8.御荘の狙い
「どうした? 前金を寄越せよ、水野」
「駄目。今回は成功報酬でやってもらうよ」
当然の請求のはずがあっさり却下され、納得できないという顔をした御荘に、水野と呼ばれた女性は鼻で笑った。
「アンタ、失敗しただろう? その顔の傷、例の爆破に巻き込まれたって噂は本当だったわけだ」
裏の社会は広いが浅い。三崎の店を破壊した爆発事件が、御荘の手によるものだという噂は既に流れているらしい。だが、御荘本人にとっては不本意だ。
「失敗じゃない。誰かが、俺の爆弾の位置を移動させた。邪魔をしている奴がいる」
「無様ね。邪魔を許したのも立派な“失敗”さね。とにかく、アンタは今、業界でひどく評判を落とした。始末をつけてまともな成果を見せるまで、信用されないと思いな」
苦々しい表情で睨みつける御荘の視線を、水野は涼しい顔で受け止める。
「アタシから頼んでいたことだし、折角乗り気になっているところをこっちから断るつもりはないよ。でもね、今度何かミスをしたら二度とこの業界で生きていけないと思いな」
「わかりきったことを。だが、妙な噂を無責任に撒き散らす連中は許さないし、この状況を作った奴は、必ず見つけ出す」
「好きにしなよ。……相手の見当はついているのかい?」
「いや、まだだ。だが、ヒントを掴む伝手はある」
そう言って、箸を置いた御荘は目の前の紙袋を指差した。
「そいつは俺の真似事をやろうとしていて、俺のやることを妨害しようとしている。次に何か動きを見せれば、そいつも動くだろう」
「あんた……アタシからの依頼を囮に使うつもり?」
「安心しろ。しっかりと依頼は完遂する。それよりも『緑色の目をした男』に気を付けろよ? 前の依頼人はそいつにやられた」
「いよいよ、あんたに依頼したのを後悔し始めたのだけれど……まあ、いいわ。怪しいのは近づけないようにするさ」
空になったビールグラスを置き、水野はスーツの懐から茶封筒を取り出し、テーブルへと置いた。
それを受け取った御荘は、中身が数十枚の万札だと気付いて顔を上げた。
そこには、水野の笑みがある。
「ビール代と怪我の見舞金さ。あんたには世話になったし、これからも世話になる必要がありそうだからね」
「……感謝する。まあ、これを食べて行けよ。ここの海老マヨネーズは絶品だぞ?」
「知ってる。何度か聞いたから。それより、万が一にもそれを吸い込んだ時には、すぐに川にでも飛び込んで、胃の中も洗い流しなさい」
皮膚からも侵入して二時間もあれば死ぬから、と言い残して水野は立ち上がり、「任せた」と一言だけ付け足して店を出て行った。
ウーロン茶のグラスを掲げて見送った御荘は、一口だけお茶を啜って残りの食事を平らげると、勘定を済ませた。
「皮膚からの浸食で二時間……? とんでもないものを作りやがる」
店を出た御荘は周囲をさりげなく確認したが、見張られているような様子は無い。それでも、高い確率で動きは知られていると考えていた。
「追うなら好きにすればいい」
マンションも部屋の位置まで知られているかも知れないが、相手を“釣る”目的もあるのだから、特に対策はせずそのままにしておく。
あちらから近づいてくるならば逆に捕まえやすいと考えたのだ。
「さて、問題はこいつだな」
自宅へと到着した御荘は、爆弾製作のための作業室へとはいり、そっと紙袋の中身を取り出した。
デスクの中央に置かれたそれは、拳の半分ほどの大きさの、球形プラスティック容器に入っていた。なんとも不安を感じる簡単なパッケージだが、目的が爆破による散布である以上、変に頑丈な容器に入れられているよりは楽だとも言える。
「吸い込まずとも浴びるだけで死に至る毒薬か。随分とまあ、物騒なものを作ったな」
