23.愚行の代償
「くははははははっ……!」
遠方で発生した轟音と爆炎を眺めながら、ハンネスは思わず心の底からの笑い声を上げていた。
何が起きたのかは、離れた場所から見ていたからこそハンネスにはよく分かる。
アウロラが、自爆したのだ。
開幕直後の、誰かが動き出すよりも先のことである。
完全に予想外であっただろうし、反応すら出来なかったに違いない。
狙い通りであった。
そう、アウロラを班から追い出し、向こうの班に行ったことは、最初から仕組んでいたことなのだ。
もっと言うならば、先程の模擬戦からである。
先程の模擬戦でハンネスがアウロラにした指示は、徹底的に自分の邪魔をすることであった。
であればこそ、自然な形で追い出すことが出来た、というわけだ。
ついでに言えば、もう一つのAクラスの班がアウロラの加入を断る理由ともなるので、一石二鳥である。
無論のこと、あっちの班には事前に手回し済みだ。
もっとも、そうでなければそもそも先程の模擬戦は有り得なかっただろうが。
唯一にして最大の懸念は、少々アウロラがやりすぎてしまったことであった。
それぞれが最も得意なことを聞き出した際、アウロラが演技だと言い出したので、試しにやらせてみた結果としていけると判断してのことではあったが……まさかあそこまで見事に足を引っ張るとは予想外だったのだ。
思わず本気で怒鳴りつけてしまうほどで、本当に演技なのか疑ったほどであった。
そのおかげで上手くいったとも言えるのだが、問題は上手く行き過ぎてしまったことだ。
先程の模擬戦を見ていれば、誰だって同じ班に入れたくないと思うだろう。
Fクラスの連中がそう思ってしまう可能性があったことだけが問題で……だが、結果は見ての通りだ。
「はっ……まったく、馬鹿なやつらだぜ。敵だったやつを何の疑いもなく受け入れるとか、信じられねえほどの愚行だ。ま、その代償は身を以て味わったみてえだが……やっぱ所詮はFクラスってこったな」
そんなことを言いながらも、ハンネスは相手に声が届いていると思っているわけではない。
アウロラが起こした爆発は思っていた以上のもので、Fクラス全員を巻き込むのは勿論のこと、それどころか発生した衝撃は訓練場の中央付近にまで及ぶほどであったのだ。
その爆心地にどれほどの衝撃が巻き起こったのか分からないほどであり、さすがは魔法の成績だけならば自分よりも上なだけはあった。
「……ま、本来はそれを見込んで引き入れたわけだしな」
とはいえ、どれだけ魔法の才能があろうと、腕を持っていようと、本来であればこれほどの威力の魔法を放つのは不可能だ。
魔導結界が許さず、またこの場に張られた結界により、攻撃魔法の威力は極端なまでに減衰し役立たずにまでなってしまう。
それも全ては過去からの教訓として、万が一にも魔法で危険なことが起こることのないように、とのことらしいが……そこには一つだけ抜け道が存在していた。
魔導結界にしろこの場に張られた対人用の結界にしろ、攻撃魔法の威力が減衰するのはそれ用に特化させているからだ。
しかしそもそも攻撃魔法の基準とは、誰か、あるいは何かに対して魔法で直接の危害を加えるというもので……自分に対して使う場合は該当しないのである。
そのための自爆、というわけだ。
そしてあれだけのものが直撃したのである。
Fクラスの連中が無事なわけはないし、意識はとうに失っているだろう。
それを分かった上で、だがだからこそハンネスは言葉を投げたのだ。
誰が頂点に立つに相応しいかということを、はっきりと思い知らせるために、である。
最悪の場合、それどころではないことなっている可能性もあるが――
「ま、模擬戦、それも不慣れとなったら、事故の一つや二つ起こるってもんだよな」
「……そう言われて昨日は納得したけどよ、これって本当に大丈夫なのか?」
想像していた以上の威力であったためか、どこか怯えたような声に鼻を鳴らす。
「はっ、当たり前だろ。正々堂々と戦え、なんて一言も言われてねえんだぜ? なら出来ることを何でもやんのはむしろ当然だろうが。それに、止められてねえってことは、ありって判断されたってことだ。あいつらに何があろうと、な」
「……あいつらは正直どうでもいいんだけど、あの娘は大丈夫なの? ちょっと強い魔法使いすぎたんじゃないかと思うんだけどねえ……」
