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10.エルフと師と

「なんでも何もないじゃろうが。お主のことじゃからどうせこんなことだろうと思っておったら、案の定なのじゃ。誰がそんなことをしろと言ったのじゃ、この馬鹿弟子め」


 そんなことを言いながら、白い幼女は、やれやれとばかりに肩をすくめた。


 その姿を眺め、視界が僅かに歪み……だが唇を尖らせたのは、こちらにだって言い分があって、あと言いたいこともあったからだ。


「……そんなことを言われたって、今のわたしでは、アレ以外に方法なんてなかったじゃない」


「どんな状況でも最善を尽くし、なければ強引にでも作り出すのが魔導士というものじゃろう? まったく、変わったところもあったかと思えば、その辺は昔のままなのじゃな」


「…お師匠様達ほどわたしは振り切れていないし、そこまで振り切れることなんて出来ないわよ。っていうか、それはともかく……今、古代魔法使ったでしょ」


 でなければ、ドラゴンを吹き飛ばすことなど出来ないはずだ。


 そもそも、おそらく師はどれだけ頑張ったところで現代魔法を使えないはずである。

 というか、そのための媒体である魔導士の杖を持っていない時点で、使えるはずもないのだが。


 しかし、目の前に約束を破ったというのに、師はまったく悪びれる様子もなく、再度肩をすくめた。


「確かにお主と儂は約束は交わしはしたのじゃが、なるべくとも言ったはずじゃぞ? 魔導士にとって、約束とは基本的には絶対じゃからな。言質を取られないようにするのは基本じゃろう? そんなことも忘れたのかの?」