川に飛び込んで胃洗浄をしろなどという説明から考えると、この毒は水溶性で希釈されると効果が薄まるのだろう。
メジャーを使ってカプセルのサイズを計ったあと、エアキャップで丁寧に包み、デスクの引き出しへと保管する。
「さて、早速始めるとしようかね」
リストストラップと導電マットを使って静電気対策を取った御荘が最初に取り出したのは、俗にガンパウダーと呼ばれる無煙火薬だ。
ガンパウダーは弾丸の推進薬として利用されるものであり、衝撃などに強く安定度が高い。雷管で刺激して爆破するタイプの火薬だ。
毒薬への影響を考えると、直接炎に晒すのは憚られる。
そこで、短い簡易的な銃を作り、毒薬が入ったカプセルを叩き割ると同時に発射時に発生するガスを利用してまき散らすことにした。
極力熱を伝えないように弾頭を大型化して、徹甲弾のような鋭く硬い芯と、ダムダム弾のように芯の周囲がすり鉢状になった特殊な弾丸を作成する。
「銃身は短くて良いし、弾丸を飛ばすわけじゃないからライフリングもいらないな。銃身の先端にカプセルを取り付ければそれで良い」
明け方に完成した毒薬散布爆弾は三つある。
「……これで良い。準備はOKだな」
作業室を出て凝り固まった肩を解す様にぐるりと回してから、ダイニングテーブルに置いたままだったスマホを手に取る。
「……水野。早速だが決行の日時が決まった」
早いな、と眠そうな声の返事が聞こえて、御荘はにやりと笑う。
「気色の悪い奴に追い回されているんだ。急ぎたくもなるさ。じゃあ、終わってからまた連絡する」
電話を切った御荘は、まだスマホを手放さず、いくつかの操作を終えると、テーブルへと放った。
「腹が減ったが……眠い、な」
いつもなら多少の無理をしてでも何か作って食べるのだが、三種類もの爆弾を作った今回は、食欲よりも睡眠欲の方が勝利した。
☆
警察官としての仕事に疑問を持ったことがない、とは口が裂けても言えないが、坂江としては自分が間違っていると考えるのはより苦痛だと思っていた。
「彼女を問い詰めるのは、悪手だよなぁ……」
病院で三崎に面会した坂江は、彼女が何か隠しているとは気付きながらも、踏み込んだ質問はできなかった。
署に連絡し『被害者保護』の名目で警官を呼んで三崎を監視し、接触する人間がいれば逐一連絡を入れてもらう手配を行った。
そして病院から署へ戻ってすぐ、資料をまとめてチェックしなおしていたのだが、限界が来て応接セットのソファに横になったのが、四時間ほど前のこと。
白々と夜が明けた眩しさで目を覚まし、顔を洗う。
「放火殺人?」
「そうなんですよ。立て続けに酷い事件ばっかり」
シャツだけは着替えて戻って来た坂江に、署の女性警官が新たな事件の情報を持ってきてくれた。
昨夜、一軒家が炎上したことで消防が出動し、無事鎮火に成功したのだが、今朝になって現場検証を始めたところ、明らかな射殺体と刺殺体が発見されたという。
「刑事課の当直だった人が朝一から現地に行っていますけれど……」
「うぅむ」
寝起きの頭で聞かされた内容を咀嚼する。
爆破事件との関連性が薄いようにも思えるが、“射殺体”というワードが頭に残った。
「銃は回収したけれど、あの男が所持しているのが一丁だけじゃなかったとしたら……」
あるいは、病院で戦った男へ銃を供給している者との繋がりがあるかも知れない。
「行きます。何が見つかるかわからないけれど、見ておくべきだという気がする。現場の住所を教えてください」
そう言うと思っていた、と住所が書かれたメモと一緒に、婦警からラップで包まれたおにぎりを渡された。
「どうせ何も食べていないだろうと思って。昆布と鮭、大丈夫でした?」
助かります、と坂江は礼を言ってありがたく受け取り、鞄を抱えて車へと向かった。
