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伝えられなかったこと

 帰りの電車で考えた。

 私がはっきりと伝言を託されたのは雄太郎と彰くんだけ。もちろん二人とも、実現できるなんて思ってなかったけど、はっきり言葉にしてお願いされてた。だから、地球に戻れたって分かってすぐに二人との約束を果たそうと決められた。本当は清人のおうちの人にも清人のことはもう心配しないでって伝えたい。でも、清人からは伝言を預かってない。清人は日本でのことを話したがらなかった。特に小さい頃に渡ってしまったから、成長に連れて記憶が薄れるのも早かったのもあると思う。彼が、誰に、何を伝えたかったのか、家族として長い時間一緒にいたのに分からない。それに、清人の場合は他の二人とは違う問題があって、ご家族に会いに行くのはとても難しい。清人が日本からあちらの世界に渡ったのは8歳のとき。8歳の子どもが痕跡も残さずに家出するのは無理だ。突然いなくなった清人はまず間違いなく誘拐を疑われているはずで、その清人のことを知っている大人が急に現れたら怪しすぎる。だから直接会って何かを伝えるのは厳しい。

「どーしよっかなあ」

 この先、何年も。こちらの世界の時間で清人が大人になるまでずっと、私が日本にいられるのなら。大人になった清人と偶然知り合ったって言っても不思議じゃなくなった頃に、会いに行こうか。きっと、それが一番穏便に済む。桃瀬の貴婦人に会った時みたいに、清人は事情があって来られないから恩を受けた自分が代わりに伝言を持ってきたって言えばいい。

 でも。

 異世界トリップ。二度あることは三度あるかもしれない。いつまでこうして日本にいられるか分からない。今日までは私の中に日本にいる間にやらないといけないことがはっきりあった。日本に未練があったから、発動しなかったけど、明日からはちょっと自信ない。まだやり残してることはあるけど、こっちで一仕事終える度に心の中にある異世界に戻りたいっていう気持ちの比重が上がっていくっていうか。今や、私の中ではあちらが「私の世界」だと感じてるわけだし、いつまたこの世界からはじき出されても不思議じゃない。できることがあるなら、急いでやっておいた方がいいような気がする。


 スマホを握りしめ、勇気を出して「本原清人」を検索してみる。

「うあああ」

 そんな予感はしてた。だから検索さえしないでいた。彰くんの写真は検索しまくったのに、清人の名前は一度も探さなかった。

 検索結果の上位には行方不明の清人の情報を求める書き込みがずらっと並んでいた。日付は清人が異世界に渡った一年前辺りから、つい最近まで途切れなく続いている。誰かのブログがあった。清人の誕生日にケーキのおもちゃを買った写真があった。おもちゃのケーキを彼が戻ってくるまでとっておくって。帰ってきたら本物のケーキを一緒に食べたいって。一緒に写っているプレゼントがけん玉で。この人、間違いなく、私の知っている清人を知ってる人だ。

 ブログの最初の記事には、孫の帰りを待つために慣れないことを始めたと書いてあった。清人のおじいさんのブログだった。そして、私は三時間以上かかる帰り道、そのブログの記事を全部読んだ。涙と鼻水でぐずぐずになって、三回も近くのお客さんからポケットティッシュもらった。皆優しい。


 ああ、瞼が重い。朝早起きだったし、たくさん泣いたし、眠い。おうちの布団に倒れこんで、電池切れかけのスマホにケーブルを差し込んで、うん、これで今日はもう十分の活躍じゃない? 家の内鍵も忘れずかけたし、もう寝ていいんじゃない? 明日の朝、あの薄暗い招きの部屋で目が覚めたら、そしたらもう悩まないで済むよ。

「ううううううううう」

 明日の朝、招きの部屋にいるかもしれないなら、やっぱり、絶対……。

「ダメだ~。助けて、たっちゃん~。どうしたらいいのよ~」

 このまま、孫の無事を祈り続けてるおじいちゃんに何も言わずに逃げ出せないよ。もし立場が逆ならなんて、ブログ読みながら想像し過ぎて涙が枯れるかってくらい泣いたんだもん。

 でも、ここには、困ったときのたっちゃんがいない。困った。たっちゃん、困ったよ。助けてよ。


 シクシク泣いても本物は出てこないから、たっちゃんだったらどうするか考えてみよう。

「えーと、状況を整理。まず会いに行って話すのは絶対NG。怪しすぎる。でも黙ったままでいるのも我慢できない。と、いうことは~?」

 顔を合わさないでお話する? 覆面? いやいや、怪しさの上塗り。そのくらいのことは私にも分かる。あっ、ここは日本なんだからもっと便利なものがあるじゃん。電話! 電話でお話なら顔を合わさないで済むじゃん。電話番号なら、情報提供を呼び掛ける書き込みに書いてあったし! ようし!


