよ。だから私の手にはめてちょうだい」
ひかるさんは笛花の手に薄手のゴム手袋をはめた。
「お客さん、来ないね」
「まあ、平日だし、こんなもんでしょ?」
ひかるさんは私の一言に苦笑いをしながら答えていた。
「ねえ、さっき話していた男子って、普段から笛花にいじわるをしているの?」
「まあ、定期的に。このあいだも体育の時間に私の二の腕を触ってきたから、先生に言ってやったよ」
「一つ気になったけど、体育って男女一緒にやるの?」
「都会の学校と違って、田舎の学校は人が少ないから男女一緒にやるよ」
「そうなんだね……」
「もしかして、自分が都会の学校出身だから、馬鹿にしているんでしょ?」
「そんなことないわよ」
「もしバカにしているなら、この村に住めなくしてやるわよ」
「笛花、いい加減にしなさい!」
「わかったわよ」
笛花がふてくされて返事をした直度、清江さんが店に入ってきた。
「いらっしゃいませ」
私が笑顔で出迎えても笛花は、終始ふてくされていた。
「笛花、お水とおしぼりを出してあげて」
ひかるさんに言われて、無言のまま水とおしぼり、メニューを乱暴に置いた。
「今日はやけに不機嫌だけど、何か怒らせたかね?」
「……」
「なんか言ったらどうかね。この小娘が!」
清江さんは、鬼のような形相で笛花を怒鳴りつけてきた。
「そんなに怒らなくてもいいのに……。これってカスハラだよね」
「あんたからケンカを仕掛けたんでしょ? 言っておくけど、おたくの食材を提供しているのは私だということを忘れないでちょうだい。今日は気分が悪いから帰らせてもらうよ」
「あの、ご注文は?」
「あんたの小娘の態度を見たら、食欲をなくしたよ!」
清江さんはそのまま怒って帰ってしまった。
「待ってください……」
ひかるさんは怒って帰る清江さんを追いかけて引き留めようとしたけど、終始無視していたので、これ以上引き留めるのをやめて、店に戻ってしまった。
「清江さん、相当怒っていたよ。なんで、あんな態度をとったの?」
「……」
「黙っていないで、返事をしてちょうだい!」
「……」
「笛花!」
ひかるさんの怒鳴り声に笛花は一瞬ビクっとしてしまった。
「笛花、あなたは今、うちの店で一番大切な人を怒らせたんだよ。とにかく清江さんの前でふてくされた理由を説明してちょうだい」
「学校で嫌なことがあったから……」
「どんな理由があっても、そういう態度はだめと言ったでしょ!」
「はい……」
「本当にわかっているの?」
「次からは気を付けます……」
その時だった。店のドアがカランと音を立てながら開いた。
「あれ、道志のやつ怒られている」
クラスの男子の何人かがやってきて、スマホで写真を撮り始めた。
「これは見世物じゃないので、撮影は辞めてくれる? それと今取組中なので、注文ならあとにしてちょうだい」
ひかるさんの厳しい一言にクラスの男子たちはそのまま帰ってしまった。
「あとで謝りに行くから、あなたもついてきてちょうだい」
「私もですか?」
「雫ちゃんは関係ないから、悪いけどそのまま帰ってくれる?」
「わかりました。それでは、お先に失礼します」
「お疲れ。明日は悪いけど、店を臨時休業にするから次回は明後日よろしくね」
着替えたあと、私はマウンテンバイクに乗って、そのまま駐在所に戻ってしまった。
「ただいまー。……って、星音さんまだなんだね」
私は独り言のように呟いたあと、冷蔵庫からペットボトルのジュースを取り出して、テレビを見ながら飲み始めた。しかし、チャンネルを回してもこれと言って見たい番組がなかった。
「なーんか退屈」
テレビを消して、スマホをいじろうとした時だった。
「ただいまー」
玄関から星音さんの疲れ切った声が聞こえてきた。
「おかえりー。随分と疲れていているみたいだね」
「私、歩く気力がない」
「どうしたの?」
「小学生の女の子から猫の捜索願を出されて、ずっと探していたの」