署の前にある自動販売機で緑茶を買い、車の中でおにぎりを一口頬張ると、エンジンをスタートさせる。
「ああ、美味いなぁ」
塩加減が少し強めのおにぎりは、甘辛く炊かれた昆布とも相まって口の中が支配されたように感じるほど味が広がる。
冷めてほろほろとほぐれる米粒を緑茶で流し込むと、さっぱりとした緑茶の香りだけが残る。
何の変哲もないおにぎりだが、疲れていた胃に染みこむような味わいだった。
「発火装置?」
「多分、としか言えないけどね」
現地ではすでに鑑識と消防が共同で調査に当たっており、その中に爆破現場で顔を合わせた消防士もいた。
彼が言うには、玄関ドアに仕掛けられた発火装置が火元と思われるらしい。
「明らかに殺人だよ。こっちじゃなくて、そっちの範囲だね」
消防士は、同じ部屋に数名の死体が整然と並んでおり、焼け残っていたものから布団に寝かされていたものを推測されると話した。
「全員に刺された跡があったみたいだね。解剖をするだろうから、そっちで詳しく聞くと良いよ。それより、不気味なのはこっちだな」
刺殺体はすでに運び出されていたが、リビングの死体はまだ運び出す前だった。
黒く炭化した部屋の中にポツンと仰向けに倒れている死体は焼け焦げていたが、明らかに額を何かで穿たれている。
手袋をつけた坂江が、鑑識の許可を取って死体の頭部を抱えて確認すると、後頭部に額よりも大きく形が崩れた穴が開いているのを見つけた。
「確かに射殺体だな」
ほどなく、弾丸が発見されて45口径の弾丸で至近距離から射殺されたらしいとわかった。
その後、数分ほど経ったあたりで回収班が戻って来て死体はボディバッグへと納められ、解剖へと回されていく。
他の警官たちと共に、手を合わせて見送った坂江は、発火装置について詳しい情報を送ってもらうように依頼して、しばし鑑識と共に焼け跡を調べて回った。
その後も火災発生前後に近くで怪しい人物がいなかったかなどの聞き込みを行ったり、病院で死体の状態や身元を確認したりと忙しく動き回り、ようやく署に戻ってきたころには陽が傾きかける時間になっていた。
「そろそろ、帰るか……」
一度休んでから、と考えていた坂江だったが、その願いは脆くも崩れ去った。
「電話が来ていますよ、坂江さん」
そう呼ばれて目の前の受話器を取ると、随分前に聞いたことがあるような高圧的な口調で、命令が下された。
「捜査本部の設置、ですか」
爆破事件に対して警視庁から人員を出して本格的な捜査をすることが決定したので、明日の朝、捜査員たちが到着するまでにその準備をしておけという命令だった。
『今後は捜査員に任せ、君は他の捜査をやるといい。これまでご苦労だった』
ねぎらいの言葉ではあるが、戦力外通告でもある。所詮は全国にばらまいた“ボンタン刑事”の一人でしかない坂江にはこれ以上の専門捜査は無理だ、と本庁が改めて期待していないことを伝えて来たのだ。
「……わかりました」
他に答える言葉を持たなかった坂江は了承を伝えて電話を切ると、しばらく机の前で資料を睨みつけていた。
「こうしていても、仕方が無いか」
立ち上がって署の刑事課長に状況を伝えて捜査本部として使うため会議室を押さえてもらい、机やコンセントタップなどを用意してもらう。
大きな事件が起きたとき、地方の警察署に捜査本部が設置されるのは珍しいことではなく、電話やLAN配線などの通信設備は予め署に用意されている。
ただ人数が多いせいで準備を大わらわであり、坂江はもちろん、他の署員たちも手が空いているものは総出で準備に取り掛かる。
そして、『商店爆破事件捜査本部』の張り紙が設置され、受け入れ準備が終わったのは最早深夜0時を回った頃のことだった。
体力の限界を迎えた坂江は、家に帰るだけの精神力も無く、ソファでの二泊目と相成った。