7.元最強賢者、魔物退治へと同行する
本来出発は明日の予定であったが、オリヴィアが今日到着したために、急遽予定を繰り上げ今日出発することにしたらしい。
そんな話を昼食を食べながら父から告げられた結果、昼食後は大分慌しいことになった。
「……早く来た方がいいかと思って今日来たのだけれど、明日にするべきだったかしらね」
「お主が助っ人に呼ばれたということは、本当に危険な魔物が人里近くに出たということなのじゃろう? 早く向かうに越したことはないのじゃろうし、別に問題はないじゃろう。父上もそういった旨のことを言っていたわけじゃしの」
「そうだといいのだけれどね。というか、危険なのが出たというのは正しいけれど、わたしはおそらくお師匠様が思っているほどには戦えないわよ?」
「ふむ? どういうことなのじゃ?」
千年前のオリヴィアは確かに万能寄りの魔導士であり、攻撃に特化していたというわけではない。
だが特化していないというだけで、全てを高いレベルで使いこなせていたため、戦力としては上から考えた方が早いぐらいだったはずなのだが……古代魔法から現代魔法に移行する際に得意とする系統でも変わったのだろうか。
「まあ確かに、お主の魔法はお主に合っていたものを使っていたというよりは儂を真似していた、といった感じだったのじゃからな。一人で構築し直すとなれば、違ってくるのも当然かの」
「別に使用する魔法の系統は変わっていないわよ? 変わったのは、魔法そのもの。ていうか、そっか、まだそういった基本的なことも理解していないのね」
「どういうことなのじゃ?」
「単純な話よ。古代魔法と比べると、現代魔法は威力にしろ効果にしろ、大幅に劣っているの。特に攻撃魔法はね。まあ、敢えてそうしたのだけれど」
「ふむ……」
時間がなかったために詳細は聞けていないものの、言葉の端々から現代魔法が誰かの都合によって作られたものだということは何となく分かっている。
どうやらその結果として、魔法は一般にまで広まり便利なものとなったが、その分と言うべきか魔法そのものは劣化してしまったような状態となってしまっているようだ。
ということは、強力な魔物が出ても、魔導士ではなくその領地の者達が対応するというのも、その辺のことが関係しているのかもしれない。
どの程度劣化したのかは分からないが、オリヴィアは自信家ではないものの、悲観的な性格をしているわけでもないし、その分析は的確である。
そのオリヴィアが言う以上、現代魔法の威力等は大分引き下げられているものと考えた方がよさそうだ。
「そういえば、今朝兄上から魔法を見せてもらったのじゃが、炎熱系の魔法を枯木に放ったにもかかわらず、枯木が燃えることもなければ表面がちょっとだけ傷ついただけだったのじゃ。随分威力を抑えたものだと思ったのじゃが、あれはもしかしてそんなことはなかったのかの?」
「何の魔法に使ったのか分からないけれど、多分普通に使っただけだと思うわよ? 現代魔法での攻撃魔法というものは、大半は注意を逸らす程度にか使えないもの。しかも街に張ってある結界のせいで、その中では特に威力が落ちるし、貴族の屋敷ともなればより強力な結界が張ってあるのが普通なのだから尚更だと思うわ」
「ふむ……そうだったのじゃったか」
「まあ、魔導士ならばそこそこ攻撃に使えるような攻撃魔法を使える人もいるけれど」
「魔導士……? 言葉の感じからすると、千年前に使われていた魔導士とはまた別なようじゃな」
「大して変わらないわよ? 千年前だって、魔導士って呼ばれていたのは高度な魔法を使いこなせる人達だけだったでしょ? 今もそうだもの。ただ、今は大半の人が魔法を使えるから、魔導士見習いとかって言葉はなくなったけれど」
「なるほどのぅ……今はそのようになっているのじゃな。ちなみにじゃが、オリヴィアは当然魔導士に該当するんじゃよな?」
