ピーマン
体育館のコートでは、バスケットボールが床を跳ねる音と、児童が駆け回る足音が響いていた。
「リンくん、パス、こっち!」
友達に声をかけられた倫は、ドリブルしていたボールを掴み、瞬時に友達にパスを回し、さらにゴールリングの近くまで走った。
「リンくん!」
友達の周りには、相手チームの児童が追いついて来ていた所で、友達からまたボールをもらい、倫はリングにボールを投げ入れた。
「やったー! リンくん! 点、追い抜いた。あと、5分だから頑張ろう!」
「リンくん、今日、調子いいじゃん!」
チームメイトの児童に声をかけられ、倫は、エヘヘと喜んでみせた。
調子がいいのは、体育の授業だけじゃなかった。今日の倫は、いつになく張り切っていたのだ。
1時間目の算数の授業でも、率先して手を挙げ、黒板に解答を書いていた。給食では、大好きなカレーの日だった事もあり、他の男子児童と競争するように、お替りをもらいに行った。
そして、5時間目の体育のバスケットボールの試合では、普段シュートが中々決まらない倫だったが、今日はスパッとリングにシュートが一発で決まったのだ。
帰りの会が始まると、倫はソワソワと落ち着きがなかった。嬉しさのあまり、気を緩めてしまうと顔がにやけてしまうのを堪えながら、先生にさよーならと、クラスの自動で一斉に挨拶をしたのだった。
「リンくん、帰りにシュンの家でゲームしない?」
クラスの友達に声をかけられた倫は、ランドセルを背負い、席から駆け出す寸前だった。
「ごめん! 今日は、パス。急いでるから。じゃぁ!」
教室を抜け、玄関で靴を履き替えると、倫は思い切り駆け出した。5時間目のバスケの時よりも、俊足にそしてとても軽やかで、身体ごと浮いてしまいそうな程の気持ちだった。
家に戻ると、既に母親が帰宅していた。
「ただいまーぁっ!!」
家のドアを開けると、倫は声を張り上げて言った。肩で呼吸していた息を落ち着かせ、はやる気持ちを抑えながら、倫はリビングの扉を開けた。
「おかーさん、ただいま。それと、おかえり!」
リビングのソファーに腰掛けていた母親の姿を見つけると、倫は大喜びで駆け寄った。
今日の午後、出産が無事終わり退院した母親が、赤ちゃんと共に帰宅していたのだ。
「うわぁ…。小さい手だね」
母親に抱かれた赤ん坊を覗き込み、倫は目を輝かせていた。
「おかえり、倫。栞ちゃん。お兄ちゃんが帰ってきたよ」
薄目を開けた赤ちゃんに、母親が優しく声をかけた。倫は、お兄ちゃんの言葉に胸をくすぐらせ、まじまじと赤ちゃんの顔を見ていた。
「僕、お兄ちゃんなんだね。今日、お母さんと栞ちゃんが戻ってくるから、嬉しくって、学校の授業、すっごく張り切ったんだ! 身体中に力がぶあぁーって、溢れる感じがしたんだよ」
倫は、暫く会えなかった母親にあれこれ話したい気持ちを抑え、今日の学校での出来事を夢中になって話した。母親は、それを一つ一つ丁寧に聞いてくれていた。
「すごいねー。栞ちゃん。お兄ちゃんは、今日、学校で頑張って来たって」
母親の声に、あーと、小さく声を出す赤ちゃんを見て、倫は更に顔をぐにゃりと綻ばせた。
「かわいいねー。ほっぺたがぷくぷくしてる」
ふっくらと膨らんだ小さな頬を指で撫でると、赤ちゃんは倫の方を向いてまじまじと見ていた。
「栞ちゃん。お兄ちゃんだよ。栞ちゃんは、僕の妹なんだよ」
倫は、自分に言い聞かせ、そして目の前の幸せをも噛み締めるように言葉を口に出していた。
「今日からね、僕、ちょっと強くなるんだ。だって、僕、お兄ちゃんになったから」
「すごいね。じゃぁ、苦手なピーマンも食べれるようになるかしら?」
小さく首を傾げ、母は悪戯に言った。
「げ! ピーマンかぁ…」
倫にとって苦手な野菜を言われてしまい、顔を顰め、うーんと考え込んでいた。
「お兄ちゃんが食べなければ、栞ちゃんも食べなくて、好き嫌い沢山作っちゃうとお母さん困るなぁ」
「う…。強くなるなら、そうか。なんでも食べないと…。栞ちゃんだって、真似して食べなかったら、大きくならないよね」
「そうねー」
母親は、赤ちゃんをあやしながら、倫の答えを待っていた。
「頑張ってみるよ! ピーマン、うーんと、ちっちゃくしてくれたら!」
「あら。今夜、ピーマンの肉詰めにでもしようかなって思ったのに」
「えー! あれ、ほぼピーマンじゃん! おかーさん、それはカンベンだよ」
苦い顔をして抵抗する倫に、母親はケラケラと笑ってみせた。そんな母親につられたのか、赤ちゃんが小鈴を鳴らすかのように可愛らしく笑ったのだ。
「あ! 栞ちゃんが、笑った! かわいいなぁ」
倫は、赤ちゃんの顔を覗き込み、一緒になって笑んでいた。
妹ができ、帰ったら妹に会える。
兄になった主人公の胸を弾ませる1日を描いてみました。
苦手なものを克服して、強くなるというお兄ちゃんになった自覚も少し付け加えつつ。
今回のショートショートは、大なり小なり、何か楽しみがあると、その日1日がとても煌めいて、心が少し軽くなるそんなお話を書いてみたくて投稿しました。
お気づきの方がいたら嬉しいのですが。
この3部作、全て家族で繋がっています。
レモネードの陸 モデルの加奈江は、陸の母。 ピーマンの倫は、陸が父親で、加奈江は祖母に当たります。
直接、名前は出しませんでしたが、どこかにヒントが描かれてあります。
そんな所を、改めて読み返して頂くのも、楽しいかなと、ほんの少しだけ遊び心を入れてみました。
さて。
そろそろ、書き溜めたお話を一つ、投稿しようと思います。
連載物になるので、また、近日お披露目できればと。
その時はまた、どうぞよろしくお願い致します。
未月かなた