「それに関しちゃ知らねえよ。俺が指示したのは、最もあいつらに被害与えられそうな魔法で自爆しろってことだけだ。後の判断による責任はあいつのもんだろ。たとえどうなろうが、な」
魔法が発動する直前にハンネスが目にしたのは、アウロラの頭上に発生した人の頭部よりも大きな炎の塊が弾け飛ぶというものであった。
下手をすればあれによって頭部が消し飛んでいてもおかしくないと思ってはいるが、それを選択したのはアウロラである。
何らかの備えぐらいあったのだろうし……なかったとしても、知ったことではなかった。
と、そんなことを言っていたら、その答えが出たようだ。
爆炎によって土煙が巻き起こり、訓練場の半分ほどは視界が利かなくなっていたのだが、端から晴れ始めた結果、そのすぐのところに一つの人影が転がっていたのである。
アウロラだ。
あの魔法の衝撃によってそこまで吹き飛ばされたのだろう。
幸いにして、頭部は無事のようであり、四肢の一つも欠けてはいない。
もっとも、とても無事とは言えない有様ではあったが。
「うっ……ひでぇ……」
「あれって……生きてる、の……?」
「息はあるみてえだから、生きてはいんだろ。今はまだ、って感じではあるがな」
ここからでも分かるぐらい、アウロラの全身は酷い火傷を負っているようであった。
特に酷いのが顔で、元の顔が分からないほどに焼け爛れている。
あれでは治療を施したところで元通りにはなるまい。
そもそも治療を施すまで生きていられるのか、という状態ではあるが。
「しかし、一番近くで受けただろうお前が即死してねえってことは、あいつらも生きてはいそうだな。ま、身の程ってもんを叩き込んでやりたかっただけだし、そこまで望んじゃいなかったから構わねえが。それを考えると、良い仕事をしたって感じだな。褒めてやるぜ、アウロラ」
「……おい、それだけかよ」
「あ?」
「……アウロラは、あんなになってまであんたの命令を守ったってのに、他にもっと言うことがあるんじゃないかって思うけどねえ」
「はっ……くだらねえ」
まるで非難するような視線を向けてくる周囲に、ハンネスは鼻を鳴らした。
あそこまでしろと言ってはいないし、そもそもああなったのは何の対策もしていなかったからだろう。
つまりは全てが全てアウロラの責任であって、ハンネスがそこに何かを感じる必要はない。
「あいつがああなったのは、あいつのせいだろ? つーか、あいつも結局はFクラスのやつらと同じだ。あいつがやったことは、愚行以外の何物でもねえんだからな。そして愚行には代償が必要だ。あいつはその代償を払った結果ああなった。それだけのことだろ」
何故そんな簡単なことが分からないのかと、再度鼻を鳴らす。
その場を見渡せば、誰も彼もがその常識を理解出来ないとでも言いたげな顔をしており……だが直後、同意の声が響いた。
ただし、その声がしたのは、土煙の向こう側からだ。
「――愚行には代償が必要。確かに、その通りなのじゃな」
「っ、その声……!?」
「――では。仲間に自爆をさせるという愚行の代償も、しっかり払う必要があるのじゃよな?」
言葉の直後、さらに土煙が晴れ、声の主が姿を見せた。
真っ白な髪に、赤い瞳。
それは、欠落者であることの証。
その身体には火傷どころか傷一つ付いておらず、リーン・アメティスティは当たり前のような顔をしてその場に立っていた。
「テメエ……!」
「ふむ……どうしたのじゃ、そんな親の敵でも見るような目をして? ……いや、そもそも今は模擬戦の真っ最中なのじゃから、敵として儂を見るのは当然じゃったの」
とぼけたことをほざくその姿は、模擬戦を行う前と何一つ変わらぬものであった。
先の言葉からしてもこちらが何をしたのか知らないわけがないだろうに……まるで何の問題もないとでも言いたげなその様子に、苛立ちが募る。
だがここで感情を爆発させたところで、意味はない。
目の前のそれが言ったように、今は模擬戦の真っ最中なのだ。
必死に自分を抑えながら、口を開く。
「……テメエが無事なのは、まあいい。テメエのことだから、んなこともあるだろうよ。だが、無傷ってのはどういうことだ? 幾らテメエでも、あの爆撃受けて無傷ってのは有り得ねえと思うが?」