「えっ? あっ、えっと、その……ま、まあ、そうね。一応わたしも、魔導士に該当するわ」
「ふむ?」
当たり前のことを肯定するのに何を挙動不審になっているのやら、と思ったが、その疑問が口を出ることはなかった。
それよりも先に、父が出発する準備が完了したことを告げてきたからだ。
「すまない。任せたな」
「いえ、リーン様にお相手してもらっていましたから。それよりも、わたしこそ予想を崩してしまい申し訳ありません」
「いや、先ほども言った通り、早く行けるのであればそれに越したことはないからな。問題はあるまい。さて……リーン」
そう言って名前を呼ばれたのと共に向けられた目へと、リーンも視線を返す。
リーンがここにいたのは、準備が整うまでの間、オリヴィアの相手をするためだ。
しかしそれはつまり、リーンはまったく準備が出来ていないということである。
というかそもそも、何か準備をするものがあるのか、ということすら分からないのだが。
まさかここにきてやはりリーンの同行はなし、ということになるとは思わないが……。
「お前も理解していることだとは思うが、私達はこれから外へと出る。決して遊びではなく、非常に危険な、だがやらねばならぬことをなすためにだ。……分かっているな?」
「無論なのじゃが……儂まだ何一つとして準備とかしていないのじゃが?」
「ああ、それに関しては心配するな。既にこちらでやっておいてある。そもそもお前だけでは何を準備するのか分かるまい?」
なんと、リーンの分の準備は既に父達がやっておいてくれていたらしい。
さすがである。
「おお……さすが父上達なのじゃな。助かったのじゃ」
「なに、お前にはオリヴィア殿の相手をしてもらえっていたからな。助かったのはむしろこちらの方だ。……それで、本当にいいのだな?」
再三の確認ではあるが、それはこちらのことを信じていないわけではなく、単に心配してのものだろう。
向けられている瞳の中には、明らかにそういったものが見える。
おそらくここで嫌だと言えば、父達はあっさり受け入れてくれるに違いない。
だがそれは、こちらを心配する以上に、信頼してくれているからだ。
リーンならば、自分で自分のことをしっかり判断出来るはずだ、と思ってくれているのである。
家族であることを差し引いても、六歳の幼女に向けるには破格なものだ。
だから、というわけでもないのだが、リーンはその信頼に応えるように、はっきりと頷きを返した。
「問題ないのじゃ」
「……そうか」
瞬間、父の瞳が僅かに揺れた。
あるいは、本当は嫌だと言って欲しかったのかもしれない。
だが、動揺を悟られまいとするかのように、父はすぐに背を向けた。
「……最後の確認をしてくる。すまんが、もう少しだけ待ってくれ」
そうして去っていく背中を、何となくリーンは眺め……ふと隣から感じた視線に、顔を向ける。
そこでは、何故かオリヴィアが何かを言いたげな顔をしていた。
「うん? どうしたのじゃ?」
「……正直に言っちゃえば、わたしはお師匠様が行くことは反対よ。そもそも、詳しいことはまだ何も聞いていないのでしょう?」
「それはそうじゃが、別に問題ないじゃろ? 何も分からぬ状況に飛び込むなど、昔はよくあったしの」
「それはそうだけれど、昔と今は……いえ、言ったところで、お師匠様は聞くような人じゃないわよね。でも、忘れないで。昔と今とでは、色々違うことはあるけれど、何よりも今のお師匠様は不確定要素の塊だってことを。魔法もそうだけど、お師匠様は六歳なのよ? まだ色々と把握しきれていないでしょうし、昔と違って出来ることには制限があるもの」
「ふむ……確かに一理あるのじゃな」
今朝前世の記憶を思い出せるようになったこともあって、正直なところ自分の身体なのにまだ分かっていないことは多い。
たとえば、魔力総量が多いことは分かっていても、具体的にどの程度なのかや、魔法への適性など。
かつては不得意なものなどは特になかったが、この身体もそうとは限らないのだ。