 当たり前のような顔をしてそんなことをのたまう師の姿に、オリヴィアは溜息を吐き出した。

 そこに多大な安堵が含まれていることを自覚しながら、まったく、と呟く。


 この人はいつもそうだ。

 自分の言葉など全然聞き入れてくれないで、好き勝手にやって。


 そしていつだって、救ってくれる。


 初めて会った時からそうだった。

 エルフの里から追い出されて、行き場をなくしていたところに手を差し伸べてきて。

 こんな自分でも魔導士になれる方法を探し出して……そうして、何かを返そうとする前に放り出した。


 それでも何とか何かを返そうとしたけれど、そんな機会が訪れることはなく、いつの間にか姿を消して。

 千年ぶりに再会したと思ったら何故か幼女になってて。

 でもやっぱり、危なくなったら助けてくれるのだ。


 まったく、本当に……この人は。


「というか、お主は世界を敵に回すだの言っていたのじゃが――そんなのは、今更じゃろう?」


 確かに、その通りであった。


 千年前の魔導士というのは、魔物に対抗するために必要な手段であり、頼られてもいたが……その根本にあったのは尊敬や信頼ではなく、嫌悪と拒絶だ。

 その気になれば魔物どころか、人類も、世界すらも滅ぼせるだろう者達。

 そんな力を持った魔導士達が、好意的に見られるわけはなかったのだ。


 けれど、今はそうではない。

 現代の魔導士というのは、人々から尊敬と信頼を得る者達だ。


 だからこそ、師には二度とかつてのような目に遭っては欲しくないのだけれど……この人には何を言っても無駄だということは、きっと誰よりもよく知っていた。


「ま、それに、まだバレたわけじゃないしの? お主の前でしか使っていないのならば、問題はないじゃろう?」


「それは、そうだけれど……今ここにいるのを、どう説明するのよ?」


「うん? お主は何を言っているのじゃ? 儂はずっと馬車で待機しているし、今でもしているじゃろう?」


「お師匠様こそ何を――」


 そこまで言って、気付いた。

 今の自分はもう古代魔法を使えないので、随分と魔力に対しての感知能力も衰えてしまっているが、自爆するために魔力を集めていたせいだろうか。

 師の姿からは魔力を感じ……というか、その全てが魔力であった。


「……そういうこと。シャドウサーヴァント、ね」


 魔力で自分の半身を作り出し、操作する古代魔法だ。

 ただし、普通はその名の通り影のような外見になるはずで、意識を移動することは出来ても精密動作は苦手なはずである。

 それが本体と瓜二つで、喋りまでするとか、相変わらずでたらめな人であった。


「そういうことじゃ。これなら問題はないじゃろう?」


「……いえ、そこまで本体そっくりだと、万が一こっちに来ちゃって見られたら駄目じゃない。その場合はどう言い訳するのよ」


「そう言われても、儂は実際馬車にいるわけじゃしの。それは不思議なことがあったものじゃな、でいけるじゃろ」


「いけるわけないでしょ……」


 これで問題がないとか、どの口で言うのだろうか。

 まああくまで万が一の場合なので、多分ないだろうとは思うが……相変わらず、この師はどこか雑なようであった。


「ま、いけなかったらいけなかったで、その時に考えればいいじゃろ。……その時が来るにしても、もう少し後のことじゃろうがな」


 師が何を言いたいのかは、分かっていた。

 背後から、巨大な気配が迫っていたからだ。


 地響きと共に何かが降り立ち、視線を向ければ、そこには無傷のドラゴンがいた。


「っ……無傷」


「ふむ……思ったよりも頑丈なようじゃな」


 師のことだから、おそらく加減はしていまい。

 なのに無傷ということは、やはり魔導結界による減衰は古代魔法に対しても有効ということなのだろう。


 その辺に関することをもっとしっかり教えておくべきだったかと思うが、悔やんだところで遅い。

 それでも師ならばドラゴン相手でも遅れを取ることはないとは思うが、今の師は六歳の幼女で、まだ自分がどんな魔法を使えるのかということは把握しきれていないはずだ。

 師は本体ではないとはいえ、ドラゴンの攻撃は魂にも届き得る。


 ならば、万が一ということも――


『――小さきモノよ』


「っ……!?」


 不意に、頭に声が響いた。

 重く低い声であり、聞いた事がないものではあるが、一体誰が……いや、何が発したものであるのかということは、すぐに分かった。


 目の前の、ドラゴンだ。

 その瞳には僅かな苛立ちのようなものがあるものの、それを隠すようにして師へと向けている。


「ふむ……それは儂のことかの?」


『――そうだ』


 師とドラゴンが会話をしているということに、オリヴィアは少なくない衝撃を受けていた。


 ドラゴンが人と会話を出来るということは、それほど驚くほどのことではない。

 ドラゴンは人類以上の知能を持つとまで言われているのだ。

 会話を交わせたところで、不思議はない。


 だがそれにもかかわらずオリヴィアが驚いたのは、少なくともオリヴィアの知る限りで、ドラゴンと人とが会話を交わしたということはなかったはずだからだ。

 驚愕するには十分なことで……しかし、まるで驚いている様子が見えないあたり、さすがは師といったところか。


 いや、あるいは師ならば、以前ドラゴンと話したこともあるのかもしれない。

 そんなことを思いながら、呆然と驚愕の間のような心境で、オリヴィアは師とドラゴンの様子を眺める。


「して、儂がどうしたのじゃ? いや……何用じゃ、と言うべきかの。用がなければわざわざ話しかけぬじゃろうしの」


『……確かに、我は貴様に用がある。だが、難しい話ではない』


「ふむ?」


『――邪魔をするな、というだけだ』


「……ほぅ?」


 低く、淡々とした言葉。

 だが、重圧すら感じるようなその様子に、師はただ首を傾げるだけだ。


 まるで何も感じていないとでも言いたげであり……実際、その通りなのだろう。

 師からすれば、ドラゴン程度が一体何を言っているのか、といったところだろうからだ。


 しかしドラゴンは師の様子が気に入らないようで、目を細めながらグルルと低く唸った。


『……なるほど、中々の胆力の持ち主のようだな。だが、貴様の攻撃が我に通用しない、ということは理解出来たはずだ』


「ふむ……儂が攻撃を仕掛けたということは理解しているというのに、儂のことはどうでもよさそうじゃの?」


『……その通りだ。我は誇り高きドラゴンの末裔。小さきモノがじゃれ付いてきたところで、怒る理由などはない。――だが。ソレは別だ』


 言って、目を向けられた瞬間、反射的にオリヴィアは身がすくんだ。


 これでも千年以上生きたエルフだ。

 誰かから憎しみのこもった目で向けられことには慣れている。


 だが、ドラゴンから向けられたものは、そんなものではなかった。

 子供が殺されたからか、と思ったものの、すぐに違うということを理解する。


 その瞳の中にあったのは、その程度のことでは済まない、長い時間をかけて煮詰められたかのような憎悪だ。


『ソレだけは……ソレらだけは許さん』


「ふーむ、死んでも殺す、とでも言わんばかりの憎しみじゃのぅ。かといって、子供が殺されたから、というわけでもなさそうなのじゃ。もしもそうなら、儂のことをどうでもいいとは言わんじゃろうし」


