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25.紅蓮の少女と気になるあいつ

 ザクリスの声が、教室の中を響いていた。

 昼食を食べた直後だからか、その声は殊の外力強く教室の空気を震わせている。


 いや、あるいはそれは、どことなく気の抜けた空気が漂っているのを変えようとしたのかもしれない。

 ザクリスの話を聞いている者達、特にAクラスの者達の大半は、明らかに授業に身が入っていなかった。


 そんな様子を横目に眺めながら、エリナはまあそれも仕方ないのだろうなと思う。

 エリナの視線の先には、誰も座っていない席がある。

 用意された椅子に対し在籍している生徒の数が少ないのだからそれ自体は珍しいことではないが、その周囲には誰かしらが座っていることを考えれば、誰かが座っていた席であったのは明らかだ。


 ハンネスの座っていた席であった。

 昼食時に食堂を出て行ってから戻って来ず、結局未だに戻ってきていないのだ。


 あの時色々と言っていた者達は、そこまでするつもりはなかったのか、どことなく気まずげであり、他の者達も時折と空の席を眺め、見るからに授業に集中出来ていない。

 態度はアレだったし、不満を抱いていた者もいたようだが、何だかんだでAクラスの中心ではあった、ということなのだろう。


 ちなみに、そんなことを考えているエリナも明らかに授業に集中出来てはいないが、その理由は彼らとはまったく別であり、無関係だ。

 単純に、一度聞いたものを二度聞く気にはならないだけである。


 エリナは二度目の一学年であり、しかも去年はAクラスで、且つその時の担任も同じであった。

 向こうもそのことは承知の上だろうが、エリナ一人のためにわざわざ話を変えることは出来ず、またそもそも今年のエリナはFクラスだ。

 尚更気にする必要がない。


 それでも、時折聞いたことがない話が混ざるあたり、多少は気を遣ってくれているのだろうが……やはり大半は知っている話なのだ。

 さすがに身を入れて聞く気にはなれなかった。


 せめてもう少し後の方ならばともかく、今やっているのは昨日同様基礎中の基礎だ。

 大半の者達はそもそも知っている話ばかりであり、Aクラスの者達の気がそぞろなのはその辺のことも関係しているのだろう。


 どれだけ真面目に話を聞こうと思ったところで、既に知っている話でそうするのは意外と難しいものだ。

 今の授業を集中して聞くことが出来る者は、極々一部しかいないに違いない。


 たとえば、エリナの右隣に座っている者のように、である。


 盗み見るようにそちらへと視線を向けてみれば、その少女は真剣そのものの顔でザクリスの話に耳を傾けていた。

 しかも口の端がほころんでいる様子から考えるに、楽しんでもいるようだ。

 正直エリナは、どうしてこの話を聞いて楽しむことが出来るのか分からなかった。


 この学院に入れる者ならば誰でも知っていて当然といったような話でしかないし、そもそも彼女は時折指された場合は完璧以上に答えている。

 知らない話ということはないはずだ。

 なのに、どうしてそんな顔をしているのか……エリナには、まるで理解が出来ない。


 というか、そもそもこの少女は、分からないことだらけなのだ。

 その姿を眺めると、やはり真っ先に目に付くのはその真っ白な髪だろう。


 ――欠落者。

 自然とその言葉が頭に浮かび、だが不思議と嫌悪感などはまったく覚えない。


 欠落者がどんなものであるのかはエリナもよく分かっているし、彼女以外にも以前一度だけ他の欠落者を目にしたことがあった。

 その時のことは、今でもよく覚えている。

 その相手に、自分でも驚くほどの憎悪にも似た嫌悪感を覚えたことも。


 幽鬼のような真っ白な髪に、血のような真っ赤な瞳。

 憎しみに濁った目で見られた瞬間、理性よりも先に本能が、これはいてはいけない存在なのだと理解した。


 しかし、この少女に関しては、そんなことを思うことはまるでなかった。

 仮に彼女以外の欠落者が隣に座っていたとしたら、正直平静でいられる自信はまったくないが、今は驚くほどに平静だ。

 昨日の朝の時点であれば、そんなことを気にする余裕などはなかったので、彼女以外でも問題はなかったかもしれないが……いや、あるいは、そのせいなのだろうか。


 そうして気にする余裕もないまま……どうやって返せばいいのか分からないほどの、多大な恩を受けたから。

 無意識に受け入れても問題はない存在だと……受け入れるべき存在だとでも、認識してしまったのかもしれない。


「……もしくは、驚くほどに真っ直ぐだから、かしらね」


 口の中だけで言葉を転がしながら、目を細める。


 これでもエリナは公爵令嬢だ。

 今までに様々な人物と接してきたし、去年学院中の者達が……いや、見知った大半の者達が一斉に掌を返すという状況まで経験している。

 そのせいか、若干人間不信に陥っているという自覚があった。


 最初の頃にユリアを遠ざけていたのはそれも理由の一つだ。

 余裕がなかったというのも大きいが……ユリアを信じることが出来なかったというのもまた事実である。


 エリナとユリアは所謂幼馴染だ。

 ユリアの家は準公爵家ではあるも、扱いとしてはエリナの家の分家のようなものであり、そのせいもあって小さい頃からよく一緒に過ごしていた。

 いや、厳密に言えば、小さい頃からよく一緒に過ごしていたからこそ分家のような扱いとなったのだが……ともあれ。