あとは、大体使える気がするとはいえ、実際にどのぐらいの魔法を使うことが出来るのか、ということも出来れば調べておくべきではある。
オリヴィアに使うなと言われはしたものの、いつ何があるとも限らないのだ。
いざという時のことを考えれば、何があってもいいように備えておくべきであり、今はその備えに何もかもが足りていない。
しかしだからこそ、今はそんなことを言っても仕方がなかった。
準備が万全ではないからとここで留守番を選択し、それで何かが起こってしまったら、悔やんでも悔やみきれまい。
無論そのせいで自分の身に何かが起こる、という可能性は否定出来ないが、その時はその時だ。
というか。
「そもそも、我が身可愛さで行動による失敗を恐れるような者が、魔導士になどなるわけがないじゃろう?」
そう言って肩をすくめてやれば、オリヴィアは僅かに目を見開いた後で、苦笑とも自嘲ともつかないようなものを口元に浮かべた。
とりあえずは納得してくれたようだ。
「ま、そうやって心配してくれるのはありがたいのじゃがな。というか、お主千年も経つというのに、その辺変わらんのじゃなぁ」
「お師匠様には言われたくないわよ」
「儂はそもそも転生したのじゃから、当然じゃろう?」
そうして再度肩をすくめるながら、オリヴィアからしてみれば、千年生きるのも千年後に転生するのも同じようなものなのかもしれないと、ふと思う。
ハイエルフは、一万年とも十万年とも言われる時を生きるのだというのだ。
そんな彼女達からすれば、千年程度前は最近のことだということなのかもしれない。
口調は変わっても未だに自分のことをお師匠様と呼び続けているのも、きっとそういったことが理由なのだろう。
あるいは、単純にオリヴィアの中では自分を呼ぶ際の名称がそれで固定されてしまっているのかもしれない。
師と呼ばれてはいるものの、実際にはちょっと魔法の使い方を教えた程度で、それほど世話をしたわけでもないのだ。
割と自分の中では悪い時間ではなかったと思うが……まあ所詮は一瞬の出来事である。
彼女の心に残るようなことではないだろう。
と、そんなことを考えていると、遠目に父の姿が見えた。
どうやら最後の確認も終わったらしい。
これで後は出発するだけであり……そこでふと、リーンはあることを思った。
「ふむ……そういえば、考えてみたら儂はこれ今世で初の外出なのじゃよな」
「初の外出が魔物退治なんて、転生前のお師匠様が聞いたら信じないでしょうね。そんなことよりも、魔法のために外出するに決まってる、とか思ってそうだもの」
「正直今も大差ないのじゃがな。その機会が先にあったら間違いなくそうしていたじゃろうし。……さて、何事もなく終わるといいのじゃがの」
そんなことを呟きながら、リーン達は父の下へと向かった。
目的地である場所は、馬車で三日ほど移動した先にあるらしい。
馬車に揺られながら父がそんな話をしているのを耳にしつつ、しかし正直なところリーンの興味は他のところにあった。
先ほどから絶えず振動を伝えてきているこの馬車だ。
リーンは前世の頃にも何度か馬車に乗る機会があったのだが、その時はここまで振動が小さくはなかったはずである。
今は『クッション』があるために元々軽減されているとはいえ、千年前にあった馬車とは明らかに乗り心地が違う。
別物であると言ってしまっても過言ではあるまい。
まあ、原因に関しては大体推測出来ているのだが、などと思っていると不意に視線を感じた。
大っぴらに馬車の内部を見回しすぎたか、気が付けば父の話は途切れ、その場にいる全員から見られている。
その顔に浮かんでいる表情は様々だが、苦笑じみたものを浮かべている兄が、代表するように口を開いた。
「馬車のことが気になるのかい?」