「それで見つかったの?」
「うん、木の茂みに隠れていて、出てこないから抱きかかえようとしたけど、ひどくおびえていて、出ようとしなかったの」
「それで、どうしたの?」
「女の子がそうっと抱きかかえて無事救出したってわけ。一応けがをしていたから、村の動物病院に連れて行ってあげて、その場で帰ることができたの」
「よかったあ」
「あとは村の中を巡回して終わりって感じかな」
「お疲れ様」
星音さんは疲れた体で自分の部屋に戻って、部屋着に着替えたあと、私と一緒に食事の準備をしていた時だった。
「雫ちゃん、初めてのお仕事どうだった?」
「初日から波乱万丈っていうか、修羅場に近い状態だった」
「何があったの?」
「笛花っていう女の子がお客さんを怒らせたの。しかもただの客じゃなくて、お店に食材を提供しているお得意さんだったから、明日謝りに行くようなことを言っていた。それで明日、臨時休業になったの」
「笛花ちゃんにしては珍しいことをするわね。何をやって怒らせたの?」
「お水とおしぼり、メニューをテーブルの上に乱暴に置いたことが始まりだったの。それが原因で清江さん、怒って帰ったの」
「お客さんって、清江さんだったの!?」
「うん。ひかるさんも慌てて引き留めようとしたけど、その時は手遅れで……」
「そのまま怒って帰ったわけなんだね。そもそもの原因はなんだったの?」
「笛花、学校でクラスの男子から嫌がらせをうけたみたいで……」
「その怒りを清江さんにもぶつけたってわけなんだね」
出来上がったカレーライスをテーブルの上に乗せながら、星音さんは推理するような感じで返事をしていた。
「清江さん、気分を害して帰っちゃったの。明日は臨時休業にして2人で謝りに行くみたいだよ」
「雫ちゃんは謝りに行かなくていいの?」
「ひかるさんが言うには、行かなくていいみたい」
「一緒に行ったほうがいいんじゃない?」
「うん……」
「私も一緒に行くから」
「いいの?」
「これもお仕事だから」
「お願いします」
「じゃあ、冷めないうちに食べちゃおうか」
カレーライスを食べ終えたあと、食器を片づけて、そのまま風呂に入って寝てしまった。
翌日の午後、私は星音さんが運転するパトカーに乗って軽食屋さんへ向かった。
「こんにちは」
「駐在さん、どうされたのですか?」
身支度をしていたひかるさんがビックリしていた。
「このあと謝りに行くんですよね? よかったら一緒に行きませんか?」
「駐在さんは関係ないのでは……」
「雫ちゃんも一緒なの。一緒に謝ったほうが楽かなと思って……。もしかして、迷惑だった?」
「そんなことは在りません。今、笛花を呼んできますね」
ひかるさんは、店の奥へ行って笛花を呼んできた。
「お待たせ……。あれ、なんで駐在さんも一緒さんですか?」
「一緒に謝り行くことになったの」
「よろしくお願いいたします」
「よろしくね。あと、土産物屋さんに行って菓子折りを買おうか」
「そうですね。では、よろしくお願いします」
私たちを乗せたパトカーは村のはずれにある土産物屋さんまで向かった。中はだだっ広くなっていて、奥の一角に和菓子さんが見えた。
「こんにちは」
「あら、駐在さんが来るなんて珍しい」
お店の人は星音さんの顔を見るなり、少し驚いた顔をしていた。
「実は用があるのは私ではなく、ひかるさんなんです」
星音さんの後ろからゆっくりと、ひかるさんがやってきた。
「ひかるさんが、ここにやってきたってことは、何かあったの?」
「実は……、店で娘が清江さんを怒らせてしまって……」
「え!? 笛花ちゃん、清江さんを怒らせたの!?」
店の人は少しオーバーなリアクションを見せていた。
「笛花ったら、昨日の夕方近くにやってきた清江さんに冷たい態度をとってしまって……」
「それで、気分を害した清江さんは怒って帰ってしまったというわけなんだね」
「はい……」
