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27.忘れていたもの

 周囲から視線を向けられているのを感じながら、エリナは息を吐き出した。


 元より人から見られるのは慣れているし、去年一年で明確な悪意を人から向けられることにも慣れたつもりであった。

 だがどうやら、本当につもりでしかなかったらしい。


「……っていうか、この状況で平然と出来るとか、どういう神経してんのよ」


「うん? 何か言ったかの?」


「ただの独り言よ。それよりも、掘り出し物は見つかったの?」


「見つけていたら、その本をじっくりと読んでいるじゃろうな」


「ま、でしょうね。とはいえ、中々見つからないからこその掘り出し物って言うんでしょうけど」


 そうして軽口のようなものを叩きつつ、あるいは、と思う。

 あるいは、自分がそうであるように、平然であるかのようなフリをしているだけなのだろうか。


 ……いや、もしくは単純に、それこそ慣れたということなのかもしれない。

 ずっとこんな視線に晒され続けていたというのならば、慣れても不思議はないだろう。

 何年続けたところで、エリナは一向に慣れられる気がしないけれど。


 訪れた本屋で、次々と本を眺めているリーンの姿を見つめながら、そんなことを思い再度息を吐き出す。


 隣にいるリーンへと、欠落者へと向けられる視線というのは、予想以上のものであった。

 その余波を受けているだけのエリナですら、思わず鳥肌が立つぐらいなのだ。

 本人に向けられているものは、果たしてどれほどのものだというのか。


 学院で向けられ、言われていることなど、まったく大したことではなかったらしい。

 文字通りの意味で、まるで子供だましだ。


 ただ、そう思うのと同時に疑問にも思う。

 何故リーンは、欠落者はここまで憎悪を向けられているのだろうか、と。


 確かに、欠落者は不吉だとか言われているし、それ以外にも色々と言われているけれど、逆に言えばそれだけだ。

 欠落者が実際に何かをやったという話は聞いた事がない。


 なのに何故全員が全員、親の敵でも見るかのようで見ているのかが分からず……そして何よりも不思議なのは、自分にもまたそういった感情が存在しているということだ。

 リーンだけは何故か例外のようだが、他の欠落者を見ればきっと周囲の人々を同じような目で見るのだろうという、奇妙な確信がエリナにはあった。


 しかし当然ながら、エリナは欠落者に何かをされた記憶はない。

 むしろリーンも欠落者であることを考えれば、助けられたぐらいだ。

 なのに何故、今もリーン以外の欠落者を見たら憎悪の目で見るだろうという確信を得ているのか。

 自分のことながら、不思議で、気味が悪いぐらいであった。


 ……不思議と言えば、どうしてリーンにあんなことを話してしまったのか、ということもそうだ。

 ユリアとのことを話すつもりなど、まったくなかったのである。


 そもそも、昨日会ったばかりの者に話すようなことではあるまい。

 だというのに、気が付けばそれが当然のように話していた。


 ただ、そっちに関しては、不思議ではあっても多少納得出来なくはない。

 なんというか、リーンは妙に話しやすいのだ。

 傍にいると何となく安心出来るというか……そういうこともあって、つい話してしまったのだろう。


 そもそもどうしてそんなことを思うのか、ということを考え、ふと先程ユリアが言っていたことが頭をよぎる。

 同性であっても――


「――って、そんなわけないじゃない」


 そう、そんなことがあるわけがない。

 これは、その、あれだ……そう、ただ、リーンが自分のことを助けてくれたからである。

 助けてくれたということを知っているから安心出来るだけであって、それ以外の何物でもない。


 そうだ、それだけに決まって――


「エリナ、ちと聞きたい事があるのじゃが」


「――っ!?」


 瞬間、反射的に悲鳴を上げそうになってしまい、何とか堪える。

 場所が場所だし、状況が状況だ。

 下手に悲鳴でも上げようものならば店の迷惑になってしまうし、何よりも憎悪の目で見ているだけでは済まない可能性がある。


 リーンに原因があるのならばまだしも、エリナが勝手に色々考えた末でのそれなど、さすがに申し訳なさ過ぎるだろう。

 だが何となく、恨みがましい目でリーンのことを見てしまった。


「ふむ? どうしたのじゃ?」


「……何でもないわよ。で、何よ、聞きたい事って」


「うむ、それなのじゃがな……先程から魔法に関して書かれた本が一冊もないのじゃが、これはもしや意図的なものだったりするのかの?」


「……なんかあんたって、時々妙に常識的なことを知らなかったりするわよね?」


「ということは、やはりその通りじゃし、それは常識でもある、ということなのじゃな?」


「ええ、そうよ。魔法に関するものは、万が一のことを考えてこういった場所で売ることは禁止されてるの。そういった本は専門的な店で、且つ身分などをしっかり証明してからじゃないと買えないわ」


