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第二十三話 苛立ちと衝動



 『終わったら連絡ください。今は庭園にいます』



HRが終わるや否や、瑠依は楓から届いていたメッセージを確認し、学生鞄に荷物をまとめて素早く教室を出ようとした。


しかし、そこで一人の女子生徒が瑠依の行く手を遮った。今学期同じクラスになったばかりの、確か内藤という女子生徒だ、と瑠依は彼女の顔を見て思い出した。



「あの、」



 その女子生徒は俯きながら、恐る恐ると言ったように瑠依に話しかけてきた。

 大人しそうな雰囲気の彼女の後ろに、二人の女子生徒を認め、瑠依はああまたか、と思った。この一年間、これと似たような隊形を何度も見てきた。

 そして、目の前の女子生徒の赤く色づいた頬が何よりの証拠だった。


 また自分は、そういう対象として見られるのか。

 

 正直言って、もう勘弁してほしかった。人の好意が嫌なわけではないが、それでも自分の答えは変わらない。それでも、寄ってくる相手は増える一方で。そして、その一部は楓にまで危害を加え始めるのだ。


 そう思いながら、瑠依は自分の中に苛立ちが湧いて出てくるのを感じた。



「瑞谷君、この後何か用事ありますか?」



「あるけど、どうして?」



 瑠依はあくまで否定しつつ、彼女の出方を見た。彼女には悪いけれど、気を持たせる気はさらさらない。



「あ、あるならいいんです。また、今度で」



「そう。それじゃあ」



 瑠依はそっけなく言うと、躊躇いもなく彼女とその友人の脇を通って教室を出た。

 出口の境界線を跨ぐ直前、その女子生徒が何かを言う声が聞こえたが、内容までは分からなかった。




 廊下に出た後、瑠依の頭の中には、庭園に行くという考えしか存在しなくなった。今日のHRは、春休みに受けた模試結果が返されたこともあって長引いた。それは楓のクラスも同じだっただろうが、彼女からのメッセージが来ていたのは15分ほど前で。待っているだろう彼女のもとへ急ぐ。


 庭園へと続く廊下を出ると踏板が敷いてあり、その板の丁度真ん中あたりの、庭園の敷地へと降りたところに人影が見えた。

 そして、その人に近づいていくにつれ、瑠依は思わず顔を顰めていた。


 その人影は遠山とか言ったか。昨日会ったばかりの保健医だった。彼は庭園のほうを向いて腕を組み、何かを眺めているようだった。


 瑠依は昨日の出来事を思い出す。楓が一瞬でも見せたあの表情と、何よりも人を揶揄うような彼の態度。たった一日だけで、瑠依にとって遠山という教師は、警戒すべき人物として認識され、楓に近づけさせるべき相手ではないと把握していた。


 そして、瑠依がもう少し近づいて彼の視線の先を見やると、案の定そこには楓の姿があった。


 

 この教師、本当に好かない。



 瑠依は嫌悪感をあらわにしながら、彼の存在を無視し、庭園の中へ足を踏み入れる。



「今は行かないほうが良いんじゃないかな?」



 彼のほうから声が掛かり、瑠依は荒々しく振り返った。



「なんでですか」



 遠山は瑠依のぶっきらぼうな態度に笑い含んだ。黒縁眼鏡の奥で目尻が下がり、くつくつと笑いを堪えているようだった。

 年下だからと舐めているのだろうか。


 瑠依の彼を見る目が更に尖る。


 そんな瑠依を放っておいて、遠山は楓のほうへと顎をしゃくった。



「今は楽しんでるみたいだから」



 その言葉に、瑠依は楓のほうに目を向けた。

 見ると、その場にいたのは楓1人だけではなかった。そこには長い黒髪の女子生徒が隣に立っていて、楓と談笑している。楓はじょうろを持ち、黒髪の女子生徒はホースをもって、お互い草花に水をやりながら、何やら楽し気に寄り添って話しをしているようだった。



「あの中に入っていくというなら僕は止めないけど」



 面白いものを見るかのように、遠山はふふふと笑いながら瑠依を一瞥した。


 確かに、あの中に割って入って話を中断させるのは、瑠依でも気が引ける。

 何より、楓があんなにも楽し気に笑っている姿を、瑠依は久々に見た気がしたから、余計入っていく気は失せた。


 しかしなぜか、瑠依は今朝美園に感じたような物足りなさをこの時も感じたのだ。 

 

 瑠依は、自分の中に湧き上がる感情を、自覚する直前で止めていた。考えることを放棄していた。


 この感情に言葉をつけてしまったら、形あるものとして自覚してしまったら。


 それは自分が自ら誓ったものに対する、そして楓に対する裏切り行為になってしまうような気がするから。

 

