千晴 双子出産
その二日後、隣町の産婦人科で調べて貰ったら三カ月目に入っていると分かった。間もなお腹が目立つようになるのは時間の問題だ。五日後に縁談の相手と会う事が決まっていたが、千春はもう家に居られない。また親にも妊娠しているなんて言えない。もし告白したらすぐ降ろせと言われる。その二日後、幸い親は親戚の家に用事で出掛けている。千春は自分の通帳と私物を出来るだけ持ち出し、親友の咲子に頼み車を手配して貰い、久里浜のフエリーターミナルまで来た。其処から東京湾を渡り千葉の富津に着いた。此処からさほど遠くない富山町に小さな温泉宿があり咲子の伯母さん夫婦が小さな旅館を経営しているらしい。咲子も一緒に来てくれて咲子の伯母さん夫婦を紹介してくれた。
「話は咲子から聞いたわ。酒蔵のお嬢さんだってね。いいの? お父さんお母さん心配しているわよ」
「はい分かっています。でももうどうにもならないんです。ですからこちらで働かせてください」
「まぁその辺の事情は咲子から聞いているわ。その身体で大変だろうけど働けるだけ働いて。でも大したお給金出せないわよ。それでいいなら」
「勿論です。置いて頂けるだけで感謝します。宜しくお願いします」
咲子が紹介してくれた伯母夫婦で営む宿の名は小端屋旅館、客室は七部屋ある。従業員は六十過ぎの板長と三十代の料理人の二人。運転手兼雑用係と他は仲居さん二人と経営者の女将、合わせて六人女将の旦那は勤め人らしい。主な客層は、温泉を楽しむ客より釣り人が多いらしい。
千春に与えられた部屋は旅館の離れにある倉庫を改造したものだ。此処には布団、座布団やお膳といった備品を納めてある。その一部を改装して五畳ほどの部屋が千春の部屋だ。
咲子は頑張ってねと言って帰って行った。千春は深く頭を下げてお礼を言った。親友とはいえ本当に世話になった。だが咲子にきつく言われた。勝手に家出したのだから、ほとぼりが冷めたら実家に連絡するようにと。分かってはいるが、まさか子供が出来たなんて言えない。一応置手紙は残してきたけど怒っているだろう。千春がしでかした出来事はあまりに大きい。
その頃、親戚の家から帰って来た両親は置手紙を読んで茫然としている。すると千春の母春子が。一徹に文句を言う。
「貴方が強引に事を進めるからよ。あの子だって子供じゃないのよ。有無を言わさず殴ったのは不味いわよ」
「……まさか家出するとは思っても見なかった。そうだ学校に連絡して見よう」
大学に電話を入れたが既に退学届けが出されていた。もはや何処に行ったか見当もつかない。母の春子はその場に泣き崩れた。だが父の一徹は心配を通り越して怒って。
「まったく親不孝者め。あのくらいで何が不満なのだ」
千春は翌日から旅館で働いた。これまでアルバイトはしたことあるが本格的に働くのは初めてだ。これから同僚であり先輩の仲居二人は、最初は親切に教えてくれたが、要領が悪い千春に次第に厳しく当たるようなった。しかし何を言われようと我慢して働かないと行く所がない。
千春は旅館の近くにある産婦人科を訪れたのは妊娠四カ月目に入った頃だった。
「奥さん、おめでとうございます。双子ですよ」
「えっ? 双子。確かに目出度いけど二人も育てる自信ないわ。どうしょう」
「大丈夫ですよ。夫婦で力を合わせれば」
「それが……結婚していないんです。だから一人では厳しくて」
「ほうそんな事情が、それならご両親に協力を仰ぐとか」
「それも勘当同然に出て来たので頼めません」
「なんとまた。それなら役場に行って相談した方がいい。後で看護婦さんから資料貰って役場に行きなさい。育児支援という制度があるから」
それから暫くして朝倉幸太郎は千春の子供が出来た事を知らずに別な女と婚約したらしい。それを親友の咲子から知らされたが千春は動揺もなく祝福もしなかった。もう人の事を心配している余裕もない。大きなお腹を抱えて頑張ってはいるが仕事が遅いとか要領が悪いと先輩の仲居に辛く当られる日々だが父親に似て強気な性格の千春は文句ひとつ言わず働いた。いくら怒鳴られても嫌な顔ひとつせず先輩の苛めに近い仕打ちに耐えた。
働き始めて三か月が過ぎお腹も大きくなった。これではお客さんの前には出られない。女将もちろん承知で雇った。こうなるとは分かっている。裏方として風呂場の掃除など出来る仕事はなんとかこなした。給料もみんなと同じに働けないから半額の月八千円となった。食事と部屋代は支払わなくよいのが助かる。この頃の大学卒の初任給は二万三千円。都バス初乗り二十円。蕎麦五十円カレーライス百二十円だ。千春は現金で三万、通帳には三十万あった。父はから貰った小遣いやお年玉をせっせっと貯めていたのが今では助かる。大学に通いながら三十万もあるなんて親には感謝しなくてはならない。これでお産の費用はなんとかなるし何か合った時の為に出来るだけ使わないようにした。しかし子供が産まれてから大変だ。仕事を休んでいる間は無給。そして食事代と部屋代合わせて三千円支払わなければならない。お産してから一月後働く予定だが子供を見ながら働く事になる。それでも毎月お産前と同じく八千円貰える。
やがて千春は双子を産んだ。しかも男と女だ。祝福してくれたのは女将夫妻と咲子だけだったが自分が望んで産んだ子は可愛いい。別れた幸太郎には未練はないが、妊娠した時は迷わず産むと決めた。これが女の性と言うべきか母のなる本能がそうさせたのだろう。その娘に小春と息子は春樹と名付けた。だが双子の子育ては予想以上に大変だった。初めての母が二人を面倒見るのは並大抵ではない。産婦人科で聞いた育児支援を役場で相談した。生後三カ月目から預かってくれるという。ただではないが町の施設なので半額だ。千春は産休を三週間取って復帰した。その間、自費で赤ちゃんを世話する女将の知り合いのおばさんに預けて働いた。同僚で年配の仲居は相変わらずきつくあたったが負けて堪るかと必死に働いた。千春は母になって強くなった。母は強し、と言われるが千春も例外ではなくお嬢様育ちの千春も一皮むけた感じだ。
つづく