 魔法は万人に使えるものであり、また一つ一つは大した事がないように見えても、応用次第ではいくらでも悪いことに使う事が可能だ。

 そういったことをなるべく防ぐため、そうしなければならないと法で決まっているのである。


「ふーむ、なるほどのぅ。確かに万人が使える以上は、そういった規制は必要じゃな。っと、これは……」


「なに、本当に掘り出し物でも見つかったの?」


「掘り出し物かどうかは分からんのじゃが、少なくとも個人的に興味深いものは見つかったのじゃ」


「あんたが興味深いとか思うって、一体どんな――って、それ……」


「うむ。十賢者について書かれたものらしいの。まあ、書かれていることが事実なのかは怪しいところなのじゃが」


「そりゃそうでしょ。十賢者に関しては詳細がよく分からない事が多い……というか、明らかに隠されているもの」


 何せどんな人物かというだけではなく、名前すら隠されているのだ。

 学院長が十賢者の一人なのではないか、などという噂ならばあるが、それは賢者学院の学院長をやっていて、長命種のエルフだから、というだけでしかない。

 明確な証拠があって言われているわけではないのだ。


 ただそれでも、何か理由があって隠されているのだろうな、と察せられるだけ十賢者はまだマシである。

 隠されてはいるけど、存在はしているのだろうな、ということが分かるからだ。


 その上に位置しているという大賢者に至っては、実在すら疑わしいぐらいに何も分かっていないのである。

 中にははっきりと、十賢者というものを際立たせるために作り出された存在である、などと言い切っている人もいるぐらいだ。


 そういった状況であるため、十賢者の秘密、などと書かれたその本の中身は、ほぼ間違いなく嘘しか書かれていないだろう。

 本当にそんなことを知りえる人がいたところで、そんなことが書かれた本が王都とはいえ場末の本屋になる置かれているわけがないのだ。


「それにしても……賢者、か」


「ふむ? 何やら思うところがありそうな言い方じゃの?」


「あたし達が通ってる学院が何のためにある学院だと思ってんのよ? そりゃ思うところの一つや二つあるに決まってんでしょ?」


 一応エリナだって、賢者を目指していたからこそ、賢者学院にやってきたのだ。


 だが、その先に待っていたのは、魔法が使えなくなるというものであった。

 今ではリーンのおかげで再び魔法を使えるようになったが……そのせいで逆に、エリナは分からなくなっていた。


 エリナが今まで学院で頑張っていたのは、魔法を再び使えるようになるためだ。

 そうしなければならず、しかしリーンによってあっさりと望みは叶ってしまった。


 ならば今度こそ賢者になるために頑張ればいいのかもしれないが……ふっと、思ってしまったのである。

 これからも同じように、自分は頑張れるのだろうか、と。

 自分は本当に賢者を目指していたのか、その自信がなくなってしまったのだ。

 

