3、駐在さんの思い出話
(1) 恐怖のおやつタイム
屋根裏部屋からアルバムを抱えた私と星音さんはジュースを飲みながらゆっくりとアルバムを広げた。最初に見たのは保育園の卒園アルバムだった。1ページ目をめくるとそこには手形があった。
「この手形って、星音さんの?」
「そうよ。卒園を控えた時、先生がみんなの手に水性塗料を塗って、アルバムの1ページ目につけたの」
「小さい手なんだね」
「6歳の時だからね」
さらにページをめくると、集合写真が写っていた。
「星音さん、保育園の時リンゴ組だったんだね」
「私の保育園、果樹園をイメージしたの。だから、よその組には桃組、ブドウ組、みかん組とかあったの」
「その割には、保育園の名前って地味なんだね」
「それは、大きなお世話ってものだよ」
「だって、名前が上野原保育園ってなっているから……」
「上野原市の保育園だったからね」
さらにページをめくってみると、昼寝の写真があった。
「先生って、かなり悪趣味なんだね」
「なんで?」
「普通、寝顔なんて撮らないよ」
「確かに今だったらね。その当時は寝顔を撮ってもそんなに騒ぎにならなかったから」
星音さんは苦笑いをしながら話してくれた。
「昼寝って、必ずしないといけないの?」
「まあね。先生が寝ているかどうか見るんだけど、起きていると注意してきたり、場合によっては廊下に出すこともあったの」
「結構厳しいんだね」
「本当に厳しい先生は、頭を叩いてくるからね」
「親からクレームがなかったの?」
「あったわよ。中には自分の子供をよその保育園に行かせた親もいたよ」
そう言いながら、次のページをめくったら、給食やおやつを食べている風景もあった。
そこから先は回想シーンに入る。
「これから給食なので、みんなで手を洗いましょう」
給食とは名ばかり、実際は子供たちが用意したお弁当と、給食からおかずが一品用意されただけだった。そのおかずも、ほとんどが野菜サラダだったけど、日によっては肉や魚などが出ていた。食べ終わったあとは布団を敷いて、パジャマに着替えて昼寝に入ることになる。早い人はすぐに寝てしまうけど、遅い人はなかなか寝付けなかった。星音さんが無理やり目をつむって寝ようとした時だった。数人の男子が起き上がって騒ぎ始めた。星音さんも眠れなかったので、布団の上に座って、男子が騒いでいる光景を眺めていた。
時間が経つにつれて声が大きくなって、最後はリンゴ組の長岡先生が注意に入ってきた。
「静かにできないなら、今日のおやつは、ぬきにするよ」
その一言で男子はおとなしくなってしまった。3時より少し前に布団を片づけて、着替え始めた。おやつには必ず牛乳が出るけど、中にはアレルギーを理由に飲めない子供もいた。何も知らない子供はアレルギーの子供に「牛乳飲まないと大きくなれないよ」とか「いっき、いっき」と言って手拍子をしながら、飲ませようとしていた。
それを見ていた長岡先生は「あなたたちは、お外で遊んできなさい」と言って外へ行かせた。しかし、納得しない子供たちは「先生、なんでこの子だけ牛乳を飲まないの? 私なんか嫌いな牛乳を我慢して飲んでいるのに」と反論してくる。
「これはアレルギーと言う、とても怖い病気なの。単なる好き嫌いの問題じゃないんだよ。この子は牛乳を飲んだりチーズを食べると、発作を起こすの。もしかしたら、死ぬかもしれないんだよ」
長岡先生の話を聞いた子供たちは、急におとなしくなってしまった。さらによりによって、おやつはミルクビスケットだったので、食べるとこもできなかった。
次の日、長岡先生は給食室へ行って、牛乳用のコップを一つだけ空にするよう、お願いをしてきた。
給食員の一人は疑問に感じて長岡先生に質問をしてきた。
「あの、これって長岡先生の組だけなんですか?」
「はい、そうなんです。今さらなんですが、1人乳製品のアレルギーの子がいて……。保護者の方からは、ちゃんと医師の診断書のコピーを預かってきました」
「なんで、それを早く言わなかったの?」
「すみません……」
「わかりました。この子の分だけ、違うのを出せばいいのですね」
「はい。ちなみに飲み物は私が近くの自販機で購入したジュースで……」
「毎回だと先生の財布にも響くでしょ? だから、この件は園長と話して、ジュースを購入してもらえないか交渉します」
「ありがとうございます」
その日のおやつの時間、みんなが起きる前に長岡先生は空っぽのコップに自販機で購入したオレンジジュースを入れて、アレルギーの子供に用意してあげた。それを見た他の子供たちは当然のことながら納得がいかず、クレームを出す始末だった。
「あー! なんでジュースなの? ずるーい!」とか「俺だって牛乳嫌いなの、我慢して飲んでいるのに、こいつだけジュースって、おかしいじゃねえかよ!」という言葉があとを絶たなかった。おやつに関しても他の子供たちはビスケットやチーズなど、乳製品のものが多かったが、アレルギーの子供だけにはゼリーを用意した。それを見た途端、再びクレームの嵐。それをきっかけにいじめが始まった。「おい、自分だけジュースやゼリーっておかしくないか?」と絡んでくる始末。
「牛乳が嫌いだからと言って、自分だけジュースやゼリーってズルイよな」
さらに別の子供も絡んできた。
「なあ、明日のおやつの時間に、こいつに無理やり牛乳を飲ませないか?」
「それもいいな」
そうやって、いじめへの第一歩がスタートし始めた。
翌日のおやつの時だった。乳製品アレルギーの細田文男が、昨日と同様にジュースを飲んでいた時だった。
「おい、文男。お前も牛乳飲めよ」
いじめのリーダーの内田武史が牛乳の入ったコップを差し出してきた。
「僕、牛乳飲めないんだよ」
「そうやって、好き嫌いしていると大きくなれないんだぞ」
今度は横にいた大森直樹までが口をはさんできた。
「僕、アレルギーだから、飲めないんだよ」
「そういうふうに言えば、自分だけジュースが飲めると思っているのかよ」
「僕、牛乳を飲むと発作を起こすんだよ」
