強者
将棋を指し始めて数分が経った頃。私は驚きを覚えていた。
序盤、いきなり敵駒が攻撃を始めたのだ。
これは急戦と呼ばれる展開だが、一般的には初めに囲いを作ってから戦いを始める、持久戦が用いられることが多い。
急戦になると自陣を囲わずに戦うことになり、攻めと守りの両方に読みを入れる必要が出てくるからだ。
まして相手は子供。
この複雑な盤面ならすぐに私に戦況が傾く、と思っていた。
実際の今の盤面は互角。
お互いに銀と歩を1枚ずつ取り合った状況だ。
「お強いんですね」
「ほんと?!
最近始めたから、そう言って貰えるのはうれしいなぁ」
将棋を指し始めて数分が経った頃。
私は驚きを覚えていた。
序盤にして、突然、敵駒が自陣に攻め込んできたのだ。
これは急戦と呼ばれる展開だが、一般的には初めに囲いを作ってから戦いを始める、持久戦が用いられることが多い。
急戦になると自陣を囲わずに戦うことになり、攻めと守りの両方に読みを入れる必要が出てくるからだ。
まして相手は子供。私も子供ですが……この複雑な盤面ならすぐに私に戦況が傾く。
そう思っていた。
今の盤面はまったくの"互角"。
お互いに銀と歩を1枚ずつ取り合った状況だ。
私は遂に、驚きが口から漏れた。
「…お強いんですね」
「他人とやるのは初めてだから、
そう言ってもらえると嬉しいな」
「…そういえばお名前を聞いてませんでしたね。
私は徳川紗。あなたは?」
「僕は……無作 零七」
「珍しい名前ですね。どんな字を書くんですか?」
「無作為の無作に数字の0と7で無作 零七だよ」
「いい名前ですね。よろしくお願いします」
「うん…よろしくね!」
近い将来、また会うことになるかもしれませんね。
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あれからおよそ1時間。
既に決着していた。
「ごめんね。あと少しだったけど、もう行かなきゃ…」
「………そうですか」
「じゃあ、またね」
零七はそう言い残し、足早にその場を去っていった。
ただ1つ、"異常な盤面を残して"。
そして私はそれを見つめながら、
涙を堪えるので手一杯だった。そう、私は負けた。
「紗。手続きがあるからそろそろ戻るよ」
「…………」
丁度入れ替わるようにして迎えに来たのは私の実父。
私は俯きながらも返事をしようと口を開けたが、声を出すことはできなかった。
「紗?」
父は私の様子を不審に思い、側へ歩み寄ってきた。
「紗、一体どうし……なんだ、今の子と指してたの、か」
( 紗が負けている……それに、この盤面… )
「油断していたのかい?」
私はただ、首を横に振った。
( いや、油断がなければ"こんな事になる筈はない"。プロに勝った事で無意識に自分の力に過信が生まれていたか…… )
「紗、あまり気にすることはないよ。次は勝てるさ」
「…………」
「さ、行こう」
私は一言も発する事はできず、父の後をついて行った。
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「つまり、紗様が探しているのはその、無作 零七…」
「はい」
「でも、今更どうしてです?
まさか、
リベンジしたいだなんて子供じみた理由じゃないですよね?」
私は一度コホンと咳き込み、説明を始める。
「勿論、三帝競争のためです。
私より優れた人材を放っておくことはできません。
当時の私も彼女の異常性を感じたからこそ、特定できるように漢字まで細かく名前を聞いておいたんです。結局、現在に至るまで見つけ出すことはできませんでしたが…」
「幼少期から抜かりないのは流石ですが、
紗様より優れているというのはいくら何でも大袈裟では?」
「54分47秒」
「え?」
「あの戦いの中で私が消費した時間です。
貴方なら、この意味が分かりますね?」
「………」
将棋には持ち時間というものがある。先読みをしあう都合上、無制限にするといつまでも先を読むことができ、莫大な時間が掛かってしまうからだ。
そして零七と紗の決着までに要した時間は60分。
内、54分47秒を徳川紗が消費した、それはつまり逆説的に言って"零七は1手に10秒も掛けていなかった"ということだ。
これは読みの能力が紗の遥か上をいったということでもある。
6段のプロを下した紗の遥か高み。故に"怪物"。
「それだけではありません」
「異常な盤面、のことですよね…それは一体どんな?」
「シンプルに、歩以外の全てを失っていたんです」
普通は、そうなる前に負けを認めている筈。
紗様はまだ子供だったから…
「それは、紗様が負けを認めなかったという話では…」
「…失礼ですね、作法くらい弁えていましたよ。
ただ、一度も詰むことがなかったから投了を控えたんです」
「つまり…」
「おそらく彼女は、私に投了させないように立ち回り、駒を全て集めて勝つことを狙っていた。
だから去り際に"あと少しだった"と呟いたんでしょう。
私はまんまと遊び道具にされたというわけです」
(記憶力のいい紗様のことだから、この話は間違いなく真実。
私もちょっと興味が出てきたな。
紗様もリベンジしたいオーラぷんぷんだし……)
「無作 零七のヤバさは分かりました。
ただ、東亜学院を建てたことと彼女の発見。
この2つはどう繋がっているんですか?」
「1年前。三帝評議会の直後に1本の非通知電話がありました。内容はこう…
『私は君が探している無作 零七の父親だ。
こちらも忙しいので端的に話す。君には、国内トップとする新たな高校を建設して貰いたい。東亜連邦としても合理的な策。君の頭の隅にも既にあるだろう。アイツは無意識に凡人を破滅させる。君もそれを感じた筈だ。建設が実現すればアイツを通わせることを約束する。では、また 』 と」
「三帝評議会の直後…、無意識に凡人を破滅…、君もそれを感じた筈だ…、君の頭の隅にもあるだろう…。
凄く、興味深い電話ですね。"また"ということは、最近何か連絡があったんじゃないですか?」
「はい。手紙が一通届きました」
「そこには何と?」
「"感謝する。私も約束は果たした。
だが、見つけるのは簡単ではないだろう。"と」
「…はは。それは、見つけてやりたいですね」
「ええ。本当に」
微笑みと呼ぶべき温厚な紗の表情は、
いつの間にか獲物を狩る強者の笑みへと変わっていた。
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「これが東亜学院…」
束の間のドライブを終え、俺は既に目的地へと到着していた。
目の前にはこじんまりとした白い門。その背後には左右対称の白く西洋チックで巨大な建物が見える。
俺は頭に入れている学院内の地図を元に寮へと向かった。
東亜学院は完全寮制のため、敷地は広く設計されている。
生徒の数は確か1学年で150人。
俺達の代が1期生ということもあり、来年、再来年と入ってくる生徒のための建物は使われていない状態が続くことになる。
先輩がいないのは残念だが、1年間たった150人で学校行事を満喫できると考えれば、悪くはない。
敷地内に緑が少ないのは田舎者の俺には物寂しいが、桃色の花を咲かせ、入学者を出迎えてくれているような、所々に植えられた桜は凄く綺麗だ。
寮はその並木道を進んだ先。校舎の東側に位置する。
歩くこと数分。遂に見えてきた。