24.元最強賢者、昼食を摂る
学院寮の方に食堂がある、というのは既に述べた通りだが、実は食堂は校舎の方にも存在している。
というか、寮の食堂にまで行き来するほどの時間的余裕はないため、昼は校舎にある食堂で摂るのが基本だ。
必然的に大半の生徒が昼になると食堂へと詰め掛けてくることになるわけだが、それでも座る場所に余裕がある程度には広い。
だがその分と言うべきか、食堂に漂っている雰囲気は賑やかというよりも騒がしいほどだ。
活気と混乱が入り混じるそんな場所を見渡しながら、リーンはふむと呟いた。
「所々に空席は見当たるのじゃが、固まって座れそうな場所が中々見当たらぬのぅ」
「なんというか、見事なまでにそれぞれが好き勝手に座った結果、って感じよね。席を詰めてもらえば所々座れそうなところはあるけど……」
「まあ、正直ちょっと面倒そうですよね。この向けられてる視線から考えますと」
リーン達もそうであるが、普通に考えればこの場にいる三分の一ほどは新入生であり、初めてここを利用するのだ。
あるいは昨日こっちを利用した新入生もいるのかもしれないが、この食堂は昼にしか開いていない。
寮の方で荷物の整理をする必要があったことを考えれば、いたとしても少数だろう。
軽い混乱が生じているのも、慣れていない者達が多いためで、空席は目立つのにポツポツとしか存在していないのは、それに加えておそらくここが広いせいだ。
これだけ広いのだから詰めて座る必要もないと考えているに違いない。
一つ一つの席は並んで座っても問題ない程度には間隔が開いているが、食事を摂ることを考えればもう少しスペースが欲しいと考えるのは自然なことだ。
その結果として、席は空いているのに纏った人数が座れる場所がほとんどない、といった状況になってしまっていると思われた。
まあ、勘違いというか、思い違いが現状を作り出した原因なので、そう伝えれば理解するだろうし、実際ちらほらと声をかけられた後で席を詰めている者の姿が見られる。
多分リーン達も適当な場所で声をかければ場所を空けてくれるとは思うのだが……そうしない理由は、ユリアの言った通りだ。
明らかに注目を浴び、ひそひそ話されている状況から考えると、何となく声をかけても面倒なことにしかならなそうだからである。
リーンは何を言われても気にはしないが、敢えて面倒事に首を突っ込むつもりもないのだ。
「昨日は上手く時間をずらせたため、他人の目を気にする必要はなかったのじゃが、さすがに今日はそういうわけにはいかんしのぅ……」
「せめて席が簡単に取れる頃に来れればよかったんでしょうけど、実際にはどっちかと言えば遅くなっちゃったものね」
「直前まで訓練場にいましたからね。教室にいれば問題なかったと思うんですが……」
食堂は校舎の一階に存在しているため、時間通りに授業が終われば新入生が出遅れるということはない。
だがリーン達は今日、昼の時間になった時に訓練場にいたのだ。
模擬戦はその前に終わっていたのだが、その後で反省会というか、模擬戦での内容を元にそのまま訓練場で座学の授業が始まってしまったため、食堂にやってこれたのは今になってしまったのである。
「ま、その方がいいと判断したのじゃろうし、実際それ自体は間違っていなかったのじゃがな」
「まあ、そうですね。すぐに話を始めたことで身は入ったと思いますから。……一部は、それどころではなかったようですが」
「それに関しては、どうせ教室に戻ってたとこで一緒だったでしょ。それより……」
そう言って肩をすくめながら、エリナは軽く周囲を見渡した。
変わらず自分達へと向けられている視線を感じ取り、だが不思議そうに首を傾げたのはそれがゆえだろう。
「……注目を浴びるのは予想通りって言えば予想通りなんだけど、その内容がちょっと予想外のものよね」
「蔑みのようなものがないとは言わんのじゃが、多くが好奇を含んでいるようじゃからの」
「漏れ聞こえてくる声の中に、Fクラス、というものが含まれているのは予想通りというか当たり前ですが、その次にAクラスという言葉が聞こえるのは……まあ、そういうことなんでしょうね」
