2、ようこそ大菩薩村へ
(1) 大菩薩駐在所
空夢を新居の近くで降ろしたあと、星音さんは車を走らせて山梨へ向かった。車は電気モーターで動いているせいなのか、比較的静かだった。何か話すにしても急には話題が出てこなかった。助手席で私が流れる景色をぼーっと眺めていたら、星音さんは安全な場所に車を停めてスマホを車内のUSBポートにつなげたあと、音楽プレーヤーのアプリを起動した。再び車を動かして、星音さんは流れてくる音楽を口ずさみながら運転をしていた。
「この歌、始めて聞きますが、なんていう歌なんですか?」
私は思い切って星音さんに聞いてみた。
「これ? 杏里の『ドルフィンリング』っていう歌なんだよ」
「そうなんですね。癒されます」
「雫ちゃんにも、この歌の良さがわかるのか」
調子に乗った星音さんは上り坂にさしかかった瞬間、強めにアクセルを踏み込んでしまった。
「星音さんは杏里の歌が好きなんですか?」
「まあね。サーカス団にいた時も、杏里の歌を聞いていたよ」
「知りませんでした」
「イヤホンをしていたからね」
「そうなんですね」
「雫ちゃんはどんな歌が好きなの?」
「私も最近懐メロを聞くようになって、米米CLUBの『浪漫飛行』を聞いています」
「この曲ならスマホの中に入っているわよ」
「今度聞かせてください」
「なんなら、今かけてあげるよ」
星音さんは、そう言って再び車を止めて、私のために米米CLUBの曲をかけたあと、山梨県に入って駐在所へと向かった。そこにはパトカーと自転車が2台置いてあった。自転車は1台はマウンテンバイク、もう1台は交番でよく見かける職務用だった。星音さんはパトカーの横に自分の車を置いたあと、私を駐在所の家に呼んだ。
「今日からここが私と雫ちゃんの家だよ」
星音さんはそう言って玄関のドアを開けた。中へ入るなり、星音さんは二階の奥の部屋へ案内した。
「ここが雫ちゃんの部屋だよ」
ドアを開けると、比較的地味な部屋だった。
「星音さん、ここを少し可愛くしてもいい?」
「そうさせてあげたいけど、それをやるには署長の許可が必用なのよ。なぜかというと、ここは山梨県警上野原警察署が管理しているから、簡単には出来ないのよね。だから勘弁してくれる?」
「仕方ないよね……」
「本当にごめんね……」
私が諦めたら、星音さんは申し訳無そうに謝ってきた。
「私こそ、ごめんね……」
私は届いた荷物を整理していたら、ベッドがないことに気が付いて、再び星音さんに聞き出した。
「ここは、ベッドじゃなくて布団になっているの」
「そうなんですね」
「不便をかけて、本当にごめんね」
「大丈夫です。それに私は居候中の身だから、贅沢は言えません」
「あと、あなたの机や荷物なんかは、明日届くかもしれないから」
「ありがとうございます」
「それと明日、この村の人たちにあなたを紹介する予定でいるから、そのつもりでいて頂戴ね」
「もしかして、村長さんにも?」
「当たり前でしょ? 何か引っかかることでも?」
「どんな服で挨拶をしたらいいか、わからなくて……」
「そんなこと? 普段着で充分よ。別に天皇陛下や上皇様に挨拶をするわけじゃないから」
「そうなんですね。ありがとうございます」
「言っておくけど、私の時なんか上はTシャツ、下はジーンズだったよ」
「そういえば、いつから駐在所で働くようになったの?」
気になった私は言いづらそうな顔をして聞き出した。
「実はちょっとした事故が発生して……」
「事故? どんな事故だったの?」
「上野原にいたころ、夜間巡回中に、男子高校生が持っていたお菓子のタバコが思わず本物に見えて、間違って手錠をかけてしまって、その結果始末書を書かされた上に、この村に飛ばされてしまったっていうわけ」
「そうなんですね」
「じゃ、そろそろ寝るわよ」
「おやすみなさい」
明かりを消したあと、自分の部屋に敷かれた布団の中で、私は星音さんの話を思い出してしまった。星音さんでもあんなミスをするのかと思わず感じてしまった。私の前では何もなかったような顔をしていたけど、実際はショックを受けていたに違いない。サーカスをやっていたころは、何一つ失敗もせず完璧にやりこなしていた星音さんが……。
その日の夜、私は夢を見てしまった。それはピエロの姿になって、お客さんの前に現れたことだった。玉乗りをやっている最中に、思わずお面が外れて客席からブーイングが飛んできてしまって、さらに団長を始めとするメンバー全員に白い目で見られてしまい、私がテントの外へ出てしまったところで、目が覚めてしまった。部屋の掛け時計を見たら、まだ3時前。起きるにはまだ少し早いと思って、再び寝ることにした。
翌朝、太陽の光で目を覚ました私は着替えを済ませて、一階のダイニングへ向かったら、キッチンではエプロン姿の星音さんが朝ご飯の準備をしていた。
「おはようございます」
「あ、雫ちゃんおはよう」
「私も何か手伝います」
「いいよ。そこのテーブルに座っていてちょうだい」
食卓には白いご飯にみそ汁、卵焼きに焼き魚、そして味付けのりが用意された。
「なんだか、旅館の朝食みたいです」
「雫ちゃん、ほめ過ぎ。そんなことを言っても何も出ないわよ」
「そういえば、今日って……」
「これからみんなに挨拶しに行くわよ」
「今日運送業者さんが、私の荷物を運んでくる日なんだけど……」
「すっかり忘れていた」
私と星音さんは急いで食事を済ませて、食器を片付けたあと、部屋に掃除機をかけ始めた。
「こんなもんかな」
大ざっぱに終えた星音さんは、部屋を見るなり独り言のように呟いていた。
玄関に中型のトラックが止まると、運転手は慣れた手つきで、後輩と思われる人と一緒に荷物を次々に部屋に運んでいった。
「荷物は以上になります」
「ご苦労様です」
一言挨拶を済ませたあと、荷台を空にしたトラックはいなくなってしまった。
一休みをしたあと、私はおめかしをして、星音さんと一緒に挨拶しに行くことにした。初日は徒歩圏内、その次の日は星音さんのマウンテンバイクを借りて少し遠くまで。そして最後は車に乗って村役場で村長さんと挨拶をすることになった。