『で?』


 頭の中で、たっちゃんが呆れ顔をした。口の端がぎゅっと上がった笑いだす前か激怒の前触れか、ちょっと見極めが難しいときの顔をしてる。まずい。なんかまずい。長年沁みついた条件反射でベッドの上に正座した。

「名案だと思ったんだけどなあ。電話なら、私が誰か分からないし~。あ、でも、声がダメ? そうだよ。声から個人を特定できる技術があるじゃん。現代だもん。忘れてた。そしたらボイスチェンジャー使う? でも、それ、怪しくない? 誘拐犯の一味が良心の呵責に耐えかねて情報漏洩してきたみたいな感じすごくない?」

 ブツブツ。脳内のたっちゃんと会議は続く。どうやら電話案はダメらしい。じっくり思い返すと世の中には逆探知という技術もあったし、音声を録音されて声紋分析されても危ないし、とにかく足がつく。足がついたらダメって犯罪者感すごいけど、とにかくダメだ。

「電話がダメなら……」

 スマホ画面の「情報提供はこちらまで」と書かれた電話番号を無駄に上下に動かしながら考える。電話案に拘るわけじゃないけどさ。プーン、と指を大きく動かしたら電話番号の下にメールアドレスが出てきた。

「あ。これじゃん」

 これ、声も聞かれないで済むし逆探知もない。よし。これだ。メールしよう。


『ふうん?』


 脳内のたっちゃんはまだちょっと不満そうだったけど、もういいや。きっといつもダメだしされまくってたから私の記憶で再生するとこうなっちゃうんだよ。メール、これがファイナルアンサーでしょ。間違いないでしょ。

 さすがにいつものアドレスから出すほど不用心じゃありません。ちゃんと新しいアカウント作ってアドレスに覆面したよ。こういうことはね、私よりずっと前に異世界にトリップしちゃった浦島太郎のたっちゃんより私の方が詳しいんだから。ふふん。

 さて、準備オッケー。お手紙書くぞ!


「あ? ん?」


 なんて書いたらいいんだろ。不自然じゃない書き出しが一つも思いつかないんですけど……。

 あ、頭の中のたっちゃんがニヤニヤしてる。くっそー。再現のクオリティ高いな。自分のたっちゃん再現力が憎い。蓄積されたデータ数が多すぎるんだよ。もはや完璧かよ。だったら、本物のたっちゃんみたいに解決策まで助けてよ。一番大事なところポンコツ仕様なのなんでよ。エンジンが私だから? 私がポンコツってことなの? 違う。違う。そんな悲しい。脳内たっちゃんはポンコツだけど、私はできる子よ。やればできる。


 うんうん唸って考えた。ときどき寝てた気もするけど、頑張って考えた。だって、ここでは誰も助けてくれないから。そして、ついに思いついた。アドレスだけじゃなくて、私も覆面すればいいんだって。

 いや、違うの。物理じゃなくて。確かに夜明けが近づいてきて頭から煙出そうだけど、そこまで壊れたんじゃなくてね? 別の誰かになったつもりで書けばいいんだってこと。清人のおじいさんのブログを見て、突然お手紙だしても不自然じゃない人。そしてもちろん誘拐犯だと思われない人。

「私はおばあちゃん。自分の孫に会えなくて寂しい思いをしているおばあちゃん」

 これなら、私の心情にも近くて設定に無理がない。よし、今度こそお手紙書くぞ。待っててね、清人のおじいさん。清人の近況までは伝えられないけど、精いっぱい書くからね。




 メールを書き始めて、すぐに涙が止まらなくなった。清人を思い出して、おじいさんのブログを思い出して、鼻のかみ過ぎで鼻が痛くなってきた。そっか、これ、電話絶対無理だったな。泣いて話すどころじゃなかったや。止めてくれた脳内たっちゃん、優秀。それを再生している私も、優秀。

 書き終わって、送信し終わったときには完全に夜が明けてた。バイト、午後からで良かった。寝よ。今度こそ、寝よ……。




 いつもの目覚ましミュージック。もう慣れた。もうすっかり慣れていたはずなのに、今日は寂しい。家族の声で起こしてもらえなくて寂しい。寝る前にあちらの家族のことをたくさん思い出してたからかな。家に誰の気配もしないことにも、そわそわする。スマホから流れる元気な歌声が虚しい。

