己の不運を恨め
今日の俺は運が良い。
成功率100%のターゲットを見つけた。
着慣れてなさそうなリクルートスーツ。
ヒールも初めてなのだろう。
足元を見ながら、とちとち歩いている。
俺の職場最寄り駅の2つ手前は、私立Y女子大前駅だ。
平日朝のホームや車両は、通勤者に加えて、大量のJDで埋め尽くされる。
◆◆◆
数年前の朝。
遅延で一層過密した車両内で、俺と見知らぬJDの身体は恋人同士の様に向かい合った状態で密着した。
JDの吐息が喉仏をくすぐる。
ズボンの中が熱くなるのを感じた。
以前から冤罪対策として両手を上げる等注意してきたのに、このままではいつJDに叫ばれるか分からない。
そうなれば俺は終わりだ。
だが、JDは叫ばない。
むしろその吐息は湿り気を帯びている。
このJDは、俺の身体で楽しんでいるのか?
女子大前駅に到着し、人が一気に減る。
あのJDがどんな顔をしていたのか、見れず終いだ。
それ以降、朝の通勤時にJDの身体に触れることが日課になった。
抵抗されて危ない日もあったが、面白い程に誰も叫ばない。
回数を重ね、精度を上げる。
俺と似た嗜みを持つ者達と、ネット上でコツを伝授し合う。
重要なのは抵抗しないJDを見つけることだ。
昨今、エッチの経験が無い若者の割合が増えているらしい。
でも、欲望が無い訳ではない。
俺はJDの甘い欲望を満たしてやっているのさ。
爪の手入れを徹底し、
ハンドクリームこまめに塗り、
アルコールジェルを常備する。
こんな俺に遊んでもらえるなんて、むしろ感謝しろと言いたい。
◆◆◆
日曜日の朝、テレビをつけると、ワイドショーで速報が流れていた。
『……Y女子大前駅で発生した人身事故で、自殺した21歳女性専門学生の遺書が自宅で発見されました。
事故前日、Y女子大では参加者自由の就活セミナーが開催されていました。
女性はセミナーに参加する為に乗った電車内で痴漢被害に遭ったようです。
遺書によると、女性は中学2年生の頃に痴漢に遭い、その影響から数年間不登校だったとのことです……』
「痴漢で自殺とか、弱くね?!」
高校生の息子が言った。
今日は部活が休みらしい。
「痴漢なんて、される内が華なのにね。
ママも昔は何度か遭ったわー」
妻が朝食を並べながら言った。
『あの沿線は昔から痴漢が多いことで有名です。
対策は色々されてますけどね。
今回自殺した女性は、運が悪かったとしか言いようがないですね』
ワイドショーでは、白いジャケットを着たコメンテーターが話していた。
「冤罪被害も増えそうだし、困るな。
通勤に使うこちらの身になってほしいよ」
「でもさ、あんな大量のJDとギュウギュウとかマジで天国じゃん。
俺、反対方向なの悔しいわ」
「博也!
朝から下品なことを言わないで!
パパも気を付けてね。
去年お隣の小山さんが引っ越しした理由知ってるでしょ?
痴漢冤罪ふっかけられて、事を荒立てないように、和解で片付けようとしたら職場にバレて解雇。
お子さん3人もいて大変なのに」
「あのオッサン、ホントはやってんじゃないの?