「うむ。整備された道を走っているわけでもないのに、快適ですらあるのが気になったのじゃ。あとは、三日かかるというのに、御者は一人だけじゃよな? 休めるような場所もないのじゃし、それも気になったと言えば気になったのじゃ」
「ああ……確かに、何も知らない状態だと、気になるの、かな?」
「ふむ……最初から知らされていたため今まで疑問に思ったことはなかったが、何も知らないとそうなのかもしれんな。だがまあ、不思議なことはない。振動軽減の魔導具が使われているだけだからな」
いつも通りの厳かな顔付きながら、瞳の中に僅かな苦笑の気配を混じらせた父が告げた言葉に、リーンはなるほどと頷く。
魔導具を使っているのだろうと思ってはいたが、やはりそうであったらしい。
魔導具とは、簡単に言ってしまえば魔法の力を宿した道具といったところだ。
一つにつき一種類の効果しか発揮しないため、あまり汎用性が高いとは言えないが、誰でも使えるという点から言えば使い勝手はいいとも言える。
だが、予想通りではあったが、同時に僅かな驚きもあった。
昔の常識が通用しないというのはよく分かっているのだが、千年前には魔導具とは非常に希少な品だったからだ。
作り出すことは出来なかったこともあって、国宝のように扱われることも珍しくはなく、解禁された書物の中に魔導具は魔法同様現代では身近に使われているという記述を見つけた時は随分と驚いたものであった。
「あとは、疲労軽減の魔導具も使われているのよー? 快適なのはそのおかげもあるし、御者が一人だけでも大丈夫なのも、そのおかげ、というわけねー」
「なるほどなのじゃ」
「それにしても、御者の人のことまで気にするなんて、さすがはリーンちゃんねー」
補足を付け加えた後、そう言って満面の笑みで水色の髪と同色の瞳を持つ女性がリーンの頭を撫でる。
ヘレナ・アメティスティ――即ち、母だ。
こうやって母が何かにつけてリーンのことを褒め、頭を撫でてくるのはいつものことなので、リーンは今更何かを感じるようなことはないのだが、どうやらオリヴィアにとっては割と衝撃的だったようだ。
何とも言えないような顔をしながら、頭痛でもしたかのようにこめかみの辺りを指で押さえていた。
まあ、そういった反応をしているのは、リーンの今の状況も関係しているのかもしれない。
リーンは現在母の膝の上に座り、抱きかかえられているからだ。
これまたいつものことなのでリーンは特に何かを感じることはないのだが、師と呼んでいた男が幼女の姿で妙齢の女性に抱きかかえられている状況は、確かに傍から見ればとてもアレなものなのだろう。
リーンは特に気にせず、母も喜んでいるので、どうにかするつもりはないが。
「……確かに、乗りなれていない馬車に興味を持つことは仕方がないことなのでしょうし、御者の心配をすることはとても素晴らしいことです。しかし、これからわたし達は、とても危険な場所に行こうとしているのですよ? マティアス様が少しでも危険を減らすために状況を説明しているのですから、まずはそちらを聞くべきではないでしょうか?」
しかし何とか気を取り直したらしいオリヴィアが、そんな忠言めいた言葉を口にしたのに、リーンは肩をすくめて返す。
確かに、正論と言えば正論だ。
だが。
「今から話を聞き、身構えたところで、まだ三日もあるのじゃぞ? 今からそんなのでは、逆に疲れるだけじゃろうが。どうせ前日にもう一度確認のために話をするのじゃろうし、しっかり話を聞くのはその時で十分なのじゃ。必要なものは父上達が既に準備しているじゃろうしの」
「あー……うん、確かにリーンの言う通り、かな。正直かなり身構えてたし、このままだったら、三日後に持たなかったかも」
「ふむ……確かに、準備は終えているのだから、今ここで話をする必要はない、か。今から身構えていても意味がないというのは、道理だ」
「確かにそうねー。大変だから頑張らなきゃって思ってたし、今からそんなんじゃ着いた頃には疲れちゃってでしょうねー。さすがはリーンちゃんだわー!」
