2.趣味と実益
※(爆弾製作の方は)絶対に真似しないでください。
爆弾の製造における御荘の作業場は自宅である。2LDKのマンションの一室は寝室。もう一つが作業室になっている。
作業のためのシンプルで広いテーブル。その周囲にはキャビネットが並んでいるが、ラベルや目印の類は一切存在しない。誰かがここに入っても、何が保存されているかは見当もつかないだろう。
ここは御荘の為だけの場所。誰かに何かを伝える必要はないのだ。
デスクの前には、予め組み上げておいた発火装置付きの本体が置かれている。中央にある大きな容器へと、調合した粉末を慎重に詰めていく。
過酸化アセトンと呼ばれる化合物で、起爆が容易だがその分扱いが難しい。
御荘は今回、タイマーを仕込んだ起爆装置で過酸化アセトンを起爆させるタイプの爆弾を作っていた。
過酸化アセトンは材料が比較的手に入りやすいという利点があり、化合に特別な装置や器具を必要としないところが利点である。
だが、起爆が容易な分、ちょっとした衝撃などでも起爆してしまう可能性があり、引火しやすい性質がある。その為、過酸化アセトンを使った爆弾の製造に手を出す者は多いが、製造中に事故を起こす者もまた多い。
「……よし」
全ての爆薬を注ぎ込み、ぴったりと蓋を閉めて密閉する。重量はおよそ二キロ。これだけの量を密閉して起爆すれば、かなりの威力になる。
先日のビル爆破の際にも同じものを三つ設置していたが、問題無く目的のフロアを全て破壊することに成功している。
後は炎上を狙う為に液状の可燃物をまき散らすためのタンクを仕込む予定だが、御荘はここまでで作業を切り上げた。
爆薬が載せられたままのデスクからそっと距離を取り、扉を開いてリビングへと抜けると、そこで大きく息を吐く。
「ふぅーっ……」
水に反応する素材を扱うこともある。呼吸や汗はもちろん、わずかな衝撃でも反応してしまう可能性すらあるのだ。
多数の命を奪うため、あるいは間接的に多数の心を破壊するための爆弾を作る以上、命がけであるのは当然だと御荘は考えている。
それは贖罪の意識などでは決してない。
例えるならば、「美味い物を食べるために支払う当然の対価」であった。
「さて、今日は自分で作らないとな」
爆弾の製作中、御荘は決して自宅を留守にすることは無い。施錠をしてセキュリティを入れているといっても、想定外のハプニングは起こりうる。
地震や火事で爆弾の存在が危機にさらされる可能性もあれば、突然の訪問者に対応する必要もある。
リビングの流し台で手を洗い、少し行儀が悪いとは思いつつも、ばしゃばしゃと顔も洗う。用意していたタオルで顔をざっくりと拭うと、御荘は緊張で張りつめていた目元が多少は楽になった気がした。
「腹が減ったな。さて、何を作るか」
ちらりと浴室の方へと目を向けるが、今は空腹が優先だ。
冷蔵庫を開けて素早く中身を確認し、冷凍庫も同様に見ておく。
そのすぐ隣には乾物を入れておく棚があるが、その中身はしっかりと把握していた。
「パスタにしよう」
冷蔵庫からトマトを二つ、エビをひとパック取り出し、鍋にたっぷりの水を入れて火にかける。パスタを一束取り出しておき、少し考えて皿うどんの揚げ麺を出した。
「使う機会がなかったんだよなぁ。思い付きだが、うまく行くかな?」
袋ごと麺を握って砕いたところに、殻をむいて背ワタを抜いて日本酒で下処理したエビを放り込む。
袋の上から揉みこむと、エビ全体が揚げ麺の衣で覆われた。
衣が剥がれないように注意してキッチンペーパーを敷いたグリルに並べ、じっくりと焼く。
焼き上がりを待つ間にトマトを洗い、刻み、鷹の爪とスライスガーリックと共にオリーブオイルを温めておいたフライパンへと投入する。
ガーリックの強烈な香りに、トマトの爽やかな香りがミックスされる。塩コショウでシンプルに味を付け、ソースはほぼ完成だ。
すぐ隣で沸騰を始めた鍋に塩を一掴み放り込み、パスタを茹でる。
「時間は丁度いいはずだ」
待ち遠しかった茹で上がりの時間が来る。
トングで引き上げたパスタを、ダイレクトにトマトソースの鍋へと投入。弱火で煮詰められて水分が減っていた所にパスタごと少しだけお湯が入り、フライパンを揺らしてソースを絡めると、みずみずしさを取り戻したかのようにトマトに艶がでてきた。
充分にからまったパスタを皿に盛りつけたところでエビが焼きあがった。
「焼き色もいいな。上手くいった」
衣を付ける前の水切りが不十分でエビから少々水が出ていたが、許容範囲だと判断し、パスタの上に並べていくと、彩りが足りない気がしてくる。
そこでパセリをふりかけてどうにか体裁を整えて完成だ。
調理道具を水に浸けただけで後片付けは食後に回し、フォークを握って椅子に座る。
「思ったより綺麗にできたな。問題は味だが」
さっくりと軽いエビの揚げ麺包み焼きは上出来だった。あるいは油で揚げた方が良かったかも知れないが、手間を考えれば充分な味だ。
衣は想像以上に軽い食感で歯ごたえが良く、プリッとしたエビの甘味と柔らかさを引き立てる。