「これを機にいいことを教えてやるよ。すぐばれる嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれるぞ」
それを聞いた文男は困ってしまった。
「おい直樹、文男の体を抑えていろ。こいつの口に牛乳を流し込むから」
直樹は文男の体を押さえつけて、抵抗できないようにしたあと、武史が文雄の口の中に牛乳を流し込んでしまった。その直後だった。文雄はバタンと倒れてしまって、意識不明になってしまった。
それを見た長岡先生は慌てて文雄に近寄って意識を確かめたけど、すでに時遅しとなっていた。口元には牛乳が残っていた。誰かが無理やり飲ませた可能性があると確信をした。園長先生に報告したあと、すぐに119番通報して救急車を手配して、近くの病院に運ばれてしまった。
回想は終わって、現在に戻る。
「その文男君ってどうなったの?」
「彼、死んじゃったの……」
聞き出した私に星音さんはボソっと短く返事をした。
「牛乳を飲ませた2人はどうなったの?」
「両親が代わりに刑事罰を受けてしまったの。いじめをやった2人は、それぞれよその保育園に移されてしまって、そのあと私がいた保育園も閉園に追い詰められたの」
「一つ気になったけど、この事件でマスコミとか来たの?」
「もちろん来たわよ。長岡先生や園長先生がしつこく質問されていたの。具体的に『亡くなった園児はアレルギーと知っておきながら、牛乳を提供されていたのですか?』とか『亡くなられた園児の家族にはどのように説明されたのですか?』と言われたの。中には『この保育園は続けられるのですか?』という質問もあったわよ」
「園長先生は、なんて返事をしたの?」
「詳しいことは覚えていないけど、園長先生は困った顔で『今の子供たちが全員卒園したら、閉じようと思っています』と返事をしたの。ある記者が『園児が事件で亡くなられているにも関わらず、なんですぐに閉園をされないのか、教えてもらっていいですか?』と厳しい質問をされて、園長先生は一息入れてから『今の子供たちは事件とは関係ありません……』と返事をしたの。さらに別の記者から『事件を起こした園児たちにはよその保育園に移動させて、ご自身は異動または退職という選択肢はないのですか?』と聞かれたから、『最終的に決めるのは市の教育委員会なので、現時点では返事が出せません』と答えたの。中には『賠償金の支払いはされるのですか?』という質問もあったけど、園長先生は『この件に関しては亡くなられた家族ときちんと話し合います』と答えたの」
「そうなんだね……。それで、その保育園は今はどうなったの?」
「閉園にはならなかったけど、市が民間に委託したの」
「園長先生と長岡先生は?」
「園長先生は、そのあと学校用務員や市役所で事務をやっていて、今は定年を迎えて家でゆっくりしているの。長岡先生も保育園を辞めて、今は民間企業へ転職」
「卒園してから、どっちかに会ったことあるの?」
「ううん、そのころにはサーカス団に入っていたから……」
「そうなんだね……」
「じゃあ、次のアルバムを見ようか」
星音さんが小学校の卒業アルバムを開こうとした時だった。
「この写真って、保育園のお遊戯会?」
「あ、ここは見ないで!」
「なんで?」
「なんて言うかその……」
「恥ずかしがることなんかないよ。見ようよ」
「やっぱダメ!」
星音さんが止めた時にはすでに手遅れで、私が見た写真にはトトロの着ぐるみを着た星音さんが写っていた。
「お遊戯会でトトロのお芝居をやったのですね」
「もうやだ!」
「なんで?」
「これだけは見られたくなかった。それ以来ついたあだ名はトトロだったの」
「マジで? でもそれはそれで可愛いと思うよ」
「もういいから、次のページを見ようよ」
次に見たのは運動会だった。
「いろんな競技があったんだね」
「まあね」
「星音さん、応援団やったの? かっこいい!」
「そんなことないよ」
さらにページをめくると、親子遠足の写真が出てきた。
「星音さん、どこへ行ってきたの?」
「忘れた」
「楽しそうだね」
「そんなことないよ。さんざんな遠足だったよ。バスの中で親が一人ずつ挨拶をしていったんだけど、私の母さんだけ挨拶をしなかったの。私が理由を問い詰めても笑ってごまかして終わらせたの。翌日、遠足の代休で保育園はお休み。近所の自然公園にまたしても遠足。お弁当はコンビニで買ってきたもの。そこで、母さんが立ち上がって私の前で『えー、私は白丸星音の母でございます。今日はどうかよろしくお願いいたします』と簡単に挨拶をしたの。それを聞いた時には、思わずギャフンと言わされた気分だったよ。『なんの真似なんだ』とそう思ったの。我慢の限界が来た私は母さんに『昨日の遠足の真似をしているの?』と聞き出したら、出てきた返事が『バスの中でお母さんだけ挨拶をしてくれないって、おへそを曲げていたんでしょ? だから今日星音ちゃんの前でちゃんと挨拶をしたの。これで満足した?』と聞いてきたあと、それが火に油になって『そういうのは昨日みんなの前でやってちょうだい!』と言ったら『お母さん、人前で挨拶するの苦手なの。だから許してくれる?』と返事が来たの。『謝って済むなら警察なんかいらないわよ!』って言いたかったけど、5歳児の私からそんな言葉が言えなかったから、我慢していた」
「それって、お母さんなりに気を使ったんじゃない?」
「そうだけど、代休に近所の自然公園は勘弁して欲しかったよ。あれから、つまんない顔していたら、急に帰ると言い出してお弁当も食べずじまい。『帰るの?』と聞いたら『お母さんも暇じゃないから、遊びたかったらあんた1人で遊んでちょうだい。気を使ったつもりが逆効果だったよ。気の利いた場所じゃなくて悪かったわね!』と言って、怒って帰ったの」
「せっかくの遠足の代休が台無しになったんだね」