「清江さん、この辺では大地主だし、今後野菜の提供は難しいかもね。あと、噂を流しているかもしれないよ」
「その覚悟はできています……」
「笛花ちゃん、なんで清江さんに冷たい態度をとったの?」
店の人は笛花に目線を移して話しかけてきた。
「学校で嫌なことがあって……」
「それで、怒りの矛先を清江さんに向けたんだね」
「はい……」
「気持ちはわかるけど、お店にやってきたお客さんにそういう態度をとったらだめだよ。学校でのトラブルは学校で解決しないと。先生には話したの?」
「一応……」
「だったら、あとは本人から謝ってくるのを待たなくちゃ」
「相手は男子だし、簡単には謝ってくれそうにもない……」
「笛花ちゃんくらいの男子って、女子にいじわるをしたくなる年頃なんだよね。私も笛花ちゃんくらいの時には、そういういじわるな男子がいて、その男子は卒業式の時に告白をしてきたの。でも、私は首を横に振って断ったの」
「どうして?」
「うまくいける自信がないと判断したからなの。その男子、私にふられたのがショックだったのか、打ち上げにも来なかったの。心配になって私はその男子の家に行ったら、家族みんなで荷造りをしていたので、聞いてみたら北海道に引っ越すと聞いて少し驚いたの。しかし、もっと驚いたことに私をふった男子は二十歳を迎えた時に、北海道で知り合った女の子と交際をして結婚すると言ってきたの。私は一言『お幸せに』と言い残して、この村で暮らすことを決めたの」
「そうだったのですね。その人はどこで暮らしているのですか?」
「富良野。二人で牧場をやっているみたい……」
「そうなんですね……」
「笛花ちゃんも、卒業式の時にその男子から告白をされるかもしれないよ」
「それは絶対にありません」
笛花と店の人が会話に夢中になっていたら、ひかるさんが軽く咳ばらいをしてきた。
「あ、そうだった。ひかるさん、何にしますか?」
「15個入りの豆大福を」
「承知しました」
店の人は大きめの手提げ袋に箱に入った豆大福を入れて、ひかるさんに手渡して店の出口で見送ってくれた。
店を出てから数分、私たちを乗せたパトカーは来た道をゆっくりと走っていった。あぜ道を横切って、細い路地を走っていったら、目の前に大きな屋敷が見えた。パトカーは空いているスペースに置いて、みんなで降りたあと、ひかるさんは覚悟を決めてドアチャイムを鳴らした。ドアが開くと出てきたのは不機嫌な顔をした清江さんだった。
「みんなして、なんの用なんだね? おまけに駐在さんまでやってきて。私を逮捕しに来たのかね?」
「いえ、違います……」
星音さんは清江さんの迫力に思わず引いてしまった。
「あの、実は昨日の件で謝りに来ました」
「中に入りな」
私たちは中に入って奥の八畳間に案内された。
「お茶を用意するから、少しだけ待っておくれ」
「あの、これつまらないものですが……、よかったら召し上がってください」
清江さんが台所へ行こうとした直後、ひかるさんは用意した豆大福を差し出した。
「あとでいただくよ」
清江さんは、ぶっきらぼうな言い方で台所へ向かい、お手伝いさんと一緒にお茶と豆大福を用意してきた。
「豆大福を用意されたのですね……」
「嫌いかい?」
ひかるさんが思わず口に出したら、清江さんは睨みつけながら言ってきた。
「いえ、嫌いではありませんが……」
「あの数は年寄りには多すぎる」
「では、遠慮なしにいただきます……」
笛花が豆大福に手を伸ばそうとした時だった。バッチーン!という手を強く叩いた音が聞こえた。
「いったーい!」
「『いったーい!』じゃないでしょ。今日ここに何しに来たの? 謝りに来たんでしょ?」
「はい……」
ひかるさんに叱られ、笛花はシュンとしてしまった。
「笛花、謝りなさい」
「先日、お店の中で失礼な態度をとってしまい、すみませんでした……」
「私は身内同然だから、多少の失礼な態度でも平気だけど、他の客だったら間違いなく大変なことになっていたよ」
「はい……」