 瑠依は瞼を閉じ、こみあげてくる衝動に蓋をしようと試みる。



「大丈夫かな?」



 その思いの渦から引っ張り出してくれたのは、皮肉なことに自分が敬遠している遠山だった。

 瑠依は肩口に振り返りながら、その面を睨み付ける。



「……あんたに心配される云われはない」



「大丈夫そうだ」



 吐き捨てた言葉にそう呟かれて、本当に気に食わない奴だと、瑠依は改めて認識し直した。



「瑠依!」



 自分たちの話声が聞こえていたのか、楓が瑠依の存在に気付いて近寄ってきた。黒髪の少女も、ホースを仕舞って近づいてくる。



「授業もう終わったの?」



 そう尋ねながら近づいてくる楓に、瑠依はああ、と言おうとした。


 しかし、楓の姿を間近で見やると、瑠依は急にばっと顔をそむけた。



 おいおい。



 瑠依はため息をつきたくなるのを堪え、すぐさま自分の学ランを脱ぐと、楓の肩にかけて胸元の留め金を止めた。



「楓、何してたんだ」



「え、花に水やり」



「自分の格好ちゃんと見たか」



「え、どうして……」



 楓が不思議そうに尋ねながら自分の服に目をやると、途中で言葉が止まった。


 何があってそうなったのかは知らないが、楓のセーラー服はあちこち濡れており、その布地が肌に張り付いていた。

 肩のラインや腰の凹凸までくっきりと描かれた姿は、あまりにも扇情的で。

 そして、胸元に透けて見える水色の下着。



 楓は自分の格好に気づき、すぐさま瑠依の学ランを手繰り寄せて自分の服を隠した。



「……っ」



 声にならない悲鳴を上げ、楓が顔を赤く染めながら自分の胸元を必死に隠そうとする様に、瑠依はようやくため息を吐いた。


 そうしながら、さっきの女子生徒には全く感じなかった衝動が何故か湧き上がってきて、胸の内をくすぐる。



 黒髪の少女も傍へとやってきて、既に楓と同じ状態になっていた。

 女子高生二人が無防備すぎるにもほどがある。遠目から見れば分からなかったが、いったい何人の生徒がこの場所を通っていったのか。

 そう考えると、靄のようなものが瑠依の胸中に立ち込めてきた。


 一体何をやっていたらこんなことになるのだろう、と追及したい思いに駆らるが。



「先生!いらっしゃったんですか」



 黒髪の少女が遠山のほうへと近寄り、親し気に話しかけた。

 遠山もにこりと笑いながら、白衣の中からタオルケットを取り出して彼女に手渡した。



「これ使って。藤森さんも」



 その姿を見て、瑠依はありがたさを通りこして呆れた。

 彼は最初から二人がこういう状態になっていたことを気づいていたのだろう。そうでなければ二人分のタオルなど用意しているはずがない。

 知りながら今まで何もしていなかった大の大人を、瑠依は睨み付けた。遠山はそんな視線も気に留めず、にこにこと笑っている。


 楓に差し出されたタオルを彼から奪うようにして受け取ると、瑠依は楓の体を覆っている自分の学ランの留め具を外そうと手を掛けた。



「る、瑠依。自分でできるから……」



 その言葉に、瑠依はああ、と踏みとどまって楓にタオルを渡した。

 それでも、楓は未だに学ランで胸元を隠し、赤くなった顔を俯かせている。

 濡れた髪から、雫が滴り落ちて、彼女の頬を濡らす。


 その様子に、瑠依は言いようのないものを感じた。



「あなたは楓のボーイフレンドですか?」



 黒髪の少女がこちらへとやってきて、ほがらかに話しかけてきた。

 その後ろで、堪え切れなかったのか遠山が吹き出した。



 楓は奏に向き直り、瑠依を掌で示して紹介する。



「えっと、奏。彼は私の幼なじみなんです」



「……幼なじみ?」



 聴かない日本語なのだろうか。彼女は理解できないといったように首を傾げた。


 分かりやすい日本語で言ったら、なんという単語を使えばいいのだろうと、楓は思案した。


 友人とも違うような気がして。この関係は、何と言ったらよいのだろう……



「家族、みたいなものですよ」



 瑠依が先んじて答えた。

 その言葉に、楓は目を丸くして瑠依を見た。


 瑠依は微笑みながら黒髪の少女を見ていて、こちらには目もくれない。



「あなたは楓の家族、ですか。いいですね。家族は大切です。楓を大切にしてくれる人がいて、うれしいです」



 奏は瑠依の返答に満足したのか、白い歯を見せてにっこりとした笑顔を浮かべた。天真爛漫な彼女の笑顔に、今楓は頷くしかなかった。



 家族。

 瑠依と私が。



「奏さん、保健室でジャージ貸しますよ。そのままだと風邪をひきます」



「いいんですか?ありがとうございます」



 遠山が奏に声を掛け、奏は長く艶のある黒髪を揺らしながら遠山のほうへ戻っていく。



「藤森さんも、帰るなら身体拭いてからにしてくださいね」



「はい」



 遠山にそう言われ、楓は頷いた。このタオルも返さなければならない。


 しかしそういったことよりも、楓の頭の中では、先程瑠依が言った「家族」、という言葉が反芻されていた。



 二人の異質な空気を感じ取ったのか、遠山は奏の黒髪をタオルでわしわしと撫でつけながら、ゆったりと告げる。

 


「みんな保健室に行きましょうか」




続きます!

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