FクラスとAクラスが一つの教室で合同授業を行うというのは今年が初めてらしいので、そういう意味で注目を集めているのならばまだ予想の範囲内なのだが、続く言葉が、倒した、というものであるあたり、どうやら先程の模擬戦の話が伝わっているようなのである。
好奇の目を向けてくるのは、当事者に話が聞きたいといったところか。
単純に娯楽的な意味もあるのだろうが、一応この学院での常識からすれば、Fクラスの者がAクラスの者に勝つということは有り得ないことだ。
しかもこの学院に入学してくるような者達は基本向上心が高いわけで、どちらかと言えばそっちの意味で話を聞きたそうである。
当事者という意味であれば、他にもいるわけだが、そちらも当然のように同等の視線を向けられていた。
というか――
「ふむ……随分と急いで食堂に行っていたのじゃが、空腹が理由ではなくこちらが理由だったようじゃの」
リーン達が共に食堂に来たのは、自然とそうなったというか、別々に来る理由がなかったからだが、Aクラスの何人かはそれよりも先んじて、授業が終わるのと同時に食堂へと向かっていた。
それほど空腹だったのかと思ったものだが、どうやら先程の模擬戦の話を早々に広めるためであったようだ。
何故そんなことをしたのかと言えば……彼らなりの抗議の方法といったところか。
面と向かって文句を言うことは出来ないが、好きでアレと一緒にいる者ばかりではない、ということなのだろう。
そしてもう片方の当事者は、そのことを理解しているのか、あるいは単純にその話をされていることが不快なのか、舌打ちでもしたような様子でその顔を歪めていた。
「さて……しかし、どうしたもんかの。無理に絡まれることはなさそうなのじゃが、声をかけたら間違いなく話をせがまれるじゃろうし」
「まあそうなったらゆっくり食事を摂るのは難しくなりそうよね」
「かといって席が……って、あれ? あそこら辺、不自然に空いていません?」
「ふむ? 確かに空いておるの。席を取っておいてある、というわけでもなさそうじゃし……というか、あれは――」
ユリアの示した方へと視線を向けてみれば、確かに端の方の席が不自然に空いていた。
一人しか座っておらず、周囲には誰も近寄ろうとすらしない。
しかも、その人物は顔見知りだ。
アウロラであった。
「完全にボッチ飯を極めとるのぅ……まあ、儂らにしてみれば好都合じゃが」
「え……もしかして、あそこに行くつもり?」
「むしろ行かぬ理由がないと思うのじゃが?」
「ええと……念のために聞いておきますが、何のためにです?」
「何のためと言われても……先程班を組んだ者達で集まり昼食を食べるというだけのことじゃろう? まあ急造のものであったため次の機会があったらどうなるかは分からんのじゃが、少なくとも今回はそうなったわけじゃしの」
実際その通りでしかないため、他意はない。
そのことが分かったのか、エリナとユリアは露骨に安堵の息を吐いていたが、いびりにでも行くとでも思われていたのだろうか。
確かにあの自爆はさすがにないというか、ちょっとイラッとはきたものの、その感情の向かう先はそれをやらせた相手にだ。
ついでに言うならば、一発分殴るという手段でしっかりその対価は支払わせたので、何にせよあれ以上何かをするつもりはなかった。
「そういうことなら……まあ確かに、行かない理由はないかしらね」
「ちょうど座れることに違いはありませんしね」
そういうわけで、昼食の載ったトレイを持ちながら、リーン達はそこへと向かうべく移動し始めた。
それと共に視線もついてくるが、何か行動を起こすのでなければ問題はない。
欠落者などと呼ばれる時と、基本は同じだ。
見られたり何かを言われたりするだけであるならば、無視すればいいだけなのである。
食堂は広いが、端に行くだけならばそれほど時間もかからない。
俯き肩身が狭そうにしている少女の前に辿り着くと、声をかけた。
「ここ、いいじゃろうか?」
「え? あ、はい、自分は構わないであります、が……!?」