清江さんの威圧的な言い方に笛花は何も言い返せず、短く返事をすることしかできなかった。
「あんたぐらいの年齢となれば、スマホを持ち歩くようになるけど、それで悪い噂でも流されたらどうする? えーっと、確かSNSだっけ。それで、拡散とか炎上とかされたら、お店ができなくなっちゃうよ。私は年寄りだから、そういう代物は扱いきれないけどね」
「……」
清江さんは声を荒げて、笛花に話し続けた。
「今後はこのようなことが起きないよう、きちんと指導します」
「私はもう気にしてないからいいけど、問題は笛花ちゃんだね。あんたはまだ子供だから、何も知らないけど、お店というのはお客様を笑顔でもてなす場所なんだよ」
「はい、おっしゃる通りです……」
「私が、ひかるさんくらいの時には『お客様は神様』という教えを受けて、お店に入ってきたお客様を暖かく迎えていたんだよ。笛花ちゃんに聞くけど、なんで『お客様は神様』というのか、わかるかね?」
「いえ、わかりません……」
「お客様は自分たちの生活を助けてくれる。だから、大事にしているんだよ」
「おっしゃっている内容はよくわかりました」
笛花は終始下を向いたままだった。
「一つ気になっていたけど、なんでさっきから下を向ているの? 私の話が退屈なのかい?」
「いえ……」
「人が話をしている時、下を向くと失礼だと教わらなかったのかい?」
「はい……」
「こんど、担任の先生にも直接抗議をしたほうがいいかもしれないね」
「この件に関しても、あとで指導しておきます……」
「あんたはさっきから『指導しておきます』という返事ばかりじゃないか」
今度はひかるさんに鋭い目つきをしてきた。
「申し訳ございません……」
「自分の子供に何も教えていなかったのかい? 呆れたよ。最近の親はろくに躾もできないんだね」
「いえ、そんなことは……」
「じゃあ、何を教えたというんだ? 親が世間知らずだから、子供も世間知らずになるんだよ。ねえ、お茶のお代わり」
清江さんは、空になった湯呑茶碗をお手伝いさんに渡したあと、目の前の豆大福を食べ始めた。
「あんたらも、食べな」
説教のあとに食べる大福は、正直食べた気がしなかった。
あれから1時間、私たちは清江さんの説教に付き合わされていた。
「一つ気になったけど、今日はなんで駐在さんまで来たのかね?」
今度は星音さんに鋭い目線を向けてきた。
「今日は付き添いで来ました……」
「駐在さんも暇なんだね」
「そんなことはありません……」
「なら、こんな場所で油なんか売ってないで、巡回でも行って来たらどうかね」
「はい……」
「そもそも、駐在さんはなんの付き添いで来たのかね?」
「この人たちの謝罪に付き添ってきました……」
「その割には、さっきから黙ってばかりじゃないか」
「……」
清江さんの迫力ある言い方に、星音さんは何も言い返せなくなってしまった。
「何も言わず、黙ってばかりでいたら、あんたがここにいる意味がないわよね?」
「おっしゃる通りです……」
「置きものじゃないんだから、駐在さんも何かしゃべったら?」
「……」
しかし、何を話せばいいのか、わからなかったので黙ったままでいた。
長い長い説教が終わったころには、空は日没前になっていた。座布団から立ち上がって帰ろうとした時だった。
「待ちな、あんたら食事まだなんでしょ? 食べていきな」
清江さんに引き留められて、私たちは食事をごちそうになることになった。ただで、ごちそうになるわけには行かないので、台所で何かお手伝いをしようとしたら、追い返されしまい、八畳間で待つことにした。
私たちの前に出された料理は、まるで旅館に出て来るような立派なものばかりだったので、私と星音さんは思わずスマホで写真を撮ってしまった。
食事が終わって玄関で見送られたあと、パトカーで笛花とひかるさんを家まで送って行き、そのまま駐在所に戻ってしまった。
「あの食事って、罪滅ぼしのために出したのかな?」
