3.ベーグルと裏切り
※この方法で開くカードキーは存在しないので、悪しからず。
「すみません。入隊説明会の資料を貰いたいんですが……その、トイレをお借りできませんか?」
鞄を持った青年がやってきたのは、自衛軍の地方本部受付だった。
「はい、もちろん。外来の方用のトイレは二階の奥の方にあります。書類も二階で受け取れますよ」
「ありがとうございます。助かります」
受付の女性が指差した方向を確認して一礼した青年は御荘だった。
髪を撫でつけて眼鏡をかけた簡単な変装だったが、印象はかなり違って見える。室内に監視カメラの類は存在しないことは事前の調査で確認済みであり、出入口のみ顔が見えないように動きを工夫している。
そのままトイレに行く振りをして目的の階まで行くが、エレベータを使うと映像が残ってしまう。二階から先は階段で登ることになる。
エレベータの隣に非常階段へと入る重たい鉄の扉があり、周囲を見回しながらゆっくりと音を立てないように開き、中へと入る。
非常階段では時折いかがわしいことをやっている連中と遭遇することもあり、緊急に“処理”する場合もあるが、今回は不要だった。
慎重に階段を上がり、五階の扉を開く。
「……まあ、そうだろうな」
監視カメラは無いが、資料室の扉はしっかりとカードキーで施錠され、扉そのものもそう簡単に破れるような脆いものではもちろんない。
とはいえ、抜け道が無いわけでは無い。
カードキーの仕様にもよるが、電源がダウンした際やカードが無い時の非常開錠方法が存在する。
ここで使われている、外部電源を使用せずに電池を使っている完全独立タイプの鍵の場合、電池切れの際に開ける方法があるのだ。
御荘はカードキー本体下部に9V電池を押し付けると、非常用の鍵穴へとキーピックを差し込み、手ごたえを探りながらいくつかの箇所を捻っていく。
「……開いたな」
カシャリという小気味良い音が聞こえ、扉はわずかに手前にずれた。
置いておいた鞄を拾い上げた御荘は、身体を斜にして滑り込むように室内へと入り込む。
僅かに空調が動いているものの、空気が淀んでいる室内は埃のせいかわずかに嫌な臭いがする。他には紙と古いインクの匂いだ。
照明がついていない薄暗い室内を小型の懐中電灯で照らしながら室内を探る。
部屋の構造や室内に防火壁などが存在しないかを確認し、最も効率よく破壊が出来る場所を探し出す。
爆発は基本的に爆発物の位置から上と左右に広がり、下方には向かいにくい。
今回の場合は可燃性の液体をまき散らすのでそこまで気にする必要も無いかも知れないが、御荘は爆発でガラスを破壊し、所狭しと棚に並んだ書類が燃え上がるのに充分な空気を充分に取りいれたいと考えていた。
爆発の威力は金属製のラックを問題無く吹き飛ばす。爆破前に発見されることを避けるため、御荘は部屋の中央あたりに有る金属ラックの下部にかばんを置いた。
中身の爆弾は家を出る前にタイマーをセットしている。今日の夕刻には問題無く爆発するはずで、御荘はそれを毛ほども疑っていない。
繰り返した工程であり、幾度も慎重に確認した。他でもない、自分自身が。
セットしたかばんと同じものを懐から取り出して広げると、何食わぬ顔をして二階まで階段で下り、まるで興味無い『入隊試験説明会』のパンフレットと参加希望届の用紙を受け取った。
「すみません。助かりました」
「いえいえ。入隊をお待ちしております」
受付の女性に一礼して、御荘は建物を後にした。
国家自衛軍は組織としては前身の自衛隊をそのまま継承している格好であり、人員や設備も看板を書き換えただけで利用している。
海外の状況変化に伴って名称が変更されたわけだが、新規隊員の募集プロセスもオープンにされており、いかついイメージを与えないような努力がなされていた。
その分、御荘がそうしたようにインターネットなどでも情報が得やすく、つけ入る隙も大きい。
「さて、問題はベーグルだ。あの店が当たりか否かでだいぶ違うぞ」
爆破に関する心配よりも、期待して入った店が大した味ではなかったときの方が御荘にとって心理的なダメージが大きい。
