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光の少年  作者: 古賀大和
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第一章 高校生活

基井律(もといりつ)さん」

「はい」

 声が裏返らないように気をつけて返事をして、できるだけ自然な所作になるように卒業証書を受け取る。その後も生徒合唱とおじさんたちの長話をなんとなくやり過ごすと僕の中学校生活が終わった。振り返ってみると机に向かっている記憶がほとんどだが、あまり不満もなかった。おかげで県でトップの進学校に合格できたのだからむしろ良い中学校生活だった言ってもいいと思う。ただ、高校生活も同じように溶けていくのだと考えると気が滅入るのはなぜだろうか。

 玄関には父さんの靴があった。車庫に車がなかったから母さんは買い物にでも行っているのだろう。僕は靴を脱ぐと黙って二階の自室に向かう。うちの家族はあの出来事をきっかけにして明確に狂ってしまった。僕が無視されるのに耐えかねて「ただいま」を言わなくなってからどのくらい経ったのだろうか。冷め切った夕飯の時間までもはや何のためにしているのか分からない勉強をする。19時すぎに一階に降りると父さんと母さんで食卓を囲んでいた。茶碗にご飯をよそって僕も席に着く。誰も話さない、それどころか目も合わせないような冷たい食卓だけれど毎日同じ空間を過ごすことでよい変化があるかもしれない。少なくとも僕がこの家族を諦めてしまったらこの温度が変わる希望すらなくなってしまう。

「ご馳走様でした。」

しっかり手を合わせてなるべく丁寧な声音を心がける。自分の皿を洗って自室に戻ると口から空気が漏れた。お風呂に入って歯を磨かなきゃいけないと思いながらも体は言うことを聞かず、ぼやけた自室の景色とドロドロの思考の中で眠りの海に沈む。


 春休みもそのほとんどが勉強によって過ぎていき、ついに最終日を迎えた。数日ぶりに外に出て思い切り吸った空気は想像以上に体に沁みた。僕はアキレス腱を伸ばして歩き出す。入学式前日に怪我をしたらたまったもんじゃない。脳にまで刺さるような日光と体から噴き出す汗の不快さを咲き誇る桜と川の流れる音が中和する。三十分ほど川の流れに沿って歩いていると遠くに海が見えてきた。さらに十分ほど歩くと海沿いの公園に到着する。小さな公園には磯風によって錆びた滑り台とブランコがあるだけで遊んでいる子供はいない。ブランコに座るとキーッという金属音が響く。あの日とほとんど変わらない景色に感動を覚えつつもあの輝く瞬間を思い出して少し悲しくなる。なぜ僕は今日この場所に来たのだろうか、そう自問しつつも心の奥ではその答えは出ていた。僕はあの少年に救いを求めているのだ。今どこで何をしているのかもわからないあの少年に。


 かなり余裕を持って家を出る。駅までの十五分、電車に揺られて四十分、さらにバスで二十分、家からおよそ1時間半で高校に着く。高校内は入学式前の不安と期待が入り混じった独特の空気で満ちている。所々にグループのようなものができていて少し驚いたが、近頃は「#春から○○高校」とかで事前に友達を作ると聞いたことがあるのを思い出して一人で納得する。まあ、携帯電話を持たない僕には関係のない話だが。

 入学式は滞りなく終わり列になって教室に向かう。教室に着くとすぐにホームルームが始まり、先生から軽い自己紹介と連絡事項が伝えられる。もう明後日から授業が始まるらしい。ホームルームも終わってしまうと下校時刻となった。

「クラスライン作りませんかー?」

女子グループのうちの一人がメッセージアプリの画面を見せながら言うと、ぞろぞろと人が集まっていく。僕もそろそろと近づいていくと

「僕、携帯持ってなくて…。ごめんなさい」

と提案した女子に伝える。すると彼女は

「ああ、そういう子もいるよね。こっちこそ気が回らなくてごめんね」

と申し訳なさそうに言ってきた。クラスがしんと静かになる。僕は冷たく刺さる視線を受けながら固まってしまった。

「ラインのことは今度考えよっか…。」

という歯切れの悪い台詞をその女子が発すると集まっていた人たちはバラバラに散っていった。

 一人きりで帰路につく。僕はなぜあんな空気を読まない発言をしたのだろうという後悔が襲ってくる。理由を考える。いや、考えるまでもなく分かっている。自分だけが置いて行かれるようで怖かったのだ。昨日、公園に行ってあの時のことを想った。そして高校にあの出会いのような救いを求めていたのだ。そう考えると本当に情けない。期待していたことが携帯電話を持っていないということで裏切られるように感じて、勝手に焦って迷惑をかけた。キュッと心臓が締まるのを感じる。言葉にならない声が、理性が止める叫び声が涙に変わる。

「うまくいかないなぁ」

呟きが空に溶けていく。

 翌朝、不安を抱えて教室に入る。クラスメイトたちがチラッとこちらを見てすぐに元の会話に戻る。その様子を見て「ああ、こうなるのか」と思った。昨日の僕をみんなは「合わない人」と判断した。気に入らないからいじめたり、ちょっかいかけたりするような幼稚な人はいない。ただ、壁を作って関わらないだけだ。僕は高校生活二日目にしてクラスから浮いてしまったことを理解した。


 高校の入学式から二ヶ月弱が過ぎ、中間試験を迎えた。高校に入ってからの僕の生活は青春とは程遠いものとなっている。おかげでというべきか勉強時間は十分に取れているので試験にあまり不安はない。そう思っていたけれどいざ試験が始まると戦慄する。教科書の内容を完璧に理解したし、問題も全部解けるようになったのに初見問題が少しも分からない。問題を解き切らないままチャイムの音を聞く。その焦りはその後の科目にも尾を引いて、満足にやり切った科目はなかった。翌日も翌々日もまともな手ごたえがないまま試験期間が終わった。

 試験結果は案の定酷いものだった。学年平均を超えているのは歴史だけで他の教科は全て平均以下。受け入れがたい結果を何度も見返していると眩暈がしてくる。キーーと耳鳴りもしている。世界と身体がうまく結びつかなくなるような、自分を中心にぼんやりと世界が歪むような感覚になる。

ーーー勉強がだめならもう無理じゃん

そんな言葉が頭によぎる。いや、支配する、絡めとる。抜け出せない思考の中にいることを俯瞰して理解する。ずぶずぶと沼のように沈みゆく自分を眺めて呟く。

「もう無理だよ」


 7月中旬、中間試験よりも遥かに悪い期末試験の結果を見ても心が動かなかった。正確には何も感じないように努めた。自分がだめなことなんてもうわかっているからこれ以上傷つきたくない。下から1桁の順位なんてどうでもいい。勉強も学校も家族のこともどうでもいい。僕の未来に微塵も興味が湧かない、希望を持てない。

 僕は19時に階段を降りなくなった。

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