部屋着に着替えた私は、コーヒーを飲んでいる星音さんに聞いてみた。
「さあ。それは私にもわからないわよ」
「ですよね」
「それにしても、久しぶりにごちそうが食べられたよ」
「しかも、食後のデザートに出てきたケーキも美味しかったよね」
「うん!」
いつの間にか、2人でごちそうの話になっていた。
「明日もお仕事だし、今日は寝ようか」
「そうだね」
星音さんに促され、私は自分の部屋で寝ることにした。
(4)野菜嫌いを直します。
あの騒動から1か月が経って、季節は梅雨へと入り、その日も雨だった。さすがに自転車で行くことができなかったので、毎日パトカーや星音さんの自家用車で軽食屋さんまで乗せてもらって、帰りも星音さんに電話をして、迎えに来てもらう形となっていた。
制服(メイド服)に着替えて店の中に入ると、ひかるさんが袋に入っている食パンを眺めていた。
「ひかるさん、パンを眺めてどうしたのですか?」
「このパン、まだいけるかなと思って……」
「どれどれ」
私は、ひかるさんから預かったパンを眺めて確かめていた。
「雫ちゃん、どう? もしかしたらフレンチトーストにすればいけるんじゃない?」
「でも、フレンチトーストはメニューに載っていませんよ」
「大丈夫、今日の日替わりランチに載せるから」
そう言って、食パンを冷蔵庫の中にしまい込んだ。
「あと、気になりましたけど、お客さんに出す分の量は大丈夫なんですか?」
私に言われて、ギクっと反応してしまった。
「じゃあ、これはまかないにする」
「今、思いつきませんでしたか?」
「そんなことないよ」
ひかるさんは、冷や汗を流しながら否定していた。絶対に怪しい。そう思いながら、お客さんを迎える準備をしていたけど、平日の雨でお客さんが来なかった。
「退屈だね」
ひかるさんがテレビを見ながら、客を待っていたら入口から制服姿の田川さんが入ってきた。
「いらっしゃい……って、あんたか」
「おまえ、いい加減その言い方をやめろ。こっちは仕事で疲れてるんだ!」
「どうせバスを回送にして、あちこち走り回っただけなんでしょ?」
「あいにく様、今日はちゃんと客を乗せて走ってきたぞ」
田川さんは、客と思われる人の手を引いて、店の中に入ってきた。
「ほら見ろ。ちゃんと客を連れてきたぞ」
やってきたのは清江さんだった。
「清江さん、お久しぶりです。田川さんの運転、大丈夫でしたか?」
「おまえ、何気に失礼なことを言うんだな」
「ちゃんと運転出来るんだ。へえ、いがーい」
「これ以上、傷つく言い方辞めてくれないか。これでも大型二種免許持っているんだから」
「私、てっきりペーパーかと思ったよ」
「んなわけ、あるか! ペーパーだったら、とっくに首を切られているよ!」
「そうだよね。会社って、物好きななんだなと持ったよ」
「何がだよ!」
「あんたみたいな人を雇うんだから」
「言っておくけど、俺だって仕事中はちゃんと運転しているんだよ」
その時だった。今まで黙っていた清江さんが軽く咳ばらいをして、「いつになったら、注文が出来るのかね」と言ってきた。
「すみません、今注文とります」
「野菜スープとおにぎりのセットを作ってくれないかね」
「かしこまりました」
「なあ、俺は……」
「わかっているわよ。あんたはトンカツ定食なんでしょ?」
「おい、まだ注文してねえぞ!」
「だって、あんた、いつもトンカツ定食じゃん」
「俺だって、たまには違うの食べる時あるよ」
「それで、何にするの?」
「オムライス」
「あんたにしては珍しいじゃん。言っておくけど、お絵かきケチャップのサービスは、やっていないわよ」
「そんなもん、アホでもわかるわ!」
ひかるさんが料理を作り始めた直後のことだった。
「ひかるさん、先日は謝りに来てもらったにもかかわらず、きつい言い方をして悪かった……」
「こちらそ。食事までごちそうになって、すみませんでした」