「買ってきたコンビニ弁当も家で食べて終わったの。そのあとは忙しそうな顔をしながら、洗濯や掃除をしたり、夕方にはスーパーで買い物。終始不機嫌なままだったの。父さんが仕事から戻ってきて『今日は楽しかったか?』と聞いたから、今日のことを全部暴露したら、今度は父さんと母さんが大げんか。さすがに『余計なことを言った』と後悔したよ」
「そうなんだね……」
(2)日本人なら贅沢はできないはず
次に開いたのは小学校の卒業アルバムだった。分厚い革の表紙を開いた瞬間、一枚の写真が出てきた。
「これって、星音さん?」
「そうよ」
校長先生から卒業証書を受け取っている写真だった。
「モノクロなんだね」
「その方が味があっていいでしょ?」
「まあね」
私は苦笑いをしながら返事をした。最初にページをめくってみると、クラスの集合写真が写っていて、次にめくってみると、学校行事の写真が載っていた。運動会、遠足、修学旅行、学芸会などが写っていた。私が黙々とページをめくっても星音さんは何も言ってこなかった。
「星音さんの学校の運動会って女子も組体操やったの?」
「そうよ」
「怖くなかった?」
「私は平気だったよ。雫ちゃんは?」
「そういえば、私の学校は途中までは女子が創作ダンス、男子が組体操だったけど、私が5年生になってから、女子も組体操をやるようになったの」
「そうなんだね」
「あと気になったけど、保護者競技ってあったの?」
「あったわよ。れいによって、最後まで競技に参加してくれなかった。私がお願いしても拒否ってばかり。6年生で最後の運動会だから、出てほしいとお願いをしても『応援に来ただけ、ましだと思いなさい』と冷たく返されたの。さすがにその時だけはカチンと来て口も聞かなかったの。運動会が終わって打ち上げをやらないどころか、食事もいつもと変わらなかった。『運動会、お疲れ様』の一言も言ってくれなかったから、頭の中で煮えたってしまって、その日は何も食べないで寝てしまったの。母さんが『ご飯だよ』と言ってもシカトを決めて終わりにしたの」
「そうだったんだね」
「そこまでなら、まだ許せたけど、ここから先は絶対に死んでも許せないことが起きたの」
「何?」
「悪魔の小学校の卒業式。式が終わって校舎を出て、仲のいい人だけでつるんで終わるシンプルな流れだったんだけど、その日の夜、いつもと変わらない食事だったからカチンと来たの。乾杯もやってくれない、卒業旅行の話もなかったの。母さんがダメでも父さんに期待してみようと思ったら、疲れ切った顔で何も言ってこなかった。『ぶっ殺す。早く死ね』と心にもないことを部屋で言い続けたの。翌日から春休みになったのはいいけど、いつもと変わらない一日を過ごすことになったの」
「ふむふむ」
「次の日、私は友達の家で愚痴こぼしの連発。友達は苦笑いをしながら聞いていたけどね」
「そうなんだね」
ここから回想シーン
「ねえ、ひどい親だと思わない?」
「そう?」
「ふつうは、門出の時くらいにはごちそうを出すじゃん」
「私の家も昨日は普通の食事だったよ」
「マジ!?」
「うん」
「そんなことを言って、お寿司とかピザとか出てこなかった?」
「普通にご飯とみそ汁、コロッケだったよ」
クラスメイトの唐戸明日香さんは星音さんの質問に淡々と答えていた。
「そうなんだね……」
星音さんは明日香の意外な答えに対して、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。
「星音、ちょっと甘えすぎていない? 私ら4月から中学生になるんだよ」
「それが何か?」
「まだわからない? もう、つまらないことで、へそを曲げる年齢じゃないんだよ。少しは大人になろうよ」
「うん……」
さらに、とどめを刺すような言い方をされて何も言い返せず、短く返事をした。
明日香の家を出て数分、近所の神社で星音さんは心にもないお願いをしてしまった。二礼二拍手一礼をしたあと、心にもなく「両親と明日香が早く死にますように」と言ってしまったのだ。しかし、その時はこれから恐ろしい展開になるとは思ってもいなかった。
神社を出て駅前の本屋さんで時間をつぶしている時だった。スマホの着信音がうるさく鳴っていて、電話に出てみたらクラスメイトの羽村好美からだった。
「もしもし?」
「星音、今電話大丈夫?」
「どうしたの?」
「明日香がコンビニ近くで通り魔に襲われて、近くの病院に運ばれたの」
「どこの病院か、わかる?」
「確か、吉田総合病院だったはず」
「わかった、今から向かうね」
電話を切ったあと、自転車で吉田総合病院まで向かった。中へ入ってみると、明日香の家族と何人かのクラスメイトが集まっていた。
「星音、急に呼び出してごめんね」
好美は、申し訳なさそうな顔をして星音さんに一言謝ってきた。
「ううん、大丈夫だよ。それより明日香の容体は?」
「かなりピンチみたい……」
手術は難航しているみたいだった。”手術中”のランプが消え、先生が出てきてマスクを外した直後だった。
「最善を尽くしましたが、誠に残念な結果となりました……。申し訳ございません……」
その直後、みんなでワーワーと泣き崩れていた。明日香の遺体は霊安室に移され、そこでしばらく沈黙が続いた。「全部私のせいだ」と星音さんは心の中で呟いていた。
1人廊下に出て壁にもたれていたら、好美が星音さんの所にやってきた。
「どうしたの?」
「全部私のせい……」
「何が?」
「私が明日香に呪いをかけたのよ」
「どうやって?」
「神社で『両親と明日香が早く死にますように』と言ってしまったの……」
「それ、警察の前で話したところで信じてもらえないよ。明日香はちょっと運が悪かったの。警察も、じきに犯人を捕まえるみたいだし……」
病院を出て数分のことだった。知らない電話番号から着信が来た。出るべきかどうか迷った末、星音さんは思い切って電話に出てみた。
「もしもし?」
「白丸星音さんの電話番号ですか?」
電話の相手は若い女性だった。
「はい、そうですが……」
「私、臼井記念病院の者ですが、あなたのご両親が列車爆発テロに巻き込まれてしまって……。とにかく急いでお越しになってください」