『……何? まさか貴様が、我が息子を……? ……そうか。だがそれでも、我の言葉は変わらぬ。息子の敵は、いずれ取る。だが今はそれよりも――一族の敵の方が先よ……!』


「……っ」


 一族に、敵。

 そして何よりもこの、千年もの間恨み続けたかのような憎悪。


 言われ、初めて気付いた。

 何故自分のことを嬲っていたのか、ということにも理解が及び――


「……そう、貴方、千年前の」


『そうだ……ようやく気付いたか。我は、貴様らに滅ぼされた生き残りよ……!』


 確かに、自分達は今から千年ほど前に、ドラゴンを絶滅寸前にまで追い込んでいる。

 それはほぼ皆殺しと変わらない状況で、生き残っていたドラゴンの数は両手の指で足りる程度しかいなかった。


 ドラゴンだという時点で、そこにまで思い至って当然だったのかもしれない。

 だが、正直なところ、あのことを恨まれているとは微塵も思っていなかったのだ。


「ふむ……随分な逆恨みなのじゃな」


『……なに? どういう意味だ、小さきモノよ。貴様が我が憎しみの先にいないとしても、我らを侮辱するというのならば、許しはせんぞ……!?』


「別に侮辱ではなく、ただの事実なのじゃが。確かに儂らは千年前ドラゴンを絶滅寸前にまで追い込んだのじゃが、あれは自業自得じゃろう? ドラゴン共が余計なことを企てようとしたりしなければ、さすがの儂らもそこまでやらんかったじゃろうしの」


 師の言葉は、事実である。


 千年前にドラゴン達が何を考えていたのかは分からない。

 しかし事実として存在しているのは一つだけ。

 ドラゴン達が、人類へと宣戦布告をしてきたということのみだ。

 人類以上の知能と、永遠とも言われるほどの寿命を持つドラゴンこそが、世界の支配者となるに相応しい、などと言って。


 もっとも、素材云々の話も、あれはあれで本当ではある。

 魔導士は基本的に善人ではないし、大半が倫理観などは吹き飛んでいた。

 でなければ魔導士などというものをやってはおらず、だからこそ、そんな魔導士達を動かすには相応の理由が必要だったのである。

 その結果が、ドラゴンの素材剥ぎ取り放題というものだったのだ。


 今考えても正直色々な意味で酷いし、正直ドラゴン達に多少の同情もする。

 自分達の自業自得とはいえ、恨む権利もあると言えばあるのだろう。


 結局それは、逆恨み以外の何物でもなくとも、だ。


「ま、とはいえ、確かに恨む権利はあるのじゃな。じゃが、たとえそうだとしても、恨む相手がオリヴィアというのは、見当違いというものじゃろう? というか、そういうことならば、尚のこと儂の方にこそ用事があるはずじゃろうに」


『……貴様、何を言って――』


 訝しげに目を細めたドラゴンが、その瞬間目を見開いた。

 まるで何かに今気付いたと言わんばかりであり……一瞬で、その瞳に憎悪が宿る。


『っ、そうか、貴様……貴様の、その魂は……!』


 その叫びに、オリヴィアはふと思い出した。

 ドラゴンは、相手の魂を見る事が出来るのだという。


 そのことが本当で、このドラゴンがあの時あの場にいたというのならば……なるほど確かに、師の魂を見てそんな反応をするのも当然のことであった。

 師こそはあの時最もドラゴンを多く狩った人物であり、実に八割以上ものドラゴンを葬ったのだから。


 ドラゴンにとっての敵だと言うのならば、間違いなく師こそが最大の敵だ。


「ようやく気付いたようじゃな。しかしということは、本当にあの時見逃したうちの一匹じゃったのか。ふむ……しかしということは、あの時儂が言ったことも覚えておろうの? ――恨むならば精々恨め、しかし挑んでくるのならば、後悔することになるじゃろう、と、儂はそう言ったはずじゃが?」