「正直、あの程度で怒るなんて、大人げないと思っていたよ」
「悪いのは、すべて娘なので、あとできつく叱っておきました」
「何かあったのか?」
横で聞いていた田川さんが、口をはさんできた。
「何でもない……。っていうか、あんたは部外者なんだから、口をはさまないでくれる?」
「だったら、そういう話題は俺のいない時にしてくれよ」
「すみませんでした。はい、オムライス。お絵かきケチャップのサービスをしましょうか」
「おい、たった今『こういうサービスは、やってない』って言ったばかりじゃないか!」
「今日だけ特別よ。何がいい?」
「あんたに任せるよ」
「雫ちゃん、出番よ。このおじさんにお絵かきケチャップをお願い」
「おい、俺はまだそんな年齢じゃないぞ!」
「30だったら、もうおじさんじゃん」
「言っておくが、俺はまだ28だ!」
「四捨五入すれば、30じゃん」
「少なくとも40を過ぎたおばさんだけには言われたくねえよ」
「失礼ね、私はまだ37よ」
「似たようなもんだろ。さっきの仕返しだ!」
「お絵かきケチャップって、本当にやるのですか……?」
私は遠慮がちに聞き出した。
「ああ、頼む」
「なんて書いてほしいですか……?」
「ん? なんでもいいよ。じゃあ、下の名前を書いてよ」
私はひらがなで”ひろゆきLOVE”と書いた。それを見た、ひかるさんと清江さんは大爆笑。
「ひろゆきちゃん、『あーん』してあげましょうか」
悪乗りしたひかるさんは、スプーンで田川さんの口の中に入れようとした。
「自分で食べられるから、いいよ」
田川さんはそうそう言って、スプーンで黙々と食べ始めてしまった。
「このスープに入っている野菜は、うちの畑で取れたものを使っているのかい?」
その一方では、清江さんが野菜スープに入っている野菜を眺めながら、ひかるさんに聞き出した。
「取れたての野菜でしたので、とても甘みが出ていました。ありがとうございます」
「それは、よかった」
「あと、頂いた人参でお菓子を作ってみました。よかったら食べてみてください」
ひかるさんは、冷蔵庫から人参で作ったケーキを取り出して、清江さんに差し出した。
「このケーキ、本当に人参で作ったの?」
「はい」
一口食べた清江さんは、驚いた表情で聞き出した。
「人参でケーキが出来上がるとは思わなかったよ」
「野菜嫌いの子供でも、手軽に食べられるようにと思って、作ってみました」
「なるほどね。今の子供たちは野菜嫌いが多いから、お菓子にするといいかもしれないね」
清江さんは、出されたお茶を飲みながら関心していた。
「ひかるさん、さっきの人参のケーキ、俺にも出してよ」
「いいわよ。一つ350円ね。それも税抜きで」
「おい、金取るのかよ」
「当たり前でしょ? 一応売り物なんだし。って、冗談よ。今回は試作だから、無料にしてあげるよ」
「だったら、最初からそう言えよ」
田川さんはそういって、出されたケーキを一口食べ始めた。
「おいしい! 甘さも控えめだし、中に人参が入っているってわからないよ」
「ひろゆきちゃん、もしかして人参嫌いだった?」
「幼少期のころな。カレーに入っていた人参も、きれいによけていたから、母さんによく怒鳴られていたよ。でも、ある日学校給食に酢豚が出てきて、その中には俺の大嫌いな人参がたくさん入っていたんだよ。正直『また人参か。なんの嫌がらせなんだ』と口に出していたら、当時の担任の先生が面白いことを提案してきたんだよ。『今日の給食残さず全文食べた人は宿題をなしにする』と。しかも俺の嫌いな算数を免除にすると言ってきたから、我慢して嫌いな人参を一口食べたんだよ。そしたら口の中に甘みが広がって、好きになったんだよ。それ以来、人参が好きになって、カレーに入っている人参も全部食べられるようになったんだよ」
「こんなエピソードがあったんだね……」
今まで悪乗りしていた、ひかるさんはそれを聞いて、急にまじめな表情になってしまった。