トマトソースとも相性が良く、パスタと共に食べると小麦の味の中でぷっつりと小気味良い味わいが決して負けていない。
ほんの二十分程の調理時間で作ったわりにはかなり上出来だとは御荘本人も思ってはいるものの、やはりプロの腕には敵わない。
「調理器具を増やすか? 問題は使いこなせるかどうかだが」
料理を作ることを趣味にしてはいても、彼自身には料理をプロレベルにまで習得するだけの経験は無かった。
今使っているオーブンレンジでは無く、コンベクションオーブンなども欲しいとは思いつつも、それを使って料理を上手に作れるかどうかは別の話だと自分でも理解している。
味への満足感と技術不足への不満感を同時に味わったあと、冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターを呷る。
ふと、テーブルの上に広げていた無料情報誌を捲っていく。
「ここが近いな」
手を止めた御荘が見ているのは、数日前、飲食店情報を探している際に興味が惹かれた店の記事だった。
「ベーグルサンドか。一度か二度くらいしか食べたことがないな」
場所は爆破対象場所の近くであり、営業時間や定休日も問題無い。
「ベーグルなぁ。うぅむ……」
テーブルに指をコツコツと打ち付けながら考える。
御荘はファストフードや耳慣れない海外の料理そのものに対する偏見は無いが、そういったものを扱う店でとんでもない手抜き料理に幾度となく出会っていた。
ベーグルも冷凍品であるだけならまだしも、焼きが不十分で中央部分が冷たかったり、具の配置が悪くて一口目からずるりとベーグルの間を抜け落ちたりして、散々な思いをしたのだ。
しかし、それでも次こそは美味しくて感動するようなベーグルに出会えるのではないかとの期待も無いわけではない。
「行くか。近くに目ぼしい場所も無いし」
御荘は爆発を見届ける。
決して記録を取ったりするわけではないが、自分の仕事が完遂したことを振動と音で感じ、できるならそこに悲鳴のアクセントがあれば尚良いと思っていた。
その時、目の前か胃の中に美味いものが存在するなら最高だった。
必ずしも現地の近くに飲食店があるわけでは無いし、あるとしても彼の眼鏡に適う料理が食べられるとは限らない。
「だが、食べなければ知ることはできない」
TVレポーターの言葉や雑誌の紹介では何もわからない。実際に食べて、味わってこそ食を“知る”ことができる。
予定が決まった御荘は、立ち上がって全身の筋肉を端から端までほぐすようなストレッチを三十分たっぷり行ってから、再び作業室へと入った。
今回は人物をターゲットにするわけではない。建物の破壊が目的であり、依頼された場所は自衛軍の資料室であったため、御荘は荻たち依頼主の狙いが自衛軍保有のデータ抹消にあると考えていた。
「サブデータくらいはどこかに保管しているだろうが……まあ、そのあたりは連中がまた考えることだな」
依頼された場所を破壊する。それだけが御荘の仕事だ。
厳密に言えば『そこにあるデータを爆破して破壊してくれ』と依頼されればその方が確実なのだが、余計な情報を渡したくなかったのか、自分たちの恥になると思ったのか、荻たちはそこに言及はしなかった。
御荘は爆弾を製造する時点で、その対象と目的を考える。
例えば人物を対象として、誰か一人を確実に殺害しようと考えるのであれば、爆弾に釘など鋭利な金属片を仕込むことで殺傷力を引き上げることができる。もし大量に、無差別に人を殺害しようと考えるのであれば、爆発そのものではなく、その威力で有毒なガスをまき散らす爆弾を作るだろう。
では、今回のように建物を破壊する。それも建物全体をでは無く、部屋を破壊する場合にはどうするか。
御荘は椅子を引いて作業室に並ぶキャビネットを見回し、おもむろに立ち上がる。
「アンホ爆薬用に取っておいた分があったはずだが」
そう言って開いたキャビネットには、液体が入ったタンクがいくつも並んでいた。
一つの瓶を開いて臭いを確認する。
「これか」
それは灯油だった。
硝酸アンモニウムと混合することでアンホ爆薬という爆発物を製造するための材料として用意しているものだが、今回は火災を起こすために液体のまま爆弾に仕込むことにする。
灯油を幾つもの小さなケースに入れて爆薬の周辺にセットすることで、爆発と同時に割れて四方へ飛び散り、炎上する仕組みになっている。
灯油は水溶性が低く、水をかけても燃え広がるだけで消火は難しいとされている。スプリンクラーがあったとしても、長時間燃えてくれるはずだ。
「よし。完成」
タイマーをセットして手提げ鞄へと爆弾をセットすると、御荘はそっと作業部屋を出て大きく背伸びをした。
そして熱いシャワーを浴びて全身の緊張をほぐすと、裸のままベッドへと飛び込む。
爆弾がある家で眠る。
それは自分の『作品』に対する絶対の自信の表れであり、生み出したものに対する愛情表現でもあった。
二日後、依頼された日がやってくる。