1.元最強賢者、幼女に転生する
タイトルに学院と入っていますが、学院に入るのはおそらく十話前後になるかと思います。
ふと、目が覚めた。
視界に映し出されたのは、見覚えのある天井。
右腕を持ち上げ、眼前へともってくれば、やはりそれは見慣れたものである。
目覚める直前の記憶と共に、前世の記憶も問題なく思い出せた。
「ふむ……どうやら無事転生に成功したようじゃな」
その事実を確認し、一つ息を吐き出す。
正直なところ、さすがに若干の不安はあったのだ。
成功する自信があったとはいえ、使うのは初めてだったのである。
何か失敗したり、不測の事態が起こる可能性というのは十分に有り得た。
「……まあ、不測の事態に関しては、実際に起こっているのじゃがの」
呟きながら、手を何度か開閉してみる。
その小さすぎる手こそが、まさに不測の事態の証そのものであった。
「うーむ……まさか六歳で記憶が戻るとは思わなかったのじゃ……」
というのも、転生前の記憶が引き継がれるとはいえ……いや、だからこそ、敢えてしばらくの間は転生前の記憶を思い出せないようにしておいたのだ。
さすがに前世の記憶と意識がはっきりしている状態で赤ん坊や子供の生活をするのは御免だったし、何よりも転生先は少なくとも数百年は先の予定であった。
常識が変わってしまっている可能性は高く、転生後の常識に慣れるのに前世の記憶は邪魔だろうと判断したのだ。
そして、本来前世の記憶を思い出すまでに必要とするはずだった期間は、十五年である。
前世の頃に成人とされる年齢まで過ごせば色々と十分だろうと思ったのだが――
「むぅ……さすがに九年は誤差というには大きすぎるじゃろう。まあ、確かに前世の儂からすれば、その程度は誤差だったのじゃが……」
前世では千年生きていたのだ。
十年程度ならば、気がつけば過ぎていた程度でしかない。
しかし、それとこれとは別問題だ。
自らの主観を魔法に混ぜてしまっていては、その魔法は失敗作としか言いようがないし、今更そんなことはしていないという自信がある。
「ということは……もう一つの条件の方に引っかかった、ということじゃろうか? いや、しかし……」
念のためにではあるが、十五年が経過する以外にも、自らの身に命の危険が迫った時には前世の記憶を思い出せるようにしてはいた。
だが目覚めたこの場所は明らかに見慣れた自室であり、周囲から不穏な気配は感じない。
「ふむ……となれば、もう一つの不測の事態との複合的な要素が原因の可能性がありそうじゃな?」
そう、実は不測の事態は、目覚めた年齢以外にももう一つ発生していたのだ。
そしてそっちについても、眼前の腕がその証となっている。
六歳児とはいえ、あまりにも華奢すぎる腕。
だが、『幼女』だということを考えれば、相応しいと言えるだろうそれが、だ。
「まさか儂が女として生まれるとはのぅ……まあ、別にそれ自体は構わんのじゃが」
その言葉は本音であった。
千年も生きたからか、元々性欲などはとっくになくなっていたし、性そのものを意識すること自体も皆無だったのだ。
今度は女だと言われたところで、そうかと頷くだけであった。
どうせ今生の生活も前世と同じようなものを送るつもりなのである。
ならば性別がどちらであろうとも、大差はあるまい。
それに、こちらに関しては、原因に思い当たるところもあった。
わざわざ転生をするというのに、転生前よりも劣った肉体にする意味は無い。
そこで、転生魔法の術式には、前世の頃よりも多くの魔力を持てる器へと転生出来るよう仕込んでおいたのだが、おそらくはそれが原因だ。
「男よりも女の方が魔力が多い傾向にあるのじゃから、むしろ考えてみれば当たり前だったのかもしれんのじゃな」
とはいえ、事前に分かっていたところで、結局は同じだっただろう。
魔力とは魔法を使うための燃料であり、多いに越したことはないのだ。
その前であれば、性別などは些細なことでしかなく、仮に前世とは異なる生活を送ることになったとしても、結局は同じ結論に至ったに違いない。
「ま、しかし個人的に問題はないのじゃが、想定していなかったのもまた事実なのじゃからな。そのせいで何か不具合が生じたとしても不思議はないのじゃ」
この辺は実際に使ったことはなかったのだから、ある程度は仕方あるまい。
無事に転生出来たというだけで、十分と言えば十分だ。
「それにある意味では、都合がよかったと言えるかもしれんのじゃしな。これで儂の意識と知識をはっきり保ったまま、現代の魔法を学ぶ事が出来る、というわけじゃし」
未だこの身体に生まれてから六年しか経っていないため、まだまだ今の時代について分かっていないことは多い。
だが幾つか分かっていることもあり、その一つは、おそらく今の時代は前世の時から千年ほど経った頃だということだ。
以前覚えのある出来事の話を耳にしたことがあり、それが千年以上前の出来事だとか言っていたので、多分間違いあるまい。
そして、もう一つ。
どちらかと言えばこちらの方が重要なのだが……千年も経った影響なのか、どうやら今の時代は魔法が非常に身近なものとなっているらしいのだ。
これまた以前に魔法が使われる場面を目にしたことがあり、その際詳細を尋ねて知った情報であった。
千年前は一握りの限られた者しか魔法を使うことは出来なかったのだが……転生するという判断は間違っていなかったということだろう。
身近なものだということは様々な魔法が開発されているに違いなく、早々に学ぶことも可能なはずだ。
どちらも非常に嬉しいことであった。
が、さすがに当時三歳であったためか、魔法を学ぶことは禁止された。
まあ、普通に考えれば当然である。
魔法とは、基本的に強力で危険なものだ。
最下級の魔法ですら人の一人や二人どころか数十人は殺せてしまうものであるし、最上位の魔法であれば国の一つ程度ならば滅ぼせる。
魔法とは、魔導とは、そういった代物なのだ。
そんな魔法なのであるから、幾ら身近になったところで、危険なことに変わりはあるまい。
三歳児にそんなものを学ばせるような者がいたとしたら、逆にまずいだろう。
魔法に関する書物すら読むことを禁じられた時は少々不満もあったものだが、それも今日までである。
六歳になったら魔法を教えてくれると、その時に父と約束を交わしたのだ。
そして今日は、その記念すべき六歳となった誕生日であった。
あるいは、その嬉しさから、術式を破って記憶を取り戻したのかもしれない。
自分のことながら、その程度のことはやってもおかしくはなかった。
前世の頃はその人生の全てを魔法に捧げたものだが、そんなことをした理由は何ということはない。
ただ、魔法が大好きだったというだけなのだから。
「まあその辺に関しては、後で調べればいいじゃろう。特に今のところは不調なども感じぬのじゃし……今はこの時代の魔法について知るのが先決なのじゃ!」
窓の外へと視線を向ければ、既に日は昇り始めている。
多少早いかもしれないが、目が覚めてしまった時点でこれ以上待つ事は出来そうもない。
「まだじゃと言われたら、その時はその時で考えればいいわけじゃしな」
そう結論付けると、かつて賢者と呼ばれていた人物――リーン・アメティスティは、眼前にかざしていた手を握り締め、期待に顔を輝かせながら起き上がる。
そして。
「――結論から言ってしまうが、お前が魔法を使うことは出来ない。その身に、魔法を使うための才能がないからだ」
意気揚々と向かった先で、リーンは父親からそんな言葉を告げられたのであった。