私が電話を切った直後、好美が「星音、ちょっとこれを見て」と言って、自分のスマホを見せた。画面を見ると、中央本線の上野原駅近くで車両が爆発しているように見えていた。この中に星音さんの両親が乗っていたとは誰も想像もしていなかった。
「とにかく急いだ方がいいんじゃない?」
「うん……」
好美と別れた直後、再び自転車に乗って急いで臼井記念病院まで向かった。中に入って受付で両親の場所を聞いたら、すでに霊安室に運ばれていると聞いたので、駆けつけてみたら顔に白い布が覆われていた。再び悲しみが襲ってきた。大声で泣いていたら、「お嬢ちゃん、元気を出して」と誰かが声をかけてきた。顔を見上げると小太りの男性が、にこやかな顔で星音さんの顔を見ていた。手品でハンカチを出して星音さんの涙を拭いた。
「あの、あなたは?」
「おじさん、こういう者だよ」
小太りの男性はジャケットの内ポケットから名刺を取り出して、星音さんに一枚差し出した。そこには<星空サーカス団 団長……星 幹夫>と書かれていた。
「サーカスの団長なんですか?」
「そうだよ。お嬢ちゃん、サーカスに興味ある?」
「うん!」
「そうか。よかったら見においでよ」
「それで、サーカスの団長がなんでここにいるの?」
「実は、おじさん、お嬢ちゃんのパパの幼馴染なんだよ。爆発テロが起きたと聞いて、急いで駆けつけてみたらこのざまで……」
そのあとは沈黙が続いていた。
さらに5日後、両親と明日香の葬式は別の場所で同時に行なわれることになってしまった。星音さんがみんなに事情を話したら、「両親と最後のお別れをして来いよ」という人もいれば「葬式の日程が一緒なら仕方ないよね」と言った声もあった。
告別式を迎えた朝、喪服姿の好美がやってきた。
「好美、明日香の葬式に出なくてよかったの?」
「昨日お通夜に出たから、告別式は断ってきた」
そのあとも何人かのクラスメイトがやってきた。
「みんな来てくれてありがとう」
「星音を一人にさせたら、かわいそうだと思って来ちゃった」
ある女の子は軽く微笑みながら星音さんに言ってきた。出棺前の最後のお別れで、星音さんはそれぞれの棺の中に思い出の品々を入れたあと、みんなでお花を入れた。そのあと、それぞれの棺にお坊さんが戒名の書かれた半紙を入れてふたが閉ざされた。霊柩車2台、マイクロバス1台、白い高級ミニバン1台で、上野原市内の火葬場へ向かった。
到着して中へ入ると、大きくきれいな建物だったので、とても火葬場とは思えない空間になっていた。
収骨まで時間があったので、食事を済ませて、みんなで世間話に夢中になっていた。しかし、星音さんは話し相手がいなかったのか、1人スマホに夢中になっていたので、それに気が付いた幹夫さんは星音さんに近づいて話しかけてきた。
「退屈?」
「はい……」
「お父さんとお母さん、同時に亡くなってつらいかもしれないけど、1人で頑張らないとな」
「はい……」
「兄弟や姉妹はいるの?」
「私一人っ子です……」
「なおさら大変だ……。もしよかったらサーカス団に入ってみない?」
「このタイミングで?」
「いや、返事は今すぐでなくてもいいんだよ。ゆっくり考えて、その気になったら、名刺の電話番号につなげてよ」
「この電話番号って、東京ですよね?」
「まあね。東京の稲城市に住んでいるから、よかったら遊びにおいで。サーカスは楽しいよ」
「でも、東京までの電車代が……」
「もし、星音ちゃんが『サーカスに行きたい』と言ったら、家まで迎えに行ってあげるよ」
「うん!」
火葬が終わって、収骨を終わらせ、骨壺は父方の祖父母、遺影は母型の祖父母、位牌は星音さんと従妹が持って移動した。
星音さんの家に集まって、これからのことをみんなで話し合うことにした。簡単にまとまらないのはわかっていた。両親が同時に亡くなるという前代未聞の展開にみんなはパニックになっていた。ある人は外に出て、携帯用の灰皿を用意してタバコを吸い始める始末。ある人は無関心な顔でスマホに夢中になる始末だった。
回想終わって現在に戻る。
「残されたお金は、私が大きくなった時に必要だからと言って、私名義の通帳で管理され、家と家具は近くに住んでいる母方の祖父母が管理することになったの」
「住む家があって、なんでサーカスに入ってきたの?」
「どうも性格が合わないっていうか、考え方にすれ違いができたから……。それにサーカスに興味があるっていうも嘘じゃないから」
「しかし、まさかのピエロ候補とは思わなかったよ。私てっきり空中ブランコとかのイメージが強かったから……」
「私が一つ驚いたのは、ピエロやるときメイクじゃなくてお面を被るとは知らなかったよ」
「それも、女子だけというのも変だと思わない?」
「確かに……」
「ところで、お墓はどこにあるの?」
「相模原にある市民霊園にしたの」
「そうなんだね」
「少し遠いけど、行けない距離じゃないから」
そのあと、私と星音さんは、中学校の卒業アルバムを開くことにした。
(3)ダビデの星のように
「中学校の制服ってセーラーなんだね。それもリボンじゃなくてスカーフになっている」
中学校の卒業アルバムを見た私の最初の感想だった。
「一応、公立中学校だったんだよ」
「そうなんですか? 私、てっきり私立かと思いました」
「そんなわけないじゃん。祖父母の家に居候していた私が私立へ行けるわけないでしょ」
星音さんは冗談交じりで私に言ってきた。
「屋根裏部屋にあったセーラー服って、中学校の制服?」
「そうよ、着てみる?」
「いいの!?」
私のテンションは一気に上昇した。再び屋根裏部屋に行って、箱から長袖のセーラー服を取り出して袖を通した瞬間、ほのかに漂ってくる優しい香りが私の鼻を刺激してきた。「優しい匂いがする」と思わず口に出したくなってしまった。スカートの丈も少し長い感じがした。水色のスカーフを結んだ瞬間、なんだか自分が大人っぽく見えた気がした。
「どうかな……」
「うん、似合っているよ。可愛い」
私が恥ずかしそうに聞いたら、星音さんは軽くにこやかな顔をして言ってくれた。