「挨拶が遅れましたが、一昨日引っ越してきました峠時雫です。どうかよろしくお願いします」
「こちらこそ。何もない田舎だけど、自然が豊かでのんびりと過ごせる場所だよ」
「私、この村が気に入りました」
「それはよかった。ところで、どちらに住んでいるのかね?」
「はい、駐在所です」
「白丸さんのところで?」
「はい」
「そうなんだね。では、何かあったら遠慮なしに相談してきてくれ」
村長さんはそのまま、自分の部屋へ戻ってしまった。
駐在所へ戻る前、星音さんは私を乗せて車で小さな軽食屋へ立ち寄った。専用の駐車場がないため、道路の端っこに止めて店の中へ入った。
「星音さん、あんな場所に車を置いて大丈夫なんですか?」
「それなら心配ないよ。バスの運転手さんも、ここで食事をしているから大丈夫だよ」
少し離れた場所に目を向けると、回送のバスが一台止まっていた。
「百歩譲っても、他のバスが来たらどうするのですか?」
その時だった。トンカツを食べている運転手さんの箸が止まって私のほうへ目を向けた。
「お嬢さん、それならノープロブレムだよ。この村を走るバスは午前中と午後2本ずつしか来ないし、運転手は俺1人でやっているから」
運転手は箸を持って少々自慢げに私に言ってきた。
「そうなんですね」
「ところで、お嬢さんの名前は?」
「その前に運転手さんの名前は?」
「俺か? 田川博之だよ」
「博之さん、よろしくお願いいたします。私は峠時雫、そして私と一緒にいるのは……」
「知っているよ。星音さんだろ」
「知っているのですね」
「俺が知っているのは彼女の名前。詳しい内容を知りたかったら、直接本人から聞いてくれ」
田川さんは会計を済ませて、そのままいなくなってしまった。
「あれ、見ない顔だけど、最近引っ越してきたの?」
「はい、そうなんです。峠時雫で、駐在所に居候しています」
「そうなんだね。私は道志笛花、この店の手伝いをやっているの。服装が服装だけで、クラスの男子から『コスプレ女』とからかわれているの」
笛花は自分が着ているメイド服を私に見せつけた。
「可愛い制服ですね」
「ありがとう。よかったら、着てみない?」
「試着はまた今度にするよ」
「わかった、待っているね……」
店を出て数分、私は星音さんが運転する車で駐在所へ戻っていった。
(2)過去の記憶
その日の夜、食事を終えて、星音さんは私を引き留めた。
「なんですか?」
星音さんは無言の状態で、私に白い小さな手提げ袋を差し出した。
「ちょっと開けてみて」
言われるまま私は手提げ袋の中に入っている小さな箱を取り出してみた。ふたを開けてみると、そこには最近出たばかりの白いスマホが出てきた。容量も512GBで、音楽も写真も入れ放題だった。
「星音さん、これは?」
「引っ越し祝いよ。もしかして、いやだった?」
「そんなことありません。とても嬉しいです」
「気に入ってもらえてよかった」
「あと、これも受け取ってよ」
そう言って、今度はピンクの手帳型のケースを渡された。ハートの模様が付いていて、とても可愛かった。
「ケースも可愛いですね」
「お店の人に聞いたら、女の子に人気があると言われたの」
「お店って、どこで買ってきたのですか? この村には家電量販店や携帯のお店が見当たりませんが……」
「実は車で青梅まで行ってきたの」
「結構遠いですよね」
「まあね。一応、ドライブもかねて行ってきたんだよ」
「そうなんですね。ありがとうございます」
「話変わるけど、雫ちゃんは車の免許証持っているの?」
「オートマ限定でしたら持っています」
「なら、これも預けておくね。なくしたらダメだよ」
星音さんはそう言って私に予備の車の鍵を渡した。
「いいのですか?」
「いいよ。ただし、ぶつけたらダメだよ」
「それでしたら、この鍵返します。私、運転には自信がありませんので、働いて自分の車を持ちます」
「冗談よ。この辺で車をぶつけるような場所ってないから、練習には『もってこい』だよ。それに車一台買うにしても簡単には買えないから、それまで私の車を自由に乗っていいよ」
「ありがとうございます」
そのあと、私は車庫へ行って、星音さんから鍵の開け閉めやエンジンの始動のレクチャーを受けた。
「だいたいわかったでしょ?」
「はい、わかりました」
「あと、マウンテンバイクも自由に乗っていいから」
「ありがとうございます」
「じゃあ、戻ろうか」
「はい」
家に入った直後のことだった。
「あ、そうそう。雫ちゃん、自分のパソコン持っていないでしょ?」
「持っていません……」
「なら、私の部屋にあるパソコン、自由に使っていいよ」
「ありがとうございます」
私は星音さんの部屋に入って、パソコンのログインパスワードを教えてもらった。
「パソコンは操作出来るよね?」
「基本的なことは団長や雪姫さんから教わりました」
「あの、2人懐かしいなあ。団長や雪姫さん、今どうしているか分かる?」
「雪姫さんはパティシエになるためにパリへ行って、団長は借金の返済をやっています」
「団長、借金しているの? いくら?」
「これくらい」
「マジで?」
私はメモ用紙に団長が抱えている借金の金額を見せた。数字を見るなり、星音さんは手で口を覆って、何も言えなくなってしまった。
「裁判所で自己破産の手続きを済ませたみたい……」
「なんで、私に一言相談しなかったの?」
「私が知った時には、自己破産をしていたみたいで……。団長、奥さんと子供を亡くしてから、みんなとの会話が減ってしまったみたいで……」
私の話を聞いたあと、星音さんは何も言わなくなった。
「ごめん、ちょっとだけ1人にしてくれない?」
そのあと、私は自分の部屋に戻って、布団を敷いて寝ることにした。私が寝たあとも星音さんは居間で1人コーヒーを飲みながら考えていた。借金が出来た原因はなんなのか、そして団長は今、どこで何をしているのかを探ることにした。