「そうですね……確かに、その通りです。考えが足らず、申し訳ありませんでした」
そう言って大人しく引き下がったように見えたオリヴィアだが、そんなオリヴィアへとリーンは軽く溜息を吐き出した。
千年前と変わっていないように見えて、結構したたかになったようだと思ったからだ。
リーンが言った程度のことを、オリヴィアが理解していないわけがないのである。
父や母も、言葉とは裏腹にそれほど身体に力は入っていなかった。
おそらくは経験から無意識に理解してはいたのだろう。
しかし、兄だけは、見るからに無駄に緊張をして、身体に力が入りまくっていた。
きっとあのままならば三日後には疲れ果ててしまっていたことはずだ。
だがオリヴィアがそのことを指摘しても、兄は力を抜くことは出来なかったに違いない。
どう見ても意識してのものではなかったからだ。
むしろ意識させてしまえば、悪化してしまう可能性すらあった。
だから、オリヴィアはリーンを利用したのである。
ルーカスはリーンにとってとてもいい兄だ。
そんな兄が、妹から無駄なことをするのはよせと言外に言われて、逆らうはずがないのである。
自覚も与えられて、一石二鳥といったところか。
まったく、生徒への指導のために元師を利用するなど、随分としたたかで……良い教師になったようであった。
「なに、儂らも良い気付きになったようじゃからの。問題はないのじゃ。ああ、ただ、一応一つだけは聞いておいた方がいいかもしれんのじゃな」
「ふむ……何をだ?」
「人里近くに現れたという危険な魔物というのは、一体何なのじゃ?」
それだけは、一応知っておいた方がいいだろう。
どうせリーン以外は既に知っているのだろうし、相手次第ではリーンも別個で対策を練っておく必要があるかもしれない。
父達の実力はまだよく分かっていないのだから、万全を期しておくに越したことはないだろう。
「……確かに、それだけは伝えておいた方がいいか。身構える必要はないが……心構えは必要だ」
そんな父の言葉や、明らかに緊張を見せた兄の姿を見るに、どうやら相当な相手のようである。
下手をすれば領土丸ごと滅ぼされる、という話からそれなりのものではあるのだろうと思ってはいたが……もしかしたら、魔物ではないのかもしれない。
たとえば、ドラゴンは魔物と呼ばれてはいるものの、厳密には幻想種という種族だ。
本来は魔物とは別種であり、人類と同等どころか上位種とすら呼ぶべき存在なのだが、基本的に人類に対し敵対的であるため、魔物と同じ括りとされてしまうことが多いに過ぎない。
同じようなものは他にも多くおり、その大半が強大な力を持っている。
中には相性の問題でリーンも手こずるものもいて、そういったものが相手ならば厄介だ。
あるいは、魔神などである可能性もある。
前世の頃であればそれでも何とかなっただろうが、未だこの身体でどれだけの力を振るえるのかは分からないのだ。
最悪逃げることも考えるべきだろうか、などと思いながら、心して父の言葉へと耳を傾ける。
「……俺達が戦うべき相手は――ワイバーンだ」
「………………ふむ?」
千年後であることを考えれば、知らない名前の魔物が出てくる可能性もあるかもしれない、とも考えてはいたが、幸いにしてと言うべきか、それは知っている魔物の名であった。
ワイバーン。
亜龍の一種とされているが、れっきとした魔物である。
そう、魔物なのだ。
かつてリーンはドラゴンをちょっと乱獲したことがあるが、そんなドラゴンと比べてさえ遥かに格下の、はっきり言って雑魚である。
だからリーンが首を傾げたのは、何故そんな魔物の名を世にも恐ろしげな様子で口にしたのが分からなかったからだ。
しかしそんなリーンの様子を、兄達は違うものとして見たらしい。
「うん、まあ、リーンが驚くのも当然だとは思う。本来ならば王都の騎士団に任せるべきことだろうからね」
「それも、一匹だけではなく二匹いる可能性があるのよねー」
