33.絶望の果て
「くっ、はははっ……! これはいい……素晴らしい力だ……! なるほど、この力の一端でも手にしたというのならば、あの小物が調子に乗っていたのも分かるというものだな……!」
地面に横たわったまま、エリナは呆然と高笑いする父の姿を眺めていた。
身体に力が入らないのは、単純に腹部の傷のせいなのか、引き千切られてしまった何かのせいなのか、あるいは父にこんなことをされてしまったせいなのか。
どれが理由なのかは分からないが、分かるのは身体が動かないということであり……相変わらず頭の中は、どうして、という言葉で埋め尽くされている。
「……どう、して……」
再び漏れた声に、父の声がピタリと止んだ。
その視線がこちらへと向けられ、まるで地面を這いずりまわる虫を見るような目で、馬鹿にするように鼻を鳴らされた。
「ふんっ……まだ分かっていないのか。我が一族に伝わる禁呪は、他者の器を取り込むための術だ。ならば……鍛えられた他者の器を自らへと取り込むのが最も効率がいいと考えるのは、道理だろう。だがどうせ取り込むのであれば、最大にまで鍛えられた器を取り込むべきだ。もっとも、まだ鍛えられそうなお前はまだ放っておくつもりだったのだがな……まあ、しかし構わん。さっきも言ったように、これはこれで予定通りだからな。お前が魔法を使えないままだったらこうするつもりだったのが……まさか仕掛けが解除されるとはな。それもやはり、この力のおかげか? 俺が予想していたよりも、遥かに強力な力のようだからな」
「……え? 仕掛、け……?」
その言葉で頭をよぎるのは、リーンから言われたことであった。
封印のようなものがかけられていたと、そう言われたのだ。
つまりは、誰かが意図的に行ったものだということであり、その犯人は見つかっていなかったが――
「……まさ、か……お父、様……?」
「ふんっ……なんだ、今更気付いたのか? 俺が扱う禁呪とは、要するに他者の器へと干渉するものだ。そして器とは、魔法を使う際に最も重要なもの。ならば……応用次第で魔法を封じることが出来るというのは、当然のことだろう」
「……そん、な……どう、して……」
「またどうして、か……ふんっ。そんなの、こうするために決まっているだろう。お前の器の成長は、さすがにそろそろ限界のようだったからな」
それは確かに、事実であった。
ずっと上昇を続けるエリナの力ではあったが、魔法が使えなくなる直前あたりでは、頑張ったところで以前ほどには力が上昇しなくなっていたのだ。
だから、魔法が使えなくなってしまった原因もその辺にあるのかと、ひたすらに努力を続けていたのだが……。
ただ、それは今まで誰にも言った事がなかったことで、当然父にも言ってはいなかった。
なのにそのことを父が知っているのは、何らかの方法で父はそれを知る事が出来る、ということなのだろう。
今までの話からすればそれほど不思議なことでもなく……だが。
それはつまり、父が言っている事が真実だということである。
いや、そんな嘘を吐く理由がない以上は、当然ではあるのだろうが……。
あれは全て、父のせいだった、と?
あの時感じていた絶望も何もかもが、父がもたらしたものであった、と?