「よかったら、もう少し着ていていいかなあ? だめ?」
「いいよ。その代わり汚さないでね」
「今度、夏服も着ていい?」
「いいよ」
「ありがとう」
本当なら夏服も着てみたかったけど、時期がちょっと早かったので、今回は我慢した。
居間に戻って、再びアルバムを開いた。最初に見たのは先生たちの集合写真だった。当然言うまでもなく、写真に写っている先生たちは私の知らない人ばかりだった。ページをめくってみると、弁当を食べているところや授業中の写真が載っていた。さらにページをめくると、どこかの旅館の写真が載っていた。
「これって、修学旅行?」
「ううん、違うよ。これは林間学校」
「林間学校で旅館に泊まったの?」
「そうだよ。その代わり周りは山だらけ。そこでハイキングやオリエンテーリング、バーべキューをやったの」
「なんだか楽しそう」
「そうでもないよ。決まりごとが多すぎて、満足に楽しめなかった。卓球やゲームコーナーへの立ち入りはすべて禁止。服装は学校で指定された体操服、ジャージ、Tシャツ、靴以外は禁止になっていたの」
「それって、厳しすぎない?」
「それだけじゃないの。市販のワンポイントTシャツを持参する際には白い布に自分の名前を書いて縫いつける決まりになっていたの」
「なんだかドイツ兵がユダヤ人にダビデの星を縫いつけさせるのと一緒じゃん」
「そこまでなら、まだ許せるんだけど、先生が定期的に巡回するから、うかつに男子の部屋に行くと捕まってしまうの。他にもハイキングの時、空になった弁当やお菓子の紙くず、ジュースの空容器など、ちゃんと持っているかどうか先生が必ずチェックしてくるの。どれか一つでも持っていないと、山に捨てられているごみを拾わされていたの」
「それって、ひどすぎない?」
「そんなの、まだ序の口よ。日常の学校生活なんか、半端なかったんだから」
「例えば?」
「遅刻したら廊下で正座。そのあと、打ち合わせから戻ってきた先生による、セナビンが待っていたの」
「セナビンって?」
「先生が遅刻した生徒の背中を叩いていくの。日によっては教務手帳て頭を叩くときもあったの」
「刑務所と同じじゃない」
「他にも、校門では遅刻した生徒に腕立て伏せもやらせていたんだよ」
「ひどすぎる。親たちはどういう反応したの?」
「『完全に虐待だ!』という声をだす人もいれば『遅刻したら、それくらいの罰は当然よ』という声もあったの。当時私は両親を亡くして母方の祖父母の家に暮らしていたから、遅刻はなかったけど……」
「そうなんだね。ところで、星音さんがサーカス団に入ったのって、いつ頃?」
「私が中2の頃かな。祖父母と性格が合わなくなって……」
星音さんはため息交じりで一言呟いた。
回想シーンに入る。
「電話なら、家の電話を使いなさい」
それは星音さんが中学へ入って二度目の夏休みを迎えた頃だった。おじいさんは星音さんがスマホを使うことに対して、どうも反対だった。
「なんで?」
「携帯電話の料金高すぎる。いったい誰が払っていると言うのかね?」
「学割がきいているんだから、いいでしょ!」
「学割がきいても高いものは高い。なら、請求書の金額を見せてやるよ」
おじいさんは請求書を持って、星音さんの部屋に入ってきた。請求書を見た星音さんは今月の請求額を見て「この金額なんて、まだマシなほうだよ」と返事をしてしまった。しかし、この一言が火に油になってしまい、おじいさんは興奮してしまった。
「そういうセリフは働いてからにしろ!」
「おじいちゃん、興奮しないでよ」
「お前の母さんが、甘やかしたからこうなったんだ!」
「それは言い過ぎ」
私が一生懸命なだめても、おじいさんの興奮は収まらなかった。
「あなた、あんまり興奮すると、また血圧が上がりますよ」
騒ぎに駆けつけたおばあさんが、必死に抑えに入った。
「ばあさんは関係ないだろ!」
「関係あります。携帯電話の件でしたら、居間でゆっくり話しましょう」
おばあさんは声を低めて階段を降りて行った。
「下で婆さんが待っている。早く来い!」
おじいさんに促されて、星音さんはスマホを持って、階段を降りて行った。
食卓で携帯電話の請求書を見ながら、3人で話し合いが始まった。
「おじいさんは、星音ちゃんの携帯電話の請求額について、かなり不満があるみたいだけど?」
「この金額を見て、高すぎるとは思わないのか?」
おばあさんの厳しい問いかけに、一瞬間を空けて返事をした。
「これくらい普通よ。そんなことを言うなら、あなただって結構使っているじゃない」
おばあさんは、テーブルの上に請求書を用意して、おじいさんに見せた。金額を見た瞬間「私よりたくさん使っている」と思わず口に出してしまった。しかも、利用料金のほとんどが通話になっていた。
「結構長電話をしているのですね」
「それくらい付き合いがあるんだよ。それに俺は星音と違って自分で払っているから、いいんだよ」
「なら、あなたのお小遣い来月から減らしますよ。ただでさえ、少ない年金で長電話をしているんだから、それくらい当然よ。それに星音ちゃんに厳しいことを言った以上、それくらいのことを言わないと示しがつかないんじゃないの?」
おばあさんの厳しい一言でおじいさんは何も言えなくなってしまった。
「私、ここを出て一人でやります」
2人の会話のやり取りを聞いて、星音さんは思わず口に出してしまった。
「星音ちゃん、何もここを出ていく必要はないんだよ」
「両親が亡くなってから、いつかはここを出ようと思っていました。これ以上ご迷惑をおかけするわけにはいきません」
「何を言っているの。ここがあなたの家なんだよ。それに出ていくって、当てがあるの?」
「実は父の幼馴染が東京でサーカスをやっているので、そこで住み込みでやってみようかなと思っています」
「サーカスって、けっこう大変なんだよ。星音ちゃんに出来るの?」
「まだわかりません……」
「なら、おばあちゃんと約束をして。うまく行かなかったら、ここに戻ってくるんだよ」
「わかりました」