あるいは、悪魔であったり精霊であるというのならば、そういったこともあるかもしれない。
しかし、欠落者は人類種にしか現れないはずだ。
そして人類種であるならば、欠落者であるか否かにかかわらず、あの爆発を食らって無傷でいられるわけがない。
「まあ、そうじゃの。さすがの儂でもあれをまともに受けたら軽症では済まんじゃろうな。じゃが、ならば話は単純じゃろう? 魔法で防いだ。それ以外にあるまいに」
「あぁ? 魔法で防いだだ? むしろそっちのが有り得ねえだろうが」
アウロラが真っ先に動き魔法を発動したのは間違いない。
その直前になって自爆に気付いた可能性は確かに有り得るが、そこからではどうしたって魔法で防ぐには間に合わないはずである。
特にあの爆撃を無傷で防ぐようなものだ。
そんな魔法を展開するには、それこそ――
「っ……まさかテメエ、アウロラが裏切るつもりだって気付いていやがったのか……!?」
この事態を想定していたというのならば、有り得ることだ。
特に詠唱をしているようには見えなかったが……それを言うならば、昨日これが魔法も使った時もそうだったのである。
ならば有り得てもおかしくはないと、拳を握り締め、自分を抑えながらそう思い……だが、視線の先のその姿は、不思議そうに首を傾げた。
「いや、そんなことは微塵も想定していなかったのじゃが……? しかし、それはそれとして、いつ何時何が起こってもいいように備えておくのは当然じゃろう? 魔法が暴発して、大惨事が引き起こされる可能性とかもあるわけじゃしの」
「……っ」
その言葉は、まるでお前は考えが足りていないと言われているかのようであった。
いや、実際にその通りなのだろう。
現代魔法において、暴発などということが起こることは有り得ない。
しかしそれは要するに、有り得ないことを想定した上でそれでも備えておくのが当然、ということを言いたいのだ。
そんなことも理解出来ていなかったお前は不出来に過ぎると、そうも言われているようで、拳をさらに強く握る。
だが今度は、湧き上がる気持ちを抑えることはしなかった。
もうその必要はなかったからだ。
「はっ、そうかよ、そりゃ大層なこった。なら――こういうのも当然、想定してんだろうな!?」
握り締めた拳をそのままに、彼我の距離を一瞬で詰める。
通常であればこんな芸当は無理だが、今のハンネスであればこんなことも容易い。
全身から僅かに漏れている光は、過剰なまでに強化魔法がかけられている証左である。
賢者学院のAクラスに選ばれ、且つ魔法の腕で上位に並ぶ四人から重ねがけされているそれは、一時的にハンネスの身体能力を超一流でさえ届かぬ域に至らせた。
おそらく今のハンネスならば、ワイバーンとでさえ一方的に殴り勝つことが可能だろう。
ハンネスの拳は名工の作り出した一流の武器でさえ届かぬものであり、人に叩き付けたならば、容易くその身を貫くに違いない。
さらには、ハンネスの拳の周りは薄い透明の膜のようなもので覆われている。
触れればどんな魔法であろうとも消し飛ばす、反魔法だ。
自身を含めた四人で強化魔法を重ねがけし、最後の一人が反魔法で拳を覆う。
反魔法は魔法であれば何であろうとも消し去ってしまうものだが、一人をその制御のみに集中させることでこの状況を作り上げたのだ。
こうすることで、どれだけ強力な魔法で防ごうとしても構わず拳をその身に突き立てることが出来る。
そもそもアウロラの自爆は多少手傷を負わせ、思い知らせてやることが出来れば十分だったのだ。
しっかりと真正面から打ち破る方法は考えており、自爆が通用しなかったというのならば、そちらへと移行するだけであった。
今まで話をしてきたのも、その準備を完了させるための時間稼ぎだったのである。
そしてそれはもう終わった。
この状況ではやりすぎてしまう可能性が高いが……まあ、仕方があるまい。
Fクラスのくせに……欠落者のくせに、身の程を弁えないのが悪いのだ。
しかしこの一撃を食らえば、幾らなんでも弁えるだろう。
その代わりどうなるかは分からないが……運がよければ生き残ることも出来るはずだ。
精々運を天に任せろと、心の中で呟き、拳を振るう。
視認も許さない一撃が、欠落者の身体へと叩き込まれ――パシリと、軽い音を立てた。
