結婚前に、私の秘密をお話しします
今日、初めて入る彼の自宅の書斎。壁一面の本棚には、ぎっしりと蔵書が並んでいた。
目についたタイトルには英語のものも多い。なかにはフランス語らしきものも混じっている。その一冊一冊が彼の知識と趣味の深さを物語っているようで、思わずキョロキョロしてしまう。
「ずいぶん古そうなフランス語の本ね」私は手近な本に目を留めながら言った。
なかなか本題を切り出せず、私はつい話題を本の話に振った。
彼は軽く笑いながら答えた。
「それはプロバンス語の辞書なんだ。フランス語の古い方言だけど、友人にそれしか話せない人がいてね。少しでも会話できるようにと思って勉強したんだ。」
そんな友人がいるなんて、さすが大学の助教授。
彼の知識の幅広さに感心しつつも、私の心は別のことでざわついていた。
ソファに腰掛けると、彼が穏やかな笑みを浮かべながら私を見つめた。その視線に少しだけ勇気をもらい、意を決して言葉を口にする。
「結婚する前に、私の秘密をお話しします」
彼とソファに座りながら、私は思い切って切り出した。
「私、ぬいぐるみを抱いていないと眠れないんです」
言葉を口にした瞬間、心臓が跳ねるような鼓動を感じた。
彼にとってこれはどう映るのだろう?幼稚だと思われるだろうか。
恥ずかしさで顔が熱くなる。
「子供の頃、母が買ってくれたウサギのぬいぐるみがあって、
それを抱いて眠るのが習慣になっちゃって。
今でもそれがないと寝られないんです」
私は早口になりながらも、なんとか言葉を吐き出した。
心理学者である彼は少しも驚いた様子を見せず、穏やかに頷いた。
「それはブランケット症候群だね」
彼の声はいつもと同じく落ち着いていて、温かかった。
「大丈夫だよ。生活に支障が出ていない限り、それは病気でも異常でもない。
むしろ、とても自然なことだよ」
「……本当ですか?」
安堵が胸を満たす一方で、まだ少し疑う気持ちが残る。
私の目を見ながら、彼はにっこりと微笑んだ。
「本当だよ。子供の頃だけじゃなくて、大人になってから、そういう習慣を持ち始める人もいるんだ。
僕たち似た者同士だね。実は僕も、結婚前に言おうと思ってたことがあるんだ」
そう言うと、彼は隣の棚から何かを取り出した。
「紹介するよ。彼女の名前はステファニーだ」
それは等身大のラブドールだった。
「彼女は僕が一人暮らしを始めた頃からの大切な友達でね。
彼女と知り合ってから、僕も彼女を抱かないと眠れないんだ」
余りの事に私の頭は真っ白になった。
金髪の髪に青い目のステファニー?
ほんとなら逆上してもいいはずなのに、まるで私の中に別の私がいるように、言葉が勝手に口から出てきた。
「……初めまして、ステファニー……さん?」
「プッ」
彼が噴き出した。人形に話しかけるなんておかしいと思われた?
でも、元はと言えば、あなたが悪いんじゃない!
そう言いかけようとしたとき、彼が口を開いた。
「あ、いや、笑ってすまなかった。彼女はフランスの王族出身だから、日本語はわからないんだ」
そういうと、彼は流暢なプロバンス語でステファニーに語りかけた。
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