「これを機に、子供の野菜嫌を直してほしいんだよ」
「なるほどね。こっちも何とか知恵を絞ってやってみるよ」
「確かに、今の子供たちは肉や魚ばかりで、野菜を食べようとしない。お菓子と言えば、チョコレート、アイスクリーム、ビスケットばかり。だから体が弱くなって、すぐに病気になってしまう。周りの大人たちも子供に『体にいいんだから、野菜を食べなさい』と、薬を飲ませるように無理やり食べさせるから、余計に嫌いになってしまう。本当に情けないよ」
今まで黙っていた清江さんも、横から口をはさんできた。
「確かに、そういった所から野菜嫌いが発生するのよね。私の母も『野菜食べないと、病気になるわよ』と言って、私に無理やり食べさせていたのを覚えている」
「私からの提案なんだけど、小さい子どもが注文した分に、さっきの人参のケーキをサービスで出すのはどうかね?」
「悪くないと思います」
「俺もその提案には賛成です」
田川さんも横から便乗してきた。
「じゃあ、それで行きましょうか」
その直後だった。学校から戻ってきた笛花が店の中に入ってきた。
「ただいまあ」
「笛花、お帰り。実はあんたに食べてもらいたいものがあるの」
「何、娘を実験台にするの?」
「人聞きの悪いことを言わないでよ」
そう言って、冷蔵庫から人参のケーキを差し出した。
「これは?」
「人参のケーキだよ」
「マジで!?」
「うん、マジ」
笛花は、目の前のケーキを眺めてしばらく固まってしまった。
「笛花ちゃん、だまされたと思って一口食べてごらん」
田川さんに言われて、一口ケーキを入れて、強く目をつむってしまった。
「!? これ、本当に人参のケーキなの? なんていうか甘すぎないし、上品で食べやすい! これ、お客さんに出すべきだよ」
「一応、そのつもりなんだけどね」
ひかるさんは、苦笑いをしながら返事をしていた。
「人参嫌いでも食べられる味だよ」
「もしかして、笛花ちゃんも人参嫌いなの?」
田川さんは意外そうな顔をして聞き出した。
「昔の話。今は平気だよ」
「そうなんだね」
「給食で出た人参のグラッセが苦手だった。でも、今は平気だよ」
「好き嫌いをなくすことは、いいことだよ。じゃあ、俺はそろそろ帰らせてもらうよ。清江さん、よかったら近くまで乗せましょうか」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
「雫ちゃんは、どうする?」
「私は、星音さんが迎えに来るので、パトカーで帰ります」
「なら、駐在さんには私から連絡しておくよ。だから、雫ちゃんも一緒にバスで帰ったら?」
「でも、まだ仕事が……」
「それなら大丈夫。笛花が帰ってきたから、どうにかなるよ」
ひかるさんは、そう言ってスマホで星音さんに田川さんが運転するバスで帰ることを伝えた。
帰宅してから数分、いつもなら星音さんが帰ってきてもおかしくないのに、部屋には誰もいなかった。スマホにつなげても電話に出てくれないので、私は不安を覚えてしまった。だからと言って心配しても始まらないので、私はテレビを見ながら時間をつぶしていた。適当にチャンネルを回していたら、ちょうどニュースがやっていたので、見ていたら大菩薩村で空き巣被害の話題が出ていて、映像には星音さんが映っていた。その直後だった。スマホに星音さんから電話が来て、「夕食は軽食屋さんで済ませてちょうだい」と言われてしまった。
「でも、お店は閉まっているはずだけど……」
「大丈夫、ひかるさんには私から伝えてあるから。あと、行きと帰りは、ひかるさんの車に乗せてもらって」
言うだけ言ったら、星音さんは電話を切ってしまった。相当忙しいんだろうな。そう思ってソファで横になっていたら、ドアチャイムが鳴る音が聞こえたので、そっと開けてみたら、ひかるさんが立っていた。
「迎えに来たわよ」
「よろしくお願いします」
「そんなに固くならなくていいよ」
