往生際
目の前が白くなって、いよいよ天に召されるのかと思ったら。ギリ間に合ったと思ったら。
「あれ?」
なんか、足に力が入るぞ。腕にも力が入るぞ。今にも崩れ落ちそうだったのに、しっかり立てるぞ。
「あれ?」
声にも力が入るぞ。これって、息を吹き返してる感じ?
「ヒカリ?」
たっちゃんの腕が緩んで、お互いに一歩ずつ下がる。戻ってきた視界に飛び込んできたのはさっきまで負のオーラ全開だったたっちゃん。顔に滲む疲れは残ってるけど負のオーラは消えた気がする。毒気が抜けて、それよりなにより。
「たっちゃん、本当にその目はどうしたの? まだ真っ赤だよ」
目の充血ですら瞬殺で治すのが不死身パワーなのに、改めて見ても真っ赤に充血した目が治ってない。さっきはぼんやりしか見えなかったけど、今は血管見えるよ。
「ヒカリこそ、その足。真っ直ぐ立ててんじゃん。背も伸びた感じが、いや背筋?」
二人でじっと見つめ合ってから、三秒待たずに謁見の間に駆け込んだ。そこにはバカでかい鏡があるから。
あ、私、走れてる。たっちゃんが歩くより遅いだろうけど、これ、人の手を借りずに走ってるよ?
「本当だ。充血すると目が痛むんだな……そういえばそうだったかも。つうか、俺、これ、もしかして頭痛か?」
先に鏡に辿り着いたたっちゃんが鏡に張り付いてブツブツ言ってるけど、その内容も気になるけど、やっぱり自分を確かめたい。ちょっと走っただけでハアハアする。鏡に手をついて体を支えて、大写しになった自分を見る。
わー! わー! 本当だ。これは90代くらいかなあ。若返った。寂しくなってた髪のボリュームが! 嬉しい! それに目もかなりよく見える。21歳の若さはないけど、死相完全に消えてる。また子供産めそう。
「いや、さすがに子どもは無理だろ」
「うん。ちょっとはしゃぎ過ぎた」
それにしても、これって一体どういうことなんだろう。ハットトリック達成時点では、間違いなく百十歳の身体だったよ。
鏡の前に二人で立ち尽くしたまま、鏡の中の自分達から視線も逸らせないまま。
「ねえ、たっちゃん」
「待て。俺にも分からないことってのはあるんだぞ。例えば、まったく前例のないこととか」
「あー、あれでしょ。異世界トリップしてきた人が突然逆トリップしたあとでもう一回戻ってきて異世界トリップハットトリック決めちゃう、みたいなやつとか」
「マジかよ。いなくなってた間、地球に戻ってたわけ?」
「うん。21歳の自分で」
「その可能性は考えてた。考えてたけど……ハットトリック?」
「三回目だから」
「いや、確認したいのはそこじゃない」
あ、そうだった?
ふーっと長いため息をついたたっちゃんはピアスを一つ外した。じっと見つめていても、何度撫でても、引っ張っても、ピアスの穴は塞がっていかない。
「は、はは。ヒカリ、地球でさ、今度はどんな叶わない夢見てきたわけ?」
鏡の中の耳朶をみつめたままのたっちゃんの目に涙が浮かぶ。
「たぶん一番叶わなそうだったのは、たっちゃんを看取りたい、かな。あ、それでねえ、私思うんだけど、逆トリップの場合もたぶん同じ条件なんだよね」
たっちゃんはもう涙がぼろぼろだから返事がないけど勝手に話そう。この身体なら続けてたくさん喋れるから。
「ちょっとさ。ちょっと、不老不死の夫をこの世に一人残して死にたくないって思っただけで世界から追い出すなんて、ひどいと思わない? 死にたくないのところが大事だったんじゃなくて、一人残したくない、のところが大事だったのにさあ。早とちりもいいとこだよ。それからね……」
日本で頑張った話も報告しなきゃ。お墓の前で話したけど、どうせ伝わってないしね。石にかじりついても生きて、死ぬまでもう一回こっちに戻るチャンスを待とうと思って、頑張ったんだよ。誰かさんみたいに悲しみに暮れて引きこもってるだけじゃなかったんだからね。偉いでしょ。
そうだよ、ぎゅっとして、撫でて、褒めて褒めて、甘やかしていいんだよ。
ずっと不安だったんだから。寂しかったんだから。
「うぅ、会いたかったよう」
「だったら消えるなって」
「わざとじゃないって」