それは――
「そして魔法が使えないということは、役立たずだということだ。つまりは、欠落者と同等の扱いということになり、自由に処分しても構わんということになる。俺にとっては非常に都合がいい……いや、そうしない理由こそがない、というわけだ。まあ、何故かお前は再び魔法を使えるようになってしまったため、もうしばらくは器を育てさせつつ、様子見をするつもりだったが……そこまでやる気がなくなってしまっているというのであれば、最早成長は期待出来まい。出来ればどうして俺の仕掛けが解除されたのかも知りたかったところだが……それに関する検証は俺が自分ですればいいことか」
半ば独り言のようなものになってきている父の言葉を聞きながら、エリナはギュッと拳を握り締めた。
あれだけ身体に力が入らないと思っていたのに、不思議と今はそんなことはない。
腹部から血は流れ続けているし、さすがに立ち上がることまでは出来ないけれど……それでも。
「それにしても、本当に素晴らしい力だな。だがそれだけに、こうなってくると惜しいな。やはりアレをアメティスティへやったのは失敗だったか……いやだが、作戦自体は悪くなかったはずだ」
「アメティスティ、に……作戦……?」
「ふんっ……そういえば、貴様には話していなかったか。ドラゴンは、実は三匹いたのだ。そのうちの一匹をアメティスティへやったのだが……ふんっ、ドラゴンといえど、役立たずはいたようだな。あそこのやつらをドラゴンに食わせ、それを誰かに食わせる予定だったのだが……まさか倒されるとはな。ドラゴンを倒すほどの力をあの家が持っていたとは思わなかったが……いや、おそらく倒したのはアレの仕業だろうから、甘く見たせいか?」
アレ、というのが誰のことを言っているのかは分からないが……何となく、父は間違っているのだろうな、と思った。
アメティスティ。
つまりは、リーンの家だ。
ならば……誰が倒したのかなど、決まっている。
同時期だったというのならば、リーンは六歳前後だったはずだが、問題になるまい。
どうせその時も規格外なことをやって倒したに決まっているのだ。
そんなことを当たり前のように考えられるのは、覚悟を決め自分の本音を受け入れたからか……あるいは、もう助からないだろうということを、理解しているからか。
腹部には穴が空いているし、何よりもおそらく父によって力の大部分を奪われてしまっている。
それはきっと生命力のようなものでもあり、力がほとんど入らないのも、そのせいだ。
まあそもそも、この状況で助かると思えるほど、エリナは楽観的な性格をしていない。
……もしも、と思うことはあれども、それは有り得ないことだ。
考えたところで意味はない。
だから……エリナはただ、自分に出来ることだけをすることにした。
「ふんっ……だがまあ、元はといえば、アレの大言壮語のせいか。千年生きたとか言ってはいたが、所詮トカゲはトカゲということだろう。そして万年生きたとかいうドラゴンも、結局はこうして俺の力になった。はっ……まさかここまで上手くいくとは、自分の才覚が恐ろしくなるほどだな」
そう言って、何かを嘲るような笑みを浮かべると、父はそのままエリナへと視線を向けてきた。
「それにしても……そうか、魔法を使えるようになったということは、何か処分する理由を考える必要があるな。そこまで考えてはいなかったが……まあ、どうとでもなるだろう。こういう時のために、邪魔をしてきそうなアレは予めこの地より離しておいたのだからな。アレが留守の間に全てを済ませてしまえば、文句を言ってくるかもしれんが出来てその程度だろう。何の問題もない。それに何より、俺はこの力で賢者へと至るのだからな。最早アレでさえ、俺を止める事は出来まい。……しかしこれで、ようやくだ。ようやく、我が家の宿願も果たされる。一度没落してまで力を求めた先祖達も、浮かばれるというものだ」
「……没、落?」
そこでエリナが疑問の声を上げたのは、そんな話は今まで聞いた事がなかったからだ。
没落しそうな家だと言われてはいたが、それは未来の話であって、過去の話ではない。
確かに、マカライネン家は他の家を蹴落とし公爵家となった家だ。
だがそもそもマカライネン家自体が興ったのは二百年ほど前だと聞いており、やはり今まで一度も没落したことはないはずで――
「ふんっ……その顔、まだ察しがついていなかったか。相変わらずのグズめ。だがお前も聞いたことぐらいならばあるだろう? 禁呪を生み出した家の末路を」
「禁呪を、生み出した、家……確か、没落……っ、まさか……!?」
「はっ、理解が遅いぞ間抜け。というか、俺は言ったはずだぞ? 我が家に伝わる禁呪、とな。つまりは、そういうことだ。まあ随分と昔のことな上に名も変えたためか誰も気付かなかったようだがな。……いや、あるいは、見逃された、という可能性もあるか。我が家は十賢者の血族だからな」
「……え?」
今までの話も十分驚くことばかりであったが、それらとはまた別種の驚きをエリナは覚えた。
十賢者のことは、本当に分かっていないことばかりなのだ。
なのに……自分の家が、十賢者の血族?