翌朝、私が下に降りてみると、食卓には箸と茶碗、木製の味噌汁のお椀、焼き魚、夕食の残りが置いてあった。私がみそ汁を温めようとすると、食卓の片隅に玄関の鍵と千円札が二枚、そして置手紙があった。読み上げてみると<団長の所へ行ってきます。戻りは夕方前に到着の予定です。お昼は軽食屋さんで適当に食べてください。それと玄関の鍵を預けておきますので、くれぐれも紛失だけには気を付けてください。 星音より>と書かれていた。
私はコンロに火をつけてみそ汁を温めたあと、茶碗にご飯を軽くよそったあと、食卓のおかずを平らげた。食器を片付けて部屋に戻っても、これと言ってやることがなかった。サーカス団にいたころは、今頃みんなと一緒に稽古をしていたけど、まさかの解体宣言。団長がどこで何をしているのかは、わからなかった。暇だから、ちょっと散歩に出かけてみようかな。そう思って戸締りをしたあと、この近くを歩くことにした。玄関を出た直後、車庫にSUVの車がなかったので、もしかしたら以前住んでいた場所で、団長の居場所を聞き出しに行ったと悟ってみた。
私が村を散歩しているころ、星音さんは稲城市の団地を訪ねてみた。表札を見ると、すでに別の名前になっていた。管理組合の建物へ行って訪ねてみると、団長の行き先は知らされていなかった。具体的にはトラックに荷物を積んだあと、そのままいなくなったそうだ。
管理組合を出て、少し歩くと後ろからエプロン姿の50代の女性の声が聞こえてきた。
「星音ちゃんだよね?」
「はい、そうですが……」
「やっぱり星音ちゃんだ。久しぶり。おばちゃんのことを覚えている?」
「堀さん、お久しぶりです。お元気でしたか?」
「元気だよ。星音ちゃんは何をやっているの?」
「私は山梨で警察官をやっています」
「サーカスのお仕事はどうしたんだい?」
「辞めてしまいました」
「あら、もったいない。私、星音ちゃんのショー、楽しみにしていたのに」
「それに、私がいたサーカス団は解体されてしいました……」
「だからあの時、大きな荷物を持っていたんだね」
「心当たりありますか?」
「なんだか思いつめたような顔をして、ただ一言『川崎に住んでいる知り合いを当てにするよ』と言って、そのままいなくなったんだよ」
「川崎のどのあたりだか知っていますか?」
「そこまではわからない……。私が知っているのはここまで」
「そうなんですね……。ありがとうございます」
星音さんは、諦めて車に乗って戻ることにした。
(3)住めば都
星音さんが出かけている時、私は村のあちこちを散策していた。畑で野菜の収穫をしている70代の女性と思わず目が合ってしまった。
「こんにちは」
「こんにちは。確かあなたは、えーっと……。駐在所に居候した……、誰だっけ?」
私は思わず、ずっこけそうになった。
「雫です」
「あ、そうそう。雫ちゃんね。今日は1人?」
「はい、そうなんです」
「駐在さんは、どうしたんだい?」
「用事があって、東京まで向かいました」
「そうなんだね……」
「何か要件でも?」
「特にないよ」
「そうなんですね。じゃあ、私はそろそろ失礼しま……」
「あ、ちょっと待って」
私が最後まで言い終わらなうちに、小さめのレジ袋を一つ取り出して、キュウリやナスをいくつか入れて私に差し出してくれた。
「取れたてだから、持って行きな」
「いいのですか?」
「駐在さんには、いつも世話になっているから」
「ありがとうございます」
私はおばあさんに一言お礼を言ったあと、再び歩き始めた。歩くこと数分、私は沢のほうへ向かうと、湧水が見えた。手を当てて見ると、水がまだヒンヤリとしていた。次来る時にはペットボトルでも用意してこよう。そう思って戻ろうとした直後のことだった。黒くて大きなハチのようなものがブンブンと羽音を立てながらやってきた。怖くなって私は一目散に走って逃げた。しかし、虫は追って来なかった。恐る恐る戻ってみると、蜂は大きな蜘蛛の巣に引っかかっていて、そのまま蜘蛛の餌になってしまった。その蜘蛛もよく見るとかなりのグロテスクになっていた。山の入口には<スズメバチに注意>という札が見えていた。さらに離れた場所には<熊に注意>とか<蛭に注意>という札もあった。もう、ここに近寄るのを辞めにしよう。そう思って、歩いて戻ろうとした時だった。体が空腹を促していたので、私は軽食屋さんに立ち寄ることにした。
「いらっしゃい」
出迎えてくれたのはエプロン姿のおばさんだけだった。
「こんにちは」
「えーっと、あなたは、確か駐在所に居候した……」
何このリアクション。さっきの農家のおばあさんと一緒じゃない。私は心の中で呟いてしまった。
「峠時雫です」
「あ、雫ちゃんね。笛花ならまだ学校だよ」
「実はお腹がすいたので、何か食べさせていただこうかと思って……」
「そうだったんだね。ここにメニューがあるから、好きなのを選んでちょうだい」
テーブルの上に置いてあったメニューを広げて、私はどれにするか迷っていた。さんざん迷った結果、私はカレーライスにした。出来上がったカレーライスを運ばれた時、水の入ったコップにスプーンも入っていた。
食べ終えたころを見計らって、おばさんは「そういえば駐在さんはどうしたの?」と聞き出してきた。
またしても農家のおばあさんと同じ質問だった。どうなっているの、この村は?と感じながら「用事があって、東京まで行っています」と返事をした。しかし、それっきり何も言ってこなかった。
食べ終えて数分、私はさっきの沢での出来事を話すことにした。
「あなた、あの沢へ行ってきたの!? 勇気あるね」
「どういうことですか?」
私は、おばさんの言っている内容に理解していなかった。
「入る前に札を見なかったの?」
「出た時に見ました」
「呆れた……。あそこの沢は熊とスズメバチの出現率が高いから、猟友会と害虫駆除業者しか入れないのよ。それに入口に”関係者以外立ち入り禁止の札”があったの知らなかった?」
「いえ……」
「おそらく、今年の大雪で倒れたんだね……」
「ここ、雪が降るのですか?」
「降るわよ。だって、ここ山の中なんだから」
