7.ガイ・フォークス・ナイトの後に
「観念するのはお前だ、グイード・ウィッカーマン!」
ドロッセルは叫び返し、マギグラフを嵌めた左手を伸ばす。
銀符は使わない。自分と繋がっているはずのノエルとの回路に意識を集中させる。
しかし、見つからない。
「くそっ、どこだ……!」
ドロッセルは歯を食い縛り、回路を探す。
それはオートマタとレプリカの違いか。ぼやけた感覚だけが左手に伝わってくる。
「はっはぁ、威勢だけは十分だな!」
グイードが笑い、炎を噴き出しながら地を蹴った。
燃える髑髏面を見据え、ノエルが立ち上がった。その掌に傷口が開き、滴り落ちた血が双剣を成す。腹部に開かれた傷は、どうにか癒えていた。
「いい加減、諦めな! 欠陥品に何が出来る!」
グイードの哄笑が間近に迫ったその瞬間――ドロッセルは、見付けた。
マギグラフのクォーツに禍々しい獣の紋章が浮かび上がる。
同時にノエルとの間に繋がった回路が、光の糸として可視化される。ドロッセルは自分とノエルの左手薬指に繋がるそれを見て、感じ取った。
「見つけた――!」
オートマタと供給の手順が同じかはわからない。
しかし考える時間はもう残されていない。
発見した幽かな回路に、ドロッセルはありったけの霊気を注ぎ込む。
ノエルが目を見開く。その瞳が、青く光った。
爆炎――一閃。
硝子が砕け散る音が、爆音を掻き消す。炎が透明な破片と化し、雨霰の如く床に降り注いだ。
「なっ――」グイードが呆けた声を零した。
さらけ出された髑髏面。その喉元に、ノエルの刃がひたりと突きつけられていた。
先の一瞬――ノエルは突き出された炎の拳を、半歩横に移動することであっさり躱した。
そしてそのまま、グイードの腕を撫でるように刃を這わせたのだ。
【傷】の忌能を宿した刃は霊気の構成を破壊し、炎だけをあっさりと打ち消していた。
ノエルが、燐のように煌めく瞳を細める。
「――終わりです」
「……は、はは……終わりだって? つれないなぁ、騎士様」
グイードは乾いた声で笑い、そのまま素早く体をひるがえした。
高速で刃から逃れ、手をごうっと燃え上がらせる。
「まだ、おれの火は消えちゃいない……!」
床を踏み砕き、レプリカの膂力に遠心力を上乗せして――グイードは炎の腕を薙ぎ払う。
ノエルが動く。鬼火の如く光るその瞳が、青い残光を引く。
銀の閃光が走った。
それは炎を纏ったグイードの右腕を叩き斬り、さらにその胸部へと斬撃を刻み込んだ。
びしびしと嫌な音を立てて、グイードの体に赤黒い亀裂が開いた。
「ぐっ、ああッ――!」
悲鳴とともにグイードが地面に崩れ落ちた。
ちょうど疑似経絡に沿うように走った亀裂から、猛火が噴き出した。
霊機骨格の狭間から火花が飛び散り、爆音が小刻みに響く。
切れた管から霊媒血液が零れ落ち、焼け焦げた床を赤く濡らしていった。
霊気の循環を担う疑似経絡に損傷を受けた結果、霊気の制御ができなくなっているのだ。
ドロッセルは呆然と、その光景を見つめる。
たった――二撃。
それだけで、ノエルはグイード・ウィッカーマンを無力化した。
ノエルはしばらく冷やかにグイードを見下ろしていたが、やがて深く息を吐いた。その手が緩く持ち上がり、先ほど傷ついた腹部を押さえる。
「ノエル! 大丈夫か……っ」
ドロッセルはノエルへ駆け寄ろうとする。
しかし、急に強い目眩に襲われた。ふらつく体を、ノエルが片手で支える。
「……私よりもお嬢様です。やはり、霊気の供給が相当の負担に――」
「違う。私も、今日は大きな術を使いすぎた」