途中まではやはり肩身が狭そうに俯きつつぼそぼそと喋っていたアウロラであったが、声で気付きでもしたのか、勢いよく顔を上げると、その顔に驚愕の表情を浮かべていた。
どうしてと、そんなことを言いたげな様子であり、そこには僅かな恐怖も隠れているように見える。
だがその辺のことには触れずに、リーンは首を傾げた。
「ふむ? どうしたのじゃ?」
「どうした、って、え……? それはこっちの台詞と言うでありますか……ど、どうしてここに、であります……?」
「どうしても何も、儂らは先程同じ班を組んだ仲じゃろう? なら昼食ぐらい一緒に摂るのが自然というものじゃと思うのじゃが? まあ単純に、纏まって座れそうな場所が見当たらなかった、というのもあるのじゃが」
「い、いえ、ですが、自分は……」
「ふむ……もしや、先程のことを気にしているのかの? なら気にする必要はないのじゃぞ? 魔法の暴発など、千年前にはよくあったことじゃからな」
「……何よその冗談。フォローするにしても、もうちょっと何かあったんじゃないの?」
「千年前ということは、古代魔法でしょうか? 確かに古代魔法は暴発などがよく起こったとは聞きますが……少し分かりづらくはありますね」
そんなことを言って苦笑を浮かべる二人に、リーンはトレイをテーブルの上に置きながら小さく肩をすくめる。
一応冗談ではなく、本気だったのだが。
まあ冗談だと捉えられるのならば、それはそれで構うまい。
「ま、ともあれそういうわけなのじゃ」
「は、はぁ、であります……?」
「どういうことなのかまったく分かってなさそうだけど? ま、いいけど。あたしも邪魔するわね」
「そうですね、リーンさんがそういうことにするというのであれば、それで。では私も」
アウロラはまだ困惑している様子であったが、エリナとユリアもトレイを置き、座る。
と、今の会話を聞いていたのか、周囲から声が聞こえた。
「暴発って……他人事ながらそれで済ませていいやつかあれ?」
「本人達がいいって言ってんだからいいんじゃない?」
「そうよね……まあ、自分の意思でやったことじゃないのは明らかだし」
声に横目を向けてみると、話をしているのはどことなく見覚えのある者達であった。
確かAクラスの者達で、ハンネスとは別の班だった者達だ。
意外と近くにいたらしく、その顔と声にはどことなく呆れが感じられる。
そして、その中の一人が大きく息を吐き出し――
「でもそこまでやっても負けたんだよなぁ。なんつーか……こうなると惨めだよな」
「――んだと!?」
瞬間、激昂した声がその場に響いた。
どうやら彼もまたその話が聞こえていたらしい。
だが、声と何よりも立ち上がったせいで、周囲からの注目を一身に集めていた。
そのことにすぐに気付いたのだろう。
周囲を軽く見回すと、舌打ちをしながら荒々しく歩き出し、そのまま食堂を去って行った。
「うわぁ……本当に惨めだなぁ」
「はんっ、良い気味だ。無駄に偉そうでずっと気に入らなかったんだよな」
「それって妬み入ってない? まあ、ちょっとやりすぎだとは思ってたけど」
「でもこれで少しは大人しくなるんじゃないかな?」
「だといいけどな」
そんな話を耳にしながら、ふと感じた視線に顔を向ければ、エリナ達が複雑そうな顔をしていた。
清々した、という思いもあるのだろうが、言ってしまえば今のあれは、自分達が向けられていたものと同質のものでもある。
まるで自分達の身代わりになったようにでも感じているのかもしれない。
正直なところ、ここまでになるとはリーンも予想外ではあった。
多少意趣返しをするつもりはあったが、別に自分達と同じような目に遭わせようなどと思っていたわけではないのだ。
ちょっとこの先どうなるかは読めず……まあ、何か起こってしまったら、その時は自分の責任で何とかするだけである。
ともあれ、今は食事だ。
元より時間に余裕はあるわけではないのだから、さっさと食べてしまわなければならない。
エリナ達にも促すよう視線を向けると、リーンは両手を合わせ、さて、どうなることやら、などと思いつつ、トレイの上に乗ったパンへと手を伸ばすのであった。