「……もう一回、会えてよかった」
うん。そうだね。本当に、会えてよかった。
「そんでさ、たっちゃん。結局これはどういうことなんだと思う?」
招きの部屋から駆けつけてきた子孫たちと、いまだにたっちゃんに救済を求めてくるお偉方とに話を邪魔されないように、泣きやんだたっちゃんは容赦なく謁見の間の鍵をかけた。魔王城の中で招きの部屋と繋がってる場所が謁見の間から遠くて良かったよ。近づいてくる子供たちの足音に気がついてからでも何とかドア閉められたもんね。子どもにも孫にもひ孫にも会いたいし、ゆっくり話もしたいけど。その前に、ちょっとだけで良いから二人きりでいさせてほしい。あと、この状況を理解しておきたいし。今なお、じわじわ姿が変わっていっているこの状況を。
私たちは鏡の前に並んでいる。だって離れられない。ゆっくりだけど、確実にたっちゃんは老化が進んでいて、逆に私は若返り続けている。あ、髪の毛に黒い毛が混じりだした。
「さあ、分からん。ただ、俺はもう不老でもなければ不死でもないみたいだな」
さっき、確認するためにわざわざちょっと手の甲切ってたもんね。その傷が今も赤く残ってる。普通に比べたら治りが早いけど、以前のたっちゃんならコンマ5秒で消えたはずだ。
「これから順当に老いて、死ぬ……のかな」
それは、たっちゃんが望んで、そして諦めてしまっていたこと。夢にもみなくなってしまっていたこと。
「ヒカリが諦めずに願ったおかげ、なんだろな」
鏡を見つめたまま、手をぎゅっと握りあう。何度も握りなおす。本物だよね。夢じゃないよね。私の手が震えてないのも、握る力がしっかり入るのも、夢じゃない。夢は叶って、現実になってる。
「ありがとう」
「えへへ。夢の叶う異世界、すごいね」
「ヒカリがすごいんだよ……本当に、すごく、信じられないくらい、往生際が悪い」
えっ。完全に褒められてる流れだったのに最後に落としてきた。そんなことある? この状況で。
「お前、たぶん本当にさっき死ぬ寸前だった。実際、清人の葬式の後、ちょっとまずいなと思ってた。影が薄くなってるっていうか、死期が近い感じで。経験上、そういうの外さないから」
やっぱりか。あの日の「おやすみ」が最後だったかもしれないのか。死に物狂いでこのまま死ねないと思った私の直感、鋭い。
「その死期が近い奴がトリップとかやらかすとは思わなかったけどな、誰も。」
私もやらかす気はなかった。だから睨まないでほしい。
「とにかく、トリップ前の死にそうな状態で帰ってきたわけだ。そんで魂が抜けかけてる、ほぼ死体のお前で」
「ほぼ死体……」
私、感動の再会をして熱い抱擁を受けたと思ってたけど、そのとき、ほぼ死体だったんだね。そうか。そうなのか。
「ヒカリが死ぬと覚悟して、百十まで連れ添って、見送るつもりが消えられて、それでもいなくなったと諦めて、腹括って、それなのにまた帰ってきて、死にそうで、生き吹き返して、それで今度は俺も道連れって。これを往生際が悪いと言わずして何という」
「くうっ、本当だ!」
笑い事じゃないけど、二人して笑い出したらなかなか止まらない。笑いすぎて涙が出た頃にたっちゃんが言った。
「粘ってくれて、ありがとう」
ちょっと余計に涙が出た。
「それにしても、これ、いつまで続くんだろう」
私の背筋は今やほぼまっすぐで、80歳を超えたサチよりも若く見えるかもしれない。たっちゃんは、少しずつお肌の張りが失われてきて、今は自然な三十代くらいかな。
「それこそ、全く分からん。ただ、ちょっと……」
言葉を濁したたっちゃんは鏡から目を逸らして私の方を見た。
「行きつくところまで行ききったら、まずいということは分かる」
「行きつくところ……」
それはつまり、たっちゃんがおじいさんになって、私が若者になって、そしてその先まで。
「俺がこのまま歩けないくらいの爺になった頃に、ヒカリがまともに喋れないか、下手すりゃ自力歩行もできないくらいの赤ん坊になるのが一番まずいだろ」
はっ、確かに! たっちゃんを看取るという夢は叶うけど、共倒れ感がすごい。
「ドア、開けとくか。外もいい加減にうるせえし」