「まぶたが重いよ~。今日、工藤さん午後シフトじゃないよね。見つかったら怒られちゃうよ」

 焼け石に水。どかんと腫れあがったまぶたに氷。何とか冷やしながらふらふらと支度をして家を出る。そんなことしてても、誰にもつっこまれないのが一人暮らし。自由で気ままで、そして寂しい一人暮らし。

 バイト先にはいつも誰かいるからいい。今日の午後は店長と一緒だ。あと深夜シフトの主、町田くん。町田くんとはもちろんそのまま深夜まで。工藤さんはいつも通り早朝シフトだったみたい。良かった。怒られないで済む。

「え、田畑さん。どうしたの? 大丈夫?」

 大丈夫かっていったらまた疲れた顔してる店長の方が心配だよ。いつかあっちの世界にきちゃいそう。ていうか、来ちゃった方が幸せになれるかもよ、店長。

「なんかあった? 無理しないで休んでもいいんだよ。今日は町田くんがいてくれるし」

 優しい。そうやってバイトの子を休ませるから自分のシフトがとんでもないことになってて、いつも疲れてるんだと思うな。

「無理してるのは店長じゃないですか。今日も青いくまがすごいですよ。本部からなんか無理でも言われました?」

「いや、僕はいいって。ねえ、町田くん、田畑さんダイジョブじゃなさそうだよねえ?」

 町田くんは私と店長の顔を見比べて、しかめっ面をした。え、何その反応。

「どっちも大丈夫じゃなさそうです。でもハイタイムに二人同時に抜けられると困るから、今のうちに二人とも仮眠しといてください。混んできたら起こしますよ」

 ええー。私、店長くらいやばいの? ちょっとショック……。

「いや、田畑さん。その落ち込み方、僕もショック……」

 二人でしょんぼりしながら、でも素直にありがたく、私たちは控室に引っ込んだ。店長は速攻でアイマスクを装着して熟睡モードだ。やっぱり無理してんじゃん。あとで金色の栄養ドリンク奢ってあげよう。

 私は目は腫れてるけど、そんなに眠くないんだよな。机に突っ伏してスマホをいじってみる。これを始めると眠れなくなるんだけど、止められないんだよなあ。

「あ、お返事きてるし」

 昨日作ったばかりのアカウントにメールが一通。清人のおじいさんからだ。反応早い。



 ヒカリ様

 メール、ありがとうございます。

 同じ気持ちを分かち合ってくださる方がいて、お手紙を読みながら心救われる思いがいたしました。

 幼い子供を案じる気持ち。会えなくなる前に何かもっとできることはなかったという後悔。こんな事態になった原因を責める気持ち。とにかく、今すぐに見つけ出して、抱きしめてやりたいという気持ち。声だけでも届けたいという気持ち。聞きたいという気持ち。みんな、みんな、その通りだと、涙が出ました。

 そして、孫・清人の無事を信じて下さってありがとうございます。恥ずかしながら、清人が、どこであれ、温かい人に囲まれ、幸せに過ごしていると、そんな想像はしたことがありませんでした。生きていると信じようとしていますが、どう考えても悲しい姿しか思いつかず、苦労しているだろうと思っていました。でも、愛されて過ごしている可能性があるのだと、そう考えることができるだけで胸の痛みが和らぎました。仰る通り、清人は賢くて優しい子でした。愛されるべき子でした。大事にされるべき子でした。帰ってきたら、私が愛し、守り、今度こそ幸せにしてやろうと思います。それは諦めません。けれど、もし会えないとしても、清人自身の力でも幸せになることができるのだということも、これからは信じたいと思います。

 ヒカリ様も、今のご事情が解決し、お孫さんと再会することができますようお祈り申し上げます。




 やっぱり、メールにも清人のご両親についてのコメントなしか……ブログの時点で感じてたけど。清人は異世界で親を持つことを断固拒否してた。それは親なら日本のご両親がいるからだと思ってたけど、たぶん違ったんだろうな。私が知らないってことは、たぶん清人は誰にも話さなかったんだ。自分の親に対する気持ち。たった8つだった子が、何を思っていたんだろう。


 控室に全然控えめじゃない音量で音楽が鳴った。町田くんからのヘルプ要請だ。お客さん、重なっちゃったかな。行かなきゃ。ああ、でも、涙が……。

「田畑さん、もうちょっとここにいてね。僕出るから」

 爆睡していたはずの店長がさっさと控室を出ようとしている。早い。忍者か。

「すびばせん~」

 ぐずっと鼻を啜る。目がまた腫れちゃう。店長はちょっと口ごもってから「田畑さんのことをさ、ちゃんと大事にしてくれない人とは縁を切った方がいいよ」と言って出ていった。その後交代で控室に休憩に来た町田くんが目を冷やせる保冷剤を持ってきてくれた。皆、優しい……。

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