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7.新たな依頼

「私を救急車まで運んでくれた男性……ですか」

 御荘が看護師を呼び、容体が安定したと判断された三崎は、一般病室へベッドの移動が完了した直後、坂江から質問を受けていた。

 警察と聞いて、先ほどの御荘との会話を思い出した三崎は、身体が強張る。

「あの人は単なるお客さんで、何にも知らないんですけれど……」


 三崎の言葉は震えていて、視線は明後日の方向を向いていた。

 あからさまに何かを隠しているように見えるが、それでも、坂江は強く聞くことはしない。

「お客さんか……。どんな人だったか、憶えていますか? 髪型とか、身長とか……そう、どんな話をした、とか」

「お話、ですか」


 三崎の記憶はさかのぼる。

 先ほどの邂逅は記憶に焼き付いていた。身体中に走る痛みが絶望を味わわせてくる中で、御荘の言葉は一筋の助けに見えた。

 方法はわからないけれど、彼は店を再開させると約束した。

 その言葉に嘘は無いように思えたし、断言したその口調には真実味がある。


「失礼しました。若いながらも店舗オーナーをされているとか。お店の件は残念でしたけれど、きっと建て直しはできますよ。場所を変えるのも良いかもしれませんね。いずれにせよ、保険屋さんが動いてくれるでしょう」

 坂江の言葉は、三崎の耳に定型句のように響いた。

 彼は知らないのだから当然だが、あの場所を見つけ、そこでやると決断するまで幾度も繰り返した計算と迷い。融資担当者を説得するための商圏データ集めなど、単なる『場所』でも三崎にとっては唯一無二のスタート地点だ。


「う、うぅ……」

 そこまで考えて、三崎は涙をこぼした。

「あ、えっと……」

「ぐす……大丈夫です。ちょっと思い出して悲しくなっただけですから」

 しばらく待ってほしいと伝えて、唯一自由に動かせる左手でティッシュを取り、目頭に押し当てるようにして涙を拭う。


 頬のガーゼに手が当たって痛かったが、それよりも立て続けに人前で、それも良く知らない男性の前で泣いてしまったことが恥ずかしかった。

「ふぅ……ごめんなさい。あのお客さんの話でしたね」

「ええ。色々大変な状況だとは思いますが、あなたの店を壊した犯人を見つけるためです。その人にも話を聞きたいのです」


 真面目そうな人だ、とにじみが取れた視界で、三崎は刑事を名乗った人物を見ていた。

 彼自身はきっと、本当に社会正義のために身を粉にして働いているのだろう。先ほどの言葉も、なるべく自分を傷つけないように知っている言葉を選んで使ったのだろう、と三崎は理解していた。

 わかってはいたが、だからといって御荘を詳しく知っているわけでもないし、彼との会話を細かく話す気にもなれない。


「あの人は、ベーグルのセットと単品でもう一つを注文されたんです。店を出したばかりでしたんで、できるだけお客さんから感想を聞こうと思っているんで、その時も話しかけてみたんです」

 もちろん、話しかける相手もちゃんと選びますけれど、と三崎は自分がそこまで社交的ではないことを恥ずかしそうに語った。


「美味しい、と褒めてくれました。オーダーの時には少し注意されましたけれど、そのことも今後のオペレーションとか品質管理の参考になりそうでしたので、もっと詳しく聞ければと思ったんです」

