政策的密談みたいな井戸端会議、あるいは井戸端会議的な政策会議
どうにも古参連中の意図がわからず、大畠大蔵はいらいらしていた。この会議室に呼ばれてもう1時間はたつのに話の行き先がみえない。
「そうそう、大畠君、ロサンゼルスオリンピックのマラソン見たかね。あの円谷選手の走り。年も年だから誰も期待していない3番手だったのに8位入賞。しかし、次は絶対にメダルを取りますと言ってしまう度胸。面白いね、彼は」
「幹事長、そろそろ本題に入ってくれませんか。私の目の前にいらっしゃる4名の顔ぶれを見れば、単なる懇親会でないことは明らかでしょう」
「円谷選手には悪いが、どの世界も年寄りががんばりすぎると良くないと思わんかね」
大畠は心の中で苦笑した。それを貴方がたが言うかね。ん、もしかしたらこの場は、この4名が引退するので後は頼むぞという場か?
さすがにそれは予想してなかったが、もしそうなら意図はなんだ。何らかの取引をもちかけられなら、ここが自分の大きな勝負時だ。この面々を相手に対応を1mmも誤ってはいけない。集中しろ大畠。
と、拳を握り締め頭の中で考えうる数パターンのシミュレーションを終えるまで2秒。頭の回転と対応力には自信がある。林幹事長の次の言葉を待つ。
「大畠君、キルスイッチタイマーを知っているよな」
「はい、一種の自死と認識しています」
「それをポジティブなイメージに変えて欲しいのだよ。若手政治家の中で抜群の好感度を持つ君の力で」
「おしゃっる事の意味がわかりませんが」
「現在、この国の高齢化率が断トツの世界一なのは知っとろう。介護と医療で社会も破綻寸前。いや赤字国債を考えると財政も破綻しているよな」
「それで?」
「高齢者は自分の最期がいつか分からないから、資産を消費することが無い。もし終わりが決まっていたら資産を使い切ると思わないかね」
「それはそうでしょうが、幹事長はある程度の高齢者はキルスイッチを押せと、政策として進めろと言われるのですか?」
大畠は幹事長の目を見るが表情がよめない。
「さすがにそれ言ったらその政治家は終わりだろう。しかし心の中でそう考えている者も多いと思う。キルスイッチタイマーを誕生日とかクリスマスのようにカジュアルにして欲しい。そしてそれができるのは大畠君しかいないと思っとる」
「それを言ったら終わりなのに、それを進めよと」
「はっきりと国からそういう話は出ていないが世の中の流れとしてキルスイッチが自然なものとして受け入れられのが望ましい」
「下世話な話になって恐縮ですが、私には何のメリットがありますか?」
「何も無い。それを君が進めたことも、ここにいるメンバー以外は誰も知らず、ひっそりと自然に変わって欲しい。ただそれによって、年金・医療・介護の問題の多くが改善されることを期待しておる」
無茶を言う。そう大畠は表情に出さずに心の中で嘆息した。しかし、このやり方が正しい施策かどうかはさておき、一人の力でどうにかできるレベルではない。ということは、、、
「幹事長、このお話、私以外に誰が動こうとしていますか?」
「さすがに鋭いのう。法曹界とか文化界にも働きかけておる。一番の難題は法曹界でキルスイッチは自死でないと判断させることじゃろうな。自殺教唆罪とか自殺幇助罪からキルスイッチは無条件に除外する。税制面での優遇措置も作る。文化面では死と社会を考える作品を小説や漫画で出してもらう」
「そうやって、少しずつ誘導すると」
幹事長が少し哀しそうな表情をする。しまった、間違ったか。
「国民を誘導するなどという事はできんよ。誰にも。もし、本当に必要な事であれば、少しのきっかけを与えるだけで全体が動き出す。それだけでいい。我々にできるのは小さいきっかけ作りだよ」
一見正しそうな言い方だが、この男達はそのような可愛いものではない。それは重々承知、だが何かいつもとは違う。達観しているようにも、見える。
「なぜ、このような話を進めようとしているのですか?」
「若い世代に幸せになって欲しい。ただそれだけだ」
「口ではどうとでも言えますが」
幹事長ら4名が左手の手のひらを大畠に見せる。全員、そこには赤いアザがあった。