『知ったことか……! 貴様らは根絶やしにすると、そう決めたのだ……! 特に魔王、貴様だけは絶対にな……!』


「ふむ……魔王? それはまた初めて呼ばれる名じゃな?」


 そう言って首を傾げつつも、師は特に気にしていないようであった。


 まあ、それはそうだろう。

 千年前には賢者などと呼ばれてもいた師ではあるが、実際には悪名の方が圧倒的に多い。


 呼び名程度を気にするのならば、もっと前から普段の生活を改めていたという話である。


「ま、色々呼ばれていたのじゃから、今更呼び名が一つ増えた程度なんてことないじゃろう。それに……そう呼ばれる程度のことをやってきたという自覚は、これでもあるのじゃからな」


『ならば、死ぬがいい……! 我が同胞達の苦しみを、その身に受けながら……!』


「だが断るのじゃ。自覚はあったとしても、後悔はしていないのじゃからな。というか……後悔などしてしまえば、それこそ全てに対する侮辱じゃろうよ」


『ほざけ……!』


 叫んだ瞬間、ドラゴンの姿が掻き消えた。


 師へと飛びかかった、ということが分かったのは状況証拠からで、警告を発するには遅すぎる。

 だがそれでも何かを言わずにはいられず……後方の木々が轟音と共に弾け飛んだのは、その直後のことであった。


 ただし、後方は後方でも、ドラゴンの後方の木々が、だが。


「……え?」


「ふーむ……本当に頑丈じゃの。というか……どうも魔法の威力が減衰しているみたいじゃの。千年前ならば、これで十分じゃったのじゃが」


『――言ったはずだ、貴様の攻撃は我には通用せぬ、と……! 千年前とは何もかもが違うのだ! 今後こそは、貴様が――』


 師が難なくドラゴンのことを吹き飛ばした、ということを一瞬遅れてオリヴィアが理解したのと、パチンという音が耳に届いたのはほぼ同時であった。


 それは師が指を鳴らした音であり、そこから一瞬の間も置かず、ドラゴンの右肩がごっそりと抉れた。


『――なっ!? ば、馬鹿な……!? 貴様、一体何を……!?』


「原理は不明じゃが、魔法の威力が減衰してしまうというのならば、減衰しない攻撃をすればいいだけじゃ。空間を削り取ってしまえば、減衰も何もないのじゃからの」


『空間を、だと……? 馬鹿な、今の世界でそのようなことが人間に出来るはずが……!』


「そんなことを言われても、出来るのじゃから仕方ないじゃろう? ほれ」


 そう言って、師が再度指を鳴らす。


 今度は左の羽の大半が削られ、たまらずドラゴンが苦悶の悲鳴を上げた。


『グ、グギャァァァアアアアアア!!!??』


「むぅ……まあそんなことを言いながらも、実はあまり狙い通りに行っていないのじゃがな。位置は合っているのじゃが、どうにも規模にばらつきがあるの。しかし邪魔をされているような感覚はないのじゃし、単純に儂がこの身体での魔法の運用になれていない、というだけのようじゃな」


