2.元最強賢者、欠落者と呼ばれる
後ろ手に扉を閉め、その場から歩き出しながら、リーンは首を傾げた。
その脳裏を過るのは、つい先ほど父から聞かされた話であり――
「ふむ……儂が魔法を使えないとは、どういうことなのじゃ?」
その姿は、傍から見れば現実逃避をしているようでもあったが、そうではない。
自分は問題なく魔法を使えるということを、知っているだけなのだ。
そもそもの話、極端なことを言ってしまえば、魔法とは魔力さえあれば誰でも使えるものなのである。
千年前は、魔法を使うのに必要な魔力を持つ者がほとんどいなかったからこそ、一部の者にしか使えなかっただけで、十分な魔力さえあれば魔法が使えないということはない。
そして現在のリーンが内包している魔力量は、魔法を使うのに十分なものであった。
そのことは既に確認済みであり、どころか、過剰すぎるほどだ。
何せ前世のリーンと比べてすら、現時点で遥かに上なのである。
望んだ通りのことで、これだけでも転生した甲斐があったというところなのだが……だからこそ、魔法を使えないということは有り得ないのだ。
――というか。
「――『点火』」
呟いた瞬間、掌の上に小さな炎の塊が出現した。
僅かに熱を感じるそれは間違いなく本物であり、魔法で作り出したものだ。
そして掌を握り締めるようにすれば、一瞬で消え失せた。
「むぅ……やはり問題なく使えるのじゃ……」
最初から確信を持ってはいたものの、これで確実だ。
というか、魔力を持っていないわけがないのだと、自らの真っ白な髪を眺めながら、思う。
だがそうなると、父の言葉は一体何だったのか、ということになってしまうだが――
「父上がわざわざ嘘を吐く理由も思いつかんのじゃしのぅ。となると……」
思い当たる可能性は、一応二つほどあった。
だが、どちらなのかを結論付けるには、情報が足りない。
さて、何か追加の情報を得られないかと、歩きながら周囲を眺め……ふと、見覚えのある顔が廊下の角から現れたのは、その時のことであった。
「――む?」
「――あれ? ……リーン? どうしてこんなところに……?」
「それはこっちの台詞なのじゃが? ――兄上」
ルーカス・アメティスティ。
赤銅色の髪の毛に、同色の瞳。
視線の先で不思議そうな顔をして首を傾げている人物は、髪にしろ瞳にしろ自分とは似ても似つかない色を持っているが、間違いなく血縁上の自分の兄だ。
しかし今年十四になる兄は、普段は王都に住んでいる。
嫡男であるため将来的にはこの家を継ぐことになるはずだが、今は王都にある学院へと通っているからだ。
ここから王都までは馬車を使っても通える距離にはないため、王都に住んでいるというわけである。
まあそもそも兄の通っている学院は全寮制らしいので、この家が王都にあったとしても状況的には変わらなかっただろうが。
無論ずっと王都にいるわけではなく、長期休暇になると戻ってくるが、長期休暇があるのは春先で、今は秋だ。
あとは新年を迎える間際にも戻ってはくるものの、どちらにせよ今はいるべき時期ではないし、戻ってくると聞いてもいなかった。
「ああ……まあ、うん、僕はちょっと父上に呼び出されちゃってね。随分と唐突だったから、君にはまだ知らされてなかったのかもね」
「ふむ……なるほど、だからここにいたのじゃな」
「そういうこと。用件は告げられなかったから、どうして呼び出されたのかはまだ分かってないんだけどね。まあ何となく想像は出来るけど。それで、君は?」
今リーン達がいるこの区画は、父の私室に執務室など、父に関係している部屋しか存在していない。
防犯上のためであるらしく、父の警備を厳重にするのと共に、他を巻き込まないためでもあるようだ。
そこまでするのは、父の身分が身分だからである。
アメティスティ公爵家当主、マティアス・アメティスティ。
この国に四人しかいない公爵家の当主の一人ともなれば、その程度の警戒は必要だということだ。
領地の経営自体は真っ当で健全なものであるようだが、逆にだからこそ敵も多いらしい。
よからぬことをしている者達からすれば、健全な者はそれだけで敵と見るに十分な理由となるのだ。
ともあれ、そういった理由から、この区画は基本的に立ち入りが厳しく制限されている。
出歩く人間を最小限にすることで、不審者が侵入した場合はすぐに分かるようになっているのだ。
家族ですら例外ではなく、リーンがここを歩くのは、実は今日が初めてであった。
「儂は今日が六歳の誕生日じゃからの」
「あー……そういえば、そうだったね。遅くなったけど、おめでとう」
おめでとうと言いながらも、その顔は曇っていた。