「ふんっ、まあ、厳密には直系ではないがな。始祖の兄が十賢者の一人だったそうだ」
しかし兄と比べ、弟は平凡であったらしい。
いや、平凡だと言われ続けた、と言うべきか。
兄や周囲からそう言われようとも、本人だけは認めようとしなかったのだ。
だから、兄を、周囲を、見返してやろうと家を興し……だが、見返す前に兄は死んでしまった。
最早見返すことは出来ず……しかし、そんな時にふと思い付く。
兄と同じ賢者になりさえすれば、見返したことになるのではないか、と。
だが、それほどの才は、結局弟にはなかった。
ゆえに、子孫に託したのだ。
いつか賢者となってくれ、と。
それが宿願となった。
そしてそれを果たすために、一族は何でもやった。
禁呪を編み出し、家が没落しようとも諦めず、名を変えても賢者へ至るための挑戦を続けた。
その果てにいるのがエリナと父であり――
「……っ、どう、して……そんな、大事な、ことを……」
そう口にしたエリナに、父は本気で不思議そうな顔をした。
「……? 俺の力の一部となることが最初から決まっているお前に、そんな話をして一体何になる?」
「……っ」
最初から、そうではないだろうかという疑惑はあった。
先程からのことでそれは少しずつ確信へと近付き、そして今、確信へと至った。
父は……この男は、色々と言ってはいるが、結局のところ自分のことしか考えてはいないのだ。
自分が賢者に至ることしか、考えては。
あるいは、それは本当に一族の宿願を叶えるためであったのかもしれない。
それが最善であると、考えた可能性を否定することは出来ない。
だがそれでも……娘を道具としか考えていないこの男は――
「ふんっ……なんだその目は? 先程から準備しているそれで、最後の抵抗でもするつもりか?」
「――っ」
「はっ……気付かんとでも思っていたか? つくづく愚かな娘だ。だが……ある意味これはちょうどよかったかもしれんな。どれ……折角だ、試してみろ。この力の試運転に、ちょうどいいだろう」
馬鹿にして、とは思ったものの、それがどれほどの力であるのかは、エリナ自身が一番よく分かっている。
そして実際のところ、おそらく自分が何をしようともどうにもならないというのは事実だ。
分かりきっていることである。
しかし。
生憎とエリナは、ここまで好き勝手されて黙って殺されてやるほど、物分りのいい性格をしてはいないのだ。
「ほぅ……? 無駄だと分かりながらもやるか。いいぞ、それでこそ俺の娘だ。さあ――最後まで、俺の役に立て」
誰が、と思いつつ、そこまで望むのならば望む通りにしてやる、と思う。
期待した通りにいかなくても、恨むんじゃないわよ、とも。
直後、エリナの周囲に魔力が集い始めた。
なけなしの力で集めたものだ。
おそらくは、フレイム・アローを一度放つの精一杯といったところだろうが――
「それで、十分、よ……っ」
「ふんっ……なんだ、何かと思えば、ただの攻撃魔法か。やはりお前は愚娘だったな。ここでは攻撃魔法が完全に禁じられていることすら忘れたか」
無論のこと、覚えてはいる。
そして――だからこそ、油断をすると思ったのだ。
最後の最後の力を振り絞り、エリナは上半身だけを勢いよく起こすと、直後、倒れこむようにして前方へ――父のいる場所へと飛び込んだ。
「――はっ、なんだそれは? そんな無様な突撃で、俺がどうにかなるとでも――」
「――フレイム・アロー!」
攻撃魔法は確かに王都では禁じられている。
だが、使う方法が存在しないわけではないのだ。
その方法を、エリナは既に知っていた。
色々な意味で出来れば使いたいものではなかったが……まあ、仕方があるまい。
そんな思考と共に、宙へと炎の塊が顕現した。
父が起こるはずのない現象に、目を見開く。
しかし、何のことはない。
その炎の塊はエリナの後方に顕現し、そのままエリナのことを貫こうとしているだけのことである。
――つまりは、自爆であった。
ドラゴンの力を持っていようとも、その力を常に振るうことが出来るわけではない、ということはエリナが一番よく知っていることだ。
特に驚いたり動揺している時には上手く使えないことが多く、その時その身体はただの人の身となってしまう。
この魔法の余波でも、十分殺しきれる、ということだ。
