表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

クロユリの客間

コーナーテーブルに置かれた花瓶には百合の花が活けられている。

まるで喪に服しているような黒い百合だ。

その花が今、ぽとりと落ちた。

しかし、誰もそれに気を払わない。

気づいてすらいない。

鷹取邸の客間に集う十数人の人々には花が散ったかどうかより重要な事と対面しており、そちらに意識を占められていたからだ。


___それは彼らにとってショッキングな内容で、鷹取邸の客間は混沌と化していた。


横柄な態度が鼻につく現鷹取(たかとり)コーポレーション取締役の金一かねいちは獣のような咆哮を出した。

両腕を屈強な男達に掴まれていなければ、本当に人間の理性を無くして暴れまわることだろう。 


次男の真土まことは兄とは対照的に冷めた様子だったが、胸の前で組んだ腕を神経質そうな人差し指が叩いている。シルバーフレームの眼鏡の奥からも苛立ちが見て取れる。


結い上げられた黒髪が見事な長女の日知華にちかは兄妹の中で唯一、和服を着用していた。

彼女の赤い口紅に塗られた唇はきりつと噛まれ、狐目が抜け目なく周囲の出方をきょろりきょろりと探っている。


その旦那はうろちょろと落ち着きなく歩き回り緊迫した中で無自覚ながらピエロを買って出ているが、哀れな事に誰もこの男に注意を寄せていない。


次女の月乃つきのは婚約者の男にもたれかかり、男は男で居心地が悪そうに身を縮める。


三男の火子丸ひこまるはそれらの騒ぎに知らぬ顔で携帯をいじり、彼と歳の近い三女の水樹みずきはその隣に腰掛けそわそわと兄姉達を盗み見ている。


末っ子の亜木子あきこはまだ学生で黒いセーラー服が目立った。

彼女は去年母親を亡くしたばかりだが、数か月前に父親と知った人物の死に対してはあまり関心が無いようだった。これは彼女が冷たいというよりは、父親が彼女との接触を積極的に行わなかったのが原因だろう。

だが、彼女が特別除け者にされているわけではない。

彼らの生物学上の父親である鷹取権蔵たかとりごんぞう氏は兄弟姉妹きょうだい皆等しく無関心だったからだ。

それは何も子供達だけではない。

鷹取氏の三人の元妻たちは同じソファーを分け合い、あろう事かな互いに体を預け励まし合っていた。

そうして主人とは旧知の仲でその人生を捧げてきたと言っても過言でない執事は衝撃のあまり失神してしまう有様だった。

すべての元凶は、物言わぬ数枚の便箋である。


                     ×××


一同が落ち着いたのを確認すると、弁護士はおもむろに紙を広げた。

誰もが彼の一挙一動を固唾をんで見つめている。

訂正、一族の関係者たちが見つめていた。

一族とは縁もゆかりもない部外者である警察関係者はそんな彼らの方へと鋭い視線を寄こしている。

そう今まさに行われようとしているのは遺言書の開示であり、それは鷹取邸の主人鷹取権蔵(たかとりごんぞう)氏殺人事件にいて重大な意味合いを持つイベントだった。


「ではこれから鷹取権蔵氏の遺言書の開示を行います。

こちらは公正証書遺言になりますので、既に内容をご存知の方もいらっしゃるとは思いますがお付き合いください」


弁護士は粛々と進行役を務め、警部はその内容が一族の面々から聴取していたものと照らし合わせて相違がない事を確認した。

慈善団体の寄付や法人への贈与等もあるが、大筋は法定相続分にのっとった内容となっている。

別れた妻たちにもいくらか遺しているから良心的と言えよう。

問題なのは、そのいくらかが小島が買える金額であるという事だった。

世に知れた大富豪鷹取権蔵氏の総資産から考えると、「いくらか」と言わざるを得ないが充分殺害の動機となり得る額だ。

権蔵氏は成功を収めた実業家で更に強運の持ち主だったが、家庭内においても幸福を手にしたのかと問うと首を横に振らざるを得ない。

それは氏自体の利己的な性質が原因でもある。

強欲で余りある資産を両手にひしと抱きかかえて決して手放そうとはしなかった。

誰も彼の死を悼んでおらず、そしてこの場にいる一族の誰もが金を欲している。


その強欲の果てに彼は命を落とす羽目になったのではないだろうか?