その時だった、店の入口のドアが「カラン」と音がしたので、客かと思えば入ってきたのは制服姿の笛花だった。
「ただいまあ」
「笛花、ここはお客さんの出入口なんだから、裏から入ってちょうだいって言っているじゃない!」
「どっちから入るのは私の自由でしょ?」
笛花が私の顔を見るなり「雫ちゃん、いらっしゃい」と声をかけてくれた。
「笛花ちゃん、お帰り。これ、学校の制服?」
「そうだよ。可愛いでしょ?」
「うん、可愛い! 私の中学はブレザーだったから、セーラー服って憧れていたの」
「そうなの? ちょっと着てみる?」
「いいの?」
「じゃあ、私の部屋に来てよ」
私は言われるままに笛花の部屋へ向かうことにした。中へ入ってみると、ピンクのカーテン、ベッドには熊や犬などのぬいぐるみが置いてあった。
「可愛いお部屋だね」
「ありがとう。じゃあ、着替えてみようか」
メイド服に着替えた笛花は私に自分のセーラー服を着せてみた。
「着心地最高!」
「ここの制服、生地がしっかりしているからね」
「ちょっと鏡の前に立ってみて」
「うん……」
「うわー、かわいい! やっぱ似合ってる」
実際着てみると、”馬子にも衣裳”状態だった。
「じゃあ、今度はメイド服って言いたいけど、これしかないから……」
「また今度にするよ」
「ごめんね」
「ううん、大丈夫だから。このあと店の手伝いなんでしょ?」
「うん」
「『じゃあ、そろそろ失礼するよ』って言いたいけど、さっきのカレーライスの会計がまだだったから、それを済ませてから帰るよ」
私が着替えと会計を済ませて帰ろうとした時だった。
「ちょっと待って」
笛花が私にデザートの入ったビニールを差し出した。
「これは?」
「帰ってから食べて」
「じゃあ、その分のお金も……」
「これは、母さんからのおごり」
「ありがとうございます!」
店を出て駐在所へ戻ってもやることがなかった。もらったプリンを食べ終えて再び外へ出ようとした時だった。
バスが1台止まっていて、バス停のベンチに運転手が退屈そうにスマホを見ていた。よく見ると、先日軽食屋にいた田川さんだった。
「こんにちは、時間調整ですか?」
「あ、雫ちゃん。散歩か?」
「退屈だったので……」
「退屈ならバスに乗るか?」
「でも、今はお金持っていませんので……」
「今回、特別にタダで乗せるよ」
「いけません!」
「いいって、1人タダで乗せたところで会社がつぶれることはないから。どうせ、この時間って客も少ないし、一度終点まで行って回送にするから、その時に行きたい場所まで乗せてやるよ。もちろん、帰りは駐在所の前で降ろすよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて……」
私は運転手のマイペースな言葉に返事をして、バスに乗ることになった。
(4)バスによる不思議なドライブ
私を乗せたバスは客がいないまま終点の折り返し所まで行き、行き先方向幕を回送にしたあと、当てのないドライブになってしまった。田川さんは運転中、終始無言のままだった。
最初に着いた場所は丘の上だった。
「ちょっと、降りてみなよ」
田川さんに言われて、降りてみると富士山が一望できた。
「うわー、きれい! 富士山が見える!」
「だろ。ここ、俺だけの穴場なんだよ」
「どうして、私に教えたの?」
「ん? 特に大きな理由はないけど、ここに来て日が浅いだろ。早くこの村に慣れてほしいと思ったからなんだよ」
「ありがとうございます。私、この村気に入りました」
「そりゃ、よかった。そういえば、雫ちゃんの実家ってどこなんだ?」
「私、もともと神奈川に住んでいたんだけど、5歳の時に両親を亡くして、知り合いのサーカス団に入って、そこで星音さんと仲良くなったのです……」
「親いないのか。悪いことを聞いてしまった。すまない」
「気にしないでください。もう昔のことですから」
「心細くなった時には、俺を頼ってくれよ。この村を巡回するバスって、本数限られているし、俺が暇な時には呼んでくれよ。今度は自家用車でドライブに連れて行ってあげるから」
「ありがとうございます。その気持ちだけ受け取っておきます」
「頼むから水臭いこと言わないでくれよ」
「ごめんなさい……」
私が一言謝った時だった。田川さんは制服の内ポケットからタバコを取り出して、吸い始めた。
「ごめんなさい。私、タバコの煙苦手なんです」
「悪い。この一本だけいいか」
田川さんはそう言って、富士山を眺めながらタバコを吸い終えた。再びバスに乗った私は神社の前に止まった。
「ここにバスを止めて大丈夫なんですか? 歩道の上なんですけど……」
「気にしない。ここも神社の敷地の一部だし、滅多に人も車も来ないんだから」
田川さんはマイペースに返事をして境内の中へ入っていった。
「こんにちは。お参りに来たよ」
「田川さん、あんなところにバスを止めないでくれないか」
「神主さん、固いことを言わないくださいよ」
「まあ、うるさいことは言わないけど。とにかく駐在さんが来ても責任取りませんからね」
「駐在さんが怖くてバスの運転が務まるかよ」
「どうなっても知りませんよ」
神主さんは、そう言って竹ぼうきで掃除をやり始めた。
「ここの神社は学業、恋愛、生活面でご利益があるんだよ」
(また適当なことを言いやがって。このばち当たりもんが)
神主さんは田川さんの言葉に対して、心の中で文句をぶつけていた。
私と田川さんはお賽銭箱にお金を入れたあと、お祈りをした。
「雫ちゃんは何をお願いをしたの?」
「私は新しい生活がうまくいくことかな。田川さんは?」
「俺、可愛い彼女が出来ることかな」
(お前のようないい加減な人間に彼女が出来るわけないだろ)
またしても、神主さんは心の中でツッコミを入れていた。
「そろそろ帰ろうか。駐在さんも心配すると思うから」
田川さんが帰ろうと言い出した時、太陽が少し傾きかけていた。それと同時に田川さんが持っている業務用の携帯電話がうるさく鳴っていた。