道連れ、ということになってしまうが、仕方のないことである。
どうせエリナは死んでしまうのだし……それに、この男が父であることは否定のしようのない事実なのだ。
ならば、せめて自分が――
「――驚いたな。まさか、その程度の小細工で俺を殺せると思っているとは」
「――え?」
言葉が消えたのと、放たれようとしていた魔法が掻き消えたのは、ほぼ同時であった。
そして直後、エリナの視界が一変する。
映っていたのは、どことなく見覚えのある板目であり……天井だ、ということに気付いたのと、吹き飛ばされた、ということに気付いたのは同時で、正解だとでも告げるように、腹部から今まで以上の激痛が襲ってきた。
「っ……がっ……!?」
「ふんっ……まさに愚娘だ。攻撃魔法を自爆の形で使えばここで使えるなどということを、どうして俺が知らないと思った? まあ、あのまま受けてやってもよかったのだがな……あまりにも愚かすぎて受ける気すら失せた」
痛みに呻きながら、エリナの心を諦めが襲う。
まさか完全に読まれた上で、何もさせてもらえないとは思わなかった。
さすがにもう、無理だった。
今度こそ、本当に身体は動かない。
そもそも、仮に動いたところで、最早成す術はないのだ。
このまま死ぬ以外に――
「さて……もう放っておいても勝手に死ぬだろうが……お前があまりに愚かすぎるのでな。慈悲をくれてやろう。そして、教えてやる。本当に驚かそうとするなら、この程度のことはやれ、ということを、な」
声は聞こえていたが、応える気は起きなかった。
だから、何を、とだけ思い……直後に、嘘、と思った。
「――ファイアー・ボール」
父がそう言った瞬間、上向けた手のひらの先に、巨大な火球が出現したからだ。
魔法……それも間違いなく、攻撃魔法であった。
「どんな結界にも、許容量というものがある。王都に張ってある結界も例外ではなく、そしてその許容量を超えた魔法が発動しようとすると、どうなると思う? その魔法は、結界を素通りして発動するのだ。それごと抑えようとすると、結界が壊れてしまうからな。結界を優先とするための処置、というわけだ。無論、王都に張ってある結界であるからこそ、その許容量はかなりのものではある。だが、ドラゴンの力を使えるようになった俺には、この程度造作もないということだ。まあ、お前には無理だったろうがな」
その通りであった。
そもそもそんなことは知らなかったし……知らなかったということは、一度も結界の許容量を超えるような魔法を使う事が出来なかったということだ。
つまりは、父の方が遥かに上手くドラゴンの力を使えているということで……最後のところでエリナの心を守っていた柱のようなものが、ポッキリと折れたような気がした。
最初から出来はしなかったけれど……エリナは完全に抵抗する気の失せた瞳で、ただ火球を眺める。
そして。
「さて……ではお前は特別に、この魔法で殺してやろう。賢者に至る者の放つ魔法だぞ? 光栄に思いながら――死ね」
その火球が、投げ放たれた。
それが自らの身に迫るのを、エリナは地面に倒れたままでただ見つめる。
何も出来ず、何もする気になれず……死が、訪れるのを。
――あるいは、そのせいだろうか。
本当にもう死ぬしかなく、もう数秒後には死んでいるような状況で……だから。
意識することなく、エリナの口は開いていた。
火球が放つ音に紛れ、声はエリナ自身にすら聞こえず、それでも確かにその四文字の言葉は放たれ――
「――ふむ、了解なのじゃ」
声が聞こえた瞬間、火球が消し飛んだ。
轟音と共に弾け飛び、だが熱の一片すら、エリナに届くことはなかった。
「――なに? 馬鹿な……一体何が……?」
訝しげな父の声に応えるかのように、影が一つその場に現れる。
真っ白な髪を翻した見知った姿に、何故かエリナは自然と口を開いていた。
「……あいつの、こと、任せた、って……言った、はず、だけど……?」
「うむ、確かに儂はそれを承ったのじゃし、きちんと役目は果たしてきたのじゃぞ? というか、だからこんなギリギリになってしまったんじゃろ? 別に狙ったわけではないのじゃぞ?」
そんなとぼけたことを言いながら、リーン・アメティスティという名の少女は、肩をすくめてみせたのであった。
あと二話ぐらいで終わる予定です。