 会話を始めた直後に爆発が起きて気を失ってしまった、と三崎は語った。

 メモを取っていた坂江は、言葉が終わったことを悟って、ペンを胸ポケットへと戻す。


「ありがとうございます」

 立ち上がった坂江は、ひょいと頭を下げて一礼する。

「お店の方ですが、しばらくは消防や鑑識が出入りしますが、後は保険屋さんが処理をしてくれるはずです。どうか、身体を治すことを第一に考えて、ご静養ください」

 ご協力感謝します、と言葉を残して坂江が退室すると、三崎は酷い疲れが自分の身体に圧し掛かっているのを感じて、そのまま目を閉じて眠りについた。


 彼女は気付いておらず、坂江は気付いていた。

 三崎が“安否を知らないはずの男性客(御荘)のことを心配する素振りを見せなかった”ことに。


 坂江は、逃亡した男性と三崎に、何らかの繋がりがあるのではないかと疑っている。



 荻の死体ごと、彼のアジトを燃えるに任せておいた御荘は、疲れ果てた身体でマンションへと戻り、シャワーも浴びずに眠っていた。

 そして、昼過ぎまで眠り、目を覚ます。

「……緑色の目、か」

 自分が警察であれば、あちこち聞き込みをして探し回ることもできるだろうが、追われている立場ではそうもいかない。


 TVを点けると、昨日の爆発が当然のごとくトップニュースとして扱われていた。

「俺のファン、か」

 嬉しいわけでは無い。

 冷蔵庫から取り出した牛乳をグラスに出して一気に呷る。

「何が目的だ?」


 口元を乱暴に拭い、裸の胸元まで流れた分は放っておいて、そのままシャワーを浴びて汗と共に流してしまう。

 熱めの湯を頭に浴びながら、昨日から考えていたことを整理する。

「わざわざ俺の爆弾を使って、それも俺がいる近くで爆破させたのは何故だ?」

 御荘が居合わせたのは偶然だろうか。ファンであるならば爆破予定物件が見えるところで爆破を見届ける習慣を知っているのだろうか。


 いずれにせよ、と御荘は可能性を絞って、確かな部分だけを選び出す。

「俺が仕事をすると、そいつも動く」

 滴が落ちるのも構わず、御荘は脱衣所で全裸のままスマホを取り上げ、暗記していた番号を押す。

 2コール目で相手が出ると、御荘は名乗りもせずに伝えた。

「例の仕事を受ける。今夜、居酒屋『風蘭』で会おう」


 相手の了解を確認して電話を切った彼は、身体の傷を覆う包帯とガーゼを引きはがし、血でどす黒く濡れたそれらをゴミ箱へと投げ捨てた。

 そして新しい薬を塗り、元通りに包帯で包み込む。

「っく……!」

 痛みが鬱陶しくなってきたので、鎮痛剤を飲み、また汗をかいた顔を冷たい水で洗う。


銃とナイフを点検し、服の下にしっかりと隠れるように固定したホルスターと鞘に放り込んだ御荘が指定の居酒屋に現れたのは、開店直後の夕方六時のことだった。

「後で連れが来る。多分一人だ」

 そう伝えてテーブル席に一人で座った御荘は、酒は頼まずに冷たい水を頼み、勝手知ったるという様子で次々に料理を注文する。


 最初に出されるお通しの小鉢については賛否両論あるが、御荘はこれが店の技術と考えを一番物語っていると思っている。

 今回は貝ときゅうりの酢味噌和えというよく見るものだったが、一口つまんだ時点で違いを感じた。

「梅肉か……それに刻んだわさび菜が混ぜ込まれている」


 甘めの酢味噌だったが、梅肉の酸味とわさび菜の爽やかな辛味が非常にバランスよく、貝の臭みなど一切感じない。

 やや濃い目の味付けであるのはあくまで“酒の肴”であるということだろうが、美味いツマミが美味い飯の供であることは自明の理であり、白い飯が食いたくなるのは当然のことだった。


 わさび菜はこの辺りのスーパーなどではあまり見かけない食材だが、柔らかい葉はそのまま薬味のように使えるし、硬めの茎も醤油漬けなどにするとこれも美味い。

 御荘は以前にわさび菜を食べたのはいつのことであったかと考えたが、場所や時期は思い出せなかった。ただ、刻んで醤油と酒に漬けた茎を具にして、ご飯にも刻んだ葉を混ぜ込んだ贅沢な『わさび菜おにぎり』を味わったのを憶えている。


「お待たせしました。海老マヨネーズです」

「ありがとう。これを待っていた」

 料理を運んできた女性を笑顔で迎えた御荘の目の前に置かれたのは、一般的な海老マヨネーズとは趣が違う。

 通常、海老マヨネーズを作る時は衣をつけて揚げた海老をマヨネーズソースに絡めたものを指すが、この店では違うのだ。


 海老は一尾一尾丁寧に“開かれて”いて、すしネタ様な形になっており、しょうゆベースと思しきタレでサッと煮られているのだ。

「これを食べに来たと言っても過言ではない」

 中央に盛られたマヨネーズソースを箸で掬い取り、ぐるりと囲むように並んだ海老の上に乗せる。そしてまとめて口に放り込むのだ。


 美味い、と御荘は声に出さずに噛みしめた。

 海老は甘めの味付けで煮られているが、適度に包丁が入っているうえに短時間だけさっと火を通しただけのようで、反り返ることもなくふっくらと柔らかく仕上がっている。

 同時に、マヨネーズの中に刻み玉ねぎを混ぜたシンプルなソースの味も広がる。

 マヨネーズは卵の味が強い手作りの物で、玉ねぎの辛味と合わさり、醤油風味の海老に非常に合う。


 柔らかな海老の甘みと、サクサクと小気味良い歯ごたえが口の中で様々なバランスで混じり合い、飲み込むまで幾度も変化する。

「やっぱり美味いな……これだよ、これ」

 二つ、三つと食べ続けながら唸っていた御荘の目の前に、店に入って来た誰かが立ち止まった。

「待たせたか……と思ったが、楽しんでいたみたいだな」


「お前の顔を見て現実に引き戻されたよ」

「抜かせ。呼びつけたのはそっちだろうが」

 酒やけしたような声で悪態を吐きながら御荘の向かいに座ったのは、彼よりも少し年上に見える女性だった。小脇に抱えていた小さな紙袋をテーブルに置き、ビールを注文してから煙草の箱を取り出した。

 そこで御荘の視線に気づき、煙草を仕舞う。


「悪かったよ。久しぶりで忘れていた」

「わかればいいんだ。それで、この袋の中身が話していた例のやつか」

 紙袋へ向けた御荘の視線は、警戒の色を孕んでいる。

「そうさ。こいつをばら撒くだけの簡単な仕事だ」

 女性はそう言うが、中身は高熱で変質してしまうことを御荘は予め聞かされている。まき散らすために爆破はするが、燃やしてはいけないのだ。


「場所と日時は問わず、だったな」

「急いでくれるとありがたいんだけどね。それと、日時が決まったらどこでやるか教えな。巻き込まれたくは無いからね」

 細く節くれだった指をテーブルに当ててコツコツと音を立てる女性に、御荘は頷いて言葉を返した。


「……引き受けた」

 御荘の新たな仕事が決まった。

 女性が開発した毒薬を散布するための、バイオテロ爆弾の製作だ。

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