「もしもし、お疲れ様です」
「『お疲れ様です』じゃないだろ! どこにいるんだ! 客からバスが来ないとクレームが来ているぞ!」
電話の向こうで上司と思われる人からの怒鳴り声が聞こえてきた。
「今すぐ戻って業務に当たります」
「その必要はない。他の人に任せているから。お前は今すぐ営業所へ戻って来い!」
「わかりました。今すぐ戻ります」
電話を切ったあと、田川さんは私を乗せて駐在所へ向かった。
「今日はありがとうございました」
「帰ったら、お説教が待っているよ」
私がお礼を言ったら、田川さんは引きつった表情で営業所へ戻ってしまった。
車庫に目を向けたら、星音さんはすでに戻っていたみたいだった。
(5)仕事探し
田川さんが営業所で雷を受けているころ、私は居間で星音さんと話すことにした。
「ただいまあ」
「おかえり、どこへ行ってきたの?」
「その前に、午前中畑の前を歩いていたら、おばあさんから野菜をもらってきた」
「そのおばあさんって、青いモンペに麦わら帽子を被っていなかった?」
「はい、その姿でした」
「その人、大村清江さんと言って、この辺では有名な地主さんなんだよ」
「そうなんですか?」
「私も暇な時に、よくお手伝いをしているの。今度あなたもここでお手伝いしてきたら?」
「私がですか!?」
「そうよ。何もしないわけには行かないでしょ?」
「確かに……。でも、私農業の服って持っていません」
「なんでもいいんだよ」
「そう言われても……」
「ジャージとか。稽古着でもいいんじゃない?」
「あれはダメです。私の大切な思い出なんですから」
「じゃあ、ピエロの服は?」
「わざと言っていませんか?」
「ばれた?」
星音さんは軽く舌を出して、笑ってごまかしていた。
「じゃあ、明日雫ちゃんの作業服を探さないとね」
「その前に、清江さんに話してからの方がいいんじゃない?」
「そうだね。そういえば、今日どこへ行ってきたの?」
私は今日行ってきた場所を全部星音さんに話すことにした。沢へ行ってきたこと、軽食屋さん、そして最後は田川さんが運転するバスでいろんな場所へ連れて行ってもらったことなど全部話した。
「あそこの沢へ行って、よく無事だったわね」
「軽食屋さんにも、同じことを言われた……」
「あそこ、スズメバチや熊がいるんだよ。おまけに沼地には蛭もいるから、普段は立ち入り禁止になっているの」
「私がもと来た道で出口に向かっている途中、黒くて大きな蜂のような虫が大きな羽音を立てて追ってきたの」
「それで?」
「追って来ないから、おかしいと思って後ろを振り向いたら、その虫が蜘蛛の巣に引っかかっていて、最初は暴れていたけど、最後は蜘蛛の餌になったの」
「その蜘蛛に感謝したほうがいいわよ」
「結構大きな蜘蛛だったよ」
「そうだったんだね。そういえば田川さんとバスでどこまで行ったの?」
「最初は丘の上で富士山を見て、そのあと神社まで向かった」
「神社って、どこの?」
「川下神社っていう場所……。田川さんが境内に入ると神主さん、嫌そうな顔をしていた」
「やっぱりそうだったか……」
「どういうこと?」
私は今一つ納得していないかった。
「田川さんがバスで来ると、神主さん嫌な顔をするの。理由はわからないけどね。ちなみに私の時は、バスで資料館まで乗せてもらったよ」
「そうなんですか!?」
「中はそんなに大きくもないし、展示されいるのは、この村の歴史だけ。だから、そんなに期待しないほうがいいよ」
「私、今度行ってみたいです」
「じゃあ、時間がある時に連れて行ってあげるから」
「ありがとう」
「期待しないで待っていてよ」
その頃、バスの営業所では田川さんが上司から雷を受けていた。
「こんな時間までどこを走っていたんだ!」
「申し訳ございません……」
「謝る前に、俺の質問に答えろ!」
「丘の上に行ったり、川下神社に行っていました」
「バスを回送にして、1人でドライブとはいい度胸しているじゃねえか!」
「いえ、1人ではありません。駐在所に引っ越してきた1人の女の子も一緒でした」
「白昼堂々とナンパかあ」
「違います。引っ越して日が浅かったので、早くこの村に馴染んでもらおうと、観光していただけです」
「そう言うのは、お前が非番の時だけにしろ。おかげで客からクレームが殺到していたんだ! 『待っていても来ないけど、今日は運休なんですか?』と言うクレームの問い合わせが殺到していて、こっちは謝り通しだったんだ! それと、川下神社からも『境内の入口付近にバスを止められて迷惑している』とクレームが来たぞ! どういうことなんだ!」
「そこしか止める場所がなかったからです……」
「とにかく始末書を書いて俺に提出しろ!」
田川さんは自分の机に戻るなり、パソコンで始末書を作成し始めた。「ちくしょう、何を書けばいいんだ 」と独り言を呟きながら文字を叩いていた。
「やあ、さっきは随分と派手にやったそうじゃないか」
奥の部屋から所長がやってきた。
「所長、お疲れ様です」
「バスを回送にしてドライブをしたそうじゃないか」
「引っ越して日が浅い人がいたので、早く村に馴染んでもらおうと思って連れて行ってあげたのです」
「気持ちはわかるが、うちのバスを私用で使うのは辞めてほしい。どうしてもと言うなら、担当の上司か私を通してもらいたい」
「申し訳ございません……。次からそうします……」
始末書を仕上げた田川さんは上司のハンコをもらって、所長に提出した。
「始末書です……。受理をお願いします」
内容をマジマジと眺めた所長は「次からは気を付けるんだよ」と言って引き出しの中へしまい込んだ。
その一方、私は風呂から上がって、自分の部屋でスマホをいじっていた。「たいくつー」と一言呟いたあと、二階の廊下の奥を歩くことにした。すると正面に不自然に置いてある本棚を見かけた。「この本棚、なんだろう」私は独り言のように呟いていた。本棚には警察にまつわる本や法律(特に刑法)に関係する本がカラフルにズラリと並んでいた。これって、明らかに星音さんの本。なんで自分の部屋でなく、ここに置いてあるのか気になり始めた。明日の朝、星音さんから聞き出してみよう。そう思って、私は自分の部屋で寝ることにした。