 そもそも、何故賢者を目指していたのか、ということもエリナは思い出すことが出来ないのである。

 だから、あるいはただの意地だったのかもしれない。

 今までの全てを無駄にしたくないからという、それだけの理由で、賢者を目指していると思い込んでいただけだったのかもしれなかった。


「ってか、あんただってそうでしょ?」


 だがそんなことを考えているのを悟られないよう、リーンに話の矛先を向ける。

 十賢者の本を手に取るぐらいなのだから、思うところがないわけがない。


 しかしそんな予想に反し、リーンは少し不思議そうに首を傾げた。


「いや? 儂は正直なところ、賢者とかいうものに興味もないのじゃが? そもそも儂は別に賢者などというものを目指しているわけではないしの」


「……え?」


 冗談かと思ったら、リーンの目は明らかに真剣そのものであった。

 ということは、本当に、リーンは賢者を目指すために賢者学院に来たのではないということだ。


 少し考えれば、リーンは欠落者なのだから当然のことのように思えるが、リーンが魔法を使えることなど今更のことである。

 ということは、実はリーンはそもそも欠落者ではないのではないか、という思考に思い当たるが、それは一先ず脇に置いておく。


 それよりも……魔法が使えて、賢者学院に来ているというのに、賢者を目指していないとはどういうことなのか。


「……じゃあ、あんたは何で賢者学院に来たのよ?」


「無論、魔法を学ぶためなのじゃ。そのためには最高峰と言われている賢者学院に来るのが一番だと思ったから来ただけであって、賢者学院以上に魔法のことを研究している学院があれば、おそらく儂はそっちに行こうとしたじゃろうな。まあ、多分無理じゃったろうから、そんな学院はなくてよかったというところなのじゃが」


「……魔法を学ぶため。そのためだけに、わざわざ賢者学院に?」


「正直なところ、儂はわざわざって気はせんのじゃがの。試験すら受けずに入れたわけじゃし。あと、厳密に言うならば、別に魔法だけにはこだわっておらんのじゃがの。魔法は他の知識から作られることもある以上は、何だって学ぶ価値はあるということであり、ぶっちゃけ儂が知らぬことは全部知りたいとすら思っているのじゃ」


 どこまでも真剣な目で、真っ直ぐにそんなことを告げるリーンを前に、エリナはごくりと唾を飲み込む。

 気が付いたら何故か喉はカラカラで、エリナはリーンへと恐る恐る……あるいは、何かを期待するように、口を開く。


「……あんたは、何でそんなに魔法を学びたいのよ?」


 そう言った瞬間、リーンはきょとんとした表情を浮かべた。

 不思議そうに逆側へと首を傾げ――


「――だって、魔法って面白いじゃろう?」


 言われた瞬間、自然と納得していた。

 確かにその通りだと思い、思い出す。


 そうだ、魔法は面白くて、だから夢中になったのだ。

 そんな当たり前のことを、今の今まで忘れてしまっていた。


 ああ、だけど……もしかしたら、忘れたままでいた方がよかったのかもしれない。

 思い出せたところで、全てはとうに手遅れなのだから。

 今更の話でしかなかった。


 もしも、間違いきってしまう前に、出会う事が出来ていたら――


「……いえ、それこそ、今更の話よね」


「うん?」


「なんでもないわ。ただの独り言よ。それよりも、多分そろそろ戻らないと門限に間に合わないわよ?」


「む? もうそんな時間だったのじゃな……ぬぅ」


「そんな名残惜しむようなまねをしなくても、もう場所は分かったんだから、これからはいつだって来れるでしょ?」


「まあそうなのじゃが……って、その言い方じゃと、次は一緒に来てはくれぬように聞こえるのじゃが?」


「そう言ってるもの。そもそも言ったでしょ? 今回の案内は借りを返すためだって。正直受けた恩からすれば、この程度じゃ全然足りてないとは思うし、案内って言うには中途半端すぎるけど、一回は一回。こんなことは、これっきりよ」


「これっきりってことはないじゃろう? 別に借りだとか言い出さずとも、共に出かけることは出来るわけじゃし」


「いいえ、本当にこれっきりよ。あたしには目指すものが、目指さなけりゃならないものがある。だから、余計なことをしてる暇はないの」


 そうだ。

 魔法がまた使えるようになって、浮かれて忘れてしまっていたけれど、そうなのである。

 余計なことをしている暇など、エリナには本当はなかったのだ。


 だから、こんなことをするのは、今回だけでしかない。


「うーむ、そうじゃったか。まあ、そういうことならば仕方ないの。正直それなりに楽しかったのじゃから、残念なのじゃが」


「……そ」


 素っ気無く言葉を返し、本屋を出るべく歩き出す。

 少し歩き、振り返れば、リーンはまだ未練があるようであったが、諦めて付いてきた。


 リーンが最後まで名残惜しげに見つめていた本棚には、十賢者の秘密という本が仕舞われている。

 そのことがまるで何かの暗示のようにも思え……だがそんな考えを振り払うが如く、エリナは足を速めると、そのままその場を去るのであった。

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