爆破までは充分な時間がある。万が一とんでもないはずれを引いてしまったなら、何か別のものを買ってきて路上で食べながら爆発を見物することに決めた。
爆弾を仕掛けた自営軍地方本部があるのは、町の中心からやや外れた場所で、平日の夕方四時となると、人や車も少しずつ増えてくる。
買い物から帰宅する人や営業などから会社へ戻る人、自転車に乗った学生なども散見され、日暮れが近い街を少し急ぎ気味に進んでいく。
そんな通りの一角に、目的のベーグル店はあった。
「いらっしゃいませ!」
カウンターに立つ若い女性が笑顔で御荘を迎える。
店内は明るさよりも落着きを重視したような茶系が目立つ内装で、イートインスペースには主婦らしき一組の客がいるだけだった。
「ふぅん」
御荘はカウンターに置かれた手書きのメニュー表を見て、良い意味で意外だと思った。
プレーンの他にセサミやレーズン、クルミが入ったベーグルがあるのはもちろん、日替わりでブルーベリー風味やヨーグルトを練りこんだベーグルなどもある。
フィリング(具材)もよく見る挟むためのローストビーフやオニオンなどがある他、生地そのものに包み込んだタイプもある。
注文方法はファストフードではよく見る、ベーグルと具材を選び、それからサイドメニューを選ぶ方法だ。
セットメニューは特にないらしい。
「プレーンにチキン、それとトマトとオニオンを。ソースは塩コショウだけで。あとはほうれん草入りのを別に一つ。サイドはいらないから、コーヒーをホットで」
ほうれん草のソテーを包み込んだベーグルが妙に気になり、試しに頼んでみるスタンダードなものの他に追加で頼んでしまった。
「かしこまりました。少々お待ちください」
注文を受けて支払いが済むと、店員の女性はすぐに目の前で作り始めた。軽くオーブンで温めたベーグルを手早くカットし、具材を挟んでいく。
その動きを見ていた御荘が「ちょっと待って」と彼女を止める。
「トマトはそれじゃなくてもう一つ横ので頼むよ」
「あ、はい」
一瞬疑問を浮かべた女性は、すぐに御荘が言うとおりにトマトを差し替え、料理を完成させた。
皿とナプキンの上に置かれたベーグルは食べやすいように二つにカットされ、かわいらしいピンで留められている。
「お待たせいたしました。……あの、聞いてもいいですか?」
トレイに載せた料理を手渡ししながら尋ねた女性に、御荘は何かと問い返す。
「どうしてトマトを変えるように言われたんですか? その、迷惑とかじゃないんですけれど、今後の参考に確認しておきたくて……」
そういうことならば、と彼は先ほどのトマトを指さした。
「ベーグルだけじゃなくてバーガーもだけれど、水分が多い具材は水気が移ってひどく生臭くなるからね。好みの問題でもあるけれど、新鮮で水気があっても水滴が落ちるほどではないのを選びたかったんだ」
「なるほど」
納得したようにメモを取った女性は、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。参考にさせていただきます」
「アルバイトかと思ったけれど、もしかして……」
「はい! ここは私のお店です!」
オーナーだったか、と御荘は苦笑いを浮かべた。
彼女の見ためは十代に見えるが、実際は大学を卒業したばかりであるという。そうすると、少なくとも二十二は超えているはずだ。
小柄な体格と花が咲いたような毒気の無いスマイルのせいで、いつも年齢より若く見られるんです、と彼女は不満を漏らした。
「私、三崎と申します。うちのベーグルがお兄さんの口に合ったら、お知り合いとか仕事関係の方とか、ぜひ宣伝をお願いしますね!」
「仕事関係、ね」
適当な席に座ってトレイを置いた御荘は、仕事関係と聞いて思い浮かぶ相手が中年男性ばかりであることに、また自分で笑ってしまった。
もし本当に声をかけて、彼らが集まったとしたら、この落ち着いたファストフードスタンドも殺伐としたテロリストの巣になってしまうだろう。
「逆に不味かったら紹介するのはやぶさかではない」