翌朝、私は少し早めに起きて、廊下の本棚のことを聞き出そうとした。
「ごめん、話ならあとにしてちょうだい」
そう言い残して、制服に着替えて仕事をやり始めた。星音さんの業務は駐在所の前で立つところから始まった。時々すれ違う人に「おはようございます」と一言挨拶する程度だった。特に大きな変化が無ければ、自転車に乗って、村の中を巡回することになっていた。
「星音さん、今日は清江さんの所に行く約束だったのでは?」
「あ、いけない!」
自転車を置いて、私と一緒に清江さんの家まで歩くことになった。その間も二階の廊下にある本棚のことが気になって、星音さんに話を持ち掛けると「この話はあとにしてちょうだい」と応じてくれなかった。絶対に何か隠していると思ったので、なにがなんでも本棚の秘密を暴こうと思った。
清江さんの家に着くと、地主だけであって純和風の立派なたたずまいになっていた。
「大きな屋敷だね」
私の最初の感想だった。
「この村一の大地主だからね」
そう言って、星音さんは玄関の呼び鈴を鳴らした。
「はーい、どちら様でしょうか」
玄関から清江さんが出てきた。
「あら駐在さん、今日は何の用ですか?」
「実はこの子を雇ってもらえないでしょうか」
「雫ちゃんを?」
「無理ですか? 毎日でなくてもいいのです。忙しい時だけ、お手伝いする形で……」
星音さんが少し遠慮がちでお願いをすると、清江さんは私に目を向けた。
「雫ちゃん、あんた何が出来るの?」
「種や水を撒くくらいなら……」
「あのね、朝顔に水を撒くのと違って、畑仕事はかなりの肉体労働なんだよ。鎌で草を刈ったり、鍬で土を耕すんだよ。そういうのやったことある?」
「いえ……」
「収穫だって、野菜が傷まないように神経使うんだよ。出来る?」
「……」
「それが出来ないと、このお仕事は無理だよ。もし、お仕事を探しているなら、他を当たってくれないか?」
「わかりました……」
「この仕事は私とじいさんだけで充分だ」
清江さんはそう言って、引き戸を閉めていなくなってしまった。
「結構厳しいことを言われたね」
家を出た最初の一言だった。
「清江さん、普段はそんなことを言う人じゃないんだけど……」
星音さんもぼやくように一言呟いた。
「私を雇うの反対だったのかな」
「たぶんね」
「何か心当たりあるの?」
「私がわかるわけじゃないでしょ!」
「確かに……。もう一度戻って理由を聞いてみる?」
「辞めておきな。火に油を注ぐだけだよ」
星音さんに注意されて先へ進んでみたら、またしても田川さんがバス停で油を売っていた。
「田川さん、昨日はご迷惑をおかけしました」
「気にするな」
田川さんはタバコを吸いながら、私の謝罪に返事をしていた。
「田川さん、バス停禁煙だよ」
「別にいいじゃん。他に人いないんだし……」
「受動喫煙で逮捕しますよ。私、仮にも警察なので」
「はいはい、すみませんねえ。お務めご苦労さん」
田川さんは星音さんに注意され、吸い殻を道路に捨ててバスに乗ろうとした時だった。
「街の景観を乱すような真似はやめてくれる? この村全体に受動喫煙防止条例とポイ捨て禁止条例が出ているの。条例違反の現行犯で逮捕するわよ」
「わかったよ。持ち帰ればいいんだろ」
田川さんは星音さんに注意されたのが面白くなかったのか、ポケットから携帯用の灰皿を取り出して吸殻を拾って、そのままバスを走らせようとした時だった。
「ちょっと待って。私たちも乗せてよ。観光案内所の前を通るんでしょ?」
「だったら、一度戻って、車で行ったほうがよくないか?」
「乗せてくれたっていいじゃない、ケチ。どうせこのバス回送なんでしょ?」
「昨日、そのせいで上司から怒鳴られたんだから、今日は勘弁してくれないか」
「バス停でタバコ吸って時間をつぶしたのは許されるんだ。初めて知った」
「わかったよ。乗せればいいんだろ。どこへ行けばいいんだ?」
「観光案内所と軽食屋さん。そこから先は歩いて帰れるから大丈夫よ」
「駐在所まで乗せてやるから、早く乗れよ」
田川さんは昨日の今日だったので、正直乗り気ではなかったけど、バス停での喫煙を見られてしまった以上、断れなくなってしまって、渋々私と星音さんを乗せて、目的地へと走らせていった。
最初に着いたのは観光案内所。そこで、私を雇ってくれないか頼むことにした。
「ここでお仕事って言われても……」
所長は少し困った顔をして考え始めた。
「雑用でもなんでもやります」
「では、君には何が出来るのかね?」
「掃除に、お茶出し、コピー、パソコン少々です」
「パソコン少々ねえ。どんなことが出来るのかね?」
「インターネットの閲覧や、ワードとエクセルで文字を入力することです」
「それくらいのことなら、今いる人たちで充分だよ。君くらいの年齢なら都会でいくらでも出来るのに、なぜ田舎で働こうと思ったのかね?」
「田舎暮らしに憧れていたので……」
「そっかあ」
「人手が必用になったら、駐在さんに話しておくよ」
「ありがとうございます」
観光案内所を出たあと、バスに乗って軽食屋さんに向かった。
「いらっしゃい……。って、あんたか」
「おい、俺は仮にも客だぞ。もう少し愛想よく出来ないのか!」
「知っているわよ。あんた昨日バスを回送にして、あちこち走り回ったあげく、営業所に戻って始末書を書かされたんだって?」
「なんで、それを知っているんだよ」
「村中、噂になっているわよ」
おばさんは少し顔をニヤつかせて言ってきた。そのあと私と星音さんが遅れて入ってくると「あら駐在さん、今日は何にする?」と明るい笑顔で聞いてきた。
「おい、俺の時と態度が全然違うじゃねえかよ」
田川さんは面白くないのか、おばさんに文句をぶつけてきた。
「これって、カスハラになるわよね」
「けんかを仕掛けて来たのは、おまえだろ!」
「そうだっけ? 今日のこと営業所に話していい?」