「確認されたのは一匹だけですけれど、他にも大きな影を見たり、羽ばたくような音を聞いたという報告があったらしいですからね。影の大きさからすると、確認されたものよりも明らかに大きいとか」
「ああ。正直なところ、王都の騎士団に任せるのが賢くはあるのだろう。下手をすれば……いや、上手くいってすら、この中の誰かが死ぬ可能性は、非常に高い。だが、我らは公爵家の者だ。王より、民を守るのに十分な力があると見出されたからこそ、我らは我らの土地を治めることを許されている。で、あるならば、ここを引くわけにはいくまい」
「ふむ……ちなみになのじゃが、ワイバーンを見たことってあるのかの?」
「まさか。この国で最強と呼ばれている騎士団ですら、まともに戦おうとしたら下手したら死者が出るって言われてるんだよ? 目にするような機会があったら、僕はきっと生きてはいないさ」
「私もさすがにないわねー」
「……俺は一度だけある。こう言うのも何だが、正直、もう二度と見かけたくすらないと思ったものだが……まさか戦うことになるとはな。だが、やらねばならぬ。……まあ、念のために騎士団に連絡は入れてある。万が一俺達が失敗したとしても、問題はあるまい」
「ならまあ、気楽にやれるかな? 勿論失敗するつもりもなければ、死ぬつもりもないけど」
「そうね、必ず皆で一緒に帰りましょうねー。ただ……それでも、正直私はリーンちゃんには家で待っていて欲しかったのだけどねー。リーンちゃんは確かに色々と凄いけど、まだ六歳になったばかりなのだもの。……そういえば、誕生日のお祝いも出来ていないわねー」
「まあ、状況が状況ゆえ仕方ないと思うのじゃ。それに、別に帰ってきてからすればいいだけじゃろう? あと、母上は凄い魔導士だと聞いているのじゃからの。きっと儂のことも守ってくれるのじゃろうし、なら儂が行ったところで問題ないじゃろ?」
「……それもそうねー! ええ、見ててね、リーンちゃん。ママがしっかり守ってあげるわー。そして、帰って誕生日のお祝いをしましょうねー」
「うむ、楽しみにしているのじゃ」
疑問はあったものの、家族の決意に水を差すのも何だろうと思い、家族のノリに合わせて乗る。
オリヴィアは何かを言いたげな様子ではあったし、リーンも言いたいことはあったが、敢えて言葉をかけることはなく、横目に眺めながら、小さく肩をすくめた。
「……良い家族よね」
オリヴィアがそんな声をかけてきたのは、夜になって馬車を止め、寝床の準備をしている時の事であった。
近くに立ち寄れる村などはないらしく、野宿の準備をしなければならないのだが、リーンの役目はまたしてもオリヴィアの相手をすることとなったのである。
そして準備を進める家族達の姿を、少し離れた場所から眺め、その最中でのことであった。
「まったくじゃな。儂には勿体無いぐらいじゃよ」
「そんなことはないと思うけれど? 少なくともわたしは、お師匠様も含めてそう思ったもの」
「ふむ……そう見えているというのならば、良いのじゃがな」
別にそういう風に偽っている、というわけではない。
ただ、かつて家族と過ごした記憶など、磨耗し消え去ってしまっているから、本当にこれでいいのか自信がないだけだ。
まあしかし、今はそれよりも聞きたいことがあった。
「で、ワイバーンの件なのじゃが」
「まあ、そうよね。気にならないはずがないものね」
「当然じゃろう。千年の間にワイバーンがドラゴン以上に成長した……などということではないのじゃよな?」
「ないわね。少なくともわたしの知る限りでは、ワイバーンの強さは千年前から変わっていないはずよ」
「じゃあどういうことなのじゃ?」
「決まっているでしょ。それだけ、魔法が弱くなった、ってことよ」
「ふむ……」
どうやら、魔法の劣化というのは思っていたよりも激しいらしい。
ワイバーン程度なら、前世の頃は見習いの魔導士ですら軽く狩れるようなものでしかなかったのだが。