美味い店なら、そういう連中が集まるのは勘弁願いたいのだ。
気を取り直して一口目をほおばる。
プレーンのベーグルはオーブンで軽くカリッとした表面からもっちりとした内側へと至る歯ごたえに、麦の良い香りが混ざってくる。
オニオン、トマト、チキンの順で載せられた具材が、ほのかに温かな生地の中で混ざり合い、旨味とかすかな苦みで全体を複雑で、それでも美味しくまとまる一口にしていた。
当たりだ、と御荘は判断する。
具材はありきたりだが、ベースになっているベーグルがとにかく美味い。これならば具がなくても朝食でサラダなどと食べるのにも合う。
コーヒーは業務用のメーカーで作られたもので普通の域を出ないが、これは仕方が無い。
一口だけのつもりだったが、カットされた半分をあっさりと食べてしまった。
改めてコーヒーで口の中をリセットし、フィリングを包み込んだタイプのベーグルへと移る。
こちらはオーブンで温めただけで、カットはされていない。中身がこぼれだすのを避けたのだろうと思うが、それだけに中の状況が分からないのが不安だった。
しかし、プレーンベーグルが美味かったことで、期待値は上がっている。
サクリ、と一口目をほおばる。
「こういうタイプのベーグルは初めて食べたが、美味いな」
フィリングのほうれん草はバターと塩コショウ、それに少量のマスタードで味付けをされているようだった。たっぷりと詰められているのに重たくは感じず、みっちりと詰まったベーグルの生地に包まれて食べ応えがある。
ベーグルそのものにも工夫がされているようで、プレーンに比べて少しだけバターとガーリックの香りがついており、ほうれん草の臭みはまったく見せず、むしろ食欲が出てくる香り付けがされていた。
「いかがでしょうか?」
コーヒーのお替りをサービスで持ってきたという三崎に、御荘はにやりと笑った。
「美味いね。正直、初めてこれだけ美味いベーグルを食べた」
「良かった!」
御荘の感想を聞いて、三崎がまた輝くような笑顔を見せている。よほど感想が気になっていたのか、白いエプロンの胸元にコーヒーポットを抱えて、ホッとしたように息を吐いた。
その直後だった。
爆発が起きる。
「なにっ!?」
時間は設定通り。うかつにも時間を確認していなかった御荘は舌打ちしたが、問題は時間ではない。場所だった。
熱い空気が叩きつけるような勢いで迫り、御荘と三崎の身体を店の奥へと向けて押し込んでいく。
その勢いは、店と自営軍地方本部のような離れた場所での爆発によるそれではない。もっと近い場所で、熱を感じるほどの距離での爆発だ。
爆薬の計算を間違えたかと思いながら、御荘は反射的に両耳と目を押さえて対爆姿勢をとっていた。
他の客はもちろん、三崎もそんな余裕などあるはずもなく、素早く伏せた御荘とは違い、カウンターに激突してようやく動きを止めたほどだ。
「おい、大丈夫か! ……クソッ!」
客は放って、御荘は三崎の下へと駆け寄ろうとしたが、ふくらはぎに鋭い痛みを感じて膝を突く。見ると、ガラス片が深々と刺さっていた。
「ちいっ!」
人に見られるのは不味いと思いつつも、三崎の近くへと片足で近づきながら騒動になっている通りへと目を向ける。
「場所が、違う……!」
爆発炎上している箇所は、自営軍地方本部ではなかった。
もっと店に近い場所の、人が行きかう通りを挟んだすぐ向かい側だ。
周囲には灯油が飛び散って炎が吹き上がっており、ベーグル店の入り口前も勢いよく燃え上っている。
「どういうことだ? ……あいつら!」
依頼をしてきた荻たちが勝手に爆弾の位置を変更したのか。自営軍が発見したのであれば、もっと別の場所で処理したはずだ。
御荘は怒りに震えながら、全身あちこちに傷を負って気絶している三崎を抱え上げた。
どうにか呼吸はしているようだが、火傷の治療を急がねば危ない。
「畜生め……。絶対に許さん」
仕事と趣味。両方を一度に汚されたと感じた御荘は、ようやく到着した救急車に三崎とともに乗り込んだところで気絶するまで、呪いの言葉を吐き続けていた。