六歳になったらリーンが父から魔法を教わるつもりであるということを、兄も覚えているはずだ。
だからこそ今日が誕生日であることを告げたのだが……この様子からすると、兄も父が自分に何を言うつもりであったのかを知っていたのだろう。
となると、リーンが魔法を使えないのは事実……少なくとも、周囲はそれが事実だと思っている可能性が高そうであるが……。
「なるほど、だから君はあんな顔をしてたんだね」
「む? あんな顔、とは?」
「難しそうな顔、かな? 何かを考えてるって感じだったよ」
「ああ……まあ、そうじゃな。確かに兄上と遭遇した時は、ちょうど父上から言われたことについて考えていたところだったのじゃ」
「そっか……やっぱり知っちゃったんだね。君が、『欠落者』であることを」
「……欠落者?」
聞き覚えのない言葉に首を傾げると、瞬間、ルーカスは顔色を変えた。
失言だったと言わんばかりの顔であり、明らかに口元は引きつり顔色は青白くなっている。
その様子に、リーンは目を細めた。
欠落者、という言葉は父から聞いてはいない。
だが兄の様子や発言から考えると、おそらくリーンが魔法を使えないとされる原因と関係があるのだろう。
同時に、あまり良い意味の言葉ではなさそうだ、ということも予想がついたものの、明らかに魔法と関係のありそうな言葉なのである。
である以上は、詳細を尋ねないわけにはいくまい。
「――ごめん、今の言葉は聞かなかったことに……は、出来ない、か」
「しっかり聞いてしまったのじゃからな。それで、どういうことなのじゃ? どうやら儂が欠落者とか呼ばれるような存在であることと、魔法が使えないことの間には何か関係がありそうなのじゃが……というよりは、儂がその欠落者とやらであるから、魔法が使えない、といったところかの?」
「……うん、ご名答。さすがだね。でも……だからこそ、ごめん」
「ふむ? 先ほどからそうなのじゃが、何故そんなに謝るのじゃ?」
「その言葉は、本来あまり口にすべきものじゃないんだ。てっきり父上が伝えたと思ってつい口にしちゃったんだけど……迂闊だったな。本当にごめん……」
正直何を意味しているのかも分かっていないので、そこまで謝られても、といったところなのだが……どうやら兄は本気で後悔しているようであった。
その姿に、リーンは一旦口を閉ざす。
多分このままさらに詳細を尋ねれば兄は答えてはくれるだろうが、リーンもそこまで鬼ではない。
それに、言葉さえ知っていれば、調べることは可能だろう。
この様子では誰かに尋ねたりしない方がよさそうだが、幸いにもこの家にはそれなりの大きさの図書室がある。
今まで目にした本の中に該当するものはなかったものの、先程父より制限のかかっていた本が解禁されたのだ。
兄の口ぶりからすると、一部でしか知られていないような言葉ではなさそうなので、探せば見つかるはずである。
まあしかしそれはそれとして、兄の中ではかなりやらかしてしまったと思っているのか、随分と沈痛な様子だ。
これでもリーンは、兄からそれなりに可愛がられているという自覚がある。
このまま放っておいたら、勢い余って首でも吊りかねない様子であった。
何かフォローでもすべきだとは思うが、思い浮かぶようなことは――いや。
「ふむ……兄上、本当に悪いと思っているのならば、一つやって欲しい事があるのじゃが?」
「……やって欲しいこと? それは何だい? 本当に悪いと思ってるし、僕に出来ることならば償いとして何だってするつもりだけど……」
「いや、別にそこまでの覚悟は必要はないのじゃし、大したことではないのじゃが……それよりも、兄上は時間は大丈夫かの? 父上に緊急で呼ばれたからこそ、ここにいるのじゃろう?」
「そうなんだけど、実はちょっと早く着きすぎちゃってね。一応来てはみたけど、どうしたものかと思ってたから、多少時間に余裕はあるんだ」
「ふむ、そういうことならば、一つ聞きたいのじゃが……兄上は学院で様々なことを学んでいるのじゃよな?」
「まあ、そうだね。正直広く浅くではあるけど、色々と学んではいる、かな?」
その言葉はおそらく謙遜だろう。
元々王都にある学院というのは、極々限られた優秀な者しか入れないような場所だと聞いている。
その中でも兄は優秀な成績を収めているという話だし、言葉通りということはあるまい。
そして、魔法が身近なものとなったというのであれば、学院でも学んでいるはずだ。
故に。
「では、兄上は魔法も学んでいるのじゃよな? 使えるのならば、是非とも見せて欲しいのじゃが?」
今最もリーンにとって必要な、現代の魔法の実演というものを、強く望むのであった。
とりあえずしばらくは毎日更新していく予定です。