 そんなことを言いながら、師は次々と指を鳴らしていく。

 その度にドラゴンの身体の一部が抉れ、削られていく様に、オリヴィアは正直背筋が寒くなる思いがした。


 残酷なその行為に、ではない。

 転生したところで、師の強さは何一つ変わっていなかったということに、だ。

 凄まじいまでの魔法による蹂躙は、千年前に目にした光景そのままである。


 千年前の自分がこの域に到達出来ていなかったことは、分かりきっていることだ。

 古代魔法が使えなくなってしまった今の自分が、この域に到達することが最早叶わないということも同様に。


 だが、果たして……あのまま千年の間古代魔法の研究を続ける事が出来たとして、この域に辿り着く事が……あの人に手を届かせる事が出来ただろうか。

 そんなことを思いながら、オリヴィアは圧倒的な才能が繰り広げる光景を、ただ見ていることしか出来ない。


 そしてそれは、ドラゴンもある意味では同じであった。

 苦悶の声を上げながらも何とかしようとしているようだが、全ては無意味だ。

 その場から移動しようとすれば、師の魔法で強引にその場へと戻されるか、もしくは移動先を読まれ、そこで身体の一部を削られる。


 師の指を鳴らすという行為を元にかわそうともしているようだが、それもまた意味はない。

 何故ならば、そもそもその行動自体に意味がないからだ。


 古代魔法を放つ際に必要なのは術式と詠唱であり、身振り手振りを加えたところで何らかの意味が発生する事はない。

 詠唱は熟練の魔導士ならば省略することも可能だが、身振り手振りがその代わりとなることもやはりなく……要するに、あれは相手を惑わすためのブラフなのだ。

 師は相手の動きを見て、あるいは予測して魔法を放っているだけなので、あの動作に反応するのは、その時点で罠に嵌ってしまっているということなのである。


 師が魔法を放つたびに、あれほど勝ち目などないと思っていたドラゴンの命が、呆気ないぐらい簡単に、少しずつ失われていく。

 鱗も魔力障壁も、何一つ無意味とばかりに削られ抉られる。


 しかし、そうして一方的にやられるばかりだったドラゴンの動きが、次の瞬間に変わった。

 逃げるのを止めたかと思えば、その場にどっしりと身構えたのだ。


 諦めたという雰囲気では、明らかにない。

 全身から血を流しながら、変わらぬ憎悪に濁った瞳を、師へと向けてきている。


 その口が大きく開かれたのは、その直後のことであった。

 口内の奥から僅かに覗く、揺らめく炎。


「っ……まさか、ブレス……!?」


「ふむ……基本的に一発逆転狙いは悪手だと相場が決まっているのじゃぞ?」


 言いながら師は指を鳴らし……感心したように僅かに眉を持ち上げた。


 右肩が完全に削られ、右前足がボトリと地面に落ちても、ドラゴンがブレスの構えを解くことはなかったのだ。

 にやりと、勝ち誇ったかのようにドラゴンが口角を持ち上げたかのように見えたのは、果たして気のせいか。


 少しずつ口内から炎が溢れ始め、ブレスの準備が整い始めているというのが分かる。

 だがそれを阻止するでもなく、師は指を鳴らし少しずつドラゴンの身体を削っていくという行為を変える気配はない。


 それを何故と思い、ふと気付いた。

 もしや、師は邪魔をしないのではなく、出来ないのではないか、と。


 先ほど自分で言っていたではないか。

 魔法の運用に慣れてはいない、と。


 魔導士にとって、魔法と暴発というのは切っても切れない関係にある。

 どれだけ熟練の魔導士でも、少しでも気を抜いてしまえば簡単に魔法は暴発し、自分諸共周囲を消し飛ばす。


 慣れていても、それなのだ。

 ならば、慣れていない師は、余計に気を配らなければならないはずである。

 今の師では、ああして少しずつドラゴンの身体を削っていくしかないとなれば……ドラゴンがそのことにいち早く気付いたから、ブレスの準備を始めたのだとすれば。

 非常にまずいのは、言うまでもないことであった。


 しかし、そのことが分かったからといって、オリヴィアに一体何が出来るというのか。

 悩み、迷い……ドラゴンの口内が、炎で満ちた。


 絶望で心が染まり――


『我が最高の一撃を以て、消え去るがいい、魔王……!』


 ドラゴンの口内から、赤色のブレスが放たれた。

 魔導士でも片手間に防げるようなものではないと、一目で分かるほどのものであり……その赤色が、師へと届く。

 どうすることも出来ずに、オリヴィアはその光景を眺めることしか出来ず……そして。


 次の瞬間、師はそのブレスを、片手で弾き飛ばした。


 軌道をずらされたブレスが上空を進み、そのまま消えていく。

 思わず、呆然とした声が漏れた。


「……は?」


「ふむ……出来そうな気がしたからやってみたのじゃが、普通に出来たのじゃな。やはりと言うべきか、どうやら今生の肉体が宿す魔力は前世のそれとは比べ物にならぬようじゃの」


