0:プロローグ
父親の車に無理やり乗せられた幼い少女。
少女は、車の窓を開けようと必死に手を動かしていた。
そして窓を開ける事が、運転席にいる父にによって阻まれていると知ると、窓にへばりつくようにして外を見る。
少女が涙目で見つめる、そんな目線の先。
男の子。_____その少年は少女より細く小さい背で、可愛らしい。
少女と同じく涙を浮かべて、額には真珠のように大きな汗の粒。
肩で息をしているのを見れば、少し前まで走っていたことが分かる。
少年は息をするのも苦しかったが、それでも目の前の少女に伝えたいことがあった。
息を整えるより先に、伝えたいことが。
「藍乃ちゃん......!」
少年は、少女の名前を呼んだ。
その声は窓越しでも鮮明だ。
藍乃と呼ばれた少女は、「少しだけでいいから出して」と窓を叩きながら泣き喚く。
だが運転手はそんな少女を無視して、エンジンをつけた。
大人は、いじわるだ。
大人は、いつもこどものことを考えているというが、ほんとうはこれっぽっちも考えていなくて、全部自分のためだ。と、藍乃は感じた。
「ぼくは、ぼく、ぼくは......!」
その時、少女と少年は必死だった。
文字の通り、必死だったのだ。
だが、車は出発する。
少年は、再び走った。
もう力も残っていないというのに、全速力で走る。
今まで使ったことのない筋肉が動いているとさえ思った。
もちろん、車には敵うはずも無く、少年はすぐに引き離されてしまった。
「あ、藍乃ちゃん!待ってて......!」
荒い息と一緒に発した言葉は、藍乃には届かなかった。
その時、少年の意思とは反対に身体は悲鳴をあげ、ついに足がガクッと曲がる。
そして少年は、顔から地面に突っ込んだ。
ズサっと地面に擦れた音が、寂しく響いた。
痛い。辛い。
少年はしばらく、動けなかった。
そしてハッとして顔を上げると、車はもう見えなくなっていた。
走る理由も無くなって、叫ぶ理由も無くなった。
そして、自分が笑う理由も今、いなくなってしまった。
少年の目に溜まっていた雫は、遂に地面に落ちる。
今はただ、痛くて、つらくて、苦しくて、息ができない。もう、疲れてしまった。
そして、少年は保護者が迎えにくるまで、起き上がることもせずにただ地面に突っ伏したままだった。
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