 だが、実はユリアは昔から今のような性格だったわけではないのだ。

 昔はもっと元気に走り回っているような性格であり、エリナはよく振り回されたものであった。


 しかし、気が付けばユリアは今のような性格になっていて……それ以来稀に壁のようなものを感じることがあったのである。

 だから、もしかしたらユリアも他の者達と同じような目で見て、出来損ないと言ってくるのではないかと思い、近付かないようにしたのだ。


 ……実のところ、未だに壁に関しては感じることがある。

 ただ、それは単に後ろめたさからそう感じるだけなのかもしれないが。


 尚、エリナの人間不信に関しては別に直ったわけではない。

 アウロラがやってきた時も、出来れば断りたかったぐらいで……だが、今は随分と拒絶感は薄れている。

 何となくではあるが、どことなく自分と似通ったものを感じたからだ。


 昼を一緒に食べはしたものの、ほとんど会話自体はなかった。

 その間アウロラはずっと気まずそうにしているだけであり……しかし、そうすることでこちらの反応を窺っていただけのようにも感じたのだ。

 本当は、あの時のことを何一つ気にしていないようにも。

 まだ接した時間が短いので何とも言えないが……模擬戦をもう一戦していたら何か分かったところもあったのかもしれない。


 というのも、模擬戦は結局合計で二戦しかしなかったのだ。

 厳密には三戦やったものの、最後の一戦は開始直後に降参されてしまったのである。


「……ま、ありかなしかで言えば、ありだったんでしょうけど」


 ハンネスは明らかに自分達の班に戦力を集中させていた。

 Aクラスなのだから残った者達も優秀であることに違いはないだろうが、ハンネス達の班の強さはきっと模擬戦を先にした彼らの方が分かっていたはずだ。


 しかしそんなハンネスが瞬殺されてしまったのである。

 自分達では勝ち目がないと判断し、降参するのは、合理的判断だと言えばその通りだ。


 実際ザクリスはその行いを問題ないと判断している。

 模擬戦として考えれば問題ではあるが、既にそれぞれ模擬戦を一度以上行った上での客観的判断が出来ているということで、ありとされたようだ。


 まあ、もしも自分が彼らの立場であれば、同じ事をしていた気もするので、あまり強くは言えないのだが――


「……そもそもの話、そんなことになること自体がおかしいのよね」


 性格やらやったことはともかく、ハンネスの実力は確かであった。

 あの時に見せた力も本物で、だがそれをこの少女は歯牙にもかけなかったのである。


 一年のブランクがあることを差し引いても、エリナが本気でやったところであそこまで圧倒することは出来なかったはずだ。

 アウロラの自爆を見事防いだ後、ユリアの代わりをリーンがやると言い出した際、素直にエリナが認めたのはリーンの力を測るのにちょうどいいと思ったからだが……さすがにあれは予想外すぎた。


 というか、そもそも欠落者が魔法を使えるという時点でおかしいのだ。

 別に彼女が欠落者であることに対し何かを思うことはないが、それとこれとは別問題である。


 ここ千年の間、一度だって欠落者が魔法を使えたということはないはずで……そしてそんな規格外な例外は、丸一年苦しみ続けたエリナを、あっさり救ってみせた。

 誰も原因すらも掴めなかったというのに、何でもないことのように。

 あまりにもあっさりすぎたせいで現実味など微塵もなく、だが夢でなかったことは未だに問題なく魔法が使えることが証明している。


「……分からないわね」


 何故そんなことが出来たというのか。

 聞いてみたところでは、封印のようなものがされていたとのことだったが、ならばどうして誰一人そのことに気付けなかったのか。

 それに心当たりは……ない、はずだ。


 いっそのこと、この少女の自作自演だったと言われた方がまだ気が楽なのだが、そんなことをする利点がない。

 同じ公爵家の娘ではあるが、実際の家格は彼女の家の方が遥かに上なのである。

 貶めるにしても、借りを作るにしても、やる意味がないのだ。


 何よりも、そんなことをするような人物だとはまるで思えなかった。

 同じ公爵令嬢であるはずなのに、彼女の在り方はただ真っ直ぐであった。

 何かを取り繕ったりする様子などはなく、気が付けば自らの懐に入り込んでいた。


 そして、気が付けば救われていて、気が付けばエリナはそんな少女へと自分から話しかけていた。

 だがそんなことをした理由は、エリナ自身にもまだよく理解出来ていなくて……本当に、よく分からない少女である。


「でも……だからこそ、気になるんでしょうね」


 別に他意はない。

 ここまで色々な意味でよく分からない人物なのだ。

 気になるのはむしろ当然のことだろう。


 というか、色々と驚くようなことばかりがあったせいか、今更のようにまともに礼も言っていないことに気付く。

 せめて礼ぐらいはしっかりと言うべき……いや、その程度では足りまい。

 本人はどうにも自覚している様子がないのだが……本当に、エリナはあの時救われたのだから。


 他意はないが、遅れてしまったお詫びも兼ねて、礼となるような何かをすべきかもしれない。

 そんなことを思いつつ、リーンという名の少女の横顔を盗み見ながら、さて何をするべきだろうかと、エリナは考え込むのであった。

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