 そんな風にどことなく嬉しそうな呟き師の姿に、オリヴィアの顔が次第に呆れへと変わっていく。

 ドラゴンのブレスとは、オリヴィアの記憶違いでなければ、確か魔導士ですら全力で結界を張らなければ防げないような代物だったはずだ。


 それを片手で弾き飛ばすとか……どうやら、今生の師はさらに出鱈目っぷりに磨きがかかっているらしい。


「……まあそれでも、出来る気がしたからやってみたって何よそれって感じなんだけど……それに関しては、相変わらずって感じかしらね」


『っ……まさかブレスまでこうも容易く……化け物めが……!』


「よく言われる言葉じゃな」


 そう言って師は肩をすくめ……指を鳴らそうとした瞬間、おやと首をかしげた。

 ドラゴンの身体が、宙に浮いていたからだ。


『口惜しい……口惜しいが、ここで滅びては何の意味もない。だが忘れるな、魔王……!』


 どうやらブレスの準備をしながら、羽の再生も行っていたらしい。

 ドラゴンの治癒能力は高いと聞いていたが、師も虚を突かれたのか、きょとんとしており、その間にドラゴンの身体が一気に飛び上がる。


 羽を羽ばたかせ、そのまま上空へと――


『その首、必ずや我が――ごっ!?』


 向かおうとした瞬間、まるで見えない壁にぶつかったかのように跳ね返り、そのまま地面へと墜落した。

 轟音と共に地面へと叩きつけられ、ドラゴンの口から苦悶の声が漏れる。


『ぐっ……馬鹿な、何が……!?』


「何がも何も……貴様が言ったのじゃろう? ――儂は魔王じゃぞ? 何故逃げられると思ったのじゃ?」


 どうやら、虚を突かれたは虚を突かれたでも、何故そんな無意味なことをするのか分からない、というものだったようだ。

 おそらくは予め結界でも張ってあったのだろう。

 随分と用意周到ではあるが、師らしくもあった。


「さて、では大体の感覚は掴めてきたのじゃし、そろそろ終わりとするかの。これ以上時間をかけていては誰かが馬車に戻ってきてしまうかもしれぬのじゃし、そうなれば儂が暇なあまり居眠りをしているとでも思われかねんからの」


 まるで冗談を言っているようだが、割と本気だったりすることもあるので、師は恐ろしい。

 かと思えば冗談だったりもするので、やはり師は恐ろしい。


 まあ、結論を言ってしまえば……ああ、これが師だったなと、今更のように……あるいは、ようやく、本当に師が戻ってきたのだと心の底から実感出来たということであり――


「――では、さらばなのじゃ」


 指を鳴らした瞬間、ドラゴンの頭上に巨大な火球が出現した。

 それはドラゴンの全長と同じ程度の大きさがあり……いつの間にかドラゴンの身体には、光の紐のようなものが巻き付いている。


 拘束魔法。

 まったく、本当に用意周到だと、呆れとも感心ともつかない感想を抱いているうちに、火球が落下し始める。


 ドラゴンに逃げる術は、存在しない。


『っ、ぐっ……おのれ魔王……混沌の支配者が……! 確かに、我はここで滅びる。だが、行き着く先は貴様とて同じだ……! 貴様はいつか必ず滅びる……滅ぼす……! 我らの意思を継ぐモノの手によってな……!』


 そんな叫びを残しながら、ドラゴンは炎の向こう側に消えて行った。

 断末魔の叫びすら、豪炎が掻き消す。


 その炎を眺めながら、師がぽつりと零した。


「ふむ……また一つ呼ばれた名が増えたのじゃな」


「……もっと他に気にすることあると思うけれど? なにか不吉なこと言っていたじゃないの」


「と言われてもじゃな、千年前はよくあることじゃったしの。いちいち気にしてなどいられんのじゃ。それに、そんなことよりも儂にはやらねばならぬことがあるわけじゃしの」


「……一応聞いておくけれど、それって?」


「――無論、現代魔法の研究なのじゃ!」


 良い笑顔で言い切った師に溜息を吐き出し、それから、苦笑を浮かべる。


 師が再び全力で動き出すというのならば、間違いなく自分も巻き込まれるに違いない。

 どうやらこれから忙しくなりそうだと、今更追いついてきた実感と共に、オリヴィアはそんなことを思い、息を一つ吐き出すのであった。

 次で幼女編は終わりの予定です。

 やることはほぼ終わったので、残るは後始末のようなものだけですが。

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