回想終わり
「まさか、星音さんが家を出たきっかけがスマホの料金だったとは思わなかったよ」
「おじいさんも最初は反対だったけど、渋々認めたって感じ」
「学校も近くへ転校したの? じゃあ、私が今試着している制服は転校先のだったの?」
「まあね」
「転校前の制服は?」
「ブレザーで、リボンは自分で結ぶ感じだったの」
「どっちの方がよかった?」
「ブレザーかな」
「ねえ、よかったらブレザーの制服も着させて」
「汚さないでよ」
再び屋根裏部屋で着替えた直後だった。
「この体操服は?」
「これも着たいの?」
「うん。一度ブルマ穿いてみたかったから」
今度は体操服に着替えて、居間でアルバムを広げた。
「私が着ている体操服って、中学のだったんだね」
「体育祭の時、これで創作ダンスをやらされた時には地獄だったよ」
(4)気分はコスプレ
次に広げたのは高校の卒業アルバムだった。
「今のうちに言っておくけど、私の高校の制服も着てみる?」
星音さんがなんの前触れもなしに私に言ってきた。
「急にどうしたの?」
「もしかしたら、着たがるかなと思ったから……」
「どんな制服なの?」
私が質問したとたん、星音さんは卒業アルバムのページを広げ始めた。写真を見たらまたしてもセーラー服とブレザーだった。
「両方写っているけど、星音さんはどっちにしたの?」
「私? 思い切って両方にした」
「マジで!?」
「そのお金どうしたの?」
「半分自腹で、半分は団長持ち」
「団長に出してくれたの?」
「本当は全部自分で出すつもりだったけど、学費と制服代の半分は団長に出してもらったの」
「そうだったんだね」
「それで、どっち着てみる?」
「じゃあ、ブレザーにしてみようかな」
「了解!」
屋根裏部屋でグレーのブレザーに水色のリボンを結び、靴下はなんとルーズソックスだった。
「星音さん、ルーズソックスなんか履いていたの?」
「先輩のおさがり」
「学校で履いていたの?」
「学校では指定の靴下を履いていたけど、放課後になったらみんなでルーズソックスに履き替えていた」
「少し前のコギャルみたい」
ルーズソックスを履いた私は再び居間に戻ってアルバムを広げ始めた。
「そういえば、高校の校則ってうるさかった?」
「それなりにね」
「どんな校則があったの?」
「ルーズソックス、メイク、毛染め、制服の改造、授業中の飲食、スマホ、あと男女交際、すべて禁止だったかな」
「男女交際、禁止だったの!?」
私は驚いて思わず大きな声を出してしまった。
「うん。ちなみに先生に見つかったり、誰かの報告が入ったら謹慎処分になったよ」
「ちょっと厳しすぎない?」
「過去に先輩が、よその学校の男子と付き合っているところを見られて、謹慎処分になったんだよ」
「ねえ、今さら聞くのも変だけど、星音さんの高校って女子高だったの?」
「そうだよ。言わなかった?」
「初めて知った」
アルバムの写真を見ても、みんな女子ばっかで男子はいなかった。
「修学旅行がハワイだったんだね」
「でも、これが最初で最初後の海外旅行。そのあとはサーカスの稽古で忙しかったの」
「雪姫さんの鬼指導が始まったんだね」
「そう。ジャグリングや玉乗り、トランポリンをやらされたよ。ちょっとミスをすると、雷が飛んできて、やる気をなくしたこともあったよ」
「怖そう……」
「ジャグリングなんか『お手玉じゃないんだから、もっと早くやりなさい!』っていつも言われていたよ」
「雪姫さん、鬼だからね」
「衣装とお面を渡された時には『コスプレをやりたかったら、コミケやアコスタに行ってこい!』って怒鳴られたよ。それを言われた時、思わず泣きそうになった。雫ちゃんもお客さんの前では絶対に面を直さないって言われなかった?」
「それなら、私も言われたよ」
「でしょ?」
「学校から戻るなり、予習と復習を済ませたら稽古場へ行かされて、雪姫さんの鬼指導を受けていたの。でも、どんなに厳しくても雪姫さんは絶対に手を出さなかったんだよね」
「そこが、雪姫さんのいいところだったんだよね」
私は星音さんの言葉に相づちを打ちながら聞いていた。
ここからは回想シーン
「雪姫さんに相談があります。ピエロの衣装一式を貸してもらえないでしょうか」
「何に使うの?」
「高校の文化祭で使ってみたいのです。高校3年生で、思い出に残る文化祭にしたいのです。お願いします」
稽古を終えた星音さんは雪姫さんにピエロの衣装一式を貸してもらえないか、交渉に当たっていた。
「気持ちはわかるけど、こればかりは難しいよ」
「わかりました、無理を言ってごめんなさい……」
「悪く思わないで」
その時だった。「文化祭の時くらい貸してもいいんじゃない? それで何着必要なんだ?」と団長が横から割って入ってきた。
「団長、いいのですか?」
「星音ちゃんにとって、これが最後の文化祭。一生思い出に残るものがあってもいいんじゃない。だめか?」
「団長が言うなら……」
「ありがとうございます!」
星音さんは嬉しさのあまり、大げさに団長に頭を下げてしまった。
「星音ちゃん、頭を上げて。こっちも大事な商売道具をタダで貸すわけには、いかないんだよ」
「お金なら払います。いくらですか?」
「『金を払え』とは言わない。一つ条件がある」
「条件?」
「その条件とは、絶対に汚さないこと。もう一つは絶対に紛失しないこと」
「わかりました。気を付けて管理します」
「ただし、紛失、汚れが見つかった時には、弁償してもらうから、そのつもりでいるように」
団長の厳しい言葉を聞いたあと、衣装を借りることに一瞬のためらいが出てしまった。衣裳室でどれにするか迷っていた時、後ろから団長が軽く肩を叩いてきて、ビクっと反応してしまった。
「びっくりしたかい?」
「はい……」
「さっきは、嫌な言い方をしてごめんね」
「いえ……。私も無理を言ってごめんなさい」
「気にするな。うちの衣装を借りるってことは文化祭では仮装でもするのか?」
「はい……」
「そうか、楽しんで来いよ。ここにある衣装はいうなれば私の分身みたいなものなんだよ」