ハゲデブで、顔の脂とかエグかったし」
「汚いことを言うのやめなさい、博也!」
朝食を済ませた後、妻と息子が俺の前に小さな紙袋を持ってきた。
「パパ、誕生日おめでとう!」
プレゼントの中身は腕時計だった。
革ベルトを簡単に付け替えられるようになっている。
文字盤には明るい赤色のベルトが付けられていた。
「随分派手だな。黒い方に変えて良いか?」
「このままが良いわよ。
パパは真面目が取り柄だけど、ちょっと派手めも悪くないかなって。
博也が決めたのよね」
早速腕につけてみる。
「ありがとう、大事にするよ」
「やったね!」
妻と息子は、笑顔で互いを見合った。
「それじゃあ私達出掛けてくるわね。
今日はたっくんところの車で、皆でアウトレットモールのセールに行くの。
晩ごはんも食べて帰るし、冷蔵庫に昨日の残りあるから、パパは適当に済ませてね」
二人は楽しそうに出掛けていった。
台所のシンクには、汚れた皿や鍋がそのまま残っていた。
◆◆◆
翌日月曜日の朝。
俺は今日のターゲットを探す。
あいつら、俺をナメやがって。
まぁ、いい。
昨日は面白い話を2つも聞けた。
小山の冤罪は、当時俺がサイト仲間と考えた「身代わりの術」が成功したものだ。
そして、自殺した専門学生の女。
日にちを考えてもあのリクルートスーツで間違いないだろう。
Y女子大生じゃなかったのか。
サイトでのポイントは下がるが仕方ない。
怯えた反応は悪くなかったしな。
フフフ。
小山が痴漢だと訴えたのは俺じゃない。
女の方は勝手に自分で死んだんだ。
俺は関係ない。俺は悪くない。
恨むなら、己の不運を恨め。
「こないだの人身事故、痴漢が原因の自殺だって〜」
「ヤバいよね〜」
JD同士の会話の声は、心地良い。
俺は女性専用車両の隣の車両位置まで進む。
いた。
丈の長いシャツに、ふくらはぎまで伸びたスカート。
ゆるめのシルエットから華奢なボディラインが想像出来る。
大きめの布帛リュックを前で持っている。
ターゲットの真後ろに並ぶ。顔を見ないのが俺流だ。
素早く視線を送り、どこから手を伸ばそうか考える。
電車が来た。
俺達は空いた車両に乗り込む。
先頭に並んでいたターゲットは向かいの扉近くまで進む。
よし、配置も完璧だ。
今日も俺は運が良い。
電車が動き出す。
波のような揺れが、乗客の身体を動かす。
俺はその流れに乗るようにさり気なく手を伸ばす。
ターゲットの身体がビクンと反応した。
ククク、お前は上玉だ。
「痴漢です!
やめてください!」
突然ターゲットが大声を出した。
ハッキリと通る声だ。
すかさず俺は手を戻そうとした。
だが、それを止める手が現れた。
「逃さないわよ!」
気付けば俺は数名のJDらしき女達に睨まれていた。
他の乗客がザワザワと冷たく騒ぎ出す。
「誤解だ。
私は何もしていない」
ここで取り乱すのは素人だ。
こんな場をこなしてこそ上級者だ。
「証拠を撮っているわ。
次の駅で降りてください!」
女の馬鹿デカイ声のせいで、周囲の視線は俺を刺していた。
扉が開き、乗客が降りていく。
俺達はベルトコンベアのように外に出た。
「駅員さん、呼んでくるね」
1人の女が場を離れた。
ターゲット含めて残り3名。
これなら振り払えるか。
所詮相手は女だ。
「キャッ!」
俺の腕を掴んでいた女を強引に引き剥がし、俺は出口に向かって走ろうとした。
が、視界が宙を舞った。
気付くと、身体は地面近くで動けなくなり、痛みが全身を通り抜けていた。
「警察です。
痴漢暴行容疑で同行願えますか?」
安っぽいスーツの男が警察手帳らしきものを見せる。
「俺は被害者だ!
俺はこの女共にハメられた!
見ろ! 腕を怪我した!
先に暴行したのは女の方だ!」
俺は引っ掻き傷のついた腕を警察と名乗る男と、女共に見せつける。
「刑事さん、私証拠の画像撮りました」
別の女がスマホを見せる。
派手な赤いベルトの腕時計をつけた手が、ターゲットのシャツの裾の中へ伸びていた。
「たまたま手がそう見える位置にあっただけだ。
車内では見動き出来なかったしな……」
そう言いながら、俺はターゲットだった女を見た。
充血した目で、俺を睨みつけている。
実に不快だ。何様のつもりだ?
「あの、刑事さん?」
場違いな年増女が近付いてきた。
「私、この人が、この女の子の服の中に手を入れているのを見ました。
ごめんなさい。
裾が重なってそう見えるだけかもと思ってしまって。
もっと早く声をかければ良かった……」
年増女はボロボロ泣き出した。
お前の顔など見たくない。消えてくれ。
「詳しくお話を聞きたいので、ご同行お願い出来ますか?」
「もちろん!
これから仕事でしたが、店の方には連絡しますので……」
◆◆◆
『ノンテさんが捕まったそうです』
『そう言えば、Y女子大が、警察と鉄道会社と提携して、痴漢対策チームを作ったってニュースありましたね』
『ノンテさんなら、成功させてくれそうでしたけど。
油断しちゃったかな?』
『警察にここが見つかるのも時間の問題だ。
早急に閉鎖して、新しいサイトを立ち上げよう。
我々のオアシスをよくも……』
『ノンテさんの投稿だけ残しときましょうよ。
身代わりの術の動画も、警察が見たら楽しいんじゃないすか?』
『ノンテさんには悪いが、運が悪かったとしか言いようがない。
恨むなら、己の不運を恨め』