「……は?」
「ふむ、強化魔法を重ねがけしての単騎駆け。先程見たのとは単騎駆けというところだけが共通点じゃが、こっちが本来の形といったところかの? 先程見たのが全てと思ってはいなかったのじゃが、また随分と尖らせたものじゃのぅ。まあ、その分嵌れば確かに効果的じゃろうが」
その身体に突き刺さるはずだった拳は、まるで握手でも交わすかのようにそれの拳の中に納まっていた。
受け止められたのだ、と認識すると共に、馬鹿な、という思考が溢れる。
「な、何でテメエ、これが受け止められ……!?」
「何故と言われてもじゃな。無論こういったことも想定していたから、に決まっとるじゃろう?」
その言葉が、先の言葉への返答だったことに気付き、一瞬で頭が沸騰する。
どうして今の自分の拳を受け止められるのかはまるで分からなかったが、さすがに身体に叩き込まれれば効果はあるはずだ。
最早それ以外のことは思考になく、さらに一歩を踏み込むと共に受け止められたのとは逆の拳を振り抜く。
「ふざけんなよテメエ……いい加減テメエの身の程ってやつを思い知りやがれ……!」
「別にお主に言われるまでもなく思い知ってるのじゃがの。というか、それを知らぬのはお主の方なように思えるのじゃが?」
「っ……!? ざけんな……!」
今のハンネスは、全身が凶器だ。
拳だけでなく、肘だろうと膝だろうが、まともに当たれば人一人程度容易く倒せる。
そのはずだ。
そのはずであった。
だというのに――ハンネスの繰り出す攻撃は、全てが同じように受け止められた。
「っ……一発でも当たりさえすりゃあ、テメエなんざ……!」
「まあそれは正しいのじゃが、別にそれは今のお主に限ったことではないじゃろ? 攻撃を当て続けることが出来れば勝つことが出来るのは道理であり、それを可能とするのが腕なのじゃから」
「黙りやがれ……!」
叫びながら拳を、足を振り回し、だがその全ては防がれる。
かわされることすらない、という事実に、彼我の実力差を無意識のうちに認識し、しかしそれを否定するように拳を振るう。
だがやはり軽い調子でその拳を受け止められ、さて、という呟きが耳に届いた。
「現状の認識は出来たかの? ではそろそろ、愚行の代償を取り立てようかと思うのじゃが……異論はあるまい? お主が言い出したことでもあるのじゃし、まさか文句は言わんじゃろ? まあ、せめて、最善を尽くした仲間に向けることが別のものであったのならば、もう少し儂も考えたんじゃがの」
「はっ……愚行を犯した馬鹿に他に何を言えっつーんだ? しかも、実際にはテメエは無傷だったってことを考えりゃ、愚行も愚行だろうが。無意味にも程があるぜ。つーか、テメエは人のこと言えんのかよ。テメエは結果的には、仲間が自爆すんのを見捨てたってことだろ。それとも、裏切ったやつは死のうが何しようも構わねえってか……?」
「ふむ? 何を勘違いしているのか知らんのじゃが……自爆によって瀕死の重傷を負った者などおらんのじゃぞ?」
「あぁ!? テメエ一体何を――」
言いながら、一瞬だけ視線を向けた時のことであった。
まるで最初から何もなかったの如く、地面に転がっていた、瀕死の重傷であったはずのアウロラの姿が消えたのだ。
そしてさらに次の瞬間、一際強い風が吹き付け、訓練場を覆っていた土煙の全てが消え去る。
その向こう側にいたのは、傷一つ見当たらない三人の少女。
地面に押さえつけられているアウロラと、押さえつけているエリナとユリアの姿であった。
「っ……まさか、幻術、だと……? テメエ……!」
「言いたい事は終わったかの? では――愚行の代償、払ってもらうのじゃ」
言った瞬間、初めてそれは拳を握った。
ただしそれだけであり、構えも何もない。
その姿はまるで、構える価値もハンネスにはない、と言わんばかりであり――
「舐めんじゃねえぞ、欠落者が……!」
瞬間、世界が闇に閉ざされた。
直後に、一体何が、と思ったのと、殴り飛ばされ、壁に叩きつけられたのだ、ということに気付いたのは同時だ。
ふざけるな、と思ったが、身体に力は入らず、痛みすら感じることはなく。
煮えたぎるような怒りを感じたまま、ハンネスの意識は闇の底へと落ちていったのであった。




