命の軽さ(前編)
キルスイッチって知ってる?オートバイに付いているんだけど、それを押すといきなりエンジンが止まるんだ。どんな状況にあっても強制的に停止させる非常用のスイッチの事さ。
■家業の工作機械製造所をV時回復させた田中さんの談話
いえ、死ぬ気でやればなんとかなるというのは本当ですね。1年後に1億の借金を返すという目標を立ててキルスイッチタイマーを設定したのですが、目標通りに返済できました。キルスイッチタイマーですよ。目標設定をクリアできないと死んでしまいますからね。必死でしたよ。ダメだったら本当に死ぬんだから「必死」って、洒落にもならないですよね。ハハハ、笑えない?
次の目標?次は1年後に年商1億ですよ。キルスイッチタイマーをかけたかって?もちろんですよ。ほら、左手の掌を見てくださいよ。青いアザが出ているでしょう。
うん、次もやりますよ私は。
※1年後に田中氏の工場倒産のニュースが新聞にひっそり載る事になった。
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■キルスイッチタイマー研究の第一人者、東京先端医科大学のお茶の水教授の談話
実はキルスイッチタイマーの仕組みはよくわかっておらんのですよ。脳も筋肉も全ての生命活動は電気仕掛けなんじゃが、それがいきなり電源オフになって人間の生命活動が停止する、まぁ、わかりやすくいうと死んでしまうって事ですな。
興味深いのは、その発動条件は本人が自由に設定できるという点で、その条件は本人が強く念じる事でセットされる。条件は本人の願いだからなんでもありなんじゃが、最近は傾向が変わって来たのはご存知じゃろう。
最初のころは癌が完治しなかったら発動とか病気由来が多かったんじゃが、最近は何でもありになってしまった。
命を軽く考える人間が増えたのかって?
わしはそうは思わん。むしろ人生に深く向き合う覚悟を持つ人間が増えたんじゃなかろうか。わしはそう思いたい。
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■意気地がない男、白神君の巻
オフィスのフロアに30名ほど集まっている。
前に立っている40代くらいの男性が全員に向かって挨拶をする。
「皆さん、本当にありがとうございました。皆さんの頑張りで無事にプロジェクトが完了しました。特にフロントエンドチームのリーダー白神君、バックエンドチームのリーダー黒江さん。この2名の存在は大きかった。この二人の存在無くしてはこの成功は考えられない。本当にありがとう。みんなからも二人に拍手をお願いします。」
2名が前に出ると大きな拍手が起き、和やかなムードに包まれる。集合も解散となるが。2名に関する会話があちこちで聞こえる。
「黒江さんって、正にできる女性技術者って感じでカッコいいですよね。美人だし背が高いし」
「そんなルッキズムみたいな事、言ったらダメだろ」
「女性が女性にむかって言うのは、許されるんです!!」
「白神さんはどう?押しが弱そうに見えるけど」
「白神先輩は実力が化け物だから、それだけでいいんです」
「そんなもんかね」
「いいんです、顔もそこそこだし、優しいから密かに人気あるんですよ。白神先輩は」
「なるほどね」
オフィスの休憩スペースでコーヒーを飲んでいる白神。何事か考え込んでいる。その背後から近づき肩を叩く黒江。
「うわっ、コーヒーこぼすかと思ったよ、やめろよおふざけは」
「いいじゃない、もう休暇モードだし。ブリスベンオリンピックは見た?」
「そんな余裕あるわけないだろう。黒江は優秀だからそれでいいけど、俺はまだ残務処理があったりするわけよ」
「明日でいいでしょ、せっかく終わったから何かおいしい物でも食べにいかない?」
「そうだな、ひさびさに同期連中を集めるか」
ちょっと溜息をつく黒江と、それに気づかない白神。
黒江が左手を握り締めている事に気付いた白神が黒江に言う。
「その左手のグーは何だよ。誰か殴りにでもいくのか」
「願掛けよ」
ふーんと軽く流そうとした白神の頭にある考えが渦巻く。立ち上がって黒江に向かって言う。
「黒江、ちょっと左手を開いてみろ」
少し困ったような顔をして左手を開く黒江。その掌には青いアザが浮き出ている。
「黒江、それって、、、」
「そう、キルスイッチタイマーよ」