「そうなんですね」
「大事に使ってくれるなら、多少の汚れは目をつむってあげるよ」
「ありがとうございます!」
「中には知り合いのサーカス団から譲ってもらったものもあるんだよ」
「そんな大切なものをお借りするわけにはいきません。この話は取り消します」
「持っていきなよ。君のピエロ姿を楽しみにしている人だっているんだろ。どれか一着持って行って、お客さんを楽しませてこいよ。星空サーカス団、出張版で行ってこい!」
「わかりました、ありがとうございます」
星音さんは赤とオレンジの少し大きめの衣装とお面をスーツケースに入れて、衣裳室をあとにした。
文化祭当日、星音さんはクラスの出し物を終えて、用意した衣装一式をスーツケースから取り出して、空き教室で着替え始めた。
「好美、お願い。後ろのファスナを閉めてくれる?」
「了解!」
「ありがとう、あとお面のひもも縛ってくれる?」
最後に手袋をはめて、私は好美と一緒に歩いて、実行委員がいる本部へと向かった。
「あ、待っていたよ。このピエロって、本当に星音なの?」
「そうだよ」
横にいた好美が代わりに返事をした。
「あ、そうそう、彼女しゃべれないから要件なら私が代わりに聞くよ」
「わかった」
実行委員長は短く返事をしたあと、ガスボンベと風船を用意してきて、「これをパンフレットと一緒にお客さんに渡してあげて」と言ってきた。
「わかりました」
「それが終わったら、特設ステージで簡単なショーでもやってもらって、そのあとは適当に校舎を回っていいよ」
「はい」
好美は言われたことを小さなノートに記入していった。そのあと、実行委員長と好美が風船の準備をしようとした直後のことだった。
「私も手伝っていい?」と星音さんが声に出してしまった。
「白丸さんは外で風船を渡すだけでいいよ」
星音さんは実行委員長に言われて、椅子に座って風船が出来上がる光景を眺めていた。ガスボンベで膨らませた風船に紐をしばりつけて、パンフレットと一緒に校門付近で配り始めた。親子連れがピエロ姿の星音さんから風船を受け取ったあと、握手したり記念撮影をして、いなくなってしまった。
「もう少ししたら、ショーをやらない?」
好美はスマホの時計を気にしながら星音さんに言ってきた。
「何時から?」
星音さんも好美の耳元でそっと囁くように言ってきた。
「あと10分したら移動しようか」
そう言って、風船を配り続けていた。
特設会場に着いてから、ステージで星音さんのショーが始まった。好美は用意されたマイクを使って、「お待たせしました。これよりピエロによるショーが始まります。お時間に余裕のある人はぜひ立ち寄ってください」と言っても集まってくる人は少なかった。スマホをスピーカーに接続して、音量を大きくしてBGMを流しながら好美が客寄せをしていても、来てくれる人は少なかった。
「仕方ない、始めようか……」
好美は少し元気をなくして、星音さんに始めるよう、言ってきた。
「最初に見せてくれるのは、なんと3本のバトンを使ったジャグリングです。うまくいったら拍手を失敗したら笑ってください」
最初の1回目はわざと失敗して、見ている客を笑わせた。次の2回目はきちんと成功して客から拍手をもらった。そのあとも玉乗りや簡単な手品も披露した。最後に何人かの子供たちと握手や記念撮影をして終わりとなった。
そのあとは校舎の中で写真を撮りながら少し歩くことにした。その時だった。「ねえ、ピエロさんだよね?」と小さな女の子が星音さんに声をかけてきた。
「もしかして、一緒に写真に写りたいの?」
好美の問いかけに女の子は黙って首を振ったので、好美は女の子からデジカメを預かって星音さんとツーショットにして一緒に何枚か撮っていった。
「これでいいかな」
好美に言われた女の子はデジカメの液晶を見て確認していった。
「ありがとう、おねえちゃん」
「どういたしまして」
女の子はそのままいなくなってしまった。
「お腹すかない?」
好美に言われて、星音さんは黙って首を縦に振った。誰もいない空き教室に入ってお面を外した。
「お疲れ。顔、少し赤くなっているわよ」
「ずっとお面を被っていたからね」
星音さんは少し苦笑いをしながら返事をした。
「どれから食べる? 飲み物もあるわよ」
「お茶を飲みたい」
「了解」
好美から受け取った星音さんはペットボトルのお茶を飲み始めた。
「のど乾いていた?」
「うん」
「何か食べようか。どれにする?」
好美は屋台で買ってきたものを、机の上に並べ始めた。
「みんな、おいしそう!」
星音さんの口からは、今にもよだれが出そうだった。
「好きなのを選んでちょうだい」
焼きそばを手始めに、フランクルト、たこ焼きなどを食べていった。
「デザートない?」
「ちょっと待って」
そういって、別のビニール袋からクレープ、チョコバナナ、タピオカドリンクを取り出して、2人で全部平らげてしまった。
「美味しかったね」
食べ終えた最初の私の一声だった。
「私もお腹がいっぱい」
好美もお腹をさすりながら言ってきた。
星音さんと好美は、しばらく教室で寝てしまった。
目が覚めた時にはすでに後夜祭が始まっていたので、星音さんと好美はそのまま体育館まで向かった。入口でお楽しみ抽選会の番号札を受け取ったあと、星音さんと好美は後夜祭を楽しむことにした。
「お待たせしました、いよいよお楽しみ抽選会の時間がやってきました」
派手なBGMに合わせて、実行委員がステージの上でしゃべり始めた。4つの箱に入っている数字の書かれたカラーボールを取り出して、4桁の数字を読み上げていった。最初に当たった人は炊飯器をもらい、そのあとゲーム機やスマートウォッチと続いて、いよいよ最後になってしまった。最後の商品は山形県の作並温泉ペア招待券だった。
「さあ、この招待券を受け取れるラッキーな人は誰でしょうか」
実行委員はボールを4つ取り出して、番号を読み始めた。
「6271番の番号札の人はいませんか?」
「私だ!」