権蔵氏は長く心臓の病に侵されていたが、医師からの数度にわたる余命申告をことごとく撤回させ、よもや人ならざる者と契約を結んだのではないかと囁かれる始末。

大金が懐に転がり込むのを大人しく待てなかった誰かが凶行に及んだとみるのは合理的な考えだ。

そう、Xはこの瞬間を待っていた。

___それは恐ろしい復讐劇だった。

Xは誰よりも故人を憎んでいた。

何故、それ程の憎しみが産まれたのかはもうX自身にも分からない。

だが生半可な復讐ではこの心は満たされない事は分かっていた。

だから、Xは権蔵氏を支えたのだ。

彼の事業がうまくいくように計らい、彼を大富豪へと仕立て上げた。

好きなだけ贅沢をさせ、好きなだけ美酒美食に溺れ、好きなだけ子供を作らせた。

全ては復讐の為に。

生の愉悦を堪能し、生に対する執着に満ちた男から__全てを手中に収めた男から死によってその全てを奪い去り絶望に堕とす為に。

そして、男を殺したところで自分が何一つ傷を負わず、その罪から免れるために。

Xはほくそ笑んだ。

全ては彼の予定通りに進んだ。

今や容疑者候補は両手で数えきれないほどとなった。____誰が自分に疑惑を向けようか…

あとは一族の者達が疑心暗鬼に陥りながら、朽ちていくのを高みの見物といくだけだった。


「ここまでが公正証書遺言の内容になります」


弁護士が封筒に紙を戻す音が場の緊張をほぐし、かすかなざわめきがそこかしこで起こる。

「では金一さん、長子であるあなたが一番多くの遺産を相続するのですね」

警部の声に金一は肩を怒らせ、立ち上がった。

「だから何だと言うんだ!他の奴らだって充分な額を受け取る事になっている。

こいつらが金欲しさに親父を殺したんじゃないとどうして言える」


金一の言葉が油となって今にも醜い争いが勃発するかという刹那せつな、静かな声がそれを押しとどめた。


「そしてこちらが1年程前に書かれた自筆証書遺言になります」

弁護士が別の封筒から数枚の便箋を取り出すと、一同は静まり返った。

それは水を打ったように、と言うよりは火災が密閉された部屋の酸素を奪い偽りの平穏を演じているさまによく似ていた。


「これは本人の手によって死の数か月前に預けられたもので中身に関しましては私も確認済みです。

___私は長い間氏の顧問弁護士をしてきました。

その彼から必ずや自分の意向に沿うよう取り計らうようにと告げられております。

私自身、遺言執行者と言う死者の最期の願いに従事する立場からそれをまっとうする所存です。

___さて、氏から告げられたことにはまず、相続人全員の前で第一の遺言書を読む事とあります。

これは先程終えましたね。次に、ある状況下の場合においてのみ第二の遺言書を開示し、それを執行すること。

そしてこれがその第二の遺言書になります。

ある状況と言うのは、権蔵氏の死が事故や自然死ではなく他殺と見なされる場合です。

ここにいる警察関係者の方々の意見を聞くまでもなく、権蔵氏が何者かに殺された事は明らかですね。

では、こちらを読み上げます」


                    ×××


弁護士の百井から告げられたと思うが、この遺言が読まれた暁にはこれは必ず執行される。

お前たちは知らないかもしれないが、わしはお前たちの事をよく知っている。どんな人間なのか、何をしてきたのか、何をしているのかを全て把握している。

それらをまとめたレポートは厳重な管理の下に保管されていて、もしもお前たちの誰かがこの遺言に不服を唱えようものならあらゆる情報機関にばらまかれるよう処理してある。

百井を落とそうなぞと馬鹿な事は考えるな。

この男ほど強情者もいないが、そもそも百井にさえその保管場所を教えていない。我々とは全く無関係で、金や名誉に揺れることもない存在___人工知能によるシステムに託している。賄賂だとか泣き落としだとか果ては脅迫だとかくだらんことは諦めるといい。

さて、このような遺言を遺した理由なぞはわざわざ書き連ねる必要が無いだろう。よくお前たちが分かっているはずだ。

儂とてこれが読まれない事を願っているが、それがはなはだ馬鹿馬鹿しい願いという事も承知だ。

お前たちの取り繕った仮面の下にある厭らしい欲に塗れた顔を知っているからな。

まるで鏡を見ている様だ。

実際、お前たちは儂によく似ているよ。我が身可愛さに他人をほふる様はこの一族の性質なのだろうな。

日に日に仮面が薄くなり中身が露呈する様はまったく見れたものじゃなかった。

儂とて長い闘病生活で生きるのには疲れた。

叶う事ならこの苦しい現世から逃れ穏やかな眠りにつきたい。

しかし、お前たちが儂の死を願うのは儂の安寧の為ではなく、己の欲の為だ。

儂が暗澹あんたんたる生から解放されるとしても、そんな奴らの思うように事が進むのは気に食わん。

そこで儂は、儂の真の友人である男に儂の全財産を遺そうと思う。

その男はお前たちとは違い、一銭も儂の金を要らないと言った。

第一の遺言書の方にはその男の名前がなかっただろう?

しかし、それでそいつは満足そうに笑みを浮かべたのだ。

儂は心を打たれた。

こんな男がいたとは、

否、こんな男がいた事に今まで気付かなかったとは。

今や彼は儂が最も信頼のおける男だ。

誰が遺産のために儂を殺したか知れない今、彼に託すのが一番安心だろう。


さて、この場に当然いるであろう我が友よ、

これまでのお前の忠義、苦労を思えば、儂の遺した金など無価値なのかもしれない。

だがどうかこれまでの献身の礼と思って受け取ってほしい。

お前に見合う主人とはとても言えなかった儂の謝罪と感謝の意も込めて

                      

        20××年11月15日   鷹取権蔵


          ×××


弁護士の朗読を遮るように誰かがばたりと倒れる音がした。

まだ落ちていないクロユリがそれをじっと見つめている。

最後まで読んでいただきありがとうございます。


…もしかして、分かりづらいのかもと思い、注釈入れます。

この話は、時系列が現在→過去です。

敢えて分かりづらくして、最後にえ、じゃああの人が犯人なのか!的な感じの驚きが出来ないものがと思ったんですけど、

確かに時系列が変化している作品って読みづらいよな、って僕も自分の記憶を辿って反省しました。

次はもっと上手く書きます。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