「ふざけんなよ。こっちは客だぞ」
「だったら、早く注文してよ」
「じゃあ、トンカツ定食」
「始末書を書かされた人は、いつものトンカツ定食ね」
「それを言うなよ」
「私と雫ちゃんはカレーライスで」
「了解!」
おばさんは手際よくトンカツ定食とカレーライスを作り始めた。
最初に出来上がったのはカレーライスだった。その5分後にはトンカツ定食も出来上がった。
「待っていました!」
田川さんはそう言って、夢中になって食べ始めた。食べ終えて少し経った時のことだった。
「実は、おばさんに折入ってご相談があります」
「相談って何?」
星音さんが急に改まった言い方をしたので、おばさんは少し緊張してしまった。
「雫ちゃんをここで雇ってもらえないでしょうか」
すると今度は、おばさんは私に視線を向けてきた。
「雫ちゃんは、どうしたい? ここで働きたい?」
「ぜひ、働かせていただきたいと思います」
「じゃあ、制服を作るから、サイズを測ってもいい?」
おばさんはエプロンのポケットからメジャーを取り出して、私の体を測っていき、それをメモした。
「俺ペン持っているから、数字書こうか」
「その必要はありません。あなたは用が済んだなら、自分の仕事に戻ってください。また始末書を書かされても、こっちは責任をとりませんので」
田川さんが制服の内ポケットからペンを取り出すと、おばさんは冷たく断ってきた。
「そんな言い方ねえだろ!」
田川さんも相当面白くなかったみたいだった。
「制服は一週間あれば出来上がると思うから、そのころに来てよ。平日の昼間って、笛花は学校に行って、店の中は私一人になるから、正直あなたが来てくれると大助かり。じゃあ、来週からよろしくね」
店を出て数分もしないうちに、田川さんは私と星音さんに愚痴をこぼし始めた。
「今日かなりむかついた。明日、何か仕返しをしないと気が済まない」
「まあ、ほどほどに」
「前々から、あの性格むかついていたんだよ!」
星音さんがなだめていても、田川さんの怒りは収まらなかった。
「運転中だから、少しに冷静になって」
私からも言われて、ついに何も言い返せなくった。
駐在所の前で降ろしてもらったあと、私と星音さんは居間に置いてあるソファで一休みをしていた。「疲れる一日だった」と言ってテレビをつけてしまった。さらに部屋着に着替えようとした時だった。
「星音さん、駐在所のお仕事はいいのですか?」
「こんな村に事件の通報なんか来るわけないでしょ」
「でも、道を聞かれたりするのでは?」
「そんなの、村の人たちに任せればいいよ」
「巡回には行かないのですか?」
「雫ちゃん、本当のことを言って。私のことをウザいって思っていない?」
「そんなことないですよ」
「じゃあ、なんで、こんな言い方をするの?」
「だって、まだ夕方前じゃん」
「じゃあ、夕方から非番にする」
「勝手に決めていいのですか?」
星音さんが仕事のボイコットを宣言した時、駐在所の前に一台の黒い高級ミニバンがやってきて、中からスーツを着た男性と制服の男性が1人ずつやってきた。2人は駐在所の扉を開けるなり、誰もいないとわかれば、外に置いてある自転車や車などに目を向けた。
「おい、自家用車とパトカー、自転車があって、中はもぬけとはどういうことなんだね?」
「私にもよくわかりませんが、おそらく歩いて巡回にいかれたのかと……」
「巡回中のプレートを下げていないじゃないか」
「申し訳ございません……。戻ってきたら厳しく注意しておきます」
「中で少し待つとしようか」
2人は駐在所の中にある椅子に座って待つことにした。
「しかし、中はほこりまみれで、書類は散らかっている。石和君、白丸巡査は君の直属の部下じゃないか。ちゃんと監督しているのかね?」
「これもよく言い聞かせておきます」
その一方、何も知らない星音さんは、居間でゲームに夢中になっていた。
「星音さん、駐在所の前に黒いミニバンが置いてあるよ」
「マジで? ちょっと注意してくる」
部屋着のまま外に出てみると、見覚えのあるナンバープレートを見て、急に震え上がってしまった。
(県警本部の車だ!)
心の中で呟いた星音さんは、急いで制服に着替えて、駐在所の中に入った。
「お疲れ様です!」
「白丸巡査、頑張っているそうじゃないか」
敬礼した星音さんに本部長の三国さんは、軽くにこやかな顔で挨拶をしてきた。
「本部長、ただいまお茶を用意します」
「その必要はない。すぐに出るつもりだから」
「それより、普段からこんなに中を散らかしているのかね。おまけにほこりまみれ」
今度は上司の石和さんが厳しい目つきで星音さんに声をかけてきた。
「たまたまです。今日の午前中用事があったので……」
「どんな用事だというのかね?」
「同居している彼女のお仕事のあっせんです」
「ほう、それで同居人のお仕事は見つかったのかね?」
「はい、見つかりました」
「それはよかった。ところで、移動中は回送の路線バスを使っているのかね?」
「どういうことですか?」
「ここに来る途中、村の人から聞いてきたんだよ」
「今日だけです。普段は自転車やパトカーです」
「それならいいけど。あんまり目立つような行動は控えてくれよ。では、我々はそろそろ失礼する……。って言いたいけど、一つ忘れていたよ。今日は給料日だ。明細書をここに置いておくから。あと、中はきれいにしておくんだよ」
「わかりました。ありがとうございます」
石和さんと本部長が乗った車を見送ったあと、私を呼ぶなり駐在所の中の掃除や片付けを手伝わせた。
「一つ気になりましたが、普段からこんなに散らかしているのですか?」
「たまたまだよ。普段はちゃんときれいにしているわよ」
私の質問に星音さんは言い訳がましく返事をした。
「ねえ、掃除を手伝ったんだから、バイト代払ってくれるんでしょ?」
「生活費タダの上に、部屋を与えたんだから、それくらいタダでやってちょうだい」
「さっきの偉い人に話してもいいですか?」
「話したら、ここにいられなくなるわよ」