体は重い。頭も痛む。あちこちに負った火傷がひりひりと、左腕に開いた傷は鋭く痛む。
それでも、ドロッセルはなんとかノエルに微笑んだ。
「私は大丈夫だ、だから――」
「――ああ……ああ。ひどい、ひどいねぇ」
その声にドロッセルは息を飲み――彼女を支えたノエルもまた、青い瞳を見開く。
グイードがよろよろと立ち上がった。体のあちこちから黒煙を立たせ、火花を散らしながらも立つその姿に、ドロッセルは口元を覆った。
「その状態でまだ喋れるのか!」
「喋るのがやっとさ。こりゃあひどい、炎がまるで言うことを聞かない。人造霊魂に食らったわけでもない、疑似経絡の一部が【傷】で破損しただけ。それでこのザマ――っと」
爆音とともに、その肩の辺りから炎が噴き出す。
グイードは大きくよろめき、それでもどうにか足に力を込めて倒れるのを堪えた。
「ああひどい、ひどいな……こりゃまるでロンドン塔にいた頃みたいだぜ。やっぱり、性に合わない仕事ってのは良くないなぁ」
髑髏面の顎をグイードはカタカタと鳴らす。どうやら、笑っているようだった。
ドロッセルを背後に庇い、ノエルが前に出る。
「はっはぁ……綺麗な顔してやる気満々じゃないか、騎士様よ」
掌に開いた傷から剣を生じさせる彼に対し、グイードは不遜に顎を上げた。かすかな音を立てて人造皮膚が再生し、その顔を覆っていった。
「だが、まだまだだ。おれで手こずるようじゃ、四番目は手に負えないぞ」
それは果たして、黙示録シリーズの四番目のことなのか。
眉をひそめるドロッセルを、再生したグイードの顔がまっすぐに見据える。
「そして嬢ちゃんよ、人形師ならもっと人形の使い方を考えな。――でなきゃ、旦那は止められない。このままだと、昔のラングレーよりもひどいことになるぜ」
まるで教え諭すような言葉だった。
思えば、グイードの言動は最初から奇妙だった。
初めて出会った時も、彼は異形に襲われた男を助ける必要などなかった。むしろ、混乱の隙を突いてドロッセルを攫う事ができたはず。それでもそうしなかったのは――。
「お前は、敵なのか?」
以前も投げかけた問いを再度ドロッセルは口にする。
グイードは答えない。代わりに、けたたましい爆音が響いた。
肩が一際大きく爆ぜ、その衝撃でグイードは再び地面へと崩れ落ちる。切断された右腕の管からだくだくと霊媒血液が流れ、床に広がっていった。
「グイード!」
思わずグイードへと近づこうとしたドロッセルを、ノエルが手で制する。
肉を焦がすような音がどこからか鳴り出した。それに混じって、小さな笑い声が響く。
「はっはぁ……やっぱり嬢ちゃんはベイビーだ」
心底おかしげなその声に、ドロッセルは金の瞳を見開く。
わずかに首を傾げて、グイードはじっとこちらを見つめてきた。
「おれは敵さ。そして悪人だよ。……残念ながら、ね」
グイードは笑っている。けれどもその笑顔は嘲笑でもなく、ましてや自嘲でもない。
そして、彼がよく浮かべていたあの疲れた笑みでもない。
「だからさ、そんなシケた面するなよ。嬢ちゃんはもっと喜ぶべきだ」
グイードはあっけらかんと笑って、左手をゆっくりと霊媒血液に浸した。
「――悪が焼かれる時、人は笑うもんだぜ」
瞬間、爆音とともに視界が赤く輝いた。まるで火を点けた油のように、グイードの指が触れた霊媒血液が音を立てて燃え上がる。
トム=ナインがギャアギャアと悲鳴を上げて、ドロッセルの肩へと逃れた。
「グイード!」
ノエルに抱え上げられながら、ドロッセルは叫ぶ。
しかしその叫びを嘲笑うように、炎が視界を覆い尽くした。