「現代魔法が広まったおかげで魔導具が作れるようになった、と聞いた時には随分と進んだものだと思ったのじゃが……」
「方向性の違いかしらね。現代魔法は確かにかなり便利にはなったし、汎用性は高いのだけれど、その分と言うべきか、質は落ちちゃったのよ。そうね……古代魔法で言うところの、上級は確実に不可能で、中級ですらほとんど不可能かしら? 攻撃魔法に至っては、魔導士と呼ばれる人達ですら、下級相当のものを使うのが精々でしょうね」
「それは確かに、劣化というに相応しい有様じゃのぅ。まあ、儂としては新しい魔法なのであれば何でもいいのじゃが」
「まあお師匠様はそう言うでしょうね……」
「しかしそうなると、人類はよく生き残っていられているの? ワイバーン程度に決死の覚悟をしなければならないとなったら、ドラゴンなどが出たら人類丸ごと絶滅しそうなものじゃが」
一時は絶滅寸前までいったドラゴンではあるが、本当に絶滅したわけではない。
少なくとも生き残った個体がいるのは確認しているし、ドラゴンでなくともワイバーン以上の魔物などむしろ多すぎて数え切れない程度にはいる。
そんな中で、人類はどうやって生き残ったというのだろうか。
「魔法以外の分野がその分伸びた、というのもあるけれど……魔導結界、って言葉を前に言ったわよね? 現代魔法はそのおかげで成り立っているのだけれど、それによって強大な力を持った魔物を封じ込めてもいるのよ。普段はワイバーンも封じられているわ」
「ワイバーンが強大な力を持っていると言われると違和感が激しいのじゃが、まあそれはとりあえずいいのじゃ。普段は、ということは、時折戒めが緩むことがあるとか、そういうことかの?」
「そんな感じね。正確には、普段は結界の外側に追いやられているのだけれど……結界が大規模すぎた弊害かしらね? 時折隙間が出来ちゃって、そこから魔物が侵入してきちゃうことがあるのよ」
「今回もそれで、ということなのじゃな?」
「でしょうね。ワイバーンなんかがどっかにいたら必ず騒ぎになるもの」
「ふむ……」
状況は理解した。
ワイバーンの強さが当時と変わっていないというのならば、最悪どうとでもなるだろう。
だが何かを考えているのかを悟ったのか、オリヴィアがジト目を向けてきた。
「……お師匠様、わたしが言った言葉覚えているわよね?」
「無論、覚えているのじゃ」
「本当に、忘れちゃ駄目よ? ……わたしは、あんなに良い家族が壊れるのなんて、見たくはないんだから」
その言葉が冗談でないということは、言われるまでもなく分かった。
どうやら、本気で古代魔法を使うのはまずいらしい。
兄の前で一度使ってしまったのだが……あれは現代魔法を改竄したものであるし、特に変な目で見られている様子もないので、問題はなかったのだろう。
だが、次はどうなるかは、分からない。
……誰かから怖がられたり、嫌われたりするのは、実際のところ慣れてはいる。
前世の頃、魔導士というのは、そういうものだったからだ。
しかし、家族からああいった目で見られるのは……確かに、出来れば避けたい事態ではあった。
「ちなみになのじゃが、オリヴィアはワイバーンに勝てるのかの?」
「そうね……問題なく勝てるとは思うわ。ただ、二匹同時となると、さすがに厳しいかもしれないけれど」
「ふむ……ならばまあ、話は早いのじゃな。お主が頑張ればいいという、それだけのことじゃろう?」
「簡単に言ってくれるわね……。ま、でも、その通りにするつもりよ。そのために、わたしはここに来たんだから」
「期待しているのじゃ」
本心から言いながら、野営の準備を進める家族の姿へと視線を移す。
そして、本当に、そうなってくれればいいのだがと、そんなことを思いつつ、一つ息を吐き出すのであった。
うーん、さすがにこれは長すぎたので分割すべきでしたかね……。
まあ、さっさと先に進めるためということで。