好美は思わず声をあげてしまい、ステージまで走って行った。
「おめでとうございます。今の感想はどうですか?」
「とても嬉しいです」
「温泉旅行は誰と行きますか?」
「いつも苦労かけている両親にプレゼントしたいです」
「偉い! っていうか親孝行って偉すぎます! 家に帰ったら両親にプレゼントしてあげてください」
好美は少し照れていた。星音さんのところに戻った好美はうれしそうな顔でいた。
「この招待券、正直好美に行ってよかったと思っている」
「なんで?」
「私、両親が死んだから……」
「それだったら、おじいさんとおばあさんでもよかったんじゃない?」
「確かに……」
「私、帰ったら両親に渡そうと思っているの」
「そうなんだね」
「喜ぶといいね」
「うん」
文化祭の次の日は撤去日と代休のため休みだったけど、サーカス団に入っている星音さんは通常通りの稽古や公演があった。まるで年中無休のコンビニエンスストアのように、その日も雪姫さんによる厳しい鬼稽古が待ち構えていた。
「星音ちゃん、もっと自然に動いて」
「はい!」
雪姫さんが納得するまで、地獄のような稽古が続いていた。
回想おわり
「雪姫さんの鬼指導、私だけかと思ったよ」
「そんなことないわよ。みんなに厳しかったよ」
「そうなんだね」
私も苦笑いをしながら返事をした。
「その結果、私らステージで活躍できたんだから、雪姫さんに感謝しないとだね」
「そうだね。そういえば、雪姫さん今何をやっているんだっけ?」
「確かパリへ行ってパティシエの修行しているみたいだよ。もともとお菓子作りが好きだったし。あと、フランス語も得意だったじゃん」
「そうだったよね。雪姫さんのお菓子美味しかった」
「噂によると、日本に戻ったら店を持つらしいよ」
「誰から聞いたの?」
「何人かの団員がそう言っていた」
さらに私が少し薄めのアルバムに手を伸ばそうとした時だった。
「これは見ないで」
星音さんは慌てて隠そうとしていた。
「なんで? なにか見られたら都合の悪いことでもあるの? 例えば恥ずかしい写真とか」
「別にそういうわけじゃないけど……」
「じゃあ、見ようよ」
「うん……」
(5)警察訓練所時代
私が最初にアルバムを開いた瞬間だった。星音さんが訓練所の入口で直立不動で写っていた。
「なんか、小学校の入学式みたい」
「だから見られたくなかったのよ」
星音さんは観念した顔で私に言ってきた。さらにページをめくってみると、今度は何人かの人と一緒に変顔で写っていた。
「この変顔は?」
「何も聞かないで」
「警察学校へ入ると、こんなこともさせられるの?」
「……」
星音さんは、ついに何も言わなくなってしまった。さらにページをめくると、今度は制服姿でおにぎりを食べている姿が写っていた。
「なんか、小学校の遠足みたい」
「おねがい、これ以上見ないで」
「どうしたの? 顔が赤いよ?」
「別になんでもない……」
次のページをめくると、今度は教官らしき人に叱られている写真が載っていた。
「なんで叱られていたの?」
「覚えていない……」
「もしかして、誤認逮捕やったとか?」
「たぶん……」
ずーっとページをめくっていくと、運動会、射撃訓練、学科講習などの写真があり、最後に卒業式の写真があった。この部分だけは、さすがの星音さんも慌てふためくようなことなく、私と一緒に見ていた。
「卒業式って、白い手袋をするんだね」
「うん。一応神聖な儀式だから」
「そうなんだね。その白い手袋ってまだ持っているの?」
「あるわよ。私にとって大切な思い出だから……」
「そうなんだね……。卒業後はどこへ行ったの?」
「警察署よ」
「そんなのアホでもわかるわ! どこの警察署へ行ったのか聞いているの!」
「上野原警察署。と言っても、最初は先輩と一緒に交番勤務。自転車に乗って、あちこち走らされていたわ」
「それだけ?」
「これって、けっこう重要なんだよ。そのおかげで道も覚えられるし、場所を聞かれてもすぐに答えられるようになったんだよ」
「確かに交番に来る人って、よく道を尋ねてきますよね」
「他にも夜の巡回や、酔っ払いの相手、近くでトラブルが発生したら、すぐに対応しないといけないし、とにかく大変だったよ」
「そうなんだね。ところでなんで駐在所に飛ばされたの?」
「それを聞く?」
「嫌なら、無理して答えなくてもいいわよ」
「いいわ、正直に話すわよ。実は生活安全課に配属されて、やることは夜間の巡回、万引きや、すり、ひったくりなどの取り締まりをやっていたの。ある日、夜10時以降、繁華街をうろついていた男子中学生がいたので、職務質問をしようとした時、手に持っていた、お菓子のタバコが本物に見えて、未成年者喫煙の容疑で現行犯逮捕した直後、タバコだと思っていたら、お菓子だと気が付いて……。慌ててその場で釈放したんだけど、すでに手遅れになっていて、その翌日に保護者からクレームが来たの。さらに責任者から始末書を書かされ、最後は駐在所に飛ばされてきたってわけ。自業自得とは言え、正直踏んだり蹴ったりだったよ」
「煙が出てないことに気が付かなかったの?」
「だって、暗くて何もわからなかったんだよ」
「普通は匂いとかでわかるはずよ」
「うるさい! もうわかったから。この話は終わり!」
「そうだね。ありがとうございました」
「じゃあ、この制服脱いでくれる? 私の大切な思い出だから」
屋根裏部屋で着替えをすませて、部屋着姿になったあと、特にこれと言ってやることがなかった。窓の外を眺めていたら、すでに真っ暗。その時だった、ドアチャイムがなったので、開けてみたら、笛花の母親である道志ひかるさんがやってきた。
「どうされたのですか?」
「これ、お店の制服。出来上がったから試着してみて」
「明日でもよかったのに」
「早い方がいいかなと思ったの」
「そうなんですね。よかったら、中へ入りませんか?」
「そうしたいけど、明日の準備があるから帰らせてもらうね」
ひかるさんは、そう言い残して車に乗って帰ってしまった。
4話へ続く。