そうだよ。謁見の間の扉に鍵かけてあるじゃん。あれを開けられなかったら、赤ん坊の私、たっちゃんの隣で餓死決定じゃん。
「添い遂げるって言葉には心中エンドの含みがあるのかな?」
うおっ、無言で頭わしづかみは止めて欲しい。痛い。今の割と本気だったでしょ。おばあちゃんになってからは特にみんなに大事にされてきた私に、それに対する耐性がないよ。
涙目で見上げたら、ジトっと見返された。
「そんな不穏な含みはないだろ。せっかく生き返ったのにすぐに死のうとすんなよ」
「一度も死んだつもりはないよ」
たっちゃんの手、今度は避けてやった。
久々の会話を楽しんでいる間にも、たっちゃんの目元の皺は深くなっていく。
「私、たっちゃんの三十代を独り占めしてるかな」
へへ。年をとると人生が顔に出るっていうけど、年々いい顔になるじゃん。へらへらする私の頭を、今度はぐいぐい撫でて、たっちゃんは扉に向かう。
「それだけ独り占めしたら、もういいだろ。開けるぞ」
「うん」
子どもたちも孫たちもびっくりするね。
扉の前に並んで、もう一度手をつなぐ。
「父さん! いい加減にあけてよ! 私も母さんとお話したい! 死に顔でもいいからお顔見させてよ!」
「じいさん! もう限界だって。さっきから空から雷の代わりに花が降ってきてんだよ、外見てみろって。世界が白い花で埋まっちまうぞ」
扉の向こうが騒がしい。白い花かあ。女神が私の死を悼んでくれてるのかも。ありがとう、まだ生きてるよ。
扉に手をかけたたっちゃんとお互いの姿を確認し合う。今のたっちゃんは無理して作ったんじゃない自然なおじさん。おしゃれな感じはそのままで、優しさが顔に出てて、大人の色気があるかも。新鮮だなあ。
「写真、撮れたらいいのに」
「量産化には時間がかかるように女神が制限かけてるから」
遠くの方で写真機が開発されたとは聞くけど、ここにはない。
「よく覚えといて」
うん。せっかく視力も回復したから目に焼き付けとく。
たっちゃんの唇、カサカサだったってことも。記憶に刻んどく。
扉を開けたら、大騒ぎしていた子孫たちが一瞬静まり返って、それから今日一番の悲鳴みたいのが上がって、とんでもない騒ぎになった。黙れない奴は帰れって魔王モードを発動したたっちゃんが一喝するまで、何も聞き取れないくらいの騒ぎだった。
その間も、私たちはじわじわと変化し続けていたようで、やっと静まったみんなと鏡の前に戻ったら、ちょうどお似合いの年頃になってた。
「これで、四十代くらいってとこか」
「同年代に見えるね。ここで止まってくれたらいいのにね」
ずっと繋いだままの手の中、たっちゃんの手の感触が少しごわごわになってきて、ちょっとヒヤッとしたけどぎゅっと握ったままにした。
みんなで黙って巨大な鏡を見つめる。窓の外を巨大な花が落ちては降り積もる、ボスッ、ボスッっていう聞きなれない音だけが聞こえる。
願いも虚しく変化は止まらずに私たちはすれ違った。今や私の方が若く見える。たっちゃんが二十年進む間に、私は八十年若返ってる。このままじゃ、たっちゃんを看取る前に私が赤ちゃんになっちゃう。
どうしよう。
「ヒカリ……これ、止められないのか?」
「やり方、分かんない」
子どもたちも皆、何の説明もなくても状況を理解して私のそばに寄って来る。半べそになった私の空いていた方の手を柔らかくて小さい手が握ってくれた。ひ孫のアリス。必死の表情で見上げてくる。まだ小さいのに励ましてくれてる。ありがとう。
そこから、アリスの手をその母が握って、その手を、その手をって皆が繋いで、たっちゃんのところまで。みんなの手が繋がって一族の大きな輪になった。私の手の大きさはもう十歳のアリスと変わらない。鏡から目を逸らしてお互いを見つめ合う。
会いたかったよ、私の家族。皆、愛しい。皆、いい子。大好きな、私の家族。私の命の続く限り、一緒にいてね。赤ん坊になったその先、私が消えたら、たっちゃんを支えてあげてね。お願いね。
お願いしたら、全員が頷き返してくれた。
頼もしいなあ。みんな、なんだか輝いて見えるよ。