「…………しかし、今までで一番嫌な仕事だったよ。『子供を攫え』なんてさ」
そんな囁きが、聞こえた気がした。
熱と煙に焼かれていく世界の中で、ノエルがざっと辺りを見回す。
もはや四方は炎。運良く館から逃れたとしても、その周囲には岸辺さえ見えない湖――。
「お嬢様、鏡を。このままでは――」
「ああ――ああ、わかった! わかってる! 人間界に戻ろう……!」
怒り、悲しみ、同情、混乱。
様々な感情が一気に胸を掻き乱し、もはやわけがわからない。
ドロッセルは唇をきつく噛みながら、ポケットから鏡を取り出す。肩に乗ったトム=ナインが慰めるように、ざらついた舌で頬を舐めてきた。
目の前に青い光の波紋が広がる。
ドロッセルを抱え、ノエルはそこに飛び込んだ。視界が暗くなり、熱と煙が遠のいていく。
彼方で、父の館が焼け落ちる音が聞こえた。
◇ ◆ ◇
――左腕を強く掴まれたような気がした。
直後、断続的に走っていた青い光の波紋に揺らぎが生じる。そして暗闇が歪み――。
気づけば、ドロッセル達は見知らぬ墓地に立っていた。
「えっ……どこだ、ここ」
ノエルの腕の中から降り、ドロッセルは呆然と辺りを見回す。
ガス灯はなく、ただ月明かりだけが墓石を冷え冷えと照らしていた。すぐ近くにはイチイの木が立ち、怪物の如く枝を空へと伸ばしている。
「何故だ……どうしてこんなところに」
光の波紋を抜ければ、自室の姿見へと戻っているはずだった。
少なくともドロッセルは、そうなるように術を使った。
以前は慣れない水面を使ったせいで、店の上空に出てしまった。しかし、今回は使い慣れた鏡での移動だ。どれだけ気が動転しても、まず失敗するはずがない。
ドロッセルは左手を何度か閉じ開きして、表情を暗くする。
「まさか、私のせいで失敗したのかな? ともかく、ここがどこか調べないと――」
「――お待ちを」
ふらつきながらも歩こうとするドロッセルの肩を、ノエルが掴んだ。
「ノエル、どうした……?」
「――なにかいます」
押し殺した声でノエルは囁く。
その青い瞳は、いつにない鋭さを以て周囲を見ていた。
瞬間――蛇の威嚇にも似た奇妙な声が辺りに響き渡った。
同時に、ドロッセルは奇妙な霊気の揺らぎを感じた。例えるならば見えない波が、自分達めがけて襲いかかってくるような感覚。
これと似た霊気の揺らぎを、自分は確かにどこかで感じたことがある。
しかしドロッセルがそれを思い出す間もなく、突然ノエルががくりと膝をついた。
「ノエル?」
反応はない。
青い瞳は見開かれたまま、いつもよりも虚ろにドロッセルを映している。
その肩が、ぐらりと揺れた。
「なっ、ノエル、おい! しっかりしろ!」
ドロッセルは慌てて手を伸ばし、ノエルの体をとっさに支えた。
しかし細腕では到底支えきれず、ドロッセルはノエルともども墓土の上に倒れ込む。
肩に乗っていたトム=ナインが地面に投げ出された。いつもなら文句をつけてくるはずの猫が、硬直した状態でぴくりとも動かない。
「く、う……! 一体、何が――」
重さと痛みとに呻くドロッセルの耳に、ざくざくと土を踏む音が聞こえた。
視界の端に、二人の人間の足が映る。
「――やれやれ。欠陥品にずいぶん手こずったものだ」
聞き覚えのある声。ドロッセルは首をひねり、声の主を見上げようとした。
男と女――派手な緑のドレス、懐中時計のチェーン――そして、一瞬だけ銀縁眼鏡が見えた。
「さ、子供はもう寝る時間だ」
白手袋を嵌めた手が伸びてきて、ドロッセルの目を遮る。
途端、急激に意識が遠のいた。やがて、ドロッセルは何もわからなくなった。