あまりにも横暴すぎる。権力乱用にもほどがある。そう思って私は黙々と作業を続けた。終わった時には日没が過ぎていた。中を散らかした張本人は近所の人と世間話に夢中になっていた。
私の中に怒りが少しずつ芽生えてきた。私が「全部片付けと掃除を終わらせた」と言えば「ご苦労さん」の一言。おまけに責任者には「掃除やってきました」と1人で全部やったような言い方をしてきた。その時「ブチッ」と堪忍袋の緒が切れる音がした。このダメ人間をなんとか矯正しないと。しかし、いざとなれば簡単には思いつかなかった。
その日の夕食も終始無言のままでいた。
「雫ちゃん、どうしたの? 私何か怒らせるようなことをした?」
「……」
「黙っていないで、何か言ってよ」
「自分の胸に手を当てて考えてごらん」
「何も思いつかないよ」
「呆れた。人に掃除をやらせて、『自分でやった』とよく言えるわね。それでも大人なの?」
私にはとても考えられないことだった。
「そのことなら謝るよ。ごめん」
星音さんは短く私に謝った。これ以上、星音さんを責めても仕方がないので、私は何も言わなかった。
翌日の昼過ぎのことだった。私はどうしても二階の廊下の奥にある本棚が気になって仕方がなかった。絶対に何か秘密があると思って本棚を動かしてみた。私はアンネの日記に出てくるゲシュタポ(ドイツの秘密国家警察)のように調べてみた。
「雫ちゃん、お昼にしよう」って言った直後だった。私が本棚を動かそうとしたので、星音さんは急に慌てふためいて止めに入った。
「星音さん、どうしたのですか?」
「この本棚は勘弁して」
この慌てぶりはゲシュタポ(ドイツの秘密国家警察)に見つかったユダヤ人のようだった。
「本棚に何か秘密があるのですか?」
「何もないけど勘弁して」
これは明らかに秘密があるに違いない。そう思って本棚を動かしてみた。すると少し古びた茶色いドアが見えてきた。私がドアを開けた瞬間、星音さんは何もかも失ったような顔をした。
「星音さん、どうされたのですか?」
「なんでもない……」
ドアを開けると、屋根裏部屋に通じる階段が見えてきた。駐在所にこんな秘密階段があったことに私は驚いてしまった。ゆっくり上がってみると、またしても扉が見えた。ゆっくり開けたら、そこはだだっ広い空間になっていて、部屋の奥の隅にはホコリのかぶった段ボールがいくつか置いてあった。
「これに触らないで!」
またしても星音さんが慌てて、段ボールから私を遠ざけようとした。
「星音さん、さっきから何慌てているのですか? 実は何か見られたら困るものでもあるのですか?」
「そんなことはないけど……」
「じゃあ、中を見せてくれる?」
星音さんは何もかも観念した顔で、私に段ボールの中身を見せることにした。最初の箱は中から今まで見たことのないピエロのコスチュームとお面が出てきた。
「星音さん、これは?」
「団長から送られてきたの」
「この衣装って……」
「おそらく私たちの先輩が使っていたものだと思うの」
「でも、なんで私たちの所に送ってきたの?」
「私にもよくわからない……」
「これって、明らかにハロウィーン用だよね? 衣装やお面がちょっとホラー入っているし……」
「せっかくだから、ちょっと試着してみない?」
「いいけど、少しだけだよ」
そう言って私はピンク、星音さんは紫の衣装を着てみた。
「サイズはちょうどいいね」
衣装に袖を通した私の感想だった。
「このお面、ちょっと匂うね」
星音さんもお面を被って正直な感想を漏らしていた。
「これで、何かイベントをやってみない?」
「どんなイベント?」
「ハロウィーンやグリーティングとか」
「それもいいねえ」
星音さんは少し乗り気でいた。
「でも、準備するのにお金や時間がかかりそう」
「それに場所も確保しないといけないし、告知も必要だよ」
私がお金や時間のことを心配したら、星音さんに突っ込まれてしまった。
「どうやって告知する?」
「今、それを心配しても始まらないし、あなたはしばらく軽食屋さんで働いてよ」
「うん、そうする」
「じゃあ、着替えて下に降りようか」
私がお面を外して、着替えようとした直後だった。ほかにも段ボールが見つかったので、開けようとしたら、星音さんが慌てて止めに入った。
「どうしたの?」
「雫ちゃん、これは勘弁して」
「どうして?」
「他にも衣装があるかもしれないよ」
「これは違うの」
「何が違うの?」
星音さんは必死にホコリのかぶった段ボールを守ろうとした。それと同時に私もゲシュタポ(ドイツの秘密国家警察)のように箱の中を無理やり見ようとしてしまった。
「本当に勘弁して」
ここまで必死になっているということは、見られたら困るものが入っていることは確かだった。
「何を必死になっているの?」
「本当に何でもない……」
「怪しいわね」
私がジワジワと段ボールに近寄って、開けようとしたら、星音さんはついに観念してしまった。
「わかった、私の負け」
そう言って、段ボールの中身を公開してくれた。段ボールの中には保育園の卒園アルバム、小学校から高校までの卒業アルバム、他にもサーカス団にいたころの思い出の写真もあった。さらには通知表やテストの答案もあった。もう一つの箱を開けてみると、中から体操服、中学校や高校の制服(なぜかルーズソックスも入っていた)、スクール水着、学芸会の衣装、アニメのコスプレ衣装もあった。さらに、自分の声を録音したテープやMDも入っていた。これを見た瞬間、星音さんの思い出が詰まったタイムカプセルだと直感してしまった。
そして、この秘密の屋根裏部屋はタイムマシンそのものに思えてしまった。
「よかったら、アルバムを見せてもらっていい?」
「いいわよ」
観念した星音さんは、アルバムを抱えて、下の階へ降りることになった。扉を閉めて本棚で隠すと、屋根裏部屋の入口があるとは思えなくなってしまった。
居間で冷えたジュースを飲みながら、私は星音さんが用意した思い出のアルバムの中身を見ることにした。この中身に関しては次の話でゆっくりしたいと思う。
3話へ続く。