ひかるさんは顔をにこやかにして、私の手を引いて自分の車に乗せてしまった。
「せまくてごめんね」
そう言って、ひかるさんはエンジンを回して、ギヤをDに入れてゆっくり走り出した。
お店に着いて、私とひかるさんは裏口へ回って家の玄関から入って、食堂へ案内された。テーブルの上には餃子とレバニラ炒めが大きなお皿に乗せられて、テーブルを占拠していた。
「すごい量ですね」
「でしょ? 私と笛花だけでは食べきれないの。だから、雫ちゃんにも手伝ってほしいと思って呼んだの」
さらにとどめを刺すように、ペットボトルのウーロン茶と緑茶が2ℓ(リットル)サイズでドーンっと置かれていて、コップには氷も入っていた。世界大食い選手大会か!と突っ込みたくような量だった。
「いただきます」
「おかわりもあるからね」
まだ食べ始めてもいないのに、お代わりを勧めてきた。家でのひかるさんが気になってきた。茶碗に入っているご飯がなくなって餃子に箸を伸ばそうとした時だった。ひかるさんは私の茶碗を取り上げて、炊飯器のご飯を入れて私に戻してきた。「私、相撲取りではありません」と心の中で呟いてしまった。
食べ終わって、余った餃子とレバニラ炒めの一部を使い捨てタッパーの中に入れて、私に差し出した。
「もらっていいのですか?」
「これ、雫ちゃんと駐在さんの分」
「ありがとうございます。今日はごちそうさまでした」
「いいえ、お粗末様でした」
「帰りは歩いていきますので」
「雫ちゃん、さっきのニュース見なかったの? この近くで空き巣があったんだよ」
「でも、通り魔ではありませんよね? それに犯人は逮捕されたみたいだし」
「物騒になったんだから、帰りも駐在所まで送ってあげるよ」
「わかりました。よろしくお願いします」
「あ、そうそう。デザートがあったの。食べて行かない?」
そう言って、ひかるさんは冷蔵庫からシュークリームを3つ取り出して、一つ私に差し出した。
「ありがとうございます」
シュークリームを食べたあとって、決まって口の周りにカスタードクリームが着いてしまう。私はティッシュで口の周りを拭いたあと、再びスマホでニュースを見ていた。逮捕された空き巣の犯人は取り調べに対して「生活に困っていた」と供述し、容疑を認めていたと書いてあった。
「そろそろ帰ろうか」
ひかるさんは車の鍵を持って、私を駐在所まで送る態勢になっていた。
「よろしくお願いします」
帰りの車の中は、特に話すこともなく、終始無言のままでいた。
「どうもありがとうございました」
「明日もよろしくね。あと、駐在さんによろしく伝えておいてね」
ひかるさんは警笛を軽く一回鳴らして、そのまま走り去ってしまった。
玄関に入ると疲れ切った顔をした星音さんが横になっていた。
「星音さん、こんなところで寝ていると、風邪を引くよ」
私は星音さんの肩を数回叩いたり、ゆり起こしてみた。眠い目をこすりながら起き上がった星音さんは、重たい体を引きずるような感じで、自分の部屋に戻ってしまった。
翌朝、私は昨日の夕食に出た、餃子とレバニラ炒めを食卓に並べて、朝食の準備をした。
「おはよう……。って、朝から餃子とレバニラ炒め!?」
「スタミナがつくのかなと思ったけど……」
「口臭がひどいって、クレームが来るわよ」
「大丈夫、臭い消しがあるから」
「悪いけど今夜にして。今食べたら間違いなくクレームが来るから」
星音さんに言われて、私は大至急卵焼きと焼き魚を用意して、星音さんに差し出した。
「本当にごめんね」
「ううん、私こそ気が利かなくて、ごめんね」
そう言って、食事を済ませて身支度を済ませたあと、星音さんは自転車で巡回に向かい、私も着替えを済ませて軽食屋へと向かった。
梅雨の中休み、今日の空は見事に快晴だった。汗をかきながら、私はマウンテンバイクで村の中を軽快に走っていった。季節は地獄の猛暑や酷暑へと変